放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

ポリープ4

2024年08月10日 00時39分33秒 | Weblog
 内視鏡室前の受付にて説明を受け、医療用ガウンに着替えさせられる。そのまま待合でしばらく待たされる。
 待たされている間にも2回トイレに行った。まだ少し残っているかな。
 
 いよいよ呼ばれて台に上がる。左を下にして横向きに寝ろという。つまりお尻をこちらに向けて横になれということだ。
 もう何も考えないことにした。
 右肩に「腸の動きを抑える薬です」と注射された。
 ぐいっと肛門に何かがねじ込まれた。さすがに痛い。それから内視鏡の先端がずるりと入り込んでくるのがわかった。
 「大腸にもいくつか曲がり角がありますからね、そこだけ少し苦しいけれどガマンですよ。」と先生。
 ああ、と理科の授業で習った程度の簡単な大腸のイメージを思い浮かべる。大雑把に言って大腸は四角形。四角形だから大雑把に4箇所の苦痛ポ
イントがあるのかな? いや最後の4つ目のポイントは終点のはずだから苦しくないかも。
 横になった自分からも見える位置に大きなモニターがある。これで自分の大腸を見ることができる。思いの外キレイな色している。時折何か液体を吸い上げるような音がする。腸内で分泌されている液体を吸い上げているんだろう。内視鏡が進む先が視界不良にならないように。

 そうこう言っているうちに急にお腹に張りを感じた。これは空気を送って腸管を広げているのか。おそらく1つ目の苦痛ポイントだろう。
 思わず唸る。これは苦痛か? いや、それだけではなく違和感と恐怖感が混ざっているかも。
 腸管が張るのって、正直イヤな気持ちになる。破裂しそうな恐怖感。イレウス(腸閉塞)の時はこんな痛みがずっと続くんだろう。
 腹部の膨張感とそこを逆行してくる機械。この違和感は確かに恐怖に置換しやすい。苦痛とされる一因はそれかも。

 腹圧が下がってきた。ぐんぐん先へ進んでいるらしい。
  そうこうするうちに、またお腹が張ってきた。イタタタ、思わず声が出る。
 「はいー、仰向けになります。」
 は? お尻に挿さったまんまで体位変えんの?
 「ええ、このままでは入りにくいので。」
 いや充分入っています。
 介助者(看護師?)が右膝を起こしにかかる。手荒にされては困るから、言われるままに仰向けになる。すると今度は右足を組んでくれという。
 大丈夫かな、お尻の筋肉を使う動作が続くぞ。内視鏡を挿したところから何か滲んでこないだろうか。
 「大腸管内視鏡は初めてですか?」
 「はい」
 それ今訊く? フツーその質問は内視鏡を挿す前じゃないの?

 「はい、虫垂部(盲腸)到達です」
 あれ、意外と早かった。
 「こっち見ると管が細くなっていますね。この先は小腸です。内視鏡は太すぎて此処から先へは行けません。」
 自分の盲腸や小腸を見るのは生まれて初めて(そりゃそーだろ)。
 「では抜きなから腸内を見ていきましょう」
 医師が内視鏡をずるりずるりと引っ張り出してゆく。それに合わせてモニター画面も後方へスクロールしていくのがわかる。
 あらかた内視鏡を引っ張り出してから、
 「あらかた見ましたがキレイですね。ただ気になったのはここ。」
 突然また内視鏡ケーブルをぐいっと差し込んだ。そこにぷるんとした肉塊がぶら下がっていた。
 「ポリープですね。ここだけなんで、増えてはいないようですね。ただ大きさが5ミリ程度なんで、これは取ったほうがいいでしょうね。」
 じゃあ今とって。
 「後日入院していただいて、ポリープを切りましょう。入院は2,3日かかります。」
 え、そんな大掛かりなの?
 医師はさっさと内視鏡を抜いてしまった。
 「はい、終わりです。ゆっくり起きてください。」
 お尻にたくさんのペーパータオルが当てられた。やっぱり肛門から何か漏れていたんだ。仰向けになんかさせるから・・・。
 椅子に座らされ、今のポリープ画像を見せられた。
 ポリープはどの部位なのか訊いたところ、直腸からちょっと奥にいったところだという。
 「ポリープ切除は9月ですかね。8月はすでにいっぱいなので。」

