放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

鎌倉漫歩景(番外編)

2013年05月24日 13時57分41秒 | やさしいごちそう
さて、鎌倉で感動した味。
おせんべい、かまほこ、そしてシラス


おせんべいは焼きたてのところをかじりついたもんだから幸せになれた。
かまぼこは、その上品な味にやられた。

シラスは、実はかなり変化球な出会いをした。


それは一日目の夜のこと。
小町通りで夕食(&お酒)を摂りにいったお店で、ピザを注文した。
きけばシラスが載っているピザだという。

何も知らないで話だけ聞くと「ミスマッチ」で終わってしまいそうなメニュー。
「そりゃどんなもんだい?」っていう好奇心だけで頼んでみた。

しばらくして、来たお皿を見てちょっと歓声があがった。

なるほど、たしかにシラスがピザに載っかっている。さらに青海苔とチーズがちりばめてある。
チーズのほんのり黄色に青海苔があざやか。
ここへタバスコ(オトナ限定!)をかけるとさらに華やいだ。

熱いうちにかぶりつくと、青海苔がうまくシラスを引き立ていて、チーズとも上手くマッチしていた。

これはシラスが生臭くないから出来るんだろうね。
大概、シラスってゆでてしまうとイワシのような香りがでてしまう。さっと湯にくぐすくらいがちょうどいいのだ。
それでも普段そのまま食べるのには抵抗があって、大根おろしをかけたり、青紫蘇ドレッシングなんかかけちゃったりする。

ここではほとんど手をかけていないような気がする。それなのにチーズや青海苔など、加熱タイミングが難しい食材ばっかり組み合わせているんだから、「技あり」ってことだよね。


おいしいおいしい夜でした・・・。


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鎌倉漫歩景-5

2013年05月23日 00時54分35秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
自分は関東の生まれだが、宮城県に26年もいると身体の造りが東北仕様になってくるらしい。
今自分のの皮膚感覚だと、気温が10度にとどくような日にはダウンジャケットは有り得ない。それが横浜ー鎌倉ではよく見かける
おそらくこのまま仙台にもどっても、ダウンジャケットを着込んでいるひとは鎌倉より少ないだろう。

きっと関東の人は暑さより寒さのほうが苦手なのかもしれない。あくまでも東北の人と比べた場合だが・・・。
・・・ということは、こちらの人たちは東北の人よりも暑さに身体が順応しやすいということか。これからの季節はちょいとうらやましい気もする。

さて、杉本寺を下ってまた金沢街道を八幡宮の方へもどってゆく。
途中の「杉本観音」というバス停から鎌倉バスに乗るつもりだった。

でも寒い。
立ちんぼはツライ。
寒さに比較的つよいはずなのに、日陰でじってしていて風に吹かれているだけだとさすがにシンドイ。
ダウンジャケットを着て歩いている人を見ると、なんだかそれが当たり前のようにも見えてきた。

「しゃあない、歩こうか」
一瞬、沈黙
「歩こうか」子供たちが応じてくれた。

結局この日は、雪ノ下まで戻り、大佛次郎(おさらぎじろう)旧宅カフェでお茶しようとしたけど高くて断念し、そのままアテもなく八幡宮まで来てしま

い、そのまま小町通りまで行き、ピロシキのお店が閉まっていてまた断念し、結局近間のお団子やさんでやっと休憩することができた。

さすがに子供たちもBELAちゃんも無口・・・。
鎌倉って、歩くトコだねぇ。
この時点で午後3時を廻っていた。

ここまできたら、せっかくだから行こうというので向かった先は「鏑木清方記念館」。
近代日本画の巨匠、とりわけ美人画がスゴイ人。大佛次郎と同じく、鎌倉を愛した。
同時代に上村松園という、これまた美人画の大家がいる。どちらも薫りたつような麗人を描く。

大人は目の保養になったが、次男坊はかなり参ってきたようす。
記念館を出たところでビニール袋に吐いてしまった。

今日はココまでだね・・・。
時間は午後5時を過ぎていた。

足も自然とお宿に向かった。
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鎌倉漫歩景-4

2013年05月09日 13時27分18秒 | Weblog
鎌倉の景観を語る上で、どうしてもはずせないのが「やぐら」。

「やぐら」と言うと、盆踊りの中心にある櫓とかを想像してしまうが、鎌倉の「やぐら」は、むしろ岩窟である。
鎌倉のあちこちに露出している崖の岩肌に穴を掘る。人が屈んで入れるくらいの高さ、奥行きはさまざまだけど、深いもので四畳半くらい、かな? 狭いものならば畳一枚を横長に敷いたくらい。そこに五輪の塔や宝框印塔などが置かれている。
五輪の塔は鎌倉期から流行した墓石。ということは、これらは鎌倉期以降の墓という解釈でよいのだろう。必ずしもすべてかどうか判らないが。
地面にはお骨を納めたとされる小さな穴があるという。きっと火葬だろう。

