放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

「ぽぽぽぽぽ ぴ」

2007年02月28日 13時12分33秒 | Weblog
 保育園から五味太郎さんの絵本「ぽぽぽぽぽ」を借りてきました。
 暗に次男Mクンをひらがなに馴染ませようという事で。

「MクンMクン、この字ね『ぽ』って読むんだよ」
「ぽ?」
「そうそう続けて読んでごらん。」
「ぽ・ぽ・ぽ・ぽ・ぽ!」
「うまいうまい! じゃあ一緒に読んでみようか。」


ぽぽぽぽぽ ぽぽぽぽぽ

「上手だねぇ。汽車さんが走っているんだよ。次も読んでみようか。」
「ツカレタ、パパ読んで。」
ちっ、ここまでか。

ぽぽぽぽぽ ぽぽぽぽぽ

「ぐんぐん走っているんだよ。」
「ホントだぁ。」

ぽぽぽぽぽ ぼぼぼぼぼ

「おおっ、坂道になったら力強くなったねぇ!」

ぼぼぼぼぼ ととととと

「いきなり下り坂だ。大変大変。おっとととと。」

ぽぽぽぽぽ ぽぽぽぽぽ

「はい、平らになりました。お、トンネルだ。」
「トンネルだぁ!」

ぽぽぽ ぽぽぽ

「ゆっくり入っていくんだねぇ。暗いからかな?」
「しぇまいんじゃない?」

ぽぽぽ ぽぽぽ

「お、出てきた出てきた。」

ぽぽぽぽ ぴ

「あれぇ」
「客車が外れちゃったよ。」


 五味太郎さんの絵本はボケるところでしっかりボケるから好きです。もしもJRでこんなこと起こったら大変だろうけど。すらっとぼけてこういうこと描けるんだから絵本て罪がなくていいですよね。
 「ぽぽぽぽぽ」はまだまだ続きますが、著作権を侵したくないのでこの辺で。でも、ひらがな数文字でムダなく情景を表すのはさすが五味太郎さん。
 結果、Mクンは「ぽ」と「ぼ」を覚えました。パチパチ。
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太鼓の法被

2007年02月26日 01時02分47秒 | Weblog
 昨年暮れから、長男は加茂綱村太鼓さんのこども教室を受講させてもらっていました。
 本来ならば年度当初からやるべきだったんですが、たまたま受講生枠に空きがあるということで特別に入れてもらったのです。

 幼稚園の頃から太鼓を聴くのがダイスキだった長男Yクン。それもあこがれの加茂綱さん。ところが実際フタを開けてみれば「聴くのと演るのと大違い」というギャップに途方に暮れるところからのスタートだったのです。

 なにしろ受講生たちはみんな3年も4年も太鼓を叩いている子供たちばかり。バチの握り方も知らない長男が練習に付いていけるわけが無いのです。付いてゆくどころか、たびたび演奏を中断させてしまうほどのマズさ。まさに「末席を汚す」とはこのこと。

 とにかく「口唱和」で手順を覚えてこよう。
 ところがパートを間違えて覚えてきたのでまたまた練習を中断させる始末。親子共に不覚を取り、顔から火が出るような想いをしました。

 結局、加茂綱さんのレパートリーである「華舞」は覚えられる段階に無いのであきらめることになり、もちろん課題曲の「三宅」もダメ。同じく課題曲の「祭り」だけなんとかしようということになりました。

 放菴ではイスにダンボールをくくりつけて太鼓に見立てて毎日練習しました。12月から受講して、口唱和が出来るようになったのが1月末。合同練習にひぃひぃ言いながらもようやくバチを振れるようになったのが今日(2月25日)のことです。
 何度か「大丈夫?辞めてもいいんだよ?」と訊きましたが、その都度長男は黙って首を横に振るばかり。粘り強いところがこの子の最大の長所かも。父親ながらも彼に学ぶところがありました。
 
こども教室の最終日は発表会となっていましたが、多分みんなと一緒に本番に立つことは無理なんじゃないか、たとえそうなっても、Yクンをいっぱい褒めてやろう、そう、思っていました。

