放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

東日本大震災~The Life Eater31

2011年06月27日 14時57分10秒 | 東日本大震災
 唐突だが、3.11の大震災以後、多くの有名人が亡くなった。
 いやいや、特に関連があるわけではない。

 けれど、震災で多くの犠牲者が出て、宮城県も福島県も火葬が間に合わず、東京などでも火葬を引き受けていた時期である。火葬場は混んでいたことだろう。

 この時期になくなった有名人で、特に忘れられないのが田中好子さん(2011.4.21逝去)。

 若すぎる逝去にも驚いたが、その最期のメッセージが被災地への心配りを示すものだったので、僕たちには印象深い出来事でもあった。

 最期のメッセージで田中さんは、ガンの痛みに苦しむきれぎれに、震災の犠牲者を悼み、「でもその時(自分が死ぬ時)には、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが、わたしの務めと思っています。」と言ってくれた ― 。

 気高くて、やさしい人なんだな、と思った。

 BELAちゃんが「黒い雨」を観よう、とDVDを買ってきた。
 もちろん、田中好子さんが主演だから。

 井伏鱒二の名作「黒い雨」は1989年公開。
 原爆の直後に瀬戸内海に降ったといわれる黒い雨(放射能を多量に含んでいたといわれる)にあたり、爆心地から離れていたにもかかわらず被爆し、原爆症を発症してしまう主人公を田中好子さんが演じている。監督は今村昌平氏。

 バブルの真っ只中に作られた映画なのに、映像はモノクロで、まるで60年前の映画のようにかすれていた。

 モノクロにした狙いはいくつかあったのだろう。なによりも爆心地の凄惨な(焼け焦げた遺体など)をそのままカラーで映像にするにはためらいがあったのではないか。

 名作だと思った。けどなんだか、正直、見ていてだんだん気が滅入る映画でもあった。きっと今の状況にリンクしちゃう部分があって、気が滅入っていたのだろう。

 「戦災」を「震災」に読み替えると、おどろくほど状況が似ているし、共通するキーワードも少なくない。もちろん被害規模は原爆の方が大きいのだが。

 たとえば避難所の風景。
 水も食料も足りない、医者も看護婦も不足している、支援団体の奮戦ぶり。知人が来て患者や犠牲者を引き取ってゆくありさま・・・。

 「ピカの被災証明」が発行されるという話し(しかも手続きが統一されていないというリアルさ!)

 放射能を浴びた人が受ける差別。偏見。
 
 ずーん、と来た。
 一緒に田舎に避難してきた人たちが原爆症でつぎつぎと倒れてゆく。
 主人公の養父にも軽度の原爆症が出て、養母まで倒れた。

 最後に主人公も髪の毛が抜け始め(おフロ場でハダカで髪の毛抜いてた。・・・コワイ)、やがて床に就いたまま立てなくなってゆく。

 お話はここまでなんだけど、僕には田中好子さんの実際の闘病生活もこんな感じだったのではないかと想像してしまう。
 そこであのご本人の「最期のメッセージ」を思い出した。
 「・・・お礼の言葉をいつまでも、いつまでも皆様に伝えたいのですが、・・・息苦しくなってきました。・・・」
 
 ここのところ、涙声でしたね。

 死者に教わる「生」。
 3.11からは、そんな体験ばっかりです。

 仙台でも水道水からセシウムが検出されるようになった。
 セシウムの摂取=即・ガンの発症ってのはあまりに短絡的で好きじゃないけど、放射能に負けたくない、とは思っている。
 抗酸化物とカリウム、カルシウムの摂取。
 
 まけない、まけないぞ。
 放射能にも、差別と偏見と排除思考にも・・・!

