不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

鳴子~鬼首の旅5

2011年08月29日 00時33分09秒 | Weblog
 さてさて、その夜も温泉三昧。

 家族風呂(露天。洗い場セマい。)入って、それから広いほうの露天風呂(男女別)へ。
 なぜか虫が多い。山奥だからだろうか。中には刺すヤツもいるようで、湯に入っていた人が、気をつけるように教えてくれた。
 こんなモアっとした湯気だらけのところ、羽のある虫には命取りだろうにと思うが、それでも確かにものすごい勢いで何かが飛び回っていた。ハチともアブともわからないが、とにかくブンブンだ。

 ひとまず上がり、浴衣着てベンチで涼む。とにかく身体に熱が籠りっぱなし。いやぁ、温泉好きなんだけどね、ここまで来ると入浴も運動ですな。それも長距離系っぽい。

 と、今度は子供たちだけで大浴場に行くという。BELAちゃんもスタスタと女湯に向かう。みんなスゲェ体力・・・。

 翌日も起き掛けに大浴場へ。
 とにかく、温泉入りに来ているわけだから、ここまで入ればモトは取ったようなもんでしょ。

 今日で中山平温泉ともお別れ。
 ロビーではやはり多くの人たちが憩っている。子供たちもあっちのソファ、こっちのソファと、何はなくても群れたり離れたり。まるでチョウチョみたい。

 できればお話してみたかった。
 でも、つらい話ばかりになっちゃうのかな・・・。
 なれなれしく話しかける勇気もないまま、部屋へ戻る。

 朝食の支度をしてくれた仲居さんに、ここに滞在している人たちのことをちょっと聞いてみた。すると、みんな仮設住宅への入居が決まり、カギももらっているとのこと。
 さらには、みんな今日中にここを出発するので、さみしくなるとのこと。

 ああ、そうですか・・・。

 凄惨な目にあいながらも、みんな先へ進もうとしている。
 「よかったですね」というのはなんか正しい言葉ではないような気がして、でもなにか今の状況を肯定するような言葉を捜し、結局なにも出てこなくて「そうですか・・・」と言ってしまった。

 いや、下世話なこと言えば、大人数だったし、旅館の方でも受け入れは大変だったんじゃないか、と思っていた。それなのに、仲居さんから「さみしくなる」という言葉が聞かれて、正直ちょっと感動した。
 この「やさしさ」が復興のなによりの原動力だ。これがなければ滞在していた人たちも、居心地悪い想いをしたんじゃないだろうか。


 チェックアウトの準備をしてロビーへと降りる。
 BELAちゃんも次にエレベーターで降りてきた。
 「さっきねぇ、向かいのお部屋に滞在していたひととお話したよ。」
 「へえ、なんて?」
 「ん、『これから大変だけど、よかったですね』って。」
 ああ、へんな気を廻さずにストレートにそう言ってよかったんだ。
 よくぞ言ってくれた。BELAちゃん、ありがとう。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳴子~鬼首の旅4

2011年08月24日 14時17分00秒 | Weblog
 予定では、鳴子温泉の温泉神社近くから沸く「瀧の湯」に行こうという話しになっていた。
 温泉神社だけに開運のご利益のあるかなぁと期待しつつ。

 ところがここはけっこう坂道を登る(この灼熱の坂を?)。しかも近くに駐車場がない。
 どんだけ歩くのかはかりかねて、僕が近場にしようと弱音を吐いた。

 「近くって、何処に行くの?」
 やや不承気味にBELAちゃんが訊く。
 「んー、そこの早稲田桟敷の湯はどう?」

 ここは鳴子来たならいっぺん入っておきたいなと思っていた。
 その昔早稲田の学生さんが掘り当てた湯なんだそうな。
 
 なんだか近代的というよりは前衛的な建物のエントランスを入ると両サイドが高くなっていてその上に休憩場がしつらえてある。これ、風通し良いんだか悪いんだか・・・。
 エントランスが行き止まりかと思いきや、そこから階下へと降りてゆく。実はそこが一階なのだ。ここは斜面に出来た建物だから、すべからく中二階からさっきは入館した格好になる。

