放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

<花巻界隈(風鈴)紀行16>

2014年09月28日 23時25分53秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 千厩(せんまや)めざして大船渡線(通称「ドラゴンレール」)出発。二両編成のディーゼル車輌だ。
 街をぬけ、山をかすめ、やがて川と並走するようになる。砂鉄川だ。そのまんま砂鉄が取れたのだろう。そしてその向こうには鉱山がそびている。いまでも露天掘りで掘削している現役の鉱山だ。この山をぐるりっと廻りこむようにして反対側にでるとそこが千厩町だ。
 え、そのまえに猊鼻渓はどうしたって? さあ・・・。

 さあ、というか、ドラゴンレールで猊鼻渓が見られると思ったのだが、どこなのか、こっちが訊きたい。
 ドラゴンレールは実は気仙沼街道からわざわざそれるようにして砂鉄川を溯上する。それは砂鉄川が山を削って作ったという景観「猊鼻渓」へ客を運ぶためである。
 確かに猊鼻渓駅はあった。けれどそこから山陰に川は隠れてしまい、どこが渓谷だかわからない。
 猊鼻渓見れると思ってせっかく乗ったのに・・・。
 結局、ドラゴンレールで面白かったのは鉱山の巨大な掘削現場を見れたことだけか・・・。

 千厩駅に到着。
 がらんとした駅。「銀河鉄道の夜」のプリオシン海岸へと下りる停車場がこんな感じではないか。
 レールをまたいで向こう側にいくと小さな駅舎がある。
 中はがらんとした待合室。ずらり椅子が並んでいたが誰もいない。大きく開け放たれた出口から熱風だけが入ってくる。その向こうで陽に灼けたアスファルトがへんに白く光っていた。
 とりあえず地域の情報・・・と思ったが待合室には何もない。観光地の案内ばかり。窓ガラスに一関市と気仙沼市をくっつけた図案のポスターがある。このあたりは県をまたいで交流があるのだ。

 暑さを覚悟して炎天下の案内板まで行く。セミの合唱が雨のようにふりかかる。
 タクシーの運転手がいぶかしげにこちらを見ている。明らかにヨソモノをみる目だ。
 
 「千厩」と書いて「せんまや」と読む。奥州藤原氏の時代から川に沿って千の厩(うまや)が立ち並んでいたという。文字通りこのあたりで大規模な馬の取り引きが行われていたのだ。おそらく岩手の鉄の文化は馬の生産地であることと無縁ではない。
 川や山から採れる鉄は馬具になる。川のそばでは鍛冶屋も軒を並べていたであろう。奥州に強大な武力がある、と思わせるに足るだけの馬と鉄が平泉のすぐそばにあったのだ。
 
 とりあえず千厩川に沿って歩こう。制限時間は次の上り列車がくるまで。
 このあたりの建物もけっこう古い。木組みに漆喰を塗っている。白いのもあれば空色の漆喰もある。高度成長期に取り残されそうになってそれでもハイカラに見せようとした当時の商店の苦労を垣間見る気がした。
 商店の窓ガラスには「創業○○年」という板が立ててある。みんなで一斉に用意したのだろう。古い商店は江戸期の年号。新しいのは平成期である。ゆっくり廻りたかったが交流施設「まちの駅JAJA馬プラザ」で引き返すことにした。
 このあたりが千厩のなかの千厩。つまり中心部である。このあたりには資料館もあるし私設の美術館もある。本当にご縁があればゆっくり伺いたい。今日は時間制限がきびしい。
 かつてにぎわったであろう古い商店を見れただけで僕には満足だった。方向感覚も狂うこともなかったし、少し低めの軒に大沢温泉と同じフィトンチットを感じた。ような気がした。

 またしばらく歩いて千厩駅に戻った。
 待合室でさっき「JAJA馬プラザ」で買ったもちを広げる。
 さっきよりも人が集まっている。みんな一関行きのディーゼル車に乗るのだろうか。
 
 ふと頭上でちりり、と音がした。
 見上げると風鈴。格子型にびっしりと風鈴が釣り下がっている。それぞれ垂れ帯に子供の字で標語のようなものが書いてある。震災のことを書いているものもあった。
 風があったらさぞかし綺麗な音を立てていたことだろう。
 座ったまま手を伸ばす。垂れ帯に指があたり、ちろちろと風鈴が鳴り出す。
 最後でやっと出会えた。駅の風鈴。南部鉄の透きとおった音色。夏にこれ聴かなきゃ岩手に来た甲斐がない。

 あいにくもう行かなきゃならない。
 みんななんとなく腰を上げたり時計を見たりしている。僕らも食べた容器を始末して席を立った。
 
 ぞろぞろとみんなでレールをまたいでゆく。レールの向こうにかすかに萌える陽炎。さわったら熱いんだろうな。
 やがて、遠くからディーゼルのかわいい二両編成がやってきた。