 田中好子さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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東日本大震災~The Life Eater30

2011年06月21日 10時47分02秒 | 東日本大震災
 「ミリシーベルト(mSv)」という単位がある。
 
 「Wikipedia」で検索したら、ミリシーベルトは放射線被爆量を表す単位で、これ自体が、放射線の種類から定められた(誰が定めた?)放射線荷重係数×放射線吸収線量値=シーベルト、というややこしい計算で算出される。シロートには非常に判りにくい。

 とりあえず、自然界から一年間に浴びる放射線量は2.4ミリシーベルト(ただし、地球上の場所によってはこれ以上のところもあるそうな)だそうで、これ以上に人口放射線被爆の限界値は1.0ミリシーベルト/年だという。つまり総数3.4ミリシーベルト/年までなら「放射能を浴びてよい」ということになるのだろうか?

 ただ、被爆量が2.0ミリシーベルトを超えると致死率が5%上昇すると書いてあるから、もともと自然界の放射線は生物の寿命に5%以上の影響を及ぼしていることになる。
 そんでもって、X線CTなどでは6.9ミリシーベルト/回も被爆するというし、怖いことにタバコの煙からも被爆しているらしい。こちらは13.0~60.0ミリシーベルト/年だというからびっくり。意外に高い。

 いま、いたるところで被爆限度量の基準を求める声があがっている。これに対し、厚生労働省などは対応できずに時間をかけてばかりいるが、上記のとおり3.4ミリシーベルト/年でいいんじゃなかろうか? 時間に換算すれば、0.38マイクロシーベルト/時。これ以上の被爆であれば危険である、という回答でいいじゃない。責任は果たしているとおもうけど? 少なくとも徒に上限値を引き上げるようなマネはするべきではなかった。
「じゃあ、それ以上であるときはどーすんだ?」って、その質問は厚生労働者ではなく、放射能の管理ができていない電力会社に言うべきで、行政はむしろ放射能を被爆しても人体に悪影響がでない方策を究明するべきではないか。
 

 まあ、単純に考えて、普段から人類は放射能にさらされているわけで、それならば、放射能に影響を受けにくい身体を作ることができれば理想なわけで。致死量とされる年間100ミリシーベルト以上(ところでなんで原発内部で作業している人は250ミリシーベルトなの?)ならばどうしようもないが、そこまでいかないうちは、放射能汚染を気にするより、「放射能抵抗力」なるものを模索しているほうが、まだ気持ちも明るく放射能と向き合える。40年以上前には、世界各地で核実験(屋外実験)をしていた。このとき飛散した放射性物質は今回の原発の比ではない。その当時の臨床データないし対応策はなかったのか。

 広島、長崎では被爆の苦しみと悲しみを抱えながら、どうにか子を産み育て、復興してきた。いまでも被爆に苦しむ人がいて、それが子孫に受け継がれてしまうという苦しみが続いているけれど、それでも生み育てることをやめてはいないし、その人々が「反核の哲学」を系譜として持っている。その陰には「放射能抵抗力」なるものがどこかに秘められているのではないか、と勝手な希望をもってしまう。
 「放射能抵抗力」・・・。
 なんとしても知りたいヒミツ。それは食生活なのか、生育環境なのか、それともなにかヒミツの秘孔(オイオイ)・・・?
 
 ところで、日本の原発について、「安全性」ということが問題になっている。
 ぶっちゃけ放射能は危険だし、管理するったって、とても人類が責任を持てるものだとは思えない。プルトニウムの半減期を考えればすぐに出てくる結論だ。
 それでも「安全性」とは何かという問題があるならば、次のことを確保することではないか。
1) 放射能を外部に出さない
2) もしも出てしまっても、施設内で完全に回収できる
 
 この条件は、必要最低限に過ぎない。けれど福島第一原発の場合、1)は出来なかった。認識が甘く、管理が悪いからだ。2)についてはまったく考えていなかったらしい。現存するほかの原発も同様のことだろう。1)も2)も出来ているならば「原発は安全です」と言えばいい。出来ていないなら「原発は危険だ」と言うべき。
 すでに使ってしまっているんだから今更そんなこと言ったって・・・とは思う。けれど、原発の「安全性」については、ちゃんと評価しなきゃ。だって、「こういう事故は二度とおこしてはいけない」って、誰でも思うでしょ? ね、おエライさん方。
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東日本大震災~The Life Eater29