 お湯ははっきり言ってアツい。
 源泉が滑り台のようなところから流れ落ちてきて、浴槽にまんべんなくゆくわたるように設計されている。湯花がまたずいぶんとデカい。ゴミかと思った。
 天井はその高さを存分に活かした空間に豪快な梁が渡してある。ダイナミックだ。

 湯から上がって上の休憩場に行ってみる。やっぱり風が抜けない。扇風機で一生懸命風を起こしている感じ。身体が冷めるひまがないから熱がこもってきた。ちょいとヤバいかも。


 やっと車にもどる。車の中もアジぃ。70度は行っているんじゃない?
 もう誰が何と言おうとエアコン全開。あー最初は熱風だー。だけどすこしづついい風になってきた。もしかしてここだけが地球上で最後に残された居住空間なのかもしれない。

 せっかく車に戻ったし、鳴子温泉郷をぐるっと一周してみようかという話になった。
 ゆるゆると車を動かす。
 坂道だし道も狭い。おまけに両サイドは側溝で温泉が流れている。これ車サビないかな。

 まずは瀧の湯がある温泉神社方面へ。かなりの勾配です。真夏にはキツいよ。車でよかったー。
 結局車を停めるところが見当たらなくて断念。ここに泊まらないかぎりちょっと難しいかな。  
 仕方なく坂を下り、JR駅からさらに西に向かい、小学校のほうへと登ってゆく。途中、なんだか凄い雰囲気の廃墟ホテル発見。あとできいたらやっぱりそれなりの恐怖スポットだったようで・・・。

 そのまま道を上がってゆくと、温泉神社の裏参道へ出て、さらに上へと道は続いている。
 「潟沼までいってみようか?」
 ぐんぐん坂を上がる。いつのまにか周囲に人家はなく、雑木林の中をひたすら走っていた。
 やがて道はゆるやかな下り坂となり、雑木林のすきまから、目も覚めるようなコバルトブルーの湖が見えてきた。

 湖畔に小さなお店があり、岸には小船も浮かんでいる。

 ここは酸の湖。鳴子のお山が噴火して出来た湖らしい。
 湖面が良く見えるところまで車を進める。蜂に懲りているので窓を開ける気にはなれない。
 よく見ると、湖面にふつふつと何かが揺らいでいるのが見える。魚かとおもったが、やけに規則正しく揺らいでいるので生物ではないと気が付く。きっと今も酸化した鉱泉が湧出しているのだろう。温泉かもしれない。入る気にはなれないけど。

 ここも後日ネットで恐怖スポットとして紹介されていた。たしかに異様な場所ではあったが、それは人の気配がないという意味であって、そのほか特に不気味な感じはしなかったんだけどな・・・。

 そのまま道なりに山を下り、いつのまにか温泉郷へと戻る。そして中山平温泉へ。

 「帰りにまたブルーベリー農園にいってみようか?」
 とBELAちゃん。猛者ですな、君。

 行ってみるとやっぱり昨日と同じように黄色くて速いやつがバチバチとぶつかって来た。
 ダメだこりゃ。帰ろう。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳴子~鬼首の旅3

2011年08月24日 10時55分37秒 | Weblog
 岩出山の町では、誰も歩いている人がいない。
 炎天下で、危険すぎるからだろう。途中の駐車場でスズメがぺったんこになって死んでいた。こんだけ熱けりゃ、いながらにして焼き鳥になっちゃっててもおかしくない。

 僕らもまた陽炎のようになりながら、やっと「感覚ミュージアム」に辿りついた。
 
 灼熱のレンガ道のはての、これまた灼熱の建物。(オズの魔法使いでもいるかしら?)
 まわりには誰もいない。あるのは灼熱のオブジェ。
 これはお空や川の声がきこえる巨大な聴診器? はたまた拡声器?

