放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

石田組!!(inふくしん夢の音楽堂)

2024年02月17日 11時17分08秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 いよいよお待ちかね。「ボヘミアン・ラプソディ」。
 透明感と虚脱感織り交じる前奏から名曲は始まる。バランス完璧、音程、タイミングともに微塵も歪んでいない。
 こりゃすごいや・・・。

 とその時、身体に異変が起きた。
 喉の奥からこみ上げるヒリヒリした痛み。
 激しく咳き込みたい衝動に駆られる。

 しまった。

 コロナウイルスに感染してからときどき咳き込むことがある。咳はなかなか無くならない。
 でも今日はこれまで不思議と咳き込むことはなく、むしろすっかり忘れていた。
 
 油断した。みんな集中して聴いているのに、ここでゲホゲホやったらすごい睨まれる。
 
 とりあえず息を止めてみる。
 咳き込む衝動は抑えられるが、目から火花が出るほど苦しい。
 こりゃダメだ。

 小さく息を再開。小さい息ならば咳の衝動はそれほど強くない。
 一生懸命ツバを飲み込んでみる。                          
 本当は水を一口ゴクリと飲むと咳はおさまるのだが、ここでゴクリはマズい(ってか水持っていないし)。

 曲はまだワンコーラス目。こりゃ長いぞ。

 小さく咳払い。といってもエヘン、と音を出すわけにもいかない。喉の奥をこするように息を出す。ツバ飲みと咳払いを何度も続ける。こうして少しずつ咳の衝動を遠ざけることに成功した。
 やっと息が吸える。酸欠で周りが暗い。あ、そもそも暗いんだ。でも一層暗い。
 もうオペラパート終盤きてるじゃないか。くそコロナ。

 名残惜しむように集中してボヘミアン・ラプソディ後半を聴き(却って世界観に入り込めた)、終わった瞬間、拍手鳴り止まぬうちにゲホゴホゲホゴホ咳を吐いた。
 BELAちゃんびっくりして見ている。
 「いやぁ、咳が・・・。」
 「大丈夫?」
 「なんとか。」
 またひとしきりゲホゴホ。

 疲れた。
 今日イチの危機だった。

 石田組の盤石かつ上質な演奏は続く。
 エンディング、オアシスの「What Ever」。
 小気味良いリズム、手拍子も入り、気持ちいいひとときが終わりに近づいている。 
                                      
 お客さんの「帰らないで!」コールが笑いを誘う。うんうん、そうだね。
 次は9月に仙台だそうです。仙台のどこ?

 終演後、すっかり暗くなった町を国道6号線に向かう。
 福島駅行きのバス停は長蛇の列。増便はないらしい。
 仕方がない、寒い中並びましょうか。
 北へ南へ東へ西へ。お客さんの帰路も様々。在来線で帰ろうか、特急が出ているか、など方方から聞こえてくる。ちなみに僕たちは在来線はあきらめて新幹線になりそう・・・。

石田組!(inふくしん夢の音楽堂)

2024年02月14日 00時37分19秒 | 観劇日記
2024年1月27日。福島・「ふくしん夢の音楽堂(福島市音楽堂)」に石田組のコンサートを浴びに行きました。
 
 福島駅からバスの乗って音楽堂を目指す。
 このバスの運転手さんがとても丁寧。
 「皆さん、今日は音楽堂のコンサートに行かれるんですよね」
 はい、普段よりも乗り具合が多いようで。
 「音楽堂へは〇〇バス停降りましたら左へ行くと近いですよ。帰りは向かいのバス停から駅へ行けますんで。」
 なんて親切・・・。
 タクシーの運転手との会話であれば、このくらいパーソナルな応答はしてくれるだろう。ところがこれは乗合バス・・・!
 バスって他にアナウンスしなければならないことが多いから、それ以上案内できる余裕なんて無いと思っていたけど、この対応はすごい。予め今日はこの路線を利用する人が多いことを把握し、どういう案内をすれば役に立つかという配慮を考えてくれたのだ。仙台ではコンサートあるからってこんな対応してくれるかどうだか・・・。