正直、やぐらの前に立つたびに、言いようのない不気味さを感じていた。あれに慣れるのには時間がかかると思う。

まず鬱蒼としたたたずまいにドキリとする。
断崖だから圧迫感もある。崖のところどころ苔色になっているのも怖い。地層から水が染み出しているようだ。そのまま小さな水の流れを形成しているところもある。
おそらく水が土砂を運んで出来た堆積層なのだろう。地震が原因で隆起したのち、海が侵食して断崖が生まれたか。きっとミルフィーユのようにモロいのではないか。
モロいからこそ玄室のような洞窟が掘れる。洞窟にさらに小窓のようなくぼみをつけてお骨を合葬するところもある。いずれにしろ外から丸見えの墓室がそこにはある。しかも遮るものとて無く、安易に立ち入れてしまう状態なので尚のこと戸惑ってしまう

さて、報国寺を下って滑川に出る。これまで鎌倉宮、金沢街道、田楽辻子の道、報国寺、そして滑川と、結構歩いている。
このあたりは川っぺりを護岸加工したというより、県道の道幅を広げるために川の上にかぶさるようなデッキを設けたように見える。デッキの下には、そのままの川床があり、魚も水鳥もいる。小川だけど豊かな生態系を残せているのかもしれない。

橋を渡り、対岸の山を目指す。
ここに杉本寺がある。鎌倉最古の仏像、三体の十一面観音を安置している。天平から平安期にかけての仏である。
白い幟がずらりと並ぶ、苔むした階段をえんえんと登り、途中に弁財天を拝む。
ここも「やぐら」のようだ。水が湧き出していたので弁財天をお祀りしたのだろう。
そもそも今のぼっている石段は、かつて砦の城壁であったようだ。ここから本堂の裏手の山全体が杉本城ということになっている。時代は南北朝の頃。「太平記」にここが攻防戦の舞台になった記述があるという。よくまあ仏様が焼けなかったものだ。

石段は途中から柵で登れない。この先は崩れやすいのか。案内に従い脇階段を通って台地に出た。
17年ぶりの杉本寺。
お堂のたたずまいが変わっていないのがうれしい。でも屋根の一部にシートをかけている。雨漏りだろうか。

確かに観光地ではあるのだが、同時にここは霊場でもあるのだ。湿り気のある風と、あたりに漂うお香がそれに気付かせてくれる。

一礼してから本堂へ上がる。
前立ての観音様を拝み、それからクツを脱ぎ内陣へと進む。内陣の奥にコンクリートの覆屋があり、そこに分厚いガラスがはまっている(この、コンクリの厳重な保管と、煤で真っ黒くなった本堂の梁とのギャップがすごい)。鎌倉最古の仏像はその奥に安置されている。縁起によれば、天平期に行基菩薩によって刻された十一面観音菩薩と、さらに慈覚大師による十一面観音菩薩、そして恵心僧都による十一面観音菩薩と、まるで三役揃い踏みのようなものだ。いずれも国または県指定の重要文化財である。厳重なカプセルに格納しているのも「さも有りなむ」というわけ。


さて、本堂を出ると、敷地の右に五輪の塔がずらりと並べられているのが見える。これは、もしかしたら、戦争で死んだ鎌倉御家人たちはないか。または寺域を整備するときに発見されたやぐらの中にあったものか・・・。

本堂の周囲をみると、やっぱりここもやぐらでいっぱいだった。
それぞれの墓誌があるわけでもないので、誰の墓なのかさっぱりわからない。武士なのか坊さんなのかもわからない。
ご住職さんはこんなところで勤行していて怖くないのか、と子供のようなことを考えてしまう。

ぐるりとお堂の周りを見てから、お堂の左脇の細い上り坂へ数人向かうのを見た。
なにがあるんだろう?
そっちへ向かってみた。
踏み石のある細い上り坂。断崖の上を渡るように続いている。
途中で眺めのよいところに出た。

で、それっきり・・・。
道は民家へ向かっていただけ。

なんだこりゃ?

