放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

鎌倉漫歩景-8

2013年07月14日 01時30分54秒 | Weblog
海蔵寺を後にする。
細い道路でタクシーを避けながら歩く。
とうぜん塀にへばりつくような格好になる。見るとはナシに見てしまう他人さまのお庭・・・。
古都にあるお住まいって、それだけでサマになる。というか、住む人の情緒が自然と趣き深いものになってゆくのだろうか。

ちょっと道に迷ったが、踏切を越えて道沿いにいき、なんとか雪ノ下・鏑木清方美術館の近くに出た。つまり小町通である。
折角だからと若宮八幡宮を参拝する事にした。

ところが、ひどい渋滞で、いや、渋滞って、参拝客(人ごみ)の渋滞ね。
階段を上がって拝殿に近づこうと思ったが、ここで断念。
結局、それ以上は登らず、あきらめて国宝館のほうを見て帰った。

このあともしばらく建長寺方向へぶらぶらするのだが、お話はこのあたりで終わりにしようと思う。

やはり1日半ではいろいろ行動に制限ができてしまう。
それでもBELAちゃんのリサーチがあったから、見所は満載だった。
また鎌倉に来れるときがあれば、今度は寺院のほとんどを拝観することができるだろう。ガイドブックなしで町並みをぶらぶらできるようになれたら「鎌倉漫歩計」も上級偏である。

ああ、エノデンが待っている。この街の時間が、もっともっとゆっくりと流れますように。
この日は万歩計1万6千超だったそうです(次男)。
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鎌倉漫歩景-7

2013年07月02日 13時10分31秒 | Weblog
タクシーで駅前に下ろしてもらってそこから北鎌倉に出ようか、それとも北条政子の墓を見ようかといろいろ案はでたが、BELAちゃんが関心を示している海蔵寺へタクシーでいくことにした。

簡単に「いくことにした」などと書いたが、鎌倉の人ならばコースがわかるだろうから、どんだけワガママな注文だったか想像できるだろう。
ご推察のとおりである。
その道の細さといったら! ・・・運転手さんの技術の高さに脱帽。そして度胸にも。

途中、いくぶん広い道には出るが、すぐまた圧迫感のある地形を刺さるようにして進んでいく。だんだん運転手さんに申し訳なくなってきた・・・。
やがて正面に風情のある大木とお堂が見えてきた。海蔵寺だ。

ここでタクシーには丁寧にお礼を言って別れた。
右も左も迫るような民家。そしてその背後には切り立った断崖が連なっている。

このアタリは「扇ヶ谷(おうぎがやつ)」というそうな。
ここも断崖に染み出した水が作った地形だろう。
あちこちに水が染み出していて、故事や伝説のある「井(泉)」もある。

海蔵寺は臨済宗のお寺。禅寺らしくさっぱりとしている。けれど一方でここは花の寺でもある。
ゆるやかな石段をのぼり山門をくぐると、よく手入れされた植栽が並んでいる。
アジサイ、萩、そして海棠(カイドウ)。幸運にも、カイドウ満開の季節に訪れることができました。

庫裏は太い太い梁ががっしりと組み合わさっていて、まるで東北の古民家のよう。
その正面、まるで満開の桜のように紅色(くれない)の海棠が咲き誇る。
いいですねぇ。華やいでいますね。いよいよ東北の遅い春を見つけたように錯覚してしまう。
りっぱなカメラを手にしたオジサンたちが思い思いの場所から海棠を撮影していた。みんなプロみたいな顔している・・・。

そのオジサンたちの背後に薬師堂があった。
中はいちめん土間。その奥に須弥壇があり、お薬師さまが薬壷を持って座っていらっしゃる。
ちょっと雰囲気がヤグラの中に似ている。こういう湿っぽい空間が当時の鎌倉人は好みだったのかも。
それともこの土間になにかイミがあるのかしら・・・。

もちろん薬師堂の背後はりっぱなヤグラがずらりと並んでいる。
何度も言うけど、こういうのって崩れたりしないの?