 やっぱり今切ってもらえばよかった。でも今切ろうとしなかったのは何か理由があるんじゃあなかろうか。
 例えば止血対策。例えば切除する器具を一緒に挿入していなかった。例えば痛すぎて麻酔が必要とか。

 次の予約を取ってから医師に礼を述べて内視鏡室を出た。
「やっぱり今切ってもらえばよかった」疑念はいまも続いている。
                                                                                                                                           
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ポリープ3

2024年08月02日 23時35分45秒 | Weblog
 大腸の内視鏡検査を受けるにあたり、まず大腸をキレイにしなければならない。
 キレイという表現が正確ではないかもしれない。腸内の固形物をすべて出して隅々まで調べられるようにしなければならない。
 下剤を呑んで胃腸の内容物を全部出してしまおうというのがその手段であるが、その準備は検査日の前日から始まっている。
 油っこい食材や繊維の多い食材を避けて、なるべく流れやすいものを摂取するよう指導された。
 特に繊維はクセモノで、下剤でも流れにくいのだそうな。
 ワカメなど海藻がダメ。夏が旬のキュウリもダメ。ごはんNGお粥OK。果物でOkなのはバナナだけ(スジを丁寧に除去した上で)。ポテトサラダに至ってはジャガイモだけOKとのこと。
 こうなると摂取できるのは豆腐やスムージー、バナナくらいしかない。あと卵か。
 BELAちゃんにも協力してもらって、言われた通りの食事を心がけた。魚はOKであることを知ると、BELAちゃんは手間かけて銀タラを煮付けてくれた。但し皮は食べれない。コラーゲン乗ってて美味しいのにね。
 どうせ寝る前に下剤(錠剤2錠)飲むのでどこまで栄養を吸収されるかわからない、けれど夕食の銀タラはあんまり旨くて舌に沁みた。
 
 大腸管内視鏡検査について、調べようかと思ったが、やめた。
 胃カメラ(胃部内視鏡)検査なら毎年やっている。だから内視鏡という機械がどのようなもので、どんなことができるのか、大体わかっている。
 その上で、いったい自分は何を知りたいのか考えてみたら、大したことではなかった。
 痛いのか痛くないのか、とか。
 どんなトラブルが予想されるのか、とか。
 その病院の評判、とか。
 ガンの見落としはどのくらい、とか。

 この前の診察のときに、内視鏡室がずらりと並んでいるのを見た。これは日頃から相当数の受診者を検査しているということだ。そんだけ検査してりゃ、医師の経験値は相当高くなるし、大抵のトラブルもとっくに起きている。その反省と対策も十分なんじゃないだろうか?
 従って、調べようかと思ったことの大半はすでに答えが出ている。
 残るは「痛いか痛くないのか」。
 でもそんなの痛いに決まっているし、のたうちまわるほど痛いなら、はじめから麻酔の提案が出てくるはずだ。つまり「耐えられる程度」と判断するより他はない。身体への負担は未知数だが、そもそも日帰りなんだから、それもどうにかなりそうな気がする。
 なんだかんだ考えて、スマホや何やらで無駄な知識を仕入れるのは意味がなさそうである。
 明日は余計なことは考えず、無為に過ごそう。

 検査日当日になった。
 当然ながら朝食ヌキ。昼食もヌキ。そして8:00から「ニフレック」という下剤を飲み始めた。
 プロテインでも入っていそうな容器に顆粒が入っている。これに水を2リットルを入れて顆粒が溶けるまで容器を振る。