 面白いんだけど・・・、でも早く館内に入れてぇ~。

 館内にはいってびっくり。人が多い。
 みんな涼しいところに避難していたんだねぇ。
 「感覚ミュージアム」は視覚以外の感覚を刺激したり、わざと自由にならないフクザツな機械で壁にラクガキできたりと、大人でも楽しめる施設。しかも手動の自具が多くて、けっこうエコ。

 ここで、不思議な鉦(かね)を見つけた。
 ハートの形状をしたまっくろいもの。
 手に取ろうとすると、カラーンと鳴った。
 お?と思いひっくりかえそうとすると、またコローン。
 やや小さめの音。まるでどこか遠い過去から聞こえてくるような不思議な感じ。
 実際、音もまるでどこかの古ぼけた柱時計のような音を出す。
 持って振っても思うように音がでないわりに、何かの拍子に突然キリーンと音を出す。

 なんか、いいなぁ。

 気に入ったので、友人とBELAちゃんの分を買った。

 外に出ると、また熱風がもわわぁぁ、と。

 今日はペットボトルを何本空けたことだろう。
 時刻は13時。一番キツい時間。今度は堀川沿いにJR岩出山駅まであるいた。
 なんで車で来なかったんだろう、と一人で後悔。でも子供たちは元気元気。

 ところが、JR岩出山駅について、ホームへ出たとたん、ゴロゴロゴロ・・・。
 お、来るか? と見る間に空から大きな水塊が、叩きつけられるようにビタン!と落ちてきた。
 ビタン、ビタン、ビチビチバチバチザザザァ!
 ものすごいスコール。でもまるでお湯のような雨。これは蒸熱くなるぞ。
 
 列車が来たので、そのまま乗り込む。相変わらず車内は涼しいやね。

 でもJR鳴子温泉駅に着くと、道路は乾いていて雨が降った形跡さえない。
 「夏の雨は馬の背をわける」ってのはよく落語で聞くけどホントだね。あっちで降っていて、こっちはカラッカラってのは、まさに今日のような天気のことじゃないかしら。

 駅から灼けつく坂道を登ったり降りたりして、やっとお団子をゲット。食べてながら、さあ今度はどこの温泉はいろうかという話になる。
 こんだけ灼けるようなのに、まだ熱いところ行くのぉ? まるで苦行だね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳴子~鬼首の旅2

2011年08月23日 16時01分02秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 翌日、朝起きて大浴場へ行く。
 お湯は、やっぱり熱めだった。
 なんか、わざわざ熱を溜めこみに行っているような気がする。

 その日は、鳴子温泉まで車で下って、そこからは陸羽西線に乗って岩出山の有備館を目指すことにした。

 駐車場から鳴子温泉駅までもそうとうキツいアップダウンが続く。今更ながら灼熱の天日が恨めしい。
 目を開けているのもツライくらいの照りよう。いまこの膨大なエネルギーを日本のために使いきれていない現状を嘆くことしきり。なんで原子力よりもこっちを本気で研究しなかったんだ。

 ひいひい言いながら列車に乗る。すると、「おおーっ、いきなり涼しいー!」
 まるで別世界。
 苛烈な外界から列車に入ると、ちょっと冷房効きすぎじゃないの?と思ってしまう。ところがこれが数分もするとすっかり慣れてしまい、下車する時がなるべく遅くなればいいなと考えてしまう。ワガママな生き物ですわ。

 でも残念ながら、鳴子温泉から有備館前は、そんなに遠くない。
 すぐにブルーシートに被われた有備館の母屋が駅舎の向こうに見えてきた。
 無情にも列車が停まる。
 はぁぁ、このトビラの向こうには、また灼熱のアスファルトが待っているのかぁ・・・。
 意を決してトビラを開ける。そのとたんにまとわりついてくる得体の知れない熱気・・・!
 ハイハイ・・・。わかっちゃいたけど、なんなのこの暑さ?

 まるで陽炎にでもなったような気分(半分ジョーハツしている)でふらふらと駅舎を抜けると、正面に「流しそうめん」の「流し竹」が設置されているのが見えた。
 お、これ何?