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<花巻界隈(風鈴)紀行15>

2014年09月22日 12時35分21秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 平成26年8月11日(月)。風鈴紀行もついに最終日。
 昨夜から心配していた台風も、日本海側を北上してくれて、心配していたほど大風は吹かなかった。
 さて朝食。
 バイキング形式だったが、淹れたてコーヒーがうれしかった。今回ビールで楽しめたが、今までおいしいコーヒーを飲む機会がなかったからね。
 ソーセージもうまい。粗挽き肉の肉汁が口のなかに広がる。また食べすぎちゃう。
 牧場と契約しているのだろうか、玉子も牛乳もほわほわしている。

 お腹を満たしたら荷物をまとめよう。
 もう少し二階のソファで漫画を読みたかったけど(読みかけのマンガが・・・゜_゜;)。

 出発は8時半すぎ。
 少し急がなければならない。
 10時まで一関に戻る。大船渡線(通称「ドラゴンレール」)に乗って猊鼻渓(げいびけい)を覗きにいく予定。
 ここ(花巻市東和町)から一関に行くには・・・、やっぱり東北道に乗るのが確実なんだろう。
 東和ICから上がることも考えたが、すこし遠回りになる。思い切って花巻南ICまで行こう。

 再び県道12号線で西進。さすがに慣れた(笑)。

 高速に乗って南に進路を取る。
 この辺は北上川が作った田園地帯がつづく。だから眺めがいい。
 ひらけた空いっぱいにちぎれたような雲が展開している。積雲も多い。こりゃ、来るな。
 やがて文字通り進行方向に暗雲が垂れ込めてきた。
 フロントガラスにぱたた、と水滴がかかる。とたんにバケツをひっくり返したようなどしゃ降りになった。
 あわててワイパーを振る。けどぜんぜん追いつかない。スピードを下げて走行する。みんなハザード点けている。
 きっと台風からこぼれた、はぐれ雲純情派とかいうんだろう。このごろの天気は凶暴だ。どこが純情派?
 
 雨はこの後も突然降ったり止んだりをくりかえす。「夏の雨は馬の背を分ける」というけど、ほんとに極端。
 雨がだあだあ降っているのにあちらの空が晴れていたりする。
 かと思うと、晴れていたのに突然ざあああとものすごい降りかたをする。

 水沢を越えた。すこし気温が上がってきている。暑くなる予感。

 JR水沢駅の風鈴はキレイだそうだ。もちろん鉄風鈴。
 予定があえば風鈴を聴きに行きたかった。
 せっかく岩手に来て、駅の風鈴を聴かないと何だか物足りない。車を降りてでも聴きに行く価値がある。
 JR一関駅ではどうだろう。

 平泉を越えて一関ICが見えた。けっこうギリギリ。
 すこし迷いつつ、JR一関駅を目指す。
 手近かな有料駐車場に車を入れる。個人経営のところみたい。
 一日500円。まあいっか・・・。
 おばあちゃんが窓口のところで手をひらひらさせていた。(脱衣婆?)
 料金を払うと飴をどっさりくれた。(白衣観音?)

 線路に沿って歩く。タイミング悪く晴れたので地面から立ちのぼる湿気がすごい。こりゃ気温30℃いってるな。
 
 JR一関駅へ10時10分。おおーっ、なんとかなった!
 切符を買い、改札を抜ける。なんだか人が多い。
 そうだ、世間では普通の月曜日だった。
 大船渡線各駅列車が横たわっている。ここも学生さんがいっぱい。(ってか10時って遅くね?)
 4人ばらばらに席を確保。なんとか座れた。

 通称「ドラゴンレール」。猊鼻渓、千厩を越えて宮城県の気仙沼、唐桑と三陸海岸をめぐる。奇跡の一本松、陸前高田、大船渡と北上し、盛駅が終点。時間さえあればゆっくり往復したいローカル線だ。
 ちなみにドラゴンレールの名称は、河川にそって龍陀のごとくレールが続くから名づけられたそうな。
 
 あいにく時間に制限があるから、途中で引き返すことになる。どこまで行こう?
 いろいろ話しあって「千厩」までいくことにした。
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<花巻界隈(風鈴)紀行14>

2014年09月17日 12時22分59秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 雨のなか、東和町に到着。
 今日のお宿は「フォルクローロ東和」。
 昨日とは打って変わってペンション風。
 総二階建て。刷毛塗りの壁。赤いレンガ屋根。ガーデニング風の庭に照明がともっている。
 今日はこのガーデニングテラスでジンギスカンを頂く。

