放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

はらっぱへ届け・・・!

2008年01月20日 12時01分26秒 | 肝苦りぃさ
 一昨日、BELAちゃんのケータイに大切な人からメールが届いた。
 「連絡できなくてごめんね、
 ・・・びっくりしないでね。肺から骨に転移していて、療養が必要です。ダメだったら緩和ケアに入るからね・・・。」

 BELAちゃんは、目を真っ赤にしてケータイの画面を僕に向けた。
 僕も頭が真っ白になった。
 
 どうして、どうしてこんな・・・。
 それまでにもいろいろつらいこと、悲しいことがあっぱいあって、それでも明るさを失わなかった人。
 これからもっともっと幸せになっていい人。
 それなのに・・・。

 「私、手紙をかく。メールじゃなくて、ペンで書く。いっぱいいっぱい書く。」
 「じゃあ、オレはちいさく絵を描こう。」

 何の足しになるかはわからない。でも闘病のあえぎの中で、ほんの一服の清涼にでもなれるなら・・・。
 サイト「放菴」を見つけてくれた人。僕たちを広い世界へ誘ってくれた人。日当たりのよいはらっぱのような人へ、今、僕たちの気持ちを届けたい。
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アロンアルファの威力

2008年01月14日 13時07分13秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 先週の金曜日、指先を切った。
 断裁機の刃のゴミを指で払っていたら、右手の薬指をサクっと。

 まるでハムを切るように指先の皮をスライスしちゃいました。
 恐るべし断裁機。もしかしたら台所の包丁なんかよりよっぽど切れるかもしれない。

 って感心している場合じゃない。
 幸い、血で商品を汚すことはなかったが、指先のぷっくりとした部分だったので角質層だけでなく、皮下組織も切ったみたい。文字通り皮一枚で肉がぶら下がっている。
 
 こういうのって、治るまで痛いし何するにも不便なんだよねー。指先だし。

 と思っていたら、ふとアロンアルファのことを思い出した。
 あれって、確か医療用に開発されたって聞いたっけ。
 (義姉つまり「なでら義兄」のオクサンから聞いたような。)

 同僚も同じようなことを言っていた。
 「オレなんか、切り傷はアロンアルファでくっつけちゃうよ」

 じゃ、やってみましょ。

 傷口を洗い、清潔にして、ゆっくりと傷口を開いてみる。
 おそらく皮下組織にこんな溶剤をつけるのは好ましくないだろう。医療用アロンアルファではなく、一般商品だしね。皮下組織の癒着再生を狙うならなおさら良くない。となれば角質層にだけ塗るようにすればいいのかな?
 幸い精密作業用のアロンアルファだったので、そんなこまかい作業も不可能ではない。
 傷口の周辺部、つまり透き通った角質層に少しずつ溶剤をぬりつつ傷口をふさいでゆく。まるでブラックジャックになったみたい。なんか新しいことを試していて興奮しているのか、あまり痛さを感じない。

 処置がおわり、防水用のバンソウコウをしておいた。

 その結果、二日後にはもうバンソウコウも不要になっていた。傷口もピンク色をとりもどした。皮下組織の癒着にも成功したみたい。

 おそるべし、アロンアルファ。
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とりあえず新年

2008年01月06日 16時22分30秒 | Weblog
とりあえずの新年。
 無事歳を越せたことに感謝したい。

 実家に帰ったときに、母から「お前は祖父に似てきた」と言われた。
 僕が、何も要らない、何も飲まないと言っていたら、母にそう言われた。
 祖父は、自分のことは自分なりに用意ができていて、特別なにかをお世話する必要のない人だったらしい。お茶も自分でさっさと淹れるし、着替えも道具も必要なものは自分で持ってきて置いておく。自立しているというか、人任せにできない性分だったのか。
 貧乏性といえば、そうとも言えるが、自分の全てを自分の考えだけでできるということは意外に大変なことである。

 独身の時は、自分のことは自分でやらざるを得ないのだが、それでも知らず知らずのうちに誰かの助けが入っていたりする。そのことに気がつくかどうか、さらに助けを受け容れつつ感謝して礼を忘れずにいられるか。大人になるということは、自分をとりまく相互関係をよく知り、要所要所でコントロールできる力量を得ること。さらに自分という存在が世の中で果たしてゆく役割というものを見出せるかどうか。これはむしろ禅者や行者の類かな。さらに、それすら超越して見るもの触れるもの全てを善い方向へ導けるとしたら、それは立派な菩薩行ということになる。

 大それたことを書いた。
 たかがお茶を遠慮したくらいで何が大人か。

 でも、祖父の在様(ありよう)を目指すのも悪くない。
 素のまま、簡潔に、そして礼を忘れず。
 日本人はかくありたい。

 またまた大それたことを書いた。
 新春の大法螺吹きにならないように気をつけます。
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