 そうしたら、なんと来週の発表会に出れることになったんです!一曲だけだけど、みんなと一緒に本番に臨める。これはすごい経験になるかもしれない。

 今日、「加茂綱村太鼓」と染め抜かれた法被を渡されました。

 ・・・感無量です。
 え? 大げさだって? 何をおっしゃる。ただでさえ不器用な長男がここまで太鼓を叩くようになったことだけでも充分感に堪えないってのにあなた、発表会に出てもいい、って会長さんが言ってくれたんですよ。親バカの僕がここで感動しなかったら、この三ヶ月間、息子の何を見ていたんだ、て話になるじゃないですか。

 Yクン、ほんと、よくがんばった。

 発表会は翌3月4日10:30から 桂市民センターにて。
 ラストスパートだ。みっちり練習します!
 ドンカメ一発で合わせような!
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放菴の特集どうしよ?

2007年02月24日 01時01分42秒 | Weblog
 んわわーーー・・・。
 結局、このままでいくと2月分の放菴の特集をサボっちゃうことになるのかなぁ。

 1月の特集(YMO)もなんか時間切れでムリヤリ結論(コジツケだろ!あれ)を引っ張ってきちゃったカタチだし(なんか書き足りなかったんですよねー)。そのすっきりしない感覚が結局2月のネタ決めにも影響しちゃった感じです。(1月の特集を2月にそのまま書きつづけようかどうしようか、ってところから迷っちゃいました)

 3月はどうにかネタ決めて書くようにしたいです。で、多分4月は書けません。年度明けは多分ひぃひぃ言ってシゴトしているはずです。ブログもまともにかけるかどうか・・・。

 そうそう、最近パチンコ屋の宣伝が気になっています(商売ウマいよなぁ)。
 「ウルトラマン」に「キャプテンハーロック」に「エヴァンゲリオン」!?
 ハマるひとは無茶無茶ハマるんでしょうね。
 前二者は知っているけど、「エヴァ」はまるっきり知らないんですよね。どっかでビデオ借りて観ようかしら。ある哲学者が「エヴァ」を題材にして「人類補完計画」とやらを説明していましたっけね。
 アニメは「ガンダム(初代)」が限界。「Z」とか「ZZ」はストーリついていけなくて断念。そのせいかなぁ「逆襲のシャア」観てもストーリーいまいち解らなかったです。
 「マクロス」もヒロインの顔が濃ゆいなぁ位の認識しかない。
 アノ頃、オレって何がすきだったのかな・・・。年齢的には十代中~後半ですよ。だけど何好きだったのかって訊かれるとよく思い出せない。よっぽどツマンナイ時間を過していたんですね。

 さぁてね、3月の特集は何にしよう?
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工賃の問題

2007年02月22日 13時55分02秒 | Weblog
 んー、神戸の社会福祉法人の報道を聞くと、背筋が寒くなります.
 不明瞭なこと、議論をさらに尽くさなければならないこと、みんなごっちゃにして「クロ」と断じて報道されている気がしてならない.そして、そのことが、障害者の作業所や施設に対する悪い偏見に間違いなく繋がってゆく。とっても危険な報道です。

 まず「補助金1400万円」の性格について情報が足りない。どういう目的の補助金なのか?
 措置費、支援費、給付費の類いであれば、職員の給与、施設整備に使って問題はないはず(というか、これが施設の運営費なんです!)。利用者へ支給することもできますが、ほんらい生産事業とは区別され、工賃として支給されることはないです。生産事業を援助する目的の補助金(ってこんな莫大な金額になるかなぁ?)であれば・・・、行政の指示どおり使っていなければマズいですけど。

 次に労働基準監督署が指摘する「賃金」ではなく「工賃」である場合の条件。
 これはもっともっと議論を尽くさなければならない部分。

 まず①「利益を利用者へ100%還元」。これは当たり前です!「授産施設会計基準」が制定される前から行政監査で指導されてきた部分。ここは遵守して初めて授産施設になるのです。(ただし、新しい会計基準では、全額工賃に廻さず「工賃資金」や「備品整備資金」として積み立ててもよいとされていますが)
 
 つぎに②「利用者の出欠、作業時間、作業量等の自由であること」。・・・ホントは拘束時間を設けないと出来ない仕事ってあるんですけどね、ウチの法人は利用者の自由です。利用者は1日6時間作業訓練に従事。週30時間です。休憩あり。水飲みも自由。そんなにキツくないと思いますけど。
 利用者の出席を促す活動ってのもやっていかないと施設の存亡の危機が待っているんですけどね(運営費が利用者の出席日数に準拠するもので)。