 「ビールは?」と尋ねられ、やっぱり「銀河高原ビール!」。もう基本っしょ。でもすげー贅沢。うれしー。
 子供達の食欲もすごい。ジンギスカン大皿2枚をペロリ。
 テラスもあいにくの雨だったが、天幕を張ってもらっての晩餐だった。

 食堂はアットホームな雰囲気。そこだけ見るとユースホステルにも見えてくる。でも隣にはバーができていて、バーテンダーさんがクリスタルグラスを何度も何度も布巾で磨いている。
 二階にあがれば、そこに広い空間があってソファと本棚。本棚は花巻関連の本とマンガがぎっしり。
 本棚は白壁に備え付けの木枠。アートコーナーも兼ねている。
 ここでお客さんがビール呑みながら寝転がってマンガを読んでいた。寛いでますね!
 お部屋にいるのとはまた違って楽しそう。

 おっといけない、お風呂にいかなきゃ。
 
 お風呂は建物から渡り廊下で隣の建物へ。
 ここは東和町の公衆浴場。でも宿泊客も入浴できる。

 露天風呂もあったが、もう雨で行けたもんじゃない。内風呂で満足しなきゃ。
 ざっと入って、ざっと上がった。

 そして帰りに自販機で銀河高原ビール(缶だけど)を買う。いいなぁ、岩手はいいなぁ。

 二階にはランドリーがあったので、全部洗濯することにした。
 次男坊が珍しそうにコイン式の洗濯機を見ている。
 前に金山町(山形)のロッジでも使ったろ?覚えてる?

 洗濯機を回している間、ソファに座り、漫画を読みふけった。そっか、さっきの人も洗濯していたんだ。なるほどね。

 次男坊もヨコでごろごろ。
 長男とBELAちゃんは部屋でテレビ。なんか見たいドラマやっていたみたい。

 大沢温泉とはまた違う過ごし方をして夜は更けてゆく。
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<花巻界隈(風鈴)紀行13>

2014年09月17日 01時02分46秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 遠野を離れる前に、一つだけ。
 綾織地区から国道396号線を北上。上綾織にある国指定重要文化財・千葉家住宅を目指す。
 国道だから道はいい。けれどかなりの昇り勾配。昔は峠越えの難所だったのだろう。
 眺めのよいところに出てきた。しかし雨。雲だか霧だかわからないものでけむっているばかり。
 途中、「続き石」というのもあったが、とにかく大雨なので却下。

 次男はいつのまにか眠ってしまった。

 比較的簡単に千葉家住宅の下にある広場に到着。
 ここからえんえんと石段混じりでつづれ折りの坂道を登るしかない。
 雨はどおどおと音を立てて降っている。僕はパス。次男坊が寝ちゃったこと、靴に穴が空いていること、そして、少し眠かったことがその理由だ。

 BELAちゃんと長男は果敢にも傘を持って外に出た。これだけでもスゴイな、と思う。そのくらい激しく降っていた。
 二人はコスモスが咲き始めていた坂道をのぼってゆく。坂というか、ガケのフチをのぼっているようなものだ。ガケは巨きな巨きな石たちでできている。高さで言う10メートルくらいあるだろうか。真下にいると南部屋敷なんてまるで見えない。

すこし離れると、兜を伏せたような大屋根が巨石の上に見えてくる。
 これは石垣と呼ぶには無骨すぎる。まるで岩場。岩場の上を均してあらためて石組みされた基礎がある感じ。
 遠野に来る途中でみた小原家住宅を南部曲り家の始まりとするならば、千葉家住宅は最終形態なのかもしれない。かつて人25名、馬20頭がここ一軒に暮らしていたという。現在は遠野市が管理しており(平成23年条例制定)、時代劇の撮影にも一役買っているらしい。

 さて、二人はなかなか戻ってこない。あれだけ広い南部家敷だ。迷う時間はあっても見飽きるということはあるまい。
 次男も目を覚ました。これだけ轟音ひびかせて降っているんだから寝ていられないか。
 
 広場の駐車場では車が数台停まっているが、だれも下りて来ない。大雨で足止め食っているんじゃないだろうか。車をすこし移動させ、二人が乗り込みやすい場所をさがす。しかし、屋根のある建物(お土産やさんとか、トイレ)はいずれも縁石から遠く、傘をたたんで乗り込むには用をなさない。なにしろこの雨だ。傘をたたんだ瞬間にシャワーを浴びたようになってしまう。結局、もとの坂道の下で待つことにした。
 
 40分も過ぎただろうか、やっと二人が帰ってきた。冒険者たちのご帰還だ。
 お土産も買えたようでちょっと興奮気味。
 エアコンをかけていないとすぐガラスが曇る。濡れた傘が入ったことと、ちょっとだけ二人の体温が上がっているためだ。

