放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

Car Radioを消して・・・

2007年01月23日 13時12分52秒 | Weblog
 ついつい車に乗ると点けてしまうカーラジオのボタン。
 そこからニュースをゲットできたり、何らかの新譜が耳に入ってきたりします。
 でも、決してそれで賢くなってゆくわけではない。
 情報が豊富に流れ込んでくる一方で、肝心のオツムがさっぱり働いていないんゃないか、と心配になります。
 メディアって、華やかだし刺激的だから、いつの間にかこっちも思考回路をとめて見入ってしまう(聴き入ってしまう)。メディアにしてみれば、それこそが商売だからそれでいいんでしょうけれども、視聴者はそこで満足しちゃバカになるだけ。
 子供のころ、「テレビばっかし観ているとバカになるぞ」と大人からよく言われたものです。ホントにそうかもしれない。だって、やっぱり思考がとまるもの。

 あてもなく意識の糸をたどるような、どこに行きつくかも判らないような、それでいて、そのこと事態が自分の生活を総括しているような、そういう「思考」とも「空想」ともつかないようなことをする時間が必要なんです。
 茂木健一郎さん曰く、「脳全体で物を感じたり考えたりしている状態が、一番脳がリラックスしている状態なんだ」と。安定した集中=リラックスなんですね。
 そういうまとまった時間を日々の生活の中でつくりだせればいいのになぁ。

 自分が一番ヒマなときって、考えてみれば車の中にいるときなんですよね。運転に安定して集中できるように作られた環境ですから、リラックスすることもできる。ああ、こんなときにカーラジオは勿体無いかもしれない。
 そう思って、職場からの帰りはいつもカーラジオをきる事にしました。職場に向かう朝は、どうしても時事性に敏感になりたいので、ラジオの情報は必須だし。
 ラジオを切って車内にいると、まぁ静かだこと。こんな恵まれた環境をいままで利用しなかったなんて、なんて勿体ない生活していたんだろう。
 こういう空間ならば、雑多な思考はもちろんのこと、会議テープの起こし作業とかにも使える。(あんまりオッサンたちの音声聴いていると、やっぱりかわいいDJの声が聴きたくなるけどね)。
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2 コメント

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Unknown (タク)
2007-01-25 22:52:38
わかります。クルマの中でのエンジン音だけの時の心の静けさ。
私の場合、特に疲れたときは効果絶大です。

情報って、全部受け止めてたらホント自分を無くしてしまうと思います。
特にココロが弱ってるときは情報過多に要注意!イカンイカンと、あえて新聞、テレビ、ネット、もろもろ情報をシャットアウトするのが私流でもあります。
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Re (COZY)
2007-01-26 23:48:59
 クルマのエンジン音・・・ああ、ボクサーエンジンが懐かしい。

 メディアとか、奔流のように押し寄せる情報って、危険ですよね。情報の吟味どころか、こっちの思考がどんどん削がれてゆく感じがします。
 テレビの音声と、自分に向き合って話してくれる声の区別がつかなくなる瞬間があるのなら、ご用心。バカになっっちゃっています。
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