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放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

小三治師匠の「文七元結」2

2009年11月10日 00時18分31秒 | Weblog
 「文七元結(ぶんしちもっとい)」は、明治期の江戸落語の大名人・三遊亭圓朝師匠が創作した「人情噺」というやつです。
 
 人情話は三遊亭派にとってもお家芸の一つ。
 このお話はスジがいい。哀れを誘う展開からさらに悲劇がせまり、そこから一気にスジが急上昇。八方がハッピーエンドで幕となる。
 これは異例の人気を博したようで、明治のころからは歌舞伎としても上演されていたそうです。

 結構長い話です。
 噺のスジはというと・・・、

 ある夜、ばくちに負けて身包みはがされた左官の長兵衛が長屋に帰り着くと、妻が明かりもつけずに部屋の隅でうつむいていた。
 明かりをつけろ、とどなると、娘のお久が夕べから帰ってこないと、妻の答え。
 「探したのか」「方々探したよ」「探し方が悪い」「お前さんに愛想を尽かして出て行ったんだ」とお決まりのやりとり。バクチに負けた腹いせ、一方で家族を省みなくなってしまったことへの後ろめたさ。だから長兵衛の口調はついつい乱暴になってゆく。
 そこへ吉原の「佐野槌」というお店から番頭が尋ねてくる。
 訊けば娘のお久が昨日から「佐野槌」で厄介になっているという。
 おどろく長兵衛夫婦。 
 「だれでぇ、娘を吉原へ担ぎ込んだやつは?」
 「いえ、お久さんは、お一人でお越しになりました。」
 番頭さんは「佐野槌」の女将さんから「長兵衛親方をお連れ申し上げるように」と託ってきたのだという。
 さあさあ、とにもかくにも吉原へいかなきゃ、ところが長兵衛はバクチで身包み剥がされてバクチ屋から半被一枚よこされて叩き出された身。着てゆく服なぞとうの昔に借金のカタななっちまった。
 仕方がないから無理やり妻の着物を脱がせて、スソが長いから尻っぱしょりして、きたない手ぬぐいで頬かむりして遊郭へ・・・。
                         つづく。
 
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小三治師匠の「文七元結」

2009年11月08日 14時21分01秒 | Weblog
 さて、東北電力ビルの7階、「電力ホール」にて独演会のあった柳家小三治師匠。

 後半に「青菜」という噺を一席やってくれました。
 
 とある庭師が、お得意様のお屋敷で旦那のお話し相手のついでにお酒をご馳走になります。その席上で、旦那が「青菜はお好きですか」と訊く。「ええ好きです」と応えると。「では」と手をパンパンと叩き、「奥や、青菜を持ってきなさい」と指示を出す。これに対し、奥様は「旦那様に申し上げます。ただいま、鞍馬のお山から牛若が出てまいりまして、その名を九郎判官。」と応える。すると旦那さんはすぐに、「そうか、では義経にしなさい。」というのです。
 「なんです? いまの。」
 「ああ、あれか。」
 旦那さんがいうには、あれは「青菜はみな家族で食べて(食ろうた=九郎)しまったので残っていない」という意味を奥様が伝えようとして、とっさの「隠し言葉」で答えたものだというのです。しかもそれに対して旦那様もとっさに「義経=止しておこう」と答えたというのです。

 これに感動した庭師は、鰯焼くにおいがただよう長屋に帰ってきて同じことをカミさんとやってみようと思い立ち、それがなんとも滑稽な騒動になります。

 状況がかわれば、どんな噺もこっけいになってしまうという、典型的「落とし噺」です。

 齢70を迎え、少しも芸が崩れていない小三治師匠は、やはりすごい人です。
 
 帰りがけに小三治師匠のCDが並んでいたので、その中から「文七元結(ぶんしちもっとい)」を買いました。
 これについては、また話が長くなるので次のブログで。 
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「肉ばりいっそ」

2009年11月08日 14時20分49秒 | 観劇日記
 去る10月29日(木)、落語を聞きにいってきました。
 場所は仙台市の東北電力ホール。
 高座に上がるのは、江戸落語界当世第一と呼び声の高い柳家小三治師匠。