 それをコップに注いで200mlを15分位かけてゆっくり飲むように書かれている。それで2リットルを2時間程度で飲め、とある。

 んん?計算おかしい。
 200mlを15分位ならば1時間では800ml。2時間では1600mlつまり1.6リットル。ぜんぜん追いつけない。
 かと言って下剤を一気飲みすれば大惨事が待っている。そんなの想像もしたくない。
 とにかくうまくいくかどうか分からないまま飲み始めた。
 ニフレック、飲み始めはそれほどマズくない。バリウム飲むのに比べたら全然ラク。

 ところが2時間経っても全然飲み終わらない。ゴクゴク飲めるようなものでもなかった。そのうちだんだん飽きてきた。
 気持ちの所為か軽い吐き気を催してきた。いきおいコップから手が離れてしまう。気晴らしに外出するわけにもいかない(逃避か)。
 12:30頃、とうとう飲み残した。600mlくらい残しただろうか。予定時間を大幅に過ぎている。
 でも腸管の内容物はすっかり出たようだ。これでいいかな?

 ニフレックは若干の栄養補給・水分補給の成分も入っているのだろうか。朝食、昼食と抜いたのに、血糖が欠乏したように感じなかった。喉が渇くということもないし、普通に立ち居できて、頭がぼーっとすることもなかった。こちらも多くの知見が生かされているようだ。

 このあと、いよいよ病院へ向かう。
 
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ポリープ2

2024年07月28日 00時13分14秒 | Weblog
 初診日を迎えた。
 電話で初診予約を取ったときに、受付の人から「当日は朝ご飯ヌキで」と言われていたのでその通りにした。
 だいたい初診で何をするのだろう。問診と、内視鏡検査の日取りを決めるくらいしか想像できない。
 朝ご飯ヌキの目的は何なのか。専門的な検査をするのだろうか。でも調べるのは腸管のはず。下剤も呑んでいない。まさかその場で浣腸されてすぐに内視鏡で検査とか・・・。

 電話受付の険しい対応の影響なのか、病院へ行く前からアウェー感が甚だしい。ありもしない浣腸の妄想もネガティブな心境だからこそである。

 広い病院だから右見ても左見ても情報が多すぎる。キョロキョロしていると案内の人がすぐに声を掛けてくれた(アウェー感が一気に薄れました)。初診受付を済ませて胃腸科フロアへ移動。そこで「御机下」つまり紹介状を手渡した。
 まずは身体計測。身長と体重、血圧も。終わったら待合でしばらく待たされる。
 ずらりと並んだ診察室の一室に呼ばれて問診。そこで初めて便に潜血があったことを知らされる。
 再び待合室で待つこと40分。今度は別の先生に呼ばれて検査の日程を相談。今日はこれで終了。
 
 帰りに待合スペースを振り返ると、人がいっぱい。さすが大病院。
 思うに、先日電話で険しい対応した人は、そのするように言われて応対していたのだろう。その目的は「診療所」と「基幹病院」とを分けること。診療所で済む話なら診療所で治療してくれ、基幹病院はパンク寸前なのだから、こちらへ通う患者を増やしてくれるな。つまり役割分担のようなことを診療所と基幹病院の2者はやっているのだ。基幹病院へ初診の申し込みをすれば、ソレは本当に基幹病院で診なければならない事案なのかとしつこく確認を求めてくる。受付も大変だね。
 
 お金を払って表へ出た。
 ささやかな疑問。
 結局、オレが朝食ヌキにしなければならなかった理由って・・・?
  
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ポリープ(その1)

2024年07月25日 20時11分02秒 | Weblog
職場の健康診断でなにやら引っかかった。
「御机下」と書かれた封筒を寄こされて、急いで胃腸科を受信しろと言われた。

胃腸科にお世話になったことはない。だからかかりつけの内科医のところへ行った。
すると内科医は大きな病院へ行けと言う。「御机下」と書かれた封筒は開けもしないで返された。
「『御机下』ってなんスか?」と訊くと、それは専門医への紹介状だという。専門医でもないのに紹介状を開けるわけにはいかないとのこと。