あとでその道が杉本砦の城壁であろうことに気が付いた。
きっと物見をしたところだろう。

このへんの歴史と地理にもっと詳しければ、何て事ない細道でも十分に楽しめるのだろうか。
なんか、勿体ないことをした・・・。
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鎌倉漫歩景-3

2013年05月03日 23時31分04秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
さて・・・。
鎌倉宮をでて、しばしの思案。
そこそこ寒い。
東北から来たけど、今日の鎌倉は寒いと感じる。
歩けば少しは暖かくなるだろうか。

荏柄天神さんの方へ戻りつつ、金沢街道へ進行方向を変えるつもり。
道すがら大きな桜の樹に出会った。今年の桜はちょっと白っぽいかなぁ・・・。
開花時にお湿り(雨)がなかったのだろうか。それともこの花曇りのせいで鮮やかに見えないのか・・・。

よくわからないが車道に出た。県道らしい。けどなんか道が狭いんじゃないだろうか。クルマがギリギリすれ違っているように見える。。

しかしよく考えてみれば、実際の車道が極端に狭いわけでもない。だいいち県道だから、道路の幅にも一定の条件があるはず。どうも周囲の圧迫感が「狭い道」と錯覚させているんじゃないだろうか。
周囲の塀が高いのか、逆に周囲の敷地に対して車道が沈み込んでいるのか・・・。
そもそもここは、川(滑川)が地を穿ってできた道だろう。「水流が地を穿つ」ということは、そこが岩盤の割れ目である可能性が高いのだが・・・。

滑川沿いの県道を歩きつづけ、やがて「浄明寺」というエリアに出た。
そぉいえば、ココ見覚えがある。
それもそのはず。17年前に行った杉本寺がこの近くである。
あのとき滑川の川面を見ながらバスを待ったっけ・・・。

川の向こうにはガイドブックに載っていたお穴子料理のお店がある。
当然、お客がずらりと並んでいる。
当然、テレビカメラも回って・・・、え?テレビカメラ!?

地元テレビ局が取材に来てる。きっとゴールデンウィークに向けて何か番組作っているんだね。
実はここでお蕎麦か何かでも食べたいなと思っていた。けれど、お客の行列と、テレビカメラと、そしてこの肌寒い気候にすっかり萎えてしまった。
ディレクターと思われる人が近づいてきた。コメントを撮らせてくれという。
こっちは親子四人のいかにも旅行客。「有名なお店なので遠くから食べに来ました」的なところを撮りたいのだろう。
けど・・・、ごめんね。なんか入る気しなくなっちゃった・・・。

お店に入りそこなって、ちょっとみんなの表情が曇った。
完全にオレ儘ですね・・・。でも寒いから立ち止まりたくなかったんだ。

そのままワキ道に入り、山すそをぐるりと回って(田楽辻子の道-でんがくくずしのみち―でした。)報国寺に出た。
田楽辻子の道は後日になって鎌倉の古街道であることを知った。散策するにはとてもいい閑静な径である。

報国寺はけっこう人が来ていた。
名前はすごいが寺院というよりは草庵のたたずまい。「竹の寺」とも言われる。
鎌倉-室町期の騒乱を起こした武士達の墓所でもある。

鐘楼の豪胆な太い柱(とういうよりは幹)に武士の菩提寺らしさを感じる。
しかし、木戸口からお庭の方へ足を向けるとおもむきはがらりと変わる。

さすが竹の寺である。
目に入るものはすべて竹竹竹竹竹竹。
雑念さえも沸いてこないくらいにまっすぐに竹竹竹である。
ときどき竹にラクガキがあってガッカリするが、だんだんそれも気にならなくなるほどの竹竹竹・・・。

水の音が聞こえる。やがて崖の斜面が見え、そこに浅く掘られた洞があり、墓石らしい石塔が建っている。そばを小さな滝が落水していた。
鎌倉らしい、「やぐら」と水の風景である。

崖のそばのお水屋でお抹茶をいただいた。
鎌倉彫りと思われる重厚なお盆に干菓子が載っている。菓子を口に入れて、お茶を啜った。
(ホントは身体がすっかり冷えていて、とても茶一服では暖が足りなかったけど)

外国人の団体さんがどどっと来たので早々に席を立つ。
崖はずうっと竹林をとりかこんで続いている。
陽だまりのある方へ歩を進めると、そこにひときわ大きな洞が口をあけている。
やはりなにか寿塔のような石が積んである。

その昔、足利の何某という人がお寺で自害している。もしかしたらそれはこのような「やぐら」であったかもしれない。
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