 前座の柳家三之助さんがイキのいい語りで「夢浮世」を口演。
 この方も芸がしっかりとしていて心地よく聞けました。

 座があったまった頃にゆるりと登場したのが、お待ちかねの小三治師匠。
 この方はねぇ、なんつったって声がいいんですよ。声がね。
 しゃがれてて、それがえもいわれぬ温かみを帯びている。

 さあ師匠の第一声。

 「えー・・・」
 しばらく間をおいて、
 「特にありません。」

 がく。
 腰がくだけそうになる。なんつー始まり様なんだか。

 落語ってのは、たいていすぐに本題にはいるようなせっかちなマネはしません。
 まるで世間話でもするような軽い話題から入っていきます。
 いわゆる「マクラ(導入部)」ですね。

 師匠の後頭部に出来物ができた話から始まって、皮膚病の「はたけ」の話、
 「DDT」、そして戦時中、当時六歳で岩沼に疎開しなければならなかった当時の話へと、師匠は自身の思い出をたどりつつ、話スジはどんどん深まってゆきました。
 なかば置いていかれるように岩沼の親戚の家へあずけられた少年。東京では空襲をうける危険が迫っていたのでした。
 やがて岩沼にも爆撃機の影が・・・。
 近くに日本軍の飛行場があったせいで、ちょくちょく空から米軍の嫌がらせをうけたそうです。

 そして仙台空襲。
 金蛇さん(金蛇水神社)のお山越しに仙台の空が真っ赤に灼けるのをみんなで見たそうです。

 さて、疎開してすぐに岩沼の言葉に染まっちゃった師匠、いまでもこの地域の言葉ならたいがい分かるそうです。
 だんだん会話に宮城県のお国ことばが混じるようになってきて、ぽん、と出た言葉が「肉ばりいっそ」。

 わかります? この言葉。

 これは、食糧難のころに近くで獲れた鯉をみんなでわいわい集まって身を切り分けていたときの話。
 子供たちにまじってその様子をみていたとき、師匠は近くの女の子が「肉ばりいっそ」とつぶやいたのが忘れられない、と話したのです。

 「肉 ばり(ばかり) いっそ(ぜんぶ)。」です。つまり「身がいっぱいつまっている」という意味をつぶやいたのでしょう。(よっぽど食べ甲斐のある鯉だったんですねぇ)

 ちなみに、「いっそ」の解釈は、経験上、「感嘆の強調」というほうがしっくりきます。英語でいうところの「It's so」です。発音もそっくりだし。
 たとえば、「It's so rainy.」は「いっそ雨ばり。」です。標準語よりも訳しやすいくらいです。

 女の子はそのあと、「ウワァ」といい、つづけて「おどけでねぇ(とんでもない)」といったというのです。

 この「ウワァ」と呻るのがここの場面においては重要なんだと力説する師匠。
 たしかによく感情をこめて「ウワァおどけでねぇ」というのを田舎へいくとよく聞きます。
 こういうニュアンスを理解してくれる師匠に強烈な親近感をおぼえます。

 不思議なひとですねぇ。
 笑いと、疎開の切なさと、地方言語へのシンパシィ。
 こういったものを、すぅっとお客に提示して、とぼけている。これはもう落語じゃないです。

 ・・・・ところでマクラ長くないですか?
 と思っていたら、そのまま前半終了。ええええーっ?

 前半マクラだけ? いっそおどけでねぇごだ。

 休憩ののちに師匠が出てきて、とぼけた一言。
 「いやぁ皆さん、大変なことになっちゃいましたねぇ。」
 大爆笑。

 大変だよホント。でもこの後「青菜」を一席やってくれました。
 いやー、よかった、落語聞けないまま終わるのかと思った。

 師匠も言っていましたけど、独演会ってのはふつう、マクラ+落語で前半、後半にもう一席落語をやるってのが通例だそうで。それがマクラだけで、しかもマクラっていうにはあまりにも深い話だったし。
 なんだか得したような損したような・・・。

 帰るときに、「本日の演目」みたいに張り出されているのを見つけました。
 前半のお話に「肉ばりいっそ」と題が付けられているのを発見。
 だれだこんなばかばかしいお題をつけたの?

 わすれられない独演会でした。
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