おそらく内視鏡で検査することになるだろう。ウチには胃部の内視鏡設備はあるが腸管用の設備はない。
だから大きい病院へ行け、ということらしい。

腸管の内視鏡かぁ・・・。メンドクサイことになった。

大きい病院で、徒歩(交通機関込み)で行きやすい病院を選び、さっそく受診しようとした。
ところが、

どうにもラチがあかない。
なんどもしつこく「なぜウチの病院なのか、一度罹ったことがあるのか、紹介状はウチの病院を名指しで書いてあるのか」などと訊いてくる。
仕舞いには「紹介状のオモテ書きを上から下まで全部読め」などど意味不明なことまで言い出す。
「『御机下』としか書いていない」というと、「じゃあ紹介状を持ってきたときに今言った通りでなければ即刻受診をお断りする」という。
これが国民皆保険の実体か?

いいかげん腹が立ったが、文句言うのは後でもできると思い、低頭低腰で初診の予約をとった。
なんつー病院だ。
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武雄のレモングラス

2024年01月18日 23時55分47秒 | Weblog
 コロナ罹患から10日以上たった。
 もう隔離も終了し、社会復帰もできた。

 ただ、咳が出る。

 痰が絡むわけでもなく、息がしづらいわけでもない。
 ほとんど空咳というやつ。
 喉を潤したり、のど飴で咳を抑えようとするが、喉をむせ上がってくる衝動はかなり強く、思わずゲホゲホしてしまう。
 寝ていても突然この衝動がくるので、睡眠も断続的になる。
 漢方薬で効きそうなものを使ってみようと思う。

 嗅覚はほとんど回復した。
 レモングラスのおかげ。
 回復するまでに、焼き魚を1回、鍋を1回、焦がした。
 どちらも焦げる匂いがわからなかった。 
 コゲているのが判るようになるまで1週間くらいかかった。
 
 嗅覚が回復したとはいえ、以前のように戻ったかどうかはわからない。
 たとえば、日本酒の香りはよくわからない気がする。
 あずきもちょっと自信ない。
 蕎麦もどうだか・・・。

 好きな食べ物で、香りが淡いものは意外と多い。
 それが香ってこないとなると寂しいことになる。
 まだ時間を要するということなのか。

 今でも寝る前には窓際のレモングラスを嗅ぐようにしている。
 もうずいぶん香りが抜けてきた。抜けてきていることは判るようになった。
 
 でも香りの向こうに小さな不安を感じていたことは覚えている。
 今更だが、気が張りつめていたいっぽうで、やはり不安だったようだ。
 新型コロナに感染したが、ちゃんと回復するのか、社会復帰できるのか、家族に感染させないか、不安だったのだ。

 もう少し、もう少し。
 今、体中にはコロナウイルスの残骸がいっぱいあるようだ。いまPCR検査をすれば陽性反応が出てしまう。ウイルスの残骸を検知してしまうからだ。こういうのを「偽陽性」と言うらしい。
 ウイルスの残骸が体内から去るのに1ヶ月くらい。そのくらい影響が残るということだ。

 もう少し、もう少し。
 今日もレモングラスを嗅いで眠りにつく。
 今も胸を離れないレモングラスの匂い。
 ・・・どっかで聴いた歌詞だな。
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追悼のRyuich Sakamoto

2023年04月16日 01時08分36秒 | Weblog
「The End OF Asia」のLIVE版が聴きたくなった。
ぼくはこれが坂本龍一の最高傑作ではないかと思う。
ただし、これが故人の最終形態かと問われればもちろん違う。
ただ、シンセ・ソロの無限かつ壮大な世界観を聴けば、やはり最高傑作と思ってしまう。
ちなみに一番好きな曲は「The End OF Asia」ではない。大好きだけど。

やっぱり一番好きなのは「千のナイフ」。
「千のナイフ」または「Thousand Knives」。
本人のソロ曲だったり、ダンスリーとの合作もあるが、YMOアルバム「BGM」に収録されている版が重厚かつ一番カッコイイと思う。
その後の「Mr.ロレンス(「戦メリ」のこと)」を始めとする映画音楽で世界を席巻する前にこれだけの熱量で制作しているということを、どこかで特集してほしい。

