放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

「人や銀河や修羅や海胆は」~クリスマスに観るKENJI~

2011年12月27日 13時34分03秒 | 観劇日記
 12月24日、仙台一番町MITSUKOSHIビル6階「エルパーク仙台」にて。

 シアターグループ「OCT/PASS」による演劇「人や銀河や修羅や海胆は」を観てきた。

 それはクリスマスプレゼント資金(もちろん孫に何か買ってやれ、という指示つき)として祖母からもらったお金で何かプレゼントを買おうと思い、「何がほしい?」と長男(14歳)に訊いたら、「OCT/PASSの「人や・・・」が観たい」といわれたのがそもそものはじまり。

 結局、入場無料なのでお金はそのまま募金に化けた。
 わが子ながらホトケサマのようなお人ですな。

 夏に秋保での屋外上演の広報をみたときに、僕がKENJIの魔法にかかってしまい、観劇を切望し、家族で見に行った。
 とても劇中に入りやすく、気兼ねなしに楽しめた。
 そして、そのときにタイ舞踊家・土屋悠太郎さんの身体能力に驚愕し、すっかりその踊りに魅せられた。
 いまでは子供たち二人とも土屋先生に弟子入りして、家中でコビタキのようにパンパンと良い音がしている。


 宮沢賢治が好きな人は、たいてい頑固である。
 人柄が頑固なのではなく、賢治に対するイメージが、頑固である。
 自分の中で「幻想」というジャンルを作り、あらゆる「透明」で「無垢」で「知的」なものをわざと「宗教」っぽく「哲学」っぽくしてぎっしり詰め込んでいる。

 これを他者が触ると、怒る。
 他者の「幻想」を認めず、自身の「幻想」が汚れることを嫌う。
 そしてそのような「潔癖さ」を誇りに思っている。
 みんなみんな自分だけの「賢治」を持っていて、大切にしている。

 だから、戯作者が「賢治」をいじるということは大変な作業のはずだ。
 反論をゆるさない深い知識と、観る人の「賢治」を壊さないセンス。
 そもそも賢治さんを具象化することだけで大いなる勇気がいる。

 「潔癖さ」で凝り固まった僕には、「参った」の一言なのだ。


 まあ、それはともかく・・・。
 小難しい理屈はヌキにして、面白かった。
 やっぱり「鹿踊り」は圧巻。
 やっぱりあのメンバーじゃなきゃなー!
 山猫さんもキャラ立ってました。
 最期の決別のシーンも・・・。 

 子供たちは前々から楽しみにしており、そして満足して劇場を後にした。
 次男坊は、やっぱり「スタッドレスタイヤ」がストライクだったみたい・・・。

 僕は・・・。「ゴブ・ガリー」かなぁ。(「アセッカキー」さん、元気かなぁ)

 外に出たら冷たいものが一斉に降りかかってきた。
 わ、ホワイトクリスマスですか?

 そういえば先週、横浜から友人が来た。
 彼にもこの雪とページェントを見せてやりたかったなぁ。

 「節電」のギモンは残っているんだけどね・・・。
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寒空の救出

2011年12月25日 01時49分38秒 | Weblog
 天皇誕生日の金曜日。

 クリスマス寒波が襲来していた。
 日差しはあるものの、風は身を切るように冷たい。気温も一向に上がらないような一日だった。

 その電話は、僕とBELAちゃんが車で買出しにいっているときに入ってきた。

 「あのぉ、僕だけど。」
 「うん? Mクン(我が家の次男坊)どーしたの?」
 電話で応対するBELAちゃん、だんだん声のトーンに驚きや呆れた感じがでてきて、最後にため息ついて「わかった、そのまま待ってて」と言った。
 僕はハンドルを握っている最中だったので、電話には加わることができず、ひたすらBELAちゃんの報告を待つだけだった。

 「Mクンねぇ、公園でブランコにはさまっちゃったんだって。」
 「・・・? はぁ?」
 「ジャンパーのすそがブランコにはさまってって動けないんだって。」
 「はぁ・・・。」
 さきほどのBELAちゃんの呆れたトーンの意味がやっと判った。
 「・・・この寒空じゃあなぁ。急いで向かいますか。」ハンドルを切って交差点に向かった。


 公園に到着したのはそれから10分以上経った頃。

 なるほど、公園のブランコにたった一人、小さな男の子がいた。
 冬枯れの芝生。だれもいない公園。その真ん中にぽつんと一人。ブランコにまたがって背中を丸めている。

 こういう情景を見ると、やっぱり人様の親たるもの、自然と駆け足になってしまう。
 「Mクン! 待たせてゴメンね。寒かった?」
 「うん・・・」
 そりゃ寒かったろう。一緒に遊んでいたお友達も先に帰ってしまって、たった一人で冷たい風にさらされていたのだ。

 Mクンのジャンパーはブランコの鎖の輪っかにがっちり噛んでいた。
 「いま外してやるからな。」
 ところがこれがハンパじゃなく奥まで噛んでいてびくともしない。
 ジャンパーには鎖のサビがこびりつきあちこち茶色くなっている。
 「切っちゃおうか」
 「ええー!」
 切っちゃったら、この寒空に着るものがなくなっちゃう。Mクンは自転車で来ているから、どうしても帰りは防寒対策の整った条件にしなくちゃいけない。
 「だって、こままじゃあどんどん身体が冷えていくよ!」
 そりゃ大変だ。
 ぐいぐい裾をひっぱる。角度を変えて引っ張ってみる。BELAちゃんはMクンを背中から抱きしめて、僕は地面にヒザをついていろいろ試している。遠くから見たら、何をしているように見えるのだろう?