 そっちではビールとかかき氷もある。陽炎になっている場合じゃないぞ。
 子供たちはお箸とコップ猪口をもらってさっそく流しそうめんに突撃。
 僕たちはかき氷を口いっぱいに頬張りひたすら噛みまくった。
 おおー、頭がキンキンに痛くなってきたぞ。冷たくて気持ちいいー。気休めだって分ってはいるんだけどね・・・。

 ちょっと元気出たところでいよいよ「有備館」を見学。

 3.11東日本大震災で、有備館の母屋はあえなく倒壊してしまった。
 市民の落胆は如何ばかりのことであろうか。
 なまじ文化財であるために、倒壊した建物を撤去することもできない。折れた柱はおろか、かやぶき屋根のかや一本にさえ規制が掛かっている。しかたなく全体をブルーシートで覆い、修復工事の許可が出るのを待っていたという。

 有備館では修復工事の始まるまでの期間を無料開放とした。母屋がこのように倒壊していては拝観料を取るわけにもいかなかったのだろう。
 それでも庭園は十分に手入れがされていて、竹の樋にはころんころんと清水が流れる。 大樹には緑したたり、足元には楚楚とした花が馨る。
 そして、鏡のような放生池の向こうに有備館が・・・。残念ながら池の向こうには痛々しい姿の母屋が崩れているが、学徒肩を競(なら)べ議を論ずの面影を水面に見たような・・・、あーどーてもいいけど暑ちぃー。
 
 有備館を出て今度は「感覚ミュージアム」を目指す。
 これがまた地獄のような行程でした。
 外気温は35度、でも路面温度は絶対40℃超えていると思う。日陰を縫うようにしてとぼとぼ歩くが、こういうときって、身長の小さい子が一番キツいはず。
 
 ああ、遠い道のり・・・。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳴子~鬼首の旅

2011年08月17日 15時00分19秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 鳴子のお湯はアツい。
 ハンパなくアツい。

 秋保の源泉も熱いというが、鳴子のお湯はそんなものではない。

 夏の盛り、暦でいうところの「大暑」。
 標高が高くても暑いものは暑い。外気温計は35度とかいっている。

 この旅では最初っから涼をもとめていなかった。
 ガンガン暑いところを歩きまわり、ひたすら熱い湯につかる。
 これを三日間繰り返す。
 どんなもんだい。

 そうしなければ、子供たちの願望を叶えられないのだから仕方がない。

 初日、午前中は普通に勤務して、午後から荷物をまとめて放菴を出発。
 明るいうちに鳴子の奥にある「中山平温泉」到着。
 チェックインをしてから、近くにブルーベリー農園があると聞き、日が落ちないうちに行ってみることにした。

 坂道をのぼり、細い農道(らしき道)を行き、国道に出て、また農道に入り、踏み切り越えて、橋を渡って、隣のに入り、さらにそこを通り越して、農道をえんえんと走る。
 車とはいえ、けっこう遠いぞ。

 やがて見えてきた農園らしきところ。ああ、これだこれだ。

 そのとき、何かが窓ガラスにゴツンとぶつかってきた。
 お、なんの虫だ?
 速すぎてよくわからない。
 ゴツン。
 また来た。なにかが周囲を飛び回っている。アブにしてはデカくない?

 子供たちにドアを開けないように指示。もしかしてこれは・・・。

 サイドミラーになにかがとまった。
 その瞬間、不安が現実であることに気が付いた。
 「キイロスズメバチだ!」

 おおよそ20~30匹のキイロスズメバチ。それがいっせいに車のまわりをブンブン飛び回り、メチャクチャになってこっちにぶつかってくる。
 なんでーっ、なんでこんなことになっちゃうのー!

 みんなよっぽど虫の居所が悪いらしい。それともこっちの居た所が悪かったのか・・・。

 ・・・やむなく引き返すことにした。

 農道なのでスピードを出すわけにはいかないが、それでもコイツラ振り切らないと2キロくらいは平気で追いかけてくる。ガタガタ道を40~50キロくらいで退却した。

 にもどり、橋を渡って、線路も渡って、国道に出た。そこで公衆浴場を発見。
 スズメバチには凹んだけど、温泉入って気持ちよくなろう!