さて、海蔵寺の冒頭でも書いたけど、扇ヶ谷の周辺には故事や伝説のある「井(泉)」がいくつか有る。
その一つが「底脱の井(そこぬけのい)」。鎌倉十井の一つだという。

修行中の尼僧(武家の娘とも)が、ある日ここへ水を汲みに来たときに水桶の底が抜けた。
その瞬間、心の迷いが晴れ、いわゆる頓悟(とんご)した、という。
そのときに詠まれたと伝わる歌が逸話とともに海蔵寺には残っている。
「千代能がいただく桶の底脱けて 水たまらねば月もやどらじ」 詠み人は「無著禅尼」とも「如大禅尼」とも。

「水」とは誰かの評価の喩え。
自評か他評かわからぬが、一方的で勝手なモノサシであることに違いなかろう。
「月」とは自分。評価される側。
または逆に捉えてもよいかも。すなわち月が評価概念であり、水はそれを受け止める自分自身。
人って、誰しも一定の既成概念で縛られているところがある。それは時に自分を測るモノサシになり、時に「他人の目(批評)」となって個人を縛りつける。
けれどある日、桶がこわれて水が流れ落ちたその瞬間、それはあっさりと流れていった。
モノサシや批評は絶対なものではない。対する自分という現象もまた夢マボロシの如く、である。
そうして初めて、世の中の物事に対して、自分を勘定に入れずにあるがままに眺めることができるようになり、あらゆることが、醜くも美しくもないことに気がつくのだろう。
「水もたまらねば月もやどらじ」
水が流れてしまえば月も映らない。
それは誰よりも自由な境地であり、身も心もこれ以上ないくらいに軽やかだったに違いない。

この尼僧(または娘)の逸話はよく画題として取り上げられる。文人好みの画題といってよい。
画題のキモとなるのは尼僧(娘)の表情。割れた桶片手にどのような悟りの表情を浮かべるのか、ここで画家の力量が問われる。

BELAちゃんもこの画題は知っていたが、それが鎌倉にあることは知らなかったとのこと。しかもそれが海蔵寺にあるなんて。
知らないで来たから、よけいに感激しているBELAちゃんでした。


もう一つ、ここには不思議な「井(泉)」がある。
「十六井(じゅうろくせいorじゅうろくのい)」という。
厳密には海蔵寺から外れたところにあるのだが、境内で見学料を払うようになっているのだから海蔵寺の管理なのだろう。

そこは、断崖のそばをぐるりと廻って細い小道を伝うようにして進んだ先にある。
こういう小道はいかにも古都・鎌倉という雰囲気でよいのだが、やはり断崖にどぼんとクチをあけている「やぐら」の不気味さに落ち着かない気分になる。
なんども言うけど、この圧迫感には慣れないなぁ。

やがて、目の前にひとつの大きな「やぐら」が立ちはだかる。入り口に柵が設けられ、中に入ることはできない(入りたくないけど)。
ここはいままでの「やぐら」とは空気が違う。洞もかなり深く広い。そしてその底には整然と四列×四列の穴が開いていて、満々と清冽な水を湛えている。奥の壁に奉られているのは宇賀神(水の神)であろうか。
これが「十六井」である。

ふとBELAちゃんが意外そうな声を上げた。
「やぐら」の柵の右脇に石版が埋め込まれている。そこには木菴和尚の文が書かれてあった。

木菴和尚(1611-84)は中国福建省の人。同じく福建省の隠元和尚(黄檗宗(おうばくしゅう)の始祖)とともに来日。
隠元和尚が京都宇治に黄檗山萬福寺を創建し、木菴和尚がその二代目となった。

碑文をみると「黄檗木菴山僧書」とある。おそらく萬福寺二代に就いてからの碑文ではないか。
なぜここに木菴和尚の碑文があるのかわからない。
このことについていろいろネットで検索したが何も出てこない。
きっと碑文を解読するしかないのだろう。時間かかりそうだけど・・・。
「やぐら」の周辺を写真に撮るのはなんだか怖いんだけれど仕方が無い。僕らは碑文をいろいろな角度で丹念に撮った。
これは今後の宿題とする。

今回の旅で一番見応えと話題があったのは海蔵寺だったかもしれない。
コメント (1)
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