半年近くこのブログから遠ざかっていた。
でも書かなくちゃ。
今日は書かなくちゃ。
「もうじき東日本大震災から5年なんだね。」
「しかも同じ金曜日だよ!」
誰かが話していた。
僕は、ある作業場に手伝いに来ていた。
輪転機は回り続け、丁合機も断裁機も製本機も呻りを上げている。
5年前、僕はここで強い揺れに遭遇した。
あの日も応援を要請されてここに手伝いに来ていた。天気も最初はこんなのんびりした小春日和だった。それなのに・・・いろいろ思い出してくる。
急につま先が冷たくなった。みるみる膝、腰から力が抜けてゆく。
「なんだべ、ここでそんな話してヤ。」
何気ないフリして答えた。みんな笑った。
でも動けなかった。足がもつれる思いだった。
どうも自分をちゃんと癒やせていないらしい。
どこかで重低音を聞くと、地鳴りを思い出して心拍数が激しくなる。
僕でさえこんな状態なのだから、もっと恐ろしいものや、悲しいものを見た人たちの日常生活はどうなのか。
被災地、とよく言われるが、今はきっと津波到達地と原発による規制区域を指すのだろう。本当はもっと範囲が広いように思うのだが、激甚区域を憚って被災地とはなかなか言えない。
人も同じで、被災状況がそれぞれ違いすぎるし、また環境改善の進んだ人と進まない人の差も開く一方。支援状況もなかなか進まないし、何よりも場所と資材と資金がどうにも上手く回らない。あらためて震災の規模の大きさを思い知らされる。だから悲しみの連鎖が止まらない。
以前、「慰め」、「癒やし」について書いたことがある。
「慰め」で人の心はなかなか癒えない。でも「慰め」のない世界は気が狂いそうになる。
「癒やし」は自分自身に作用する能力であり、他者には作用しない。今はそういうふうに思う。
他者に対して出来るのは「癒やし」を促すことだけである。それが「慰め」と呼ばれる行為なんだろう。
でもこれが簡単には人に伝わらない。
ふさぎこんでいたり、恨んでいたり、悔やんでいたり、そういう感情で自身を一杯にしているから他の感情が圧殺されている。または他の提案(癒やしの提案)が受け入れられない。まるで紐が絡まり硬く結ばれてしまっているのに似ている。紐をほどくのは自身の仕事であり、他者がこれをするのは難しい。でも他者が「癒やし」を促すとき、不思議な現象を起こす。
「力をもらった」と言うひとがいる。「背中を押してもらった」と言うひともいる。
絡まった紐は、あたためると結び目がゆるむらしい。
人は「慰め」られて、自分を「癒やせる」力を思い出す。思い出すことで人は癒やされてゆく。
「慰め」って、あまり上等な意味で使われることはすくなくなったけど、実はかなり高位なコミュニケーションなのではないだろうか。
「癒やされる」という表現があるが、あれはきっと「癒やし」を促されることを短く表現しているのだろう。繰り返しになるが、他者は人を直接「癒やす」ことは出来ない。人に自我があるかぎり。
・・・とまあ、格好つけて書いたが、じっさい自分自身をうまく癒やせていない。揺り戻しのようなものがあって、上手く「癒し」が進まない。きっとまだまだ時間が必要なのだろう。
自分を後回しにしている人が一番「癒やし」から遠くにいる。自暴自棄、利他的、または自分を大事にしていないのか、よくわからない。でも自身の歪みに気が付かないでいると、この身はやがて内側から崩壊してしまう。
他者は、人の痛みを聞くと、その癒やし(=快復)の度合いを測ろうとする。それは腫れ物を触るような緊張感を伴う。
手探りの緊張感。こんな緊張感、長続きするものではない。腫れ物扱いは、そこから継続的な付き合いに変化する場合と、飽きて付き合いが消滅してゆく場合とに分かれてしまう。
東日本大震災の被害を蒙った人への支援では、長続きしないものが出てきている。やっぱり飽きたのだろうか。
一人ひとりに自身を「癒やす」力が備わればいいと思う。「癒やす」力を思い出してくれたらいいと思う。最後は自力で立ち上がってほしい。でも一方で悲しみを忘れることもないだろう思う。
5年前、こういうことがあった。信じられない現象に出会った。人の命を大量に呑みこんでゆく魔物を見た。思わぬ仕儀で多くのものを失った。
都市がまるごと閉塞する恐怖を知った。機能は死に、道は絶たれ、物資が消えた。
忘れるはずがない。この現実と付き合ってゆくしかない。これは確かに「腫れ物」なのかもしれない。でも人は「腫れ物」じゃない。
みんな前へ進もうとしている。進もうとしているんだよ、と気がついてほしい。そして応援してほしい。
この五年間でも震災の苦悩から抜けられずに逝った人達がいる。その一人を僕は知っている。
最期に東の空をじいっと眺めて逝った人(いったいどなたがお迎えに来ていたのだろう)。今日あらためて黙祷を捧げたい。
今日は天気がよい。
きっと海はキラキラしているに違いない。東北で見る太平洋はいつも透き通ってて、春が一年のうちで一番綺麗なのだ。
逝った人へ
生きてゆく人へ