 さて夢の音楽堂は古関裕而記念館に隣接している。古関への顕彰の意味合いが強い。
 一度中に入ってみたかった。ふくしん夢の音楽堂の大ホール。

 天井高い・・・!
 正面には巨大なパイプオルガン。
 ゴシック建築のピア(束ね柱)を思わせる垂直の装飾壁。それがパイプオルガンを真ん中にずらりと並ぶと、まっすぐ伸びるオルガン金管パイプがさらに際立つ。 
 カトリック聖堂みたい。
 
 時間とともに客席が人で満ちてゆく。
 みんな公演についての期待を仕舞っておくことができず、誰彼ともわならない声が今日の話題を口にする。それがさざめく波のようにホールのあちこちから湧いては消え、また湧いて消えてゆく。
 まるで開演前のルーティン。
 
 間もなくブザー。
 登場する10人の演奏者。もちろん最後にゆっくり出てくるのが石田組長さん。
 今日もカッコイイ。

 弓を構えると小さくチューニング。ホントにちょっと音を出すだけ。これだけで10人の音色がピタッと合ってしまう。これはもはや調律というより規律に近い。
 すぐに音楽が始まる。冒頭はシベリウス「アンダンテ・フェルボージョ」。仙台で聴いて以来すっかり大好きになった一曲。
 
 おや。

 音が深い。リバーヴが効いている。
 「アンダンテ・フェルボージョ」が別物に聴こえる。
 これがこの音楽堂の特徴なのか。

 きっとこの音楽堂はパイプオルガンの残響をより深くするために設計されているのだろう。
 音楽ホールによって音の響きが違うということなのだろうけど、おんなじ奏者でおんなじ曲を聴き比べるなんて滅多にできる体験ではない。すごくおもしろい。
 
 きょうもプログラムはさくさく進む。
 前半はノーМC。こういう小気味よさはクラシック慣れしていない自分にはありがたい。

 大好きな「アンダンテ・フェルボージョ」に「ニュー・シネマ・パラダイス」も聴ける。
 でも今日の最大の楽しみは、なんと「ボヘミアン・ラプソディ」。
 言わずと知れたクイーンの名曲。
 とにかく石田組は音がキレイ。だから一層楽しみ。(つづく)

武雄のレモングラス

2024年01月18日 23時55分47秒 | Weblog
 コロナ罹患から10日以上たった。
 もう隔離も終了し、社会復帰もできた。

 ただ、咳が出る。

 痰が絡むわけでもなく、息がしづらいわけでもない。
 ほとんど空咳というやつ。
 喉を潤したり、のど飴で咳を抑えようとするが、喉をむせ上がってくる衝動はかなり強く、思わずゲホゲホしてしまう。
 寝ていても突然この衝動がくるので、睡眠も断続的になる。
 漢方薬で効きそうなものを使ってみようと思う。

 嗅覚はほとんど回復した。
 レモングラスのおかげ。
 回復するまでに、焼き魚を1回、鍋を1回、焦がした。
 どちらも焦げる匂いがわからなかった。 
 コゲているのが判るようになるまで1週間くらいかかった。
 
 嗅覚が回復したとはいえ、以前のように戻ったかどうかはわからない。
 たとえば、日本酒の香りはよくわからない気がする。
 あずきもちょっと自信ない。
 蕎麦もどうだか・・・。

 好きな食べ物で、香りが淡いものは意外と多い。
 それが香ってこないとなると寂しいことになる。
 まだ時間を要するということなのか。

 今でも寝る前には窓際のレモングラスを嗅ぐようにしている。
 もうずいぶん香りが抜けてきた。抜けてきていることは判るようになった。
 
 でも香りの向こうに小さな不安を感じていたことは覚えている。
 今更だが、気が張りつめていたいっぽうで、やはり不安だったようだ。
 新型コロナに感染したが、ちゃんと回復するのか、社会復帰できるのか、家族に感染させないか、不安だったのだ。

 もう少し、もう少し。
 今、体中にはコロナウイルスの残骸がいっぱいあるようだ。いまPCR検査をすれば陽性反応が出てしまう。ウイルスの残骸を検知してしまうからだ。こういうのを「偽陽性」と言うらしい。
 ウイルスの残骸が体内から去るのに1ヶ月くらい。そのくらい影響が残るということだ。