 努力の甲斐も空しく変化はなかった。ジャンパーは鎖にがっちり噛んだまま。

 「やっぱり切ろう。」
 BELAちゃんは近くのママ友に電話。しかし留守電・・・。
 「私、交番に行って万能はさみでも借りてくる。」
 BELAちゃんは駆け出した。
 わぁ・・・、やっぱり切るのスか?
 それよりMクン、そろそろ限界だよなぁ。

 「Mクン、ジャンパー脱ごう。そんでもって車まで走ろう。車の中なら日光であったかいから、ここよりいいよ。」
 この寒い中でジャンパーを脱がすのはかわいそうだけど、このままにしておくのは、もっとかわいそうなこと。僕は思い切ってジャンパーを脱がせた。そしてMクンを横抱きにして車へ走った。
 「急いで中入って! あ、ブランケット二つあるでしょ? 肩と膝にかけるの!
 そうそう。暖かいでしょ。うん、じっとしててね。ドア閉めるぞ。」

 僕は車のドアを閉めると、またブランコに戻った。
 不思議と生身の人間がぶら下がっているジャンパーだと引っ張る力にも遠慮があったかもしれない。その証拠に、人間が着ていない状態のジャンパーだと引っ張る力にも割り増しパワーが掛かり、裾は鎖からブチっとぬけた。

 ふう

 ジャンパーの裾はすっかり茶色く汚れ、生地は変によれていて元に戻らない。でも無いよりはましなのだ。

 僕はジャンパーをぶら下げて車に向かった。
 そのとき、通りの向こうからパトカーが滑り込んできた。
 
 あれ、あれ。おまわりさん3人も乗っているよ。
 パトカーに向かってジャンパーを差し出す。パトカーからBELAちゃんも出てきた。

 「ええー取れたのー!!」
 「うん、なんとか。」

 おまわりさんは笑ってパトカーは走り去った。
 すっかりお騒がせをしてしまった呈だ。
 あとで訊いたら、BELAちゃんが交番で「なんか刃物かしてください!」と言ったので心配になって三人も乗って来たのではないかという。

 挨拶にいかなきゃね・・・。
 さっきスーパーで買ったばかりのみかんをより分けて、お詫びのつもりで6個ばかり交番へ届けた。
 BELAちゃんはMクンの自転車を押して帰ってくれて、Mクンは車で放菴へ帰った。

 いやぁ、とんだ救出劇だったね。

 放菴のカウンターにホットミルクが湯気をだしながら並んだ。
 
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うたのチカラ

2011年12月02日 13時36分31秒 | Weblog
うたのチカラ、ってすごいな、と時々感じる。

ある特定の体験をすると、心の底に、その体験を想起させる「ツボ」のようなものができる。
この「ツボ」を押されると、不覚にも涙腺のスイッチがはいってしまう。。

「うた」はときどき、このスイッチを難なく探し出してしまう。
非常に困ったものだ。

先々月、テレビでいわき市のフラガールの特集を観た。
そこで紹介されていたのがAirialの「息吹」という曲。

何気に聴いていたら(「あ、歌上手いな」とか考えながら)、あるフレーズにきて心をワシ掴みにされた。

 ~ 暗い瓦礫の中から
     明日へ生きろと 声がする ~

うわぁ・・・、そう来たか。
この一言で、それ以後の歌詞から連想される風景ががらりと変わった。

 ~ いまあなたの声が聞きたい いま温かい声が 聞きたい ~

何気に聴くとただのラブソングだけど、さっきのあのフレーズの後に聴くと、被災地に生きる必死な想いが切ないほど伝わってくる。

これは「絶望」を経験した人のための歌だと思った。

僕らは圧倒的な「絶望」に直面した。
巨大で、残酷で、容赦のない・・・。
 多くのものを失くし、あとに寒さと断絶と瓦礫と差別が残された。
  終わらない悪い夢。生きていることが理不尽なような逆相の世界。
   ここから始めるしかなかった。
    恨んでも悲しんでも、ここに居続けることが生きること。
    だから、生きることを止めないで。
     いつかこの地にたくさんの花をさかせるまで・・・。

うたのチカラって、スゴイ・・・。
この曲を聴いている瞬間、気持ちは3月に戻ってしまう。
思い出すのは、あの閉塞感と、薄氷の上を歩くような心もとない、けれども確かな僕らの息遣い。
あのとき、みんなが同じ息遣いをしていた。まるで少ない酸素を分け合って吸っているような・・・。
いけね、鼻の奥がツーンとしてきた。

「息吹」はそもそもスパリゾート・ハワイアンズが再起と被災地の復興のために提供された楽曲。
だけど、これはハワイアンズのみならず、多くの人に聴いてほしい一曲だと思う。

フラガールのメンバーも「みんなに聴いてほしい」とテレビ特番で言っていた。
ありがとう。

もっともっと多くの人に聴いてほしい。僕もそう思います。
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