 国道396号線を一気に下る。途中から谷へ下りてJR釜石線「岩手二日町駅」(無人駅)そばを通ると光明寺付近で国道283号線に出ることができた。
 いまは方向感覚は正常。どっちに向かえばいいのか理解できている。なんとか方角マヒから立ち直ったみたい。
 猿ヶ石川にそって走る釜石街道を西進。一気に宮守まで戻った。

 ふたたび「めがね橋」。
 宮守のドライブインがあったのでトイレ休憩。
 中をぶらぶら。もう午後4時をまわっているので物産品はあらかた仕舞いはじめている。
 ビールを買おうと思ったが、遠野ビール(通称「ZUMONAビール」)は売り切れ。「わさびエール」が残っていたがビギナーにはハードル高すぎ。
 結局つまみをポロポロ買って外に出た。
 
 すずしい風が吹いている。きょうは夏の風ではない。すこし雲の切れ目からうすく夕日がさしている。谷にかかるめがね橋がすこし明るく輝いていた。
 なるほど、ちょっといい景色かもね。 
 河原に白いベンチが置いてある。
 恋人の聖地らしい、メルヘンチックなベンチ。でも水かさ増したら危険だよ、あそこは。
 
 車に乗り込む。今日のお宿に遅れないようにしなきゃ。
 めがね橋のアーチに見送られながら花巻の東和へ。
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<花巻界隈(風鈴)紀行12>

2014年09月17日 01時01分56秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 「とおの物語の館」に併設されているお店で蕎麦を頂く。やっとありつけたお昼ごはん。けど時間がない。BELAちゃんは急いで食べると物産館へ。お土産お土産ー。お目当てのひとつは遠野銘菓「明がらす(あけがらす)」。
 もっちりとしていて、ぶつぶつと入っている胡桃が香ばしい。
 仙台駄菓子にもちょっと似ている。ルーツは京菓子かな。

 「とおの物語の館」を出ると堀をはさんで向こうが鍋倉城内。
 そこに遠野市立博物館がある。
 夏季特別展として幽霊の掛け軸などを展示していた。
 子供たち、怖くないの?

 農機具、馬具の展示で、「馬の鼻ねじり」があった。
 展示されているオシラサマよりも、石碑よりも、コチラの方が珍しい。
 鼻ねじりは、人間の尺骨くらいの長さの棒っきれに紐をつけたもの。
 馬がいうことを聞かない時に紐を上あご(鼻先と前歯)に引っ掛ける。そのままねじり上げておとなしくさせる。
 蹄鉄の修理など馬の身体にさわる仕事に用いられる。

 現代でもステンレス製の鼻ねじりがあるが、こちらは昔ながらの棒っ切れ(けっこう太い)に荒縄巻いて作ってある。なんか凄みがある。
 オシラサマ(神体)と違い道具ならではの気を放っている。付喪神に近い。

 ここ(遠野博物館)は信仰にまつわる資料が多い。
 夜中にはみんなカタカタ動いていそうな気がする。

 博物館を出た。やっぱり雨。びしゃびしゃ言っている。
 目の前に階段がある。この上が鍋倉城なのだが、とても登る気がしない。あとで考えればさんざん迷った山のふもとにいたのである。登っていればどんな目にあわされたことか。

 駐車場へもどり、車を出す。
 社内は濡れた傘が四本。湿気でガラスが曇る。

 今度はカッパ淵を目指す。
 その先のダンノハナ(地区の墓地)という希望も出たが、縁起でもないので却下。
 国道340号線をまっすぐ進む。土淵町に入る。
 途中、「寒戸の婆(さむとのばば)」の話が残る家の前を通るという。
 
 「寒戸の婆」はカミカクシの変形話として知られる。
 女の子が行方不明になって数十年経った夜のこと。老婆が訪ねてきた。
 「懐かしくなって来てみたが、もう来ることはない」と言い残し去っていった。
 北風の強い晩であったという。
 
 結局、どこがその家だかわからなかった。
 すこし広いところに出た。土淵町だ。(さきほど「とおの物語の館」で紹介した佐々木喜善はここの出身。旧土淵村の村長でもあった)
 さっきと違い、どの方角に進んでいるのかイメージ出来ている。どの山がなんという山かはわからなかったけど。

 旧国道に回りこみ、伝承園の近くに車を駐める。
 ところが・・・、雨。
 こういうのを時雨とでもいうのだろうか。けっこうしつこい。
 雨合羽を着た人が数人、お寺のあるほうへ歩いてゆく。
 お寺の裏に農業用の灌水路があり、まるできれいな小川になっているという。
 けど、今は濁流だろうな・・・。
 下手をしたら川からあふれかえっているかもしれない。
 それこそ水かきのついた手が伸びてきて足でも掴まれそう。