祈りはつきない。
でも書かなくちゃ。
今日は書かなくちゃ。
「もうじき東日本大震災から5年なんだね。」
「しかも同じ金曜日だよ!」
誰かが話していた。
僕は、ある作業場に手伝いに来ていた。
輪転機は回り続け、丁合機も断裁機も製本機も呻りを上げている。
5年前、僕はここで強い揺れに遭遇した。
あの日も応援を要請されてここに手伝いに来ていた。天気も最初はこんなのんびりした小春日和だった。それなのに・・・いろいろ思い出してくる。
急につま先が冷たくなった。みるみる膝、腰から力が抜けてゆく。
「なんだべ、ここでそんな話してヤ。」
何気ないフリして答えた。みんな笑った。
でも動けなかった。足がもつれる思いだった。
どうも自分をちゃんと癒やせていないらしい。
どこかで重低音を聞くと、地鳴りを思い出して心拍数が激しくなる。
僕でさえこんな状態なのだから、もっと恐ろしいものや、悲しいものを見た人たちの日常生活はどうなのか。
被災地、とよく言われるが、今はきっと津波到達地と原発による規制区域を指すのだろう。本当はもっと範囲が広いように思うのだが、激甚区域を憚って被災地とはなかなか言えない。
人も同じで、被災状況がそれぞれ違いすぎるし、また環境改善の進んだ人と進まない人の差も開く一方。支援状況もなかなか進まないし、何よりも場所と資材と資金がどうにも上手く回らない。あらためて震災の規模の大きさを思い知らされる。だから悲しみの連鎖が止まらない。
以前、「慰め」、「癒やし」について書いたことがある。
「慰め」で人の心はなかなか癒えない。でも「慰め」のない世界は気が狂いそうになる。
「癒やし」は自分自身に作用する能力であり、他者には作用しない。今はそういうふうに思う。
他者に対して出来るのは「癒やし」を促すことだけである。それが「慰め」と呼ばれる行為なんだろう。
でもこれが簡単には人に伝わらない。
ふさぎこんでいたり、恨んでいたり、悔やんでいたり、そういう感情で自身を一杯にしているから他の感情が圧殺されている。または他の提案(癒やしの提案)が受け入れられない。まるで紐が絡まり硬く結ばれてしまっているのに似ている。紐をほどくのは自身の仕事であり、他者がこれをするのは難しい。でも他者が「癒やし」を促すとき、不思議な現象を起こす。
「力をもらった」と言うひとがいる。「背中を押してもらった」と言うひともいる。
絡まった紐は、あたためると結び目がゆるむらしい。
人は「慰め」られて、自分を「癒やせる」力を思い出す。思い出すことで人は癒やされてゆく。
「慰め」って、あまり上等な意味で使われることはすくなくなったけど、実はかなり高位なコミュニケーションなのではないだろうか。
「癒やされる」という表現があるが、あれはきっと「癒やし」を促されることを短く表現しているのだろう。繰り返しになるが、他者は人を直接「癒やす」ことは出来ない。人に自我があるかぎり。
・・・とまあ、格好つけて書いたが、じっさい自分自身をうまく癒やせていない。揺り戻しのようなものがあって、上手く「癒し」が進まない。きっとまだまだ時間が必要なのだろう。
自分を後回しにしている人が一番「癒やし」から遠くにいる。自暴自棄、利他的、または自分を大事にしていないのか、よくわからない。でも自身の歪みに気が付かないでいると、この身はやがて内側から崩壊してしまう。
他者は、人の痛みを聞くと、その癒やし(=快復)の度合いを測ろうとする。それは腫れ物を触るような緊張感を伴う。
手探りの緊張感。こんな緊張感、長続きするものではない。腫れ物扱いは、そこから継続的な付き合いに変化する場合と、飽きて付き合いが消滅してゆく場合とに分かれてしまう。
東日本大震災の被害を蒙った人への支援では、長続きしないものが出てきている。やっぱり飽きたのだろうか。
一人ひとりに自身を「癒やす」力が備わればいいと思う。「癒やす」力を思い出してくれたらいいと思う。最後は自力で立ち上がってほしい。でも一方で悲しみを忘れることもないだろう思う。
5年前、こういうことがあった。信じられない現象に出会った。人の命を大量に呑みこんでゆく魔物を見た。思わぬ仕儀で多くのものを失った。
都市がまるごと閉塞する恐怖を知った。機能は死に、道は絶たれ、物資が消えた。
忘れるはずがない。この現実と付き合ってゆくしかない。これは確かに「腫れ物」なのかもしれない。でも人は「腫れ物」じゃない。
みんな前へ進もうとしている。進もうとしているんだよ、と気がついてほしい。そして応援してほしい。
この五年間でも震災の苦悩から抜けられずに逝った人達がいる。その一人を僕は知っている。
最期に東の空をじいっと眺めて逝った人(いったいどなたがお迎えに来ていたのだろう)。今日あらためて黙祷を捧げたい。
今日は天気がよい。
きっと海はキラキラしているに違いない。東北で見る太平洋はいつも透き通ってて、春が一年のうちで一番綺麗なのだ。
逝った人へ
生きてゆく人へ
祈りはつきない。