思えばYMOには制約があった。
テクノポップには連続性、メリハリより平坦、さらには非ドラマチックであることが求められる。
「機械的」という定義から外れると「テクノ」と言う言葉がウソになるからだ。

坂本龍一という巨人にYMOは窮屈だった。
「The End OF Asia」のLIVE版はいくつか発表されているが、どれもテクノ(機械的)の枠から逸脱している。
それを一言で言ってしまえば「旅情的」「旅愁的」。
伊武雅刀のモノローグ「ああ、NIPPONは、い~い国だなぁ」が背後について回る。
テクノとは矛盾する楽曲だった。
それでもYMOの傑作には堂々と枚挙されるだろうし、だれも異論はないはずだ。
そこにYMOの裏テーマが垣間見えるからだ。

YMOは、あれだけ機械にこだわる音楽ユニットだったけど、実は高橋幸宏のドラム、細野晴臣のベース、坂本龍一のキーボードプレイがしっかり聴ける純粋なバンドサウンドであった。高い技術を携えた(=機械的なことを人の手で正確にやってのける)職人バンドだったのだ。
彼らが人間らしい感情を表出してしまえば他のバンドとやっていることが同じになってしまう。だからYMOは制約を設けた。
テクノポップの定義(=機械的)を軸とし、常に実験的であるように。それが表のテーマ。
裏のテーマは、「あくまでも人の手で」である。

そもそも坂本龍一のソロ楽曲だった「The End OF Asia」は、むしろこの表のテーマに収まっていた様に思う。
4ビット時代のコンピューターゲームサウンドのような表情のない音色。後半の渡辺香津美ギターが吠えるまでは単調に徹している曲だった。
それをスネークマンショーでは馬子唄のようなリズムに改変し、YMOのLIVEでは、より一層旅情感たっぷりにした。
どういうロジックでテクノ・ポップの定義を逸脱する楽曲に仕上げたのだろうか。
ゴリ推しだったのか、それとも実験的という枠だったのか、その伸び伸びとしたサウンドを聴くと、今でも奇跡を感じてしまう。テクノを逆手に取った奇跡。表も裏も超越した音楽観。

後年語られる坂本サウンドの+11や+13は確かに発明と言ってよい出来事だけど、メロディーラインの秀逸さがそもそも故人の才能であることも強調しておきたい。

YMOのさまざまなものを削ぎ落としたと言って良い名曲がもう一つある。
「Epilogue」。アルバム「(いわゆる)テクノデリック」に収録された逸曲。

この曲こそメロディーラインの美しさの究極といってよい。こんなキレイな曲は聴いたことがない、と思ってしまうほど異次元な美しさである。機械的であるのに感情的。ここでやっとYMOの表と裏のテーマが融合したような気がした。

早世した高橋幸宏さんに誘われるようにして逝ってしまった坂本龍一さん。
この曲を紹介することを以て、故人への追悼としたい。お二人のご冥福をお祈りします。
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月夜の松島

2020年11月02日 00時11分16秒 | Weblog
 令和2年10月31日は満月でした。
 その日僕は松島に居ました。
 昨今、故あってほぼ毎週のように松島に行っています。

 午後5時。瑞巌寺の鐘の音が聞こえます。同時に「夕焼け小焼けで日が暮れて・・・」とジングルが杉木立の間を流れてゆきます。もうすっかり暗くなっていました。雲ひとつない空には一等星や惑星などまたたき始めています。
 そしていちめん藍色の澄みわたるその空間に、岩山と草木の間から、そうっと月があがっていたのです。
 満月の時は午後6時にならないと月はお出ましにならないものと思っていたので、もう東北東の空に見ることが出来たのは意外でした。

 ちょうど帰路だったので車で国道45号線に出て、南へ向かいました。
 左手には松島の海。
 出たての月は少し大きく見えて、またほんのりと赤いのです。
 その月明かりに照らされて、大小の島々がコバルト色に浮かび上がっています。
 松島は霊場なのです。