2011年06月16日 14時22分09秒 | 東日本大震災
 「3.11東日本大震災」を考えるとき、忘れられない写真がある。

 津波でできた、だだっぴろい荒地で、ひしゃげた幼稚園バスが泥に半分埋まっている。(だいたいどこの場所かは推測できました)
 その傍らにしゃがむ母親らしき姿。横には父親らしき人も。
 母親はぐにゃりとゆがんだ窓から手を入れている。

 テロップによれば、泥に埋もれているわが子の髪をなでているのだという。

 見た瞬間に息が詰まった。

 抜けるような明るい青空。
 まばらな松林からは早春の潮風が吹き寄せていることだろう。
 けれどもそこは悲しみに満ちていた。

 この写真には続きがある。

 自衛隊に助け起こされてよろよろと立ち上がる母親の姿。
 まるで小さな女の子のように顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
 きっとあの子は泥の中。髪の毛だけが風にそよぐ。

 
 どんな慰めも、どんな鎮魂も足りない。
 けど、慰めも鎮魂もない世界は、もっと気が狂いそうになる。
 やはり、そんなものが欲しいと思うときもあるのだ。

 先月、皇族の方々が宮城県にも慰問にきてくださった。
 なかでも天皇皇后両陛下がいらしたときには、なぜか空気感がちがった。
 
 お二人で海岸に立ち、海に向かって黙礼をする。
 その瞬間、人も海も山もみんな静止した。不思議な一瞬だった。
 「天皇」と呼ばれる存在は、きっとこういうものなのだろう。
 誰にも代わることが出来ない役割。最高位の「鎮魂者」。

 「鎮魂」とともに思い出すのが「慰め」の力。
 「慰め」とは今やあまり響きの良くない言葉になりつつあった。
 少なくとも「震災」が起きるまでは、僕は好きではない言葉だった。
 けれど、疲労した身体に甘味が良いのと同じで、疲弊した心に「慰め」は沁みる。
 そのことを、僕は音楽で実感した。
 民放で、はじめ遠慮がちに流れ出した音楽たち・・・。
 きっとそれは、僕たちが日常の感覚を取り戻すのに大きな助けとなったのだ。

 「3.11」の震災から、「芸能」を生業とする多くの人たちが自分の無力感に苛まれたという。
 けれども、そこから軋むような心地で一歩を踏み出す人たちもいた。
 
 その「芸能」は、少しずつ僕らの心に沁みて、甘味のようにとろけた。
 それは「娯楽」や「チャリティ」である前に「慰め」であったからだ、と思う。

 あらためて気が付いた。
 「芸能」の本来は慰めであった。
 それは生者のみならず「死者」にも届いていたのではないか。
 たぶん、そうだ。
 音楽も、詩も、演劇も、絵も、みんなみんな「慰め」から始まっている。

 だからどうかアーティストのみなさん、絶望しないでほしい。
 あなたの「芸能」がきっとだれかの心に沁みている。

 そして「慰め」は「鎮魂」にもつながってゆく。

 
 
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東日本大震災~The Life Eater28~

2011年06月14日 01時22分46秒 | 東日本大震災
 やっぱり今、名のある政治家さんたちは、みんな役立たずだと思う。

 誰よりも役に立っていないと思う。
 「みんな誰もがオールジャパンで行こうと思っている。思っていないのは政治家だけだ。」
 とはテレビで聞いた誰かの弁。

 側近は首相降ろしに精を出す。野党は与党に帰り咲こうとして復興には手も貸さない。
 挙句の果てには超党派による内閣不信任案の提出だ。こういう時期にそーいうことしてるバヤイか? ムダなエネルギーを国民の血税で浪費しないでほしい。

 みんな役立たずだ。
 自分にできることは何かと考えたときに、「やっぱり政局だ」と思っている人は、やっぱり「復興」から一番遠くにいる人だと言わざるを得ない。
 被災地から見れば「政局」はまるで他所事だ、逆に政治家さんにとっても「震災」は他所事なんだろな、と思ってしまう。