 次男坊は無念そうであったがここは撤収するのがいいと思った。ごめんね、ここまで来たのにね・・・。

 再び国道340号線。今度は遠野駅方面へ戻る。
 しかし、今度は国道283号線との接点で花巻へ戻ることにした。
 いやいや・・・、遠野では最後までイジワルされちゃったなぁ。最後のイジワルは赤ら顔のカッパかな。
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<花巻界隈(風鈴)紀行11>

2014年09月17日 01時01分01秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 自信喪失の頼りない運転で、どうにか遠野の市街地へ入ることが出来た。もうお昼近い。

 JR遠野駅に到着。子供達はトイレ休憩。オトナは車中でぐったり。う~、なんか頭ん中がぐるぐる廻っている。

 ふと隣を馬車が通り過ぎていった。
 ば、馬車!?
 ちょっとびっくり。これまた思い切った観光事業だね。お馬さんの管理も大変だろうに・・・。フン害とかないのかな?

 馬車見てすこし落ち着いた。これって動物療法?(笑)
 駅前でぐるりと方向転換。すると少しだけ方向感覚が戻った気がした。
 - いま駅舎を背にして鍋倉城のほうを向いている。うん、ここなら迷わない。-
 やっぱり知らない土地に来たら駅を起点にするのが基本なんだね。
 とりあえず遠野市博物館を目指す。こっちの方向でいいはずだ(それがさっきまで迷っていたお山と対面するような形であるとは今まで気が付かなかった)。

 川(内堀)をわたるところで「とおの物語の館」という建物があった。ここは要チェックですね。
 遠野市民センターに車を駐めて(有料でした)、歩いて向かう。
 すこし時代がかった門をくぐると明治の頃の雰囲気たっぷりな建物(旧高善旅館)がお出迎え。なんと柳田國男の定宿だったところを移築してきたそうな。奥には柳田の隠居所だった建物まで東京から移築している。

 「遠野座」に入れば語り部さんが「話コかだり(語り)」して遊んでくれる。
 
 酒蔵を改装した資料室ではオドロキの仕掛けがいっぱい(けっこうハイテク)。これは子供ウケするねー。ザシキワラシもオシラサマもカッパも経立(ふったち)も大集合。しばらくみんな妖怪三昧。

 ここであらためて「佐々木鏡石(本名・喜善)」という人について知ることが出来た。
 佐々木こそが遠野の伝承話の数々を柳田國男に紹介した人物。彼の話がなければ「遠野物語」は生まれなかった。金田一京助博士は彼をして「日本のグリム」と評価した。佐々木が宮沢賢治の「ざしき童子(ぼっこ)の話」を介して彼とも交流があったということには少なからず興味を覚えたのだが、その話題はまた今度。

 ここから旧高善旅館へ移動。
 木の香りがする。木造建築はこの琥珀色のフィトンチットが魅力だね。
 大沢温泉の自炊部と同じ香り。

 二階にあがると柳田國男がトグロを巻いていた(籠った)部屋がある。
 陸炉(火鉢)が立派。調度品もかなり上等。上客だったんだね。
 こういうところに来ると子供達はタタミで大の字に寝転びたくなる。気持ちは十分にわかる。でも人が来る前にやめてね。
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<花巻界隈(風鈴)紀行10>

2014年09月17日 00時59分52秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 やっと遠野市に入った。
 柳田國男の「遠野物語」で全国的に有名になった。
 三方を聖なる山に囲まれた、民話の宝庫である。

 市街地へ行くには「綾織(あやおり)」というポイントから右折。国道からは外れるが、こっちが釜石街道だという。
 猿ヶ石川を左手に見ながら進む。
 この山あいに「五百羅漢」があるという。
 これは天明の大飢饉の犠牲者を供養する目的で盛岡のエライお坊さんが自然石に羅漢様を線刻したというもの。
 ガイドブックにはちょこっとコラムのように載っているだけだったが、BELAちゃんが興味を示した。
 
 案内に従って坂を上る。のぼって、のぼって、のぼって・・・、この道大丈夫?