 仙台に住む僕から見た松島は、ただの観光地です。これまで霊場だとは思ったことはありませんでした。
 観光地も観光地、すぐに行ける観光地。他県の人ほど珍しいとも思っていない。
 たとえ行っても、瑞巌寺、観瀾亭、五大堂、そしてお土産屋さん。つまり45号線沿いを歩くだけで事足りてしまう。ある意味とても狭い観光地でした。
 ところが「松島4大観」を知らない。
 松島の裏街道にある温泉を知らない。
 45号線ではない旧道から見る松島を知らない。
 そして、松島の月を知らない。
 知らないことだらけだったのです。

 松島が霊場、つまり浄土感(観)の影をもつ地である、と思ったのは、鎌倉の「やぐら」を知ってからです。
 「やぐら」とは行者たちがそこで修行し、またはそこで入定した岩屋のこと。鎌倉もまたリアス地形であるので、旧市街地は岩山だらけ。その岩肌を穿ち、浅い洞穴を掘ります(やぐらと呼ばれています)。そこを栖(すみか)として行者は行を積むのです。時にはそこが終焉の地ともなり、これらが「屍倉(かばねくら)」つまり「鎌倉」の語源になったという説があります。
 松島海岸に点在する岩窟や磨崖仏たちもまた、「やぐら」です。そこには入定した行者たちの面影が刻まれています。
 なぜ行者たちは松島を目指したのでしょう。
 その答えを、あの満月の夜に見つけた気がします。

 もうすっかり暗くなった脇道を下り、扇谷(おうぎたに)へ行きました。
 展望台にはお茶屋さんがありますが、崖の下、入り江の海岸には民家も灯りもありません。
 そこでは、藍色の空にやや朱の混じった月が太古のまま水面(みなも)を煌々と照らしていました。
 ススキの穂影が、その煌々たる月光を吸いとろうとしているかのように静かに揺れています。
 そして島々は沈黙し、ただ波の音だけが扇谷に打ち寄せていました。

 それは死後の寂寂とした世界に見えました。または全てを諦観した浄土にも見えたのです。
 これが松島の原風景なのでしょう。

 松島は、霊場なのです。
 松島に通うようになって、やっと僕は、松島をほんの少し知った気がしています。


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彼は目をとじて・・・

2019年10月22日 02時08分12秒 | Weblog

ラグビーを面白いと思った。

2019ワールドカップの話。そう、いわゆる「にわかラグビーファン」になっていた。

なかなかタッチラインに到達できないもどかしさにハラハラして

一転、突破した瞬間にわあっと声が出てしまう

タッチダウンにおおーっと湧いて

次にぐたーっとなってしまう。

これ、心臓に悪いなぁ。

ルールも知らずに見ていたが(高校の体育では一応やってたけど、ノックオンくらいしか覚えていないし)わかってくると、何をやりたいのか、どうすれば点がとれるのか、考えるようになっていよいよプレーが面白くなった。

