放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

永井苛風「深川の唄・歓楽」(新潮社)

2013年09月10日 01時23分34秒 | やさしいごちそう
その昔「無用者の系譜」という本を読んでから、ちょっと敬遠していた永井苛風。
それでも本棚からちょっと顔を覗かせていたもんだから思わず手にとってしまった。

もともと資源ゴミとして文庫本数冊まとめてヒモでくくられていた。勿体ないと思い、持ち主から括られたまま戴いたら、そのうちの一冊が永井荷風だった。ほかに池波正太郎、堀辰雄、司馬遼太郎などいろいろあって、暇ができたらゆっくり読もう、なんて有りもしない余暇を期待して本棚に載せておいたのだ。

たいしてホコリも被っていないからそんなに昔の話ではない。せいぜい今年の梅雨入りの頃だったかと思う。

もう表紙もなくなっていて、事務用の茶封筒のような色した表紙に手垢がにじんでいる。表紙が失われているのは残念だが、この傷み具合はそれなりにいいものだ。久しぶりに読書小僧になってみるか。

ページを開いたら、懐かしい昭和の明朝体。それも新旧かな書体。「ゝ」とか「ゞ」とか出てくるし、促音も「っ」ではなくて「つ」をそのまま使っている。「出よう」は「出やう」、「いちょう」は「いてふ」。「ありがとう」は「ありがたう」。

これは貴重な・・・!

ページもどことなく茶色掛かっているし、差別用語はそのまんま。
いや差別はよくないが、荷風なんだから当然口が(文章のガラが)悪い。それに当時の風俗をナマナマしく伝えていることでもある。「婆芸者(ばゞあげいしや)」くらいならいいだろう。言われた当人の苦労は想像しかねるが、とっくに成仏しているんだろ。

臆せず辛辣、しかも江戸っ子らしいカラッとしたリズム。なによりも怒涛の語彙量である。口の悪さに平行しつつ、一方で不遜にも痛快さを感じてしまう。こういう文豪はこれからの時代もう出てこないだろう。
東京が、山の手と下町と二つの文化を持っていた時代、すなわち「明治」という面影を色濃く持っていた時代を、住みにくい、堅苦しいと毒づきながら、それでも親しく咀嚼していた荷風の息遣いを、古本独特の雰囲気たっぷりな紙の上でゆっくり見られるのは、かなり贅沢な秋の夜の過ごし方かもしれない。

え? 本の内容について? いや、まだ読み終わってないし・・・。
コメント
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