 もう少し、もう少し。
 今日もレモングラスを嗅いで眠りにつく。
 今も胸を離れないレモングラスの匂い。
 ・・・どっかで聴いた歌詞だな。

コロナに罹った3

2024年01月13日 13時56分25秒 | 肝苦りぃさ
新型コロナ罹患5日。

お風呂に入ることができた。
それまでは、朝夕に熱いタオルを持ってきてくれて、背中など拭いてもらっていた。
(ホントに病院並みの待遇です)
人間50歳の坂を越えると新陳代謝も衰え大して垢も出なくなる。
髪の毛もやや脂付いたがフケ・カユミ・脂臭などは無し。
といっても体臭などはよくわからない状態だが。
手指などは却って乾燥期の手荒れから開放されてよかったくらいである。
4日位ならお風呂に入らなくても大丈夫らしい。
とはいえ、お風呂。
温かい湯に身を沈めたくない筈がない。
そういう時には災害で何日も入浴できない人々のことを想う。

入浴順序は当然ながら家族が全員入った最後。
ちなみに脱いだ衣類も家族とは別に洗濯する。罹患初日からそうだった。
洗濯機を二回廻すことになるのだから、その負担にはやはり頭が下がる。

少し寒かったが、まず全身を洗い、それから浴槽に身を入れた。
温かい。
つま先、指の先の毛細血管まで温まってゆくのがわかる。
鼻腔もしかり。
奥の方までゆっくり開いてゆくような気がした。

浴槽に浮かんでいる柚子をすくい、鼻先にもってゆく。
何も香ってこなかった。
だめか。

もう一度ふかく吸い込んでみる。
お、左の鼻腔に何か懐かしい香り。

遅れて右の鼻腔からも遠く懐かしい香りがした。
柚子だ。
柚子の香りが・・・。

それにしても香りが遠い。柚子は目の前にあるのに、こんなにも遠い。
くそコロナ。

風呂から上がり、寝室へ。
ふと柚子に似た香りを嗅いだ気がした。
あれ、と思い、BELAちゃんが置いてくれたアロマストーンを手に取る。
今度は右の鼻から香りが届いた。
柚子とも少し違う。柑橘系だろうか。野生種のような香り。橙?橘?
筑波山のふくれみかん?

BELAちゃんに言うと、驚き、喜んでくれた。
でも柑橘系はハズレ。
「レモングラスだよ。武雄の。」
ハズレはくやしい。でもいい香り。

佐賀県武雄の陶土で作った小石のような素焼きに、同じく武雄産のレモングラスのエッセンスを滴下したものだという。
陶土は素焼きだが、下半分には空色の釉薬を塗ってある。こうすればエッセンスを滴下しても下から染み出すことはない。
上半分の素焼き部分からはエッセンスが少しずつ蒸発して香るという仕掛け。かなり長持ちしそうな仕掛け。
本当は寝室いっぱいにレモングラスが香っているのだろう。でも僕は素焼きを鼻先に持ってきてやっと検知できるくらい。

仕方がない、ゆっくり行こう。
仕事も再開しなければ。
多くの人に迷惑をかけた。

コロナに罹った2

2024年01月11日 19時36分04秒 | 肝苦りぃさ
新型コロナ罹患4日目。

やっと微熱が下がりはじめたが、夕方になるとやはり37℃を超える。
こういう体質は子供の頃から変わらない。

トイレに立って、ふと芳香剤の匂いがしないことに気がついた。
あれ

寝室に戻り、龍角散のど飴を口に含む。
いつもなら鼻腔に昇るハーブの香りがしない。

嗅覚やられた。
なんてこった。
新型コロナは何か爪痕残さないと気が済まないらしい。

鼻から空気を深く吸う。
空気の温度は分かるが何も匂わない。
のど飴が口の中でなくなっても、ついにハーブの香りはやってこなかった。

これが後遺症になるかも知れない。

BELAちゃんが心配してアロマを用意してくれた。
小さな素焼きの荒肌にアロマオイルを一滴染みこませてある。
何の香りかは聞いていない。
鼻を近づけてみる。
やはり香ってこない。