 なんだか林道のような細い道。ホントに車一台分の車幅しかない。右は山肌が迫り、左は灌木と奈落が口を開けている。一応舗装はされているが、この雨である。ところどころに小枝や石ころが落ちている。風も出てきているようだ。

 分岐路を左折し、さらに道は寂しくなってきた。
 雨がざんざんと降っている。
 道に不安を感じるのは、この天候のせいもあるか。
 これが晴天で大して暑くない季節だったら気持ちのいいところかもしれない。
 けど今は、進めば進むほど怖い。

 ふと道の向こうに開けた空間が見えた。左手に四阿と駐車場のような広場、右手の鬱蒼とした森に看板が出ている。
 - ここか -
 看板をみると「クマ出没」と書いてある。げっ、違うじゃん。
 でも間違いではなかったようだ。

 鬱蒼とした森に苔むした岩石が点在している。薄暗くてよくわからないが、ずいぶん上の方まで続いている。これが五百羅漢様だ。
 雨のせいか脇に小さな水の流れができている。そばには散策道のようなものがあり、上まで上がって行けるようだ。

 とりあえず車から降りてみたものの、どうにも森に踏み込む勇気が出ない。
 ばらばらばらっと雨粒が落ちてきた。
 びっくりして空を見る。
 風で枝についた雨水が落ちてきている。
 
 冷静に考えればここはまだ居住地のすぐそばなのだが、あまりにも鬱蒼としていて、クマのこと、雨のことなど、不安で気持ちがいっぱいになってしまう。
 こういう状況で、餓死者の供養地に入るってのは、よほど気合を入れないと無理だよ。

 結局あきらめて車にもどった。
 もどってから、次男坊が一言。
 「さっきうしろに真っ黒いなにかがいたよ。」
 - やめろよーそーいうのマジでっ!! -

 ホントになにかいたらしい。
 「クマかも・・・。」
 と次男。

 こっちはもっと別の恐ろしいものを想像しちゃうけどね・・・。 
 
 結局そのまま山道を進むことにした。
 いま考えれば、もと来た道を引き返すべきだった。たとえ対向車と遭遇する危険があっても。
 風がどんどん強くなる。雨もどんどん強くなる。やっぱりこれは台風の影響なのだろうか。
 道は舗装はされているがかなり荒れている。
 こころなしか右側の山肌がすこし膨らんで、道路の方へ寄ってきている。擁壁でさえぎられたところでは、その上から木々が寄りかかるように傾いてきている。明らかに山肌が変容してきている。
 この雨でそうなっているのかわからないが、これって土砂災害の危険があるか? 道にこぼれている石や枝が不安をあおる。そんでもってこの山道。くねくねしてどこへ向かっているのかとんとわからない。

 さっきの黒いのは「行逢い神」ではないか・・・。
 「行逢い神」とは、行き逢った人や家畜に災いをもたらす異形の精霊とされている。山中でとつぜん悪寒を覚えたり、気分が悪くなったり、時には怪我や命を取られることもあるという。
 ははは・・・悪路だからろくでもない想像しか浮かばない。
 突然、山肌に赤い鳥居が見えた。
 こういうタイミングだからびっくりしてしまう。
 
 雨がびしゃびしゃ降っている。はやく平らなところに出たい。
 山を降れそうな道に行き当たった。これで抜けられるか。ところがその先は落石の危険があって取れない旨の警告板があった。必然的にさらに山の中をはしるしかないようだ。

 いま地図をみながら考えても、この通りに走ったような気がしない。もっと遠回りをさせられた気がする。
 このあたりは、遠野のお城「鍋倉城」の搦め手にあたるようだ。だから、簡単に市街地へは下りさせないようにできていたのではないか。

 やっと広い川沿いにでて、ほっと一息。車の往来がある道路をみると安心する。

 では遠野の市街地を目指そう。
 ところが走れど走れど開けた平野に出てこない。しまいには川の上流の遠野ダムまできてしまった。

 この狂いまくっている方向感覚なんとかしてぇー。

 どこへ向かっているのかわからないことほど怖いことはない。このとき、知らず知らずのうちに仙人峠へと引っ張られていた。
 どうにも苦労させられるなぁ。手荒い歓迎ってやつですか?
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<花巻界隈(風鈴)紀行9>

2014年09月17日 00時54分44秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 遠野までの道のりは文字通り遠い。 
 国道283号線をひたすら東進して宮守(みやもり)ポイントを目指す。
 さきほど教えてもらった「めがね橋」もここにある。正しい名称は「宮守川橋梁」。通称「めがね橋」。最近は「恋人たちの聖地」という称号もつくらしい。

 JR釜石線は旧国鉄が国有化してつけた名で、もともと「岩手軽便鉄道」と呼ばれていた。
 山地と谷あいを走る線路なのでどうしても断崖を掘削したり橋を架けることになる。めがね橋のように谷から谷へ渡ってゆく高架橋も数多く存在する。宮守ポイントでは、鉄道は高い山地を橋かけて渡ってゆくが、車道(国道283)は谷底の宮守川(猿ヶ石川)のそばを走っている。そんなわけで車道からめがね橋を見上げるようにして通過するパノラマポイントが生まれた。
 あいにく急ぎなのであっさりパスしちゃっけたれど、車から降りて河原のほうへ行けばかなりいい風景なのかもしれない(雨だったけど)。

 これがどうして賢治と関連づけられたのか定かではないが、ここの風景を見て「銀河鉄道」のモチーフが生まれた、と言われている。
 言われているったって、本人が言ったわけではない。
 「銀河鉄道の夜」は賢治の死後発表された。従ってこの作品に関するコメントは誰も聞いていないはずである。誰かが、「そうに違いない」と思い込み、この話が賢治を研究する人々の間で話題となり、定着していった。だから本当の本当のことはわからない。
 最近は恋の成就する場所として有名になりつつあるという。「恋」も「幻想」もいっしょくた。川の流れはお構いなし・・

・。

 アーチ型橋梁はここに来る前にも見た。車なので下には降りられなかったが、宮守よりも古そうな石組みの橋だった。

 道は川の蛇行にしたがい大きく曲がってゆく。その先で国道107号線と連結される。釜石街道はますます峨峨たる様相を呈する。
 雨がひどくなってきた。それなのに東の空だけ変に明るい。きっと雨雲の境目を移動しているのかもしれない。台風がどのあたりまで近づいているのか気になる。

 ふと「遠野麦酒苑」の看板を見かけた。
 気になるけど、時間がない。飲酒運転もできないし(するなっ)。
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<花巻界隈(風鈴)紀行8>

2014年09月17日 00時53分18秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 遠野へ行く途中で、古民家を尋ねる予定にしていた。
 大きな南部曲り家。国指定の重要文化財。
 近々解体修理が始まってしまうので今のうちに見ておこうという話。  
 
 東和の晴山という地域で「国指定文化財・小原家住宅」という案内板を見つけた。
 - これかな? -

 右折して橋を渡る。BELAちゃんは「んー?」と首をかしげる。
 後に地図で確認すると猿ヶ石川をわたり「谷内」という地域に入ったらしい。

 しばらく川沿いを進み、だんだん山地へと上ってゆく。
 少し眺めのいいところで、大きな丹塗りの鳥居が立っていた。  

 - 「丹内山神社」・・・? -

 鳥居の先には、ただ山へとつづく細い道があるばかり。
 しばらく行くとまた鳥居があった。その先にはやはり細い道が。
 まるで聖なる異界への道のよう。

 丹内山神社は、アラハバキ神の巨石を祀る神社。太古からの自然崇拝の山だという。
 人間の文化にまだ染まっていない山や森など自然の奥から、霊気というか巒気(らんき)というかどうにもよくわからない恐ろしい気が溢れて出て、人の心を浸食していくことがある。
 生命の生殺与奪を繰り返してきた自然への恐ろしい記憶が感じさせるまやかしかもしれないし、本当に何か強い磁場が発生しているのかもしれない。
 やはり森(山)や川は恐ろしい場所だった。
 古く神奈備信仰とは、現世とは違う異界へとズレ込み神に逢う、または異界から出現する神と行逢うことを恐れるものではなかったか。神に行逢うことを恐れる心理が「しめ縄」や「鳥居(門)」という形に込められているように思えてならない。
(もしもこのとき僕は鳥居の向こうに柏手を打てば、昨日からなんとなくズレてきている方向感覚をなんとかしてもらえたのだろうか。)

 山のまわりをぐるぐる迷って、やっと「小原家住宅」に着いた。
 時間は9時半頃。雨はすこしだけ小康状態。

 小原家住宅は意外と小さい。けれどしっかり曲がり家の形をしている。
 敷地のはずれに水車小屋があった。近くの沢水を土樋を渡して引いていて、車にかかり「ぎいーぎいー」と廻っている。
 現役の水車小屋だ。小麦粉でも搗(つ)いているのだろうか。
 水車小屋に感心している僕の背中で、BELAちゃんはやはり首をかしげていた。

 小原家住宅は母屋の小屋組みに厩(うまや)の小屋組みを付け足したように組まれているので、もともと厩がなかったのか、または母屋に後から厩を横並びにくっつけた可能性がある。つまり南部曲がり家のごくごく初期の形態を残しているというので国指定の貴重な住宅だというのだ。
 住宅のガイドさん(多分、小原家の縁者さん)のお話を聞きながら、へぇぇ、そうなの?と感心していたら、BELAちゃんから袖を引っ張られた。
 「やっぱりここ、違う。あたしが行きたいのは『千葉家住宅』!」
 
 - え、違うの? あ、じゃあ・・・。これって予定外のところ? -
 貴重なものだからゆっくり見たい気持ちがある反面、遠野まで行かなきゃならないので、そそくさと靴をはく。
 「これからどちらまで?」
 「あ、遠野まで行きます。」
 「あら、じゃあ『めがね橋』も見れるわね。」