 おそらく、このことは、政治家さん自身が一番気にしていることではないか。
 それゆえ、国会中継や予算委員会などで聞かれる怒号や野次は、なぜか「焦り」や「嫉妬」にも似た感情を想起させる。
 これは集団ヒステリーかもしれない。
 政局や政治活動というものを「シゴト」と言っていいものかは判らないが、それにしがみついているのはまさに「ワークホリック」である。どんなに崇高な行いであっても、執着や依存に置き換わってしまったものは、やはり醜悪なのである。

 
 阪神淡路大震災のとき、突然辞任した某政党の党首は国民の失望を買った。
 こういうことは16年たっても言われてしまう。
 今般の内閣不信任案提出に頂潮を見た一連の内紛・外紛は、おそらく東日本大震災とともに100年語り継がれるだろう。

 僕はこのことを「備忘録」としてここに書き添えておきたい。 
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東日本大震災~The Life Eater27~

2011年06月08日 22時44分26秒 | 東日本大震災
 「The Life Eater」は、かけがえのない支援をくれた人への尽きない感謝と、同時に個人的な備忘録として意味をもたせながら書いている。
 備忘録として書いているのは、あの日、心の底に刻み込まれた恐怖感と喪失感、そして「顔を上げて生きていかなきゃ」、という気持ちにしてもらえた瞬間を忘れないようにしたいから。このあたりの目的は、ほぼ書き残すことができたように思う。

 あとは、切れ切れの苦労話を笑いながら語ることぐらいかな(笑)。

 時は3月の下旬ころ、まだ仄暗い早朝の5時。
 その日、僕は本を二冊持って車に乗った。
 目的はガソリンの供給。
 持った本はいわゆる大衆歴史(娯楽)小説。斬った貼ったの八百八町カキーンカキーンってやつ。
  
 狙っていたGS(ガソリンスタンド)は国道沿いのわりと小さいところ。
 ここは細々とながらも毎日ガソリンを販売してくれるようになってきていた。 
 だから毎日クルマが行列をなしている。販売が終わっていても、翌日の販売のため一晩中クルマが並んでいる。
 来る日も来る日も、ガソリンが供給され始めているGSでは延延とクルマが並んでいた。

 キチガイじみている・・・。
 僕だけじゃない、きっとだれもがそう思っているはずだ。
 震災からのち、ずっとこのような風景ばっかり。  
 でも行列に並ばなければいつまで待ってても燃料は手に入らない。
 じゃあ朝早く並べばなんとかなるのだろうか。

 そういうわけで、比較的GSに近い路地に行列の最後尾を見つけ、クルマを詰めた。
 アイドリングするわけにいかないのでエンジンもストップ。
 3月末の仙台。早朝なら氷点下も珍しくない。けれどヒーターも使えない。そもそもガソリンがなくて買いに来ているのだ。アイドリングもヒーターもますますクルマのガソリンを減らすだけ。
 僕はブランケットを膝に掛け、BELAちゃんが用意してくれた水筒のお茶を一口だけ飲んだ。
 GSでガソリンの販売開始は9時だという。それまで3時間以上ある。
 そのあいだ、寒いクルマの中でひたすら耐えなければならない。トイレも行けない。
 
 だからこういうときのために本を持ってきていたのだ。
 大衆歴史(娯楽)小説にしたのも、自分が煮詰まってしまわないため。
 これが本格歴史小説になると、周辺知識が必要だし、やたらと登場人物が多かったりする。
 現代小説は、時代小説にくらべて極端に展開が早いか、または流れが薄いものもある。
 娯楽性があって、お侍さんが腰に大小挿して歩いているくらいの時代が一番おもしろい。
 さあ読んで時間に耐えるぞ。耐えてやる。

 お話は、とある藩の藩主。しかも将軍のご落胤。
 ご落胤とはいえ、どんな育ち方したものか、まったくの山童で、それゆえケンカと剣のウデはめっぽう立つ。
 しかもモテる。モテるくせに少女のような女と淡雪のような純愛をダラダラとくりひろげる。 
 さらにさしたる理由もなく小心者の為政者と恐ろしい殺人集団を敵に回してしまう。
 しかし、結局その破天荒なキャラでどんな局面でも圧し切っちゃう。