気長に恢復を待つしかないか・・・

コロナに罹った

2024年01月10日 10時05分39秒 | 肝苦りぃさ
具合が悪くなり診療所へ行くと、医者から新型コロナ陽性であると告げられた。

この感染症は4年前と比べると弱毒化が進み第5類感染症相当に移行している。けど防疫はしなければならない。僕は寝室隔離が決まった。

隔離を恨む話しをするつもりはない。
家族の適切かつ迅速な感染対策に驚き、感謝し、並以上の負担に申し訳なく思っていている。
常時換気、ペーパータオル設置、アルコールスプレー配置。
僕は寝室とトイレの往来だけ。あとは上げ膳据え膳、着替えの用意、シーツ、カバーの交換。病院並の対応である。
家族の予定もみんなキャンセル。
ここまでしてもらって家族に感染させるわけにはいかない。
腹括って療養生活に入った。

ノドの痛みは1日目で引いた。けど眉間のムカムカと頭痛がひどい。あとしつこい微熱。
眉間のムカムカと頭痛と微熱のせいで眼球から後頭部へクギ2本刺さっているみたいな不快感。
3日目に寝ていられなくなり、布団に座り込んだ。

寝室にはラジオはあるけどテレビはない。
あっても眉間のムカムカで見ていられない。
字も読む気になれない。
触るもの全てに菌を残留させてしまうから触ろうとも思わない。
なにもすることが無いまま座っているだけ。
なんとなく能登地震(2024/1/1発災)の被災地のことを思った。

あちらが大変な状況なのは言うまでもない。
きっと多くの方が寒くてテレビもないところで安否の判らない人を想いながらじっと座っているのだろう。
それはこんな風なのだろうか。
(あちらの感染状況が心配です)
目を閉じると耳ばかり澄んで、やたら外の音が気になる。
考え事ばかりしてしまうのは、時間が有り余っているから。
でも考え事にはやがて妄想がまじり、答えの出ないメビウスループができるだけ。
余計に疲れて落ちこむ。
思考が明るく正常化するには誰かに声を掛けてもらえる必要がある。

ウクライナでもガザでも今この瞬間に呆然と座り込んで、今いない人のことを想う人がいるのだろう。
まるで何かに閉じ込められたように、そこから抜け出せない。
時間の経過を待つしか無い。

かつて新型コロナに罹った家族が地域に住めなくなり引っ越しを余儀なくされた事案があった。
責められて自死した人もいた。
治療に当たった医師の子が保育所から拒まれる話も聞いた。
今のコロナ株とは毒性が違うのかもしれないが、あの時傷ついた人たちに、今の僕はなんて言ったらいいのだろう。
無知とは恥ずかしいこと。
今すでに危機や恐怖と併存していることを知らない愚かさ・・・
災害や戦災、感染症。
それだけではない。
もしも今、家族が急変し、認知症や感情障害になったとしたらどうなるか。
家族が突然暴れ、または目を離すと何をするかわからないようになったら。
その日から危機や恐怖と同居していることになる。
実際それに耐えながら暮らしている人は少なくはない。
そんな人たちには、近所にコロナ患者がいることなぞ恐怖のうちには入らないだろう。

現世(うつしよ)は苦界にて浄土にあらず。
それは壊れやすく、長持ちしない生命だから。
それこそが唯一の平等性だと気がついているくせに目を背ける指導者たちはなんて罪深いんだろう。

日常生活から離れ、想いは遠くを彷徨う。

石田組2023-The First Inpact

2023年12月02日 23時31分43秒 | 観劇日記
2023年12月1日、東北電力ホールにて19:00開演。
それは、おもむろに始まった。
シベリウス「アンダンテ・フェスティーヴォ」。
その瞬間に僕は天上高く舞い上げられたような錯覚に包まれた。

空はいちめんエメラルドグリーン、藍色、孔雀石色、あらゆる種類の青と緑がきらきらと鋸歯形、あるいはあらゆる抽象的なモザイクに編み上げられてゆく。たえず色彩は透明でうつろい、模様はゆらめく。天地というものはなく、ただひたすらに輝く空だけがうごめいている。

なんだこれは。
目を開けると、木目調の茶色いステージに黒い服を来た奏者が10人立っている。
(正確にはコントラバスとチェロ✕2の合計3人は座っていた・・・)
目を閉じると再びターコイズ色の光のモザイクが頭上を覆ってくる。

それが弦楽器の奏でる音から来る幻覚のようなものだと気がつくのにしばらく時間がかかった。
仕事帰りで直行したので確かに綿のように疲れてはいたが、こんな不思議な体験をするとは思わなかった。