 めがね橋? ああ、岩手軽便鉄道の架橋。そうかこっちの方か。
 「ありがとうございます。」

 勢いよく小原家住宅を後にした。
 ところが出てすぐ反対の道を行ってしまった。
 ここからの方角の狂い様ったらひどいもんだった。

 山道をあてどなくぐるぐると彷徨い、あの道かな、いやいやこの道じゃない、と山を降りたり上ったり。
 どうも誰かに馬鹿にされている気がしてならない。
 それともパワースポットの磁場のようなものに引っ張られてまっすぐ進めなくなっていたのか。

 自慢じゃないが、一度通った道なら間違いなく戻って(辿って)くることができるというのが特技だった。道を線でイメージするのではなく、ポイントごとの雰囲気を覚えているらしい。だから突然交差点に直面して、「ああ、ここに出たのか」と、たちまち位置を把握できる。それがどこへ行っても強みだったのに。
 ところが昨日からそれが全く機能しない。
 どの道通っても、どこに向かっているのかさっぱりイメージ出来ない。

 困ってしまって、野良服を来たご婦人に道を尋ねた。
 「ああ、遠野? それならこの道下って橋渡ったら国道に出るから右に曲がればいいよ。」
 言われたとおりにしたら、あっさりもとの国道283号線に戻れた。しかもさっき曲がった晴山の交差点。
 よっぽど馬鹿にされたようだ。ずいぶん進んだつもりだったのに・・・。時間は40分もかかっていた。
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<花巻界隈(風鈴)紀行7>

2014年09月17日 00時50分16秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 平成26年8月10日・日曜日(旅行二日目)。
 大沢温泉「山水閣」を出発。
 とても贅沢な体験をした。いいお宿でした。

 坂にある水車に見送られながら県道12号線に顔を出す。
 やっぱり雨。気温も22度。8月お盆前とは思えない気温。台風が日本海側を北上しているとの情報あり。 

 今日は遠野まで行く。
 でもその前に、昨日いきそびれたところに「宮沢賢治墓所」がある。長男の希望があって、これから寄ることにした。

 「ぎんどろ公園」をぐるりと廻って、身照寺へ到着。日蓮宗のお寺である。
 
 雨も降っていたし、BELAちゃんは墓地に足が向かないというので長男と二人で車を降りた。
 階段を上り、本堂前で礼拝合掌。おじゃましまぁす。
 それから墓地へまわった。

 宮澤家墓と五輪塔が並んでいた。五輪塔は宮沢賢治の供養塔だ。新しくなっている。
 20年前はもっと小さかった。
 
 余談だが、宮澤家の墓はもともとこのお寺ではなかった。
 当然、賢治も当初、ここには葬られてはいなかった。 
 没後18年経ってから日蓮宗のお寺に改葬されたという。

 宮澤家にとっても、お寺にとっても、大変な思いをした18年だったのかもしれない。
 
 墓所に礼拝合掌。墓地に長く居るのはツラいので早々に退散。
 車に戻るとまた12号線へ。マルカン百貨店前へ出て、そのまま東進。バイパスを越えてどんどん進む。

 20年前は羅須地人協会へも足を運んだ。けれど今回は、花巻でこれ以上どこにも寄らなかった。
 きのうも、きょうも、賢治のキーワードを意識はしたけれど、それほど偉大な詩人の足跡にこだわったわけではない。
 そういうのは家族旅行ではムリだし、賢治の風景を「追体験する」ことに実はまったく期待していないのだ。
 なぜか個人のプライバシーに踏み込んでいくような違和感があるし、それよりはただ何となく花巻界隈の風鈴の音でも聴きながら流している方が、賢治さんの地元へ遊びに来た気分になれる。
 ふうん、いい町ですねぇ。昔の町割りがそのまま残っている。人も車もどこかゆっくりで・・・。

 そうそう!こっちは車のスピードがゆっくり!!

 センダァド(仙台)から来た自分としては、花巻市街での車の流れはややゆっくりに感じる。交差点だと、むこうからくる車に対し、やり過ごそうとすると思いのほか時間がかかる。たとえるならば、バッターボックスに立っていて、いきなりスローボール投げられたような・・・、勢い込んでいると膝がガクガクッとなる、アレですね。
 
 けど、それはとても優雅なことだし、むしろそのほうが渋滞が発生しにくくていいのかもしれない。
 仙台では、やたらと信号機ばかり増えて、あちこちで渋滞ばっかり発生しているから、いつもイライラしながらハンドル握っている。でも東北というところは、優雅な方がいいに決まっている。無駄に急ぐのは、そういう性分の都市にまかせておけばいい。少なくとも花巻は、このままがいい。

 ずらずら考えながら国道283号線を走って東和へと向かう。

 道はだんだんに鄙(ひな)びてゆき、鉄道(釜石線)と並んで走るようになってゆく。
 秋に走れば、きっとススキがきれいなんだろう。
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