驚いたのは徹底した規律。

前に投げてはいけない

タックルは後ろから

スクラム参加も後ろから

倒れたらボールを離さなければならない

徹底した規律。違反すればチームが不利になる。

ヨーロッパの戦士がしていたプレーがスポーツになったという経緯があるのに、彼らは紳士のわきまえを深く心得てピッチに立っている。

 そしてノーサイドの瞬間の握手、抱擁。汗臭い、ホコリ臭い、そしてオトコ臭い。

でもなんか目頭があつくなる。

日本の最後の試合は南アフリカに完璧やられてしまったけれど、相手へ「優勝しろよな!」と呼びかける姿勢もカッコイイ。

なぜかユーミンの曲がききたくなった。

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ゴールドラベル復活

2017年10月05日 01時02分05秒 | Weblog
運転免許証更新しました。

やっとゴールド免許復活。
長かった。

あれは、かれこれ7年前。
右折禁止エリアを知らずに右折(標識見ろよ)。待ち構えていたおまわりさんに切符切られて、ゴールド剥奪。

おまわりさんが待ち構えているくらいだから、右折する奴が多いんだろう。
実際、紛らわしい。
交差点の直前で1車線が2車線に増える。これがまるで右折レーンそっくり。ただし標識は直進マーク。これを見落として右に突っ込んだ。刹那、後でクラクションが鳴った気がしたが、自分に向けられたものだとは気が付かなかった。曲がったところに居たおまわりさん、ゆっくり手を揚げて、こっち来いと手招きする。この時自分が違反したことに全く気がついておらず、窓ガラス開けながら「なんスか」とやや睨むように言った。
「あれ、右折レーンじゃないから。違反ね。」
「え? あれは・・・」
「あとでよく見てごらん。直進するところだよ。」
やっちゃった感が全身に降り注ぐ。

「はい7千某円。あとで警察に振り込んで。」
もう、「はい」としか言えなかった。


何度も言う。長かった。
でもそれも今日で終わり。晴れてゴールド。自分におめでとー。
明日はどうなるかわからないけど。

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老いる、ということ(ひとつの決別)

2016年06月26日 02時11分27秒 | Weblog
 このごろ突き指ばかりしている。
 必ず小指ばかり。
 なにか取ろうと手を伸ばして小指を痛め、引き出しに手を突っ込んで小指を痛め、ドアにも小指を痛めて。
 右も左も、常につーんとした痛みがある。

 おそらく運動神経が小指まで管理できなくなっているのだろう。それに握力も低下しているのかも。これが老化なのか。
 同じ姿勢を保持し過ぎると腰痛になったり、首を痛めたり。ああ、そういえば抜け毛でつむじも随分崩壊した。

 小指を突き指するようになったのは、六年ほどやっていた古武術をやらなくなったのと関係があるかもしれない。
 古武術なんて、別に強くなろうとしていたわけではない。ただ、腰痛持ちで猫背の身体を改善したくて、理にかなった身体用法を覚えたかっただけ。
 あれは古来日本人の体型を理解したうえで最も効率よく、または怪我なく力を伝達する技術であった。手にするのが別に武器でなくて良い。いろいろな道具を生活の中でどのように使いこなせばよいのかという知恵でもあった。体幹を動作の源とすれば、あらゆる動作はまるで別ものとなる。小指の先まで一つに繋がるような新鮮さを感じた。昔話もたくさん聞けた。口伝の中に息づく先人の考えに、書籍を読むのとは違うリアルを感じてゾクゾクした。
 稽古は大して進まなかった。いまだにその道の入り口をウロウロしているような感じ。結局、臂力はやや向上し猫背も改善したが、腰痛は改善しなかった。週1回程度の稽古である。筋肉を増やすトレーニングまではしていなかった。

 そのうち、現代武道の経験者が多く入ってきた。彼らは、古武道の破壊力と効率性に異論を唱えた。現代武道の基礎を取り入れるべき、と、口ではなく、稽古そのものに現代武道の理論を導入した。
 
 僕はそれに興味が持てなかった。
 きっと僕は昔話が好きだっただけなんだと思う。
 胸を張って正面を見せる現代武道より、半身で時に低くかがむ不格好な古道のほうが好きだった。
 だんだん道場から足が遠のいてしまった。道場は失伝してしまうかもしれない。古参が戻ってきて再興する可能性もあるけど・・・。一つはっきりしているのは、僕が奥義を識ることはないだろう、ということ。文字通り四十の手習いである。道は遠く、身体は悲鳴を上げている。

 小指の痛みは、ひとえに稽古不足なのだ。
 たったひとりだけど、初心に帰って基礎を続けようと思う。
 疲れてしまって出来ない日もあるけど、それでも所作の意味を問い続けてみよう。
 なんだか、自身の老い方の方向性が見えてきた気がするのだが、それでも何かが伸びるかもしれない。せめて、腕は肩より上に上がったほうがいい。膝は腰より上に上がったほうがいい。つま先と顔は上を向いているくらいがいい。身体はいつもひとつの塊で、水のように風のように巌のようにありたい。
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