その繊細で緻密な音は奇跡に近い。
これが形も大きさも制作時代も異なる弦楽器が一斉に奏でていることを思えば、奇跡の度合いはますます大きい。

クラシックのコンサートはほぼ初めて。聴き方もエチケットも知らない。
とにかく咳払いなどしないで、じいっと聴こうと思っただけ。
最初の一曲目からその鮮烈な世界観に一瞬で連れて行かれた。

石田組長・石田泰尚さんのことはNHKのコンマス特集の番組で知った。
その硬派(?)な風貌と繊細な音色のギャップに驚かされた。
で、BELAちゃんが石田組コンサート情報のリサーチを始め、仙台公演を察知。チケット確保に至る。毎度ながらBELAちゃんの「引き」の強さは驚異的。ありがとう。

前置き無しでおもむろに始まった演奏。
前半MC一切なしでプログラムがどんどん進んてゆく。
合間のチューニング(調律)も手早い。
勿体ぶっているところが一秒もない。
「とにかく聴け。そして感じろ」という風で小気味よい。
ステージは一切の飾りつけがない。照明も動かない。
楽器用のマイクもない。
ただ、名器と超一流の技術で紡ぐ音だけがホールを満たしてゆく。

この上ないほど贅沢なひと時でした。
弦楽器って、こんなに自由なの?こんなに表現できるの?

アンコールで「津軽海峡・冬景色」を、まさかのナマ声でご披露いただいたのは驚きました。
組長さん最高。会場も大喝采。

世の中にはまだまだいい音楽がいっぱいありますね。
であえてよかった。
来年の福島公演も行きたい!
パイプオルガンのあるホール「夢の音楽堂」へ!

追悼のRyuich Sakamoto

2023年04月16日 01時08分36秒 | Weblog
「The End OF Asia」のLIVE版が聴きたくなった。
ぼくはこれが坂本龍一の最高傑作ではないかと思う。
ただし、これが故人の最終形態かと問われればもちろん違う。
ただ、シンセ・ソロの無限かつ壮大な世界観を聴けば、やはり最高傑作と思ってしまう。
ちなみに一番好きな曲は「The End OF Asia」ではない。大好きだけど。

やっぱり一番好きなのは「千のナイフ」。
「千のナイフ」または「Thousand Knives」。
本人のソロ曲だったり、ダンスリーとの合作もあるが、YMOアルバム「BGM」に収録されている版が重厚かつ一番カッコイイと思う。
その後の「Mr.ロレンス(「戦メリ」のこと)」を始めとする映画音楽で世界を席巻する前にこれだけの熱量で制作しているということを、どこかで特集してほしい。

思えばYMOには制約があった。
テクノポップには連続性、メリハリより平坦、さらには非ドラマチックであることが求められる。
「機械的」という定義から外れると「テクノ」と言う言葉がウソになるからだ。

坂本龍一という巨人にYMOは窮屈だった。
「The End OF Asia」のLIVE版はいくつか発表されているが、どれもテクノ(機械的)の枠から逸脱している。
それを一言で言ってしまえば「旅情的」「旅愁的」。
伊武雅刀のモノローグ「ああ、NIPPONは、い~い国だなぁ」が背後について回る。
テクノとは矛盾する楽曲だった。
それでもYMOの傑作には堂々と枚挙されるだろうし、だれも異論はないはずだ。
そこにYMOの裏テーマが垣間見えるからだ。

YMOは、あれだけ機械にこだわる音楽ユニットだったけど、実は高橋幸宏のドラム、細野晴臣のベース、坂本龍一のキーボードプレイがしっかり聴ける純粋なバンドサウンドであった。高い技術を携えた(=機械的なことを人の手で正確にやってのける)職人バンドだったのだ。
彼らが人間らしい感情を表出してしまえば他のバンドとやっていることが同じになってしまう。だからYMOは制約を設けた。
テクノポップの定義(=機械的)を軸とし、常に実験的であるように。それが表のテーマ。
裏のテーマは、「あくまでも人の手で」である。

そもそも坂本龍一のソロ楽曲だった「The End OF Asia」は、むしろこの表のテーマに収まっていた様に思う。
4ビット時代のコンピューターゲームサウンドのような表情のない音色。後半の渡辺香津美ギターが吠えるまでは単調に徹している曲だった。
それをスネークマンショーでは馬子唄のようなリズムに改変し、YMOのLIVEでは、より一層旅情感たっぷりにした。
どういうロジックでテクノ・ポップの定義を逸脱する楽曲に仕上げたのだろうか。
ゴリ推しだったのか、それとも実験的という枠だったのか、その伸び伸びとしたサウンドを聴くと、今でも奇跡を感じてしまう。テクノを逆手に取った奇跡。表も裏も超越した音楽観。