 なるほど、「花の慶次」の原作者だけあって、痛快娯楽劇としてパネェっす。
 
 ぐんぐん読んでいるうちに日はすっかり昇り、すこしだけ車内も温められてきた。
 行列の前方が動いた。ほんのクルマ一台分だけど。
 どうやらGSで販売が始まったようだ。僕もエンジンを廻しクルマを前進させる。そしてまたエンジンを切る。
 また前方が動いた。僕も前進する。そしてまたエンジンを切る。
 これをGSにたどり着くまでえんえんと繰り返すのだ。キチガイじみている。

 おそらくバッテリーにものすごい負担がかかっていると思う。
 こんなことを2時間も3時間もしているのだ。毎度毎度・・・。
 
 ふと、GSのツナギを着た人が駆けてくるのが見えた。あれ、GSまで結構な距離のはずなんだけど・・・?
 ツナギの人はクルマ一台一台に声を掛けている。ソレを聞いたクルマはなぜだかどこかへ走り去ってゆく。
 ヤな予感がする・・・。ガソリンもう売り切れとか・・・?

 「この道からは、列に入れませんよ! 列はずっとむこうから続いているんですからね!」
 ツナギの人が僕のクルマに向かってどなった。
 - うわ、最悪。 -

 これは実際、理不尽な話だ。
 もともとウチから出てすぐ近くにあるGSなのだ。普段なら、そのまま最短距離で国道に出てすぐに入れるGSなのに、震災からあとは、とにかく列の最後尾を捜して行儀良く並んでくれ、というのだ。
 もちろん行儀良く並ぶことについて異論はない。
 けれど道路なんて、はてしなく一本道なんてことはありえないわけで。枝道も多岐ある。そのどこかが正しい行列で、他の枝道はワリコミなんだと、誰に決めることができるというのか。
 仕方がないから、一旦国道に出て、行列の全容を見ておく必要がある。そうして最後尾を捜すしかない。

 あーあ、ガソリンもったいねぇやね。

 ぐーんと国道をさかのぼって行列の最後尾を捜す。
 そのうち、不思議なことに気がついた。

 行列は4㌔も5㌔も連なっている。その道沿いには複数のGSがあって、正直どこのGSがお目当てで並んでいるのか見分けがつかない。
 仙台のガソリン不足は震災後の1ヶ月までがホントに深刻で、このころクルマの行列は日に日に長くなっていたのだ。
 ほんと、キチガイじみている・・・。

 適当に見当をつけた枝道に回りこんで並んでいたクルマの後ろへ並ぶ。またエンジンを切り、小説を読み始めた。
 
 奔放かつ豪快な主人公は恐れを知らない。さすが「ご落胤」。その無敵の主人公の前に、恐ろしい殺人集団が取り囲むように立ちはだかった。どちらが仕掛ける?息詰まる瞬間・・・!

 ふと前方のクルマが動いた。
 なぜか列を飛び出して、その先へと向かう。まるで魚のウロコがはがれるように数台がそれに続いた。
 なんだなんだ。
 つられてクルマを前進させると、自分が並んでいた行列が途中で道を曲がり、さっき通り過ぎてきたGS(誰もいなかったけど?)のほうへ廻っている。げっ、1ブロック分カンケーない行列がトグロまいていただけかっ。
 僕もウロコの1枚になって離脱。あわてて先を急ぐ。
 ヤな予感がする。

 お目当てのGSがある方向の道路が急に空きはじめた。まるで今まで行列があったのがウソみたい。
 あれ、もうすぐGSについちゃうぞ。

 そのとき、GSのツナギを着ている人が歩道に立っているのが見えた。
 持っているダンボールに切れっぱしに何か書いてあった。

 「ホ・ン・ジ・ツ・ウ・リ・キ・レ」
 
 なーんーだーとーぉぉぉぉぉっ。

 すんげー空しい気持ちでGSの前を通り過ぎた。
 ほんと、キチガイじみている。

 この日、それでも遠くのGSに粘り強く並んでやっと2000円分ガソリンをゲットできた。
 もちろん、もって行った小説は2冊とも読破しましたとも。
 いっぱい待たされたからねっ。
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東日本大震災~The Life Eater26~