 というわけで、旅の始まりは温泉からスタートした。

 すこしふにゃふにゃになってお宿に戻る。
 
 ロビーで、やけに視線を感じる。
 見渡すと、ソファーに座っている人々がいっせいにこちらを見ている。
 
 ああ、そうか。
 
 中山平のお宿には東日本大震災の被災者が多く止宿している。
 みんな家を流され、家族を流されたひとたち。そんな人たちを、避難所ではなく、もっと環境の良いところで受け入れようと、中山平温泉が手を挙げたという。
 いま僕たちを眺めている人々がきっとそうなのだろう。
 ようするに、先客さんが僕たちを「被災者でもボラさんでもなさそうだけど、何者だべ?」と訝(いぶか)っているのだ。ここは温の里であるが、同時に疎開地でもあるのだ。

 以前、ここのお宿にコーヒーの提供を申し出たことがある。
 ここはロビーでみんなにコーヒーを振舞っており、そのカウンターには励ましのメッセージがいっぱい書かれたタペストリーが飾られている。そのことが地元の新聞「河北新報」に掲載された。
 記事を読んで、せめておいしいコーヒーでリラックスしてほしい、と思った。

 しかし申し出はやんわりと断られた。
 いささかブシツケだったか・・・。苦笑しつつも僕の関心はそこで途切れた。
 しかしBELAちゃんは、一度ここに来てコーヒーを飲みたい、という願いをもっていた。
 そしてそれを温泉三昧プランの軸にした。
 だから、いまここで僕たちが浴びている多くの視線も、当然の結果といってよい。
 
 その夜も、家族風呂で一浴して、子供たちはさらに奥の露天風呂へと繰り出した。
 熱いのによくやるねぇ・・・。


  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災~The Life Eater34~

2011年08月03日 13時11分49秒 | 東日本大震災
 僕たちの施設で、すべての利用者の安否確認ができたのは、3月の下旬ころだった。
 仙台在住の利用者と保護者の把握だけなら、震災の翌週にはできていたのだが、塩竈市や多賀城市方面はずっとライフラインが絶たれたままだったので、どうにも連絡がつかなかったのだ。
 
 安否確認をしながら気になっていたことがある。利用者の心的ダメージだ。

 あの恐ろしい烈震のなか、身体の不自由な人はどのような心地で建物を見上げていたことだろう。施設の中で、僕たちは同じ烈震を体験したのだけれど、やはり身体が自由に動かせる者とそうでない者とでは恐ろしさの度合いが違う。四肢に障がいがある人は、机の下にもぐりこむこともままならない。判断のおぼつかない者は、烈震のなか唯ただ立ち尽くし、青ざめていた。駐車場にバスを出し、避難してからも、しつこく続く余震になすすべもなかった。
 
 あれから、みんなどうだったろう。夜は眠れただろうか。

 施設が再開してからも、長期欠席をとる人が多かった。なかには道路が破壊されて通えなかった人、避難所にしばらくいた人もいたが、深刻だったのは、余震の怖さから引きこもってしまった人。

 時間がたつにつれて、みんな少しずつ施設にもどってきたが、やはり様子がおかしい。
 物陰で涙ぐんでいるひと、つねに不機嫌で乱暴な言動が目立つひと、集団行動に応じずしゃがみこんでいるひと。

 そして、錯乱したままのひともいた。
 そのひとは、明らかに顔つきが依然と違い、ぎょろぎょろと周囲をみわたしていた。
 声をかけても返事をしない。そのうちソファにごろんと横になったきり動こうとしない。
 ところがだれもいなくなると、むくりと起き出して、冷蔵庫や戸棚に手を突っ込んであさっている。
 

 後ろから声をかけると、さっと立ち去り、またソファにごろんと横になる。
 そのうち、またそわそわして受話器を外したり、会議室のドアを開けたり、なにかしていかなくては間がもたない様子。
 それも部屋のものを持ち出したり、他人のものを取ったり・・・。
 いちいち監視していると、こっちまで参ってしまう。修羅の日々。
 
 家族もほとほと困っている様子。精神科を受診したが、安定剤をもらって帰ってきただけだという。

 以前はもっとしっかりした人だった。他人のものを取ることもない、困ったことがあっても順序だてて説明できる人だった。

 その当時を知っているだけに、現状には呆然としてしまう。
 
 時々、天井を向いて空中で何かを編んでいる。
 アハハと笑い、早口で独り言をいう。
 ジュースやコーヒーを間をおかずに飲み続ける。人のものまで飲む。

 精神的ダメージのある利用者さんのなかで、その人がいちばん状態が良くない。退行化している気配もある。
 
 早くこっちへ戻っておいで。みんなここだよ。

 「震災」はまだ続いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする