そこは、バリケードだらけの街だった。
お店もバリケード
民家の入り口もバリケード
交差点もバリケード
信号機は点滅したまま
ときどき見かける人は皆なにやら分厚い服を着ている。
ここは国道6号線。
浪江から富岡へと通過する途上の様子。
あちこちに放射能の線量を計測する機械がある。この日は大体1.2マイクロシーベルトを示していた。
あらためて日付を書こう。 2014年12月29日(月曜日)のことである。天候は雨。通った時刻はだいたい9:20頃。
今年の12月に、常磐高速道路が南相馬からさらに浪江まで開通した。南は富岡まで来ているから、あと1区間で東京から仙台までの常磐道が完成する。
いまはその1区間だけ国道6号線に降りなければならない。
浪江インターで一般道へ降りるときから違和感はあった。
料金所に人がいない。
ETCならいいが、一般料金の支払いはどうするのか。
料金の支払いは自動改札だった。しかしそこで重い扉がガー、と開いた。多分、鉛製の扉だろう。
出てきた人の重そうな服を見て気の毒になった。
福島第一原発の近くのこんな場所で詰めていなければならない業務って、どれだけ危険手当がつくのだろう。
ここから「富岡街道」という道が国道6号線までつながっている。
街を見ればバリケードだらけ。
帰宅困難区域なのだ。ここは二輪車の通行は許可されていない。
あんまりバリケードだらけなので、否応無しにここが一本道であると理解させられる。わき道への侵入は一切できない。許可されていない。
このあたりに財産を置いてゆかなければならなかった町民の気持ちはいかばかりであろうか。
国道6号線にでてからも状況は変わらなかった。作動していない信号機。封鎖された交差点。すべてが一本道だった。
むかしよく立ち寄ったラーメン屋も、コンビニも、ガソリンスタンドも。みんなみぃんな廃墟だった。
あらためて日付を書こう。 2014年12月29日(月曜日)のことである。天候は雨。通った時刻はだいたい9:40頃。
国道6号線は広々とした枯れ野原に出た。
いや、野原ではない。
ここは、ここは耕作できなくなった田畑だ。
除染された土であろうか? 黒く大きなビニールに包まれた塊があちこちに山積みされていた。ところどころ破けている。あんな包み方、あんな置き方ではもう2年ももたないだろう。
ひどい話である。
特定の企業や政治家、自治体を非難する話はいろいろ聞いた。けれど、これは言い換えれば経済発展のもたらした汚物であろう。震災がなければ飛散せずに済んだ。けれど震災で生まれた汚物ではない。もともと蓄積され続けていたものだ。僕らは、間違いなくこの蓄積されつつあるものの存在を知っていた。「六ヶ所村」という地名を知っている人ならば、この問題を知らぬ存ぜぬでは済まされない。
僕らは、知らんぷりをして経済発展に寄りかかってきた。その闇の中で汚物がたまり続けていることを知りながら・・・。
失礼を承知で言わせてもらえれば、ここは恐ろしい所である。でも見るべき場所かもしれない。
福島の現状を。そして僕らの求めてきた繁栄の代償を。
「復興」とは、いったいどこで進んでいることなのだろう。
霞ヶ関だろうか、官僚の宿舎だろうか。
誰かを悪者にするのは簡単だけど、それを断罪できる善者などいるのだろうか。被害者は別として・・。
新年早々、こんなことを思い馳せていた。
願わくば、今年こそ、浪江、双葉、大熊、そのほかに地域にも、明るいニュースが訪れますように。
そう願わずにはいられない。
お店もバリケード
民家の入り口もバリケード
交差点もバリケード
信号機は点滅したまま
ときどき見かける人は皆なにやら分厚い服を着ている。
ここは国道6号線。
浪江から富岡へと通過する途上の様子。
あちこちに放射能の線量を計測する機械がある。この日は大体1.2マイクロシーベルトを示していた。
あらためて日付を書こう。 2014年12月29日(月曜日)のことである。天候は雨。通った時刻はだいたい9:20頃。
今年の12月に、常磐高速道路が南相馬からさらに浪江まで開通した。南は富岡まで来ているから、あと1区間で東京から仙台までの常磐道が完成する。
いまはその1区間だけ国道6号線に降りなければならない。
浪江インターで一般道へ降りるときから違和感はあった。
料金所に人がいない。
ETCならいいが、一般料金の支払いはどうするのか。
料金の支払いは自動改札だった。しかしそこで重い扉がガー、と開いた。多分、鉛製の扉だろう。
出てきた人の重そうな服を見て気の毒になった。
福島第一原発の近くのこんな場所で詰めていなければならない業務って、どれだけ危険手当がつくのだろう。
ここから「富岡街道」という道が国道6号線までつながっている。
街を見ればバリケードだらけ。
帰宅困難区域なのだ。ここは二輪車の通行は許可されていない。
あんまりバリケードだらけなので、否応無しにここが一本道であると理解させられる。わき道への侵入は一切できない。許可されていない。
このあたりに財産を置いてゆかなければならなかった町民の気持ちはいかばかりであろうか。
国道6号線にでてからも状況は変わらなかった。作動していない信号機。封鎖された交差点。すべてが一本道だった。
むかしよく立ち寄ったラーメン屋も、コンビニも、ガソリンスタンドも。みんなみぃんな廃墟だった。
あらためて日付を書こう。 2014年12月29日(月曜日)のことである。天候は雨。通った時刻はだいたい9:40頃。
国道6号線は広々とした枯れ野原に出た。
いや、野原ではない。
ここは、ここは耕作できなくなった田畑だ。
除染された土であろうか? 黒く大きなビニールに包まれた塊があちこちに山積みされていた。ところどころ破けている。あんな包み方、あんな置き方ではもう2年ももたないだろう。
ひどい話である。
特定の企業や政治家、自治体を非難する話はいろいろ聞いた。けれど、これは言い換えれば経済発展のもたらした汚物であろう。震災がなければ飛散せずに済んだ。けれど震災で生まれた汚物ではない。もともと蓄積され続けていたものだ。僕らは、間違いなくこの蓄積されつつあるものの存在を知っていた。「六ヶ所村」という地名を知っている人ならば、この問題を知らぬ存ぜぬでは済まされない。
僕らは、知らんぷりをして経済発展に寄りかかってきた。その闇の中で汚物がたまり続けていることを知りながら・・・。
失礼を承知で言わせてもらえれば、ここは恐ろしい所である。でも見るべき場所かもしれない。
福島の現状を。そして僕らの求めてきた繁栄の代償を。
「復興」とは、いったいどこで進んでいることなのだろう。
霞ヶ関だろうか、官僚の宿舎だろうか。
誰かを悪者にするのは簡単だけど、それを断罪できる善者などいるのだろうか。被害者は別として・・。
新年早々、こんなことを思い馳せていた。
願わくば、今年こそ、浪江、双葉、大熊、そのほかに地域にも、明るいニュースが訪れますように。
そう願わずにはいられない。