放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

ちょいと本宅へ・・・。

2011年10月28日 13時18分10秒 | Weblog
 本宅へ行っていて、ブログをご無沙汰していました。

  本宅のURL ↓
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/houann/diary

 
 10月のころって、どういうわけか、宮沢賢治が読みたくなる。
 な、わけで、賢治さんに関する作文をダラダラと書いてきました。ご興味のある方はどうぞ。
 タイトルは≪賢治さんはほんとうにデクノボウとよばれたかったのだろうか≫
 です。

 

あ? 仙台にパンダ?

2011年10月18日 14時46分31秒 | Weblog
 やめてください。マジで・・・。

 中国の人には悪いけど、パンダはいらない。
 行政の力の入れ方が間違っている。

 震災直後にポンペイ展(仙台市博物館を貸切った)を続行した非常識さにもあきれたけど、アンパンマンミュージアム建設の強行実施にはもっと驚いた。
 そしてこんどはパンダですか。

 やりきれないのは、どうして市民に説明するまえに外部でこういうことを表明しちゃうのかなぁ。

 しかも政府も中国大使館も了承済みだっていうし。
 
 けれど市民のオレはテレビみるまで知らなかったよ。おそらく八木山動物園の意向すら聞いていないんでしょ?

 最近、こーいう手法が多いね。政府も「普天間問題」「環太平洋パートナーシップ協定」「消費税10%問題」、みんなこの手法だもんね。外交上の表明してから、沖縄県や実害を蒙る人たちを説き伏せるって作戦だもんね。
 シビリアンコントロールだかなんだかしらないけど、「他所でああいうことを言っちゃったんだから、オレに恥かかせんな」って論法、ひと昔まえの「ちゃぶ台親父」の言動だろ、そりゃ。完全に庶民はバカだと思ってんだね。

 仙台市長のパンダ発言だって、2チャンネルとかに「被災乞食」とか「恥ずかしくね?」とか書かれているんだよ。
 
 いまは学校も修復していない、下水処理場だって壊れたまんまだし、
  荒井地区の復興計画だってまとまっていないし、
   液状化した道路の補修なんか100億円単位でかかるってのに。
    (こうやって考えると、ホントは復興乞食なんだよなぁ。)

 それでもパンダですか? 八木山動物園の被災後の支援をどんだけやったのか疑問なのに?(支援はみんな他の動物園や他の町からの厚意でしょ。)
  
 仙台市民として、理解できないなぁ。
 
 なんだか、名取とか石巻とか気仙沼とか陸前高田とか南相馬とか、もっとひどい目にあっている地域に対して申し訳ない。

閖上へ・・・(The Life Eater)

2011年10月12日 12時21分47秒 | Weblog
 10月8日
 やっと閖上へ来ることができた。

 いままで来たくても来れなかった。
 用? 用なんて別にない。
 ただ、来たかった。来れなかったけれど・・・。

 空は抜けるように青く、このまま天上へとつながっているんだろうなぁ、という気候。
 道はただ広く、みわたすかぎり平らで、平らだった。
 ときどき大きな瓦礫の山がある。
 日和山よりも高い瓦礫。

 なぁんにもない。
 ホントになんにも・・・。

 貞山掘にかかる橋をこえて、すうっと車を走らせたらいきなり港に直面した。
 この先にはもう何もない。
 あれ、こんなに近かったっけ?

 お寿司やさんも、天ぷらラーメンのお店も、釣具やさんも、みんなみんな消えていた。

 喪失感で身体が軋む。

 かつては毎日納品に訪れていた港町。
 工場のオジさんに小突かれそうになったり、オバちゃんに冷やかされたり。
 車をムシして車道をあるく人たち。
 すげぇ、と理由もなくビビった。
 「にーちゃん!しっかりしろよ。」
 工場のオジさんのダミ声を思い出す。

 毎日来ていると、通りに面した路地はだいたいおぼえた。
 
 花火の夜にはみんな縁側から空を仰ぐ。
 どこの家でも魚の焼くニオイがしていたっけ。
 いいなぁ。ゼータクだねぇ。

 ささかまぼこのタネを分けてもらったこともある。
 みんなで焼いて食べた。あのささかまは美味しかった。

 いまはだれもいない。
 あたりには、土台だけの住居あとが広がっている。
 道が、陥没している。水の残っているところがいっぱいある。

 岸壁には、海のほうをじっと目詰めて立っている人たちがいた。
 よそから来たのか、それともここのひとなのか。
 
 びゅうと吹く風があざ笑う
 ― 何見たかったんだか知らないが、みんな終わっちまったよ -
 閖上は時が止まっていた。
 みんなみんな茶色くなって止まっていた。