2011年06月03日 00時35分20秒 | 東日本大震災
 僕の実家はつくば市にある。
 仙台からつくばへ行くとき、もっぱら「浜通り」を通っていた。
 「浜通り」。すなわち国道6号線や並走する県道35号-34号などで形成される文化圏である。
 もともとは「東海道」といった。

 「何言ってんの? 東海道は京都から江戸の日本橋までの街道でしょ!」
 というアナタ、惜しいなぁ。
 品川が終点になったのは家康さんの時代から。それ以前の終点は陸奥国府「多賀城」です。
 (あ・・・、ドヤ顔していると悲しくなる・・・。)

 現在の街道(国道6号線)は古代の「東海道」よりもずっと平地に降りてきていて、それだから震災では津波で道路がズタズタになった。
 特に亘理、山下、相馬、その先でも津波が街道まで達しているという。
 いずれも僕にとってはつくばへ帰る道であり、仙台へ還る道であった。

 亘理は、イチゴの産地。
 季節になると、「イチゴ狩り」ののぼりが街道にはためいていた。
 海産物の恵みも豊かだ。
 春はホッキ飯、夏はしゃこ飯、秋ははらこ飯、冬はカキ飯。
 笹かまぼこも石巻、気仙沼に負けていない。一大産地だった。
 
 福島県の相馬も松川浦漁港をかかえ、海産物の豊かなところ。
 のみならず、陶芸の産地でもある。
 相馬から南相馬(原ノ町、小高)をまたぐ県道にそって「相馬焼」の窯元がずらりと並ぶ。
 
 一方で国道6号線はかなり単調で、やや内陸部を通りながら浪江、富岡、夜ノ森、広野と続く。
 
 広野には道の駅があり、温泉が湧いている。
 ここは外灯までがブルー。なぜならば、近くにJ-ヴィレッジがあるから。そう、ジャパン・ブルーだ。
 道の駅も当然ブルー。ここは食事が安くて好きだった。

 そこからは常磐道がつながっているので、上がるのもよし、もう少し走るならそのまま南下して久ノ浜をへて四ツ倉海岸に出る。
 
 このあたりでは「めひかり」が水揚されていた。
 新鮮なめひかりをテンプラにして食べると絶品。 
 いわきよりも四ツ倉の方がおいしいものがいっぱいあったような気がする。

 いわきは大都市なので、信号が多すぎる。
 なかなか進めずにいつもイライラさせられる。
 この町には白水阿弥陀という奥州藤原氏の時代から伝わる端正な阿弥陀堂がある。
 東北三大阿弥陀堂のひとつだ。
 三大阿弥陀堂は、平泉の金色堂、角田の高蔵寺阿弥陀堂、そして白水阿弥陀堂だ。

 湯元では常磐ハワイアンズあり、アクアマリン水族館あり、結構遊べる街でもある。

 その先には日立市があって、八溝山系の南端をぬけて那珂水系の平野に出る。水戸市の文化圏だ。
 石岡から山地に入るとそこが筑波山系である。
 
 どのルートでもよい、筑波山系をぬけると、本当に広大な平野に出る。
 ここが関東平野の北限だ。日本一広い平野。川が土砂を運んで出来ただけのアリジゴクのような平原。
 
 つくば市はもうすぐそこだ。

 ・・・。
 ここまで挙げたルートのあちこちで今、交通規制がかかっている。
 言わずもがな、地震と津波と原発だ。 
 僕の知っている磯風ただよう風景は、すっかり荒れてしまった。荒らされてしまった。
 電車なりクルマなり20年以上も通ってきた浜通り。今度ここを走れるのはいつのことか。
 とおいとおい帰り道。
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