後年語られる坂本サウンドの+11や+13は確かに発明と言ってよい出来事だけど、メロディーラインの秀逸さがそもそも故人の才能であることも強調しておきたい。

YMOのさまざまなものを削ぎ落としたと言って良い名曲がもう一つある。
「Epilogue」。アルバム「(いわゆる)テクノデリック」に収録された逸曲。

この曲こそメロディーラインの美しさの究極といってよい。こんなキレイな曲は聴いたことがない、と思ってしまうほど異次元な美しさである。機械的であるのに感情的。ここでやっとYMOの表と裏のテーマが融合したような気がした。

早世した高橋幸宏さんに誘われるようにして逝ってしまった坂本龍一さん。
この曲を紹介することを以て、故人への追悼としたい。お二人のご冥福をお祈りします。

The Life Eater 2023

2023年04月01日 18時22分30秒 | 東日本大震災
2023年3月、石巻へ行った。
今年の3月は、明るくて温かい。
それでも海の耀きは、あの日のことを思い出させる。
そう
この季節は海の色が最も碧く、とても澄み渡っている。
なぜあんなに狂ったような禍をもたらしたのか戸惑ってしまうほど美しく碧い海。
そのあと、天地には涙のような霙(みぞれ)がざんざんと降った。

しばらく石巻へは行けなかったが、道路が改善してからやっと日和山の下の道を通った。
そうそう、更地になって砂埃だらけの土地に「がんばろう石巻」と書かれた看板があったっけ。
あの看板は今、どうなっているのだろうか。
 
日和山の懐には痛々しい壁をさらす門脇小学校の旧校舎がある。当時の校舎を左右ともに短くしてしまったが、まるで児童を護る城壁のように構えたその姿は変わらない。
津波火災、という最も怖ろしい災害をこの城壁は黒焦げになりながら受け止めた。
水平避難でも垂直避難でもなく、シンプルに山に逃げる、という行動が助け合いを生み、多くの人が難を逃れた。
これまで宮城県内の多くの震災学校遺構を見てきた。
それぞれに災害への教訓を持っており、答えが一つではないことを教えてくれる。

亘理の中浜小学校は究極の垂直避難で命を繋いだ。
仙台の荒浜小学校も垂直避難。ほかの選択肢はなかった。
石巻の大川小学校は、迷いと水平避難が被害を大きくした。

そして門脇小学校の場合、垂直避難も水平避難も正解ではなかった。
児童と引率する教諭はいち早く校庭から裏山への道を辿って日和山へと逃れていた。
一方、避難してきた住民と一部教諭は校舎と屋内運動場に残っていた。
そこへ津波が迫る。

この時の怖ろしい映像が残っている。
映像は校舎の屋上から撮られたものだ。
車から漏れたガソリンや埠頭にある燃料などが海面に集まり、そこへ漏電火災などの火花が引火する。
すなわち、海が燃えながら陸に押し寄せてくるのだ。漂流物が炎上しながら押し寄せる場合もあるという。
門脇小学校校舎の屋上に避難していた市民は燃えながら校舎にぶつかる波頭を目撃した。
 押し寄せる衝撃と轟音、アブラの匂い、熱風。
   どんなにか怖かったことだろう。
少し波が引いたとき、みんなは決断した。山へと伝い逃げる方法を模索しよう。
時間は限られている。校舎の裏山はそそり立つ擁壁があって、直接渡れない。
誰かが教壇を担ぎ出して2階から擁壁へと渡した。
教壇は重い。市民は高齢者や女性が多かった。文字通り火事場の怪力である。
こうしてみんなは裏山へ逃れた。

今、校舎に残る机や椅子は天板や座面がすべて焼け落ちている。
黒板も焼けてひしゃげた鉄板だけが残っている。戦場のようだ。
生生しい震災の資料。
当時のラジオから避難を呼びかける音声データ(よく残っていたね)。
地震の膨大なデータ。
そして今なお残る裏山の擁壁。
防災や減災が身近な課題であることを教えてくれる。

もしも亘理の中浜小学校のケースで津波火災に襲われた場合、屋上倉庫に避難した児童はどうなっていたことだろう。
避難の仕方に答えはない。いつも結果だけが存在する。

体育館に向うと、そこに「がんばろう石巻」の看板があった。おう、ここにいたか。
その左をぐるっと廻るとなんと災害公営住宅が残っていた。この展開は重い。
東北仕様の二重扉。当時の家電製品。
壁に空いた穴。
阪神淡路の震災より進化しているという応急住宅だが、やはり悲しい記憶でいっぱいになってしまった。

震災直後、この辺はびょうびょうと吹く浜風と灰色または茶色い世界だった。
やがて歳月が経ち、避難の丘やメモリアル施設ができて、様子がすっかり変わった。
きっとそのほうが良いんだろう。
いつまでも灰色と茶色の世界ではやりきれない。
でも、失ったものを忘れないようにしてあげないと、誰かが覚えていてあげないと、この浜辺に刻まれた悲しみは封印されて行き場がなくなってしまうような気がする。
少しづつ蒸発・・・いや、昇華するように癒やされてゆくことが、人にも土地にも必要なんだと思う。
メモリアル施設や震災遺構は、誰かの記憶を喚起したり、伝承したりすることで、その地の悲しみを昇華させることも役割の一つではないかと思った。
もちろん防災教育も大事な役割ですけど。

時計台と運河紀行12

2023年02月23日 01時54分51秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 僕たちは、正午少し前に千歳空港にいた。
 今更ながら千歳空港は広い。国内の主要空港から全てのアクセスがここに集中するのだから無理もない。チェックインシステムも大々的で効率性が良い。それでも混雑していて、いっぱい並んだけど・・・。
 これに比べると仙台空港はいかにも小さい。ハブ空港と地方空港の差を感じてしまう。 

 さて、札幌ではついにラーメンを食べてこなかった。せめて空港で食べて帰ろうという話になって、飲食街(空港内)に寄ってラーメンにありついた。
 とは言え、最近のラーメンはいろいろ凝りすぎている。もっとシンプルに味噌ラーメンを楽しめるといいのだけれど、そういったお店はむしろ他の都市にあって、現在の札幌ラーメンというものは、かなり味が濃いように思う。他の地域のラーメンと競争するうちに味の強調が進んだのだろう。札幌ラーメンは赤味噌味でコーンがたっぷり乗っていて、バターが少し溶けているようなのがいい。

スターウォーズのラッピング飛行機。BB8かな?

 こうして札幌・小樽の旅は終わった。
 明るいうちに仙台へ到着。飛行機は高くて怖くて嫌だけど、確かに便利ではあるんだな。
 
 後日談だが、北海道からボタンエビとホタテのクール便が届いた。
 実は小樽で、あのあと再び色内駅跡にもどり、水産物を卸しているおじさんの所へ寄ったのだ。
 まあ・・・背負えないネギを背負ったというか、おじさんのノせ方が上手いというか、おいしそうなボタンエビにそそられたという訳だ。
 結局18,000もの買い物をして、後悔が半分、期待感が半分の悶々とした数日間を過ごすことになった。

 で、届いたクール便を開けてみると、これが思いの外ぎっしりで驚いた。
 もっと驚いたのは水産物の凍らせ方。
 特殊な急速冷凍技術で処理してあるとは聞いていたが、解凍がめちゃくちゃ早い。
 ボタンエビは殻(卵ぎっしり抱えていた)を剥き始めたらすぐ融けた。
 ホタテはまな板に載せて包丁を入れ始めたらもう融けていた。ものの数分も経っていない。
 
 急ぎテーブルに運び、醤油をちょっと付けて口の中へ。
 あまぁい。
 すごい新鮮。しかも美味しい。間違いなく高ぁい寿司屋さんで出てくるネタ。  
 最後に高い買い物したけれど、値段以上の買い物だったと思う。おじさんに感謝だね。
 ボタンエビとホタテは1回では食べきれないので、2回に分けて楽しんだ。
 小樽良いとこ一度はおいで。次男坊もすっかり気に入ったようだ。
 遠くて近い北海道。
 今回はアイヌ文化に触れる機会がなかったが、そちらにも関心を持っていきたい。

(おしまい)