 ③「指揮監督を行わないこと」。
 ってまあ百歩譲ってこれも理解できます。技術的指導だけはしてよいという条件でね。でもそれと「出席による工賃の差をつけない」ことは別にしてほしかったな。ウチは「出席した人で収益を山分け」っていうの原則だから、出席率で工賃に差はついちゃうかな、結果的に。

 ④「利用者の技能に応じて工賃の差別が設けられていないこと」
 これはサイアクですね。技能を修得した者を評価しなくてどこに「働く喜び」とやらがあるんですか? 技術指導のイミさえないじゃないですか。

 出席や技能の応じた工賃の差がなくなれば、サボる利用者が続出します。サボったモン勝ちでしょう、それって。だって同額のお金が支給されるんだもの。毎日サボって工賃の支給日だけニヤニヤして現れる利用者を想像してごらんなさい。それを是認するならば授産施設はたんなる甘やかしの温床です。それ以前に事業を維持できません。

 報道で槍玉に上がっている法人さんの肩を持つわけではなりませんが、理事長さんの当惑も想像できます。こんなんじゃやってられません。

 授産施設(法律上はもはや名称は消滅しています)はただでさえ中途半端な存在です。
 能力に応じた生産活動を行い、儲けたわずかなお金をみんな(職員以外の利用者)で分け合っているだけなのです。最低賃金法どころの話ではありません。ウチの法人では時給に換算すれば100円にも満たないでしょう。それでも利用者が体の動かせる部位を最大限活用して一つ一つ作ったものを売っている。一つ売れればわあ、と喜び、今度はもう少し多めに作ろうねと話し合う。まるで賽銭箱のような売上を施設に持ちよって、みんなで分けあっているのです。「賃金」と解釈してよいだけの売上があるなら喜んで労働者名簿も賃金台帳も作成します。そこにいけなくてもがいているこの業種を、行政やマスコミはどれだけ理解できているのでしょうか?

 
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角膜のこと

2007年02月18日 23時58分43秒 | Weblog
 先週、長男が両目を真っ赤に腫らしてしまい、学校へ行けなくなりました。流行性の結膜炎と診断された為、そして、角膜にキズがありコンタクトレンズを入れることができなくなった為です。
 紆余曲折の結果、「流行性」には「?」マークが付き、やがて「アレルギー性」に表現が代わりました。そのころ長男の目の充血はすっかり引いて、角膜の傷も治りました。それまでの四日間はずっと裸眼で過していたのです。
 実はBELAちゃんも去年から角膜の衰えに悩んでいます。幸い失明に至るにはまだ猶予が与えられているようですが、それでも角膜の損傷はコンタクトレンズ常用者にはつらい出来事なのです。

 目の病気のために幼いうちに角膜の裏側を手術したBELAちゃん。
 同じ病気で同じ手術をして、以来コンタクトレンズを装用しつづけている二人の息子達。

 角膜の疲弊はおそらく人一倍早いのでしょう。BELAちゃんの手術は、角膜を切開して奥の水晶体を除去した手術です。当然角膜の深層部(細胞が再生しない部位)にダメージがあります。一方、子供たちは瞳の周辺部に微細な注射針を刺して水晶体を吸引しました。なので角膜深層部へのダメージは少ないのですが、BELAちゃんと違い手術直後からコンタクトレンズを装用しています。どちらも結果的に角膜を酷使しているのです。
 角膜は磨耗が進むと透明でなくなります。小さな傷でも透明度が低下します。細胞が再生する部位の傷ならば回復の可能性はありますが、細胞が再生しない深層部に一定以上のダメージが生じると、目がかすむようになり、やがて光を失います。
 BELAちゃんや子供たちが「見えることへの挑戦」を続けているなかで、一生悩み苦しめられる問題のうちの一つが角膜の耐久性なのです。
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Varantine in Blue

2007年02月15日 13時28分52秒 | Weblog
 まるでジャズのタイトルのようですが・・・。

 2月14日。オトコノコの一番ドキドキな日だというのに、Yクンは両目を真っ赤に腫らしてしまい、学校を休みました。
 眼科受診をしたら、両目の角膜が傷ついていて感染症を起こしているとのこと。
 コンタクトレンズは当然装用禁止。動き回れないYクンはストレスで嘔吐まで・・・。
 
 あーあ。かわいそうに。 
 もしかしたら、バレンタインのチョコを用意していたオンナノコもいた(?)かもしれないのに、最悪の日になっちゃったね。 
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鬼剣舞

2007年02月14日 13時25分08秒 | Weblog
 BELAちゃんの展覧会の準備を(当り障りのない範囲で)手伝ってゆくうちに、僕の好奇心にヒットする案件がいくつか出てきました。
 一つは秀衡街道。もう一つは修験道です。

 秀衡街道は、その謂われはハッキリしませんが、一説には平泉に至る南北の古道であるといいます。現在残っているのは、水の森市民センター前から山中をとおり丸太沢~明泉学園ウラから北環状線に降りたあたりまで。かつてはさらに北上して七北田川を渡り野村(というかシェルコム仙台の東側)、将監へと登っていったものと想定されます。
 
 この野村に須賀神社があります。そこにかつて鬼剣舞の伝統があったというのです。 
 どの系統の鬼剣舞であったかは不明ですが、密教系修験道のニオイがぷんぷんします。こういう話ダイスキなんです。日本古来の神々と古代仏教とを練りに練り合わせて醗酵させたような文化にはむらむらとした魅力があります。
 ただ、まあ出しゃばれない立場なので(展覧会の主題からも逸脱してしまうし)、静観するしかないのですが、できればもっといろいろ解明されるといいな、と思っているのです。
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不思議なこと

2007年02月08日 10時31分06秒 | Weblog
 ある雑談の中で、白石市の武家屋敷の話が出ました。武家屋敷とはいえ、中~下級武士の旧宅で、まるで映画「たそがれ清兵衛」のロケセットみたいな藁葺き屋根の家です。
 
 それでふと思い出した不思議な話があります。

 今から5~6年前のことでしょうか。まだM-クンが生まれていなかったころ、つまりYクンがまだ一人っ子のころの話です。
 白石の武家屋敷は白石城の北側、外堀添いにぐるりと廻ったところにあります。僕たち三人(COZY、BELA、Yクン)は冬にここを訪れました。
 昔の家って、どこか凄みがあるものです。柱の太さ、小上がりの材の厚み、そしてきいんと澄み切った土間の空気。天井が高いから、頭や背中に冷気が降りかかるような寒さです。

 Yクンは3~4歳。飽きてきても困るからと、早々に引き上げて堀(沢端川?)沿いの道にでました。
 「?」
 ふと気がつくとYクンが付いてきていません。振り返ると、後ろの方でぽつんと立っています。
 「Yクン?」
 いままで見たこともないような大真面目な顔しています。そして、そのまま地面にきちんと正座し、両手をつきました。

 ― なんか様子おかしいんじゃない? ―

 慌ててYクンのもとへ戻る二人。
 「Yクン?」
 どこを見ているのでしょう、まっすぐ正面を黙視したままです。
 「Yクン!?」
 肩に手をかけると、「ん?」というふうにこちらを見て、それからニコニコして抱きついてきました。
 
 ― なに、今の? ―

 未だにあれがなんだったのかわかりません。本人も覚えていないようです。
 もしかして昔にああいう情景があって、たまたまそこを通りかかったYクンがシンクロしちゃったのかしら、と非現実的な想像したりしています。
 そういえば、あの子、妖精がみえるんだったっけね。依童(よりわら)の素質があったのかしら。それにしても悪いことが起こらなくてよかった。
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豆まき

2007年02月07日 12時56分57秒 | Weblog
 2月に入りましたねー。
 さて、2月最初の行事といえば「節分」。放菴でもやりましたよー。
 放菴の豆まきは南京豆。あとで拾って食べるため、殻つきのまま投げます。その日食べる分のほかに、少しだけ残しておいて、その年で最初に雷さまが鳴る日に食べます。そうすると、1年間、健やかに過ごせるそうな。

 放菴の豆まきは「福は内、鬼も内」です。鬼も入っていいんだよ、暴れなけりゃね。
 保育園で「鬼は外~」と歌付きで刷り込まれているM-クンはかなり混乱していたようす。
 なかなか対応できず、パニ喰った挙げ句に「豆は内!」とのたまう始末。
 笑える豆まきになりました。
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