ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

日本一周クルーズのオプショナルツアー(青森観光編)

2014-05-11 | 旅行

4/21(月)~4/29(火)の9日間 兄夫婦と弟と私の4人で日本一周クルーズに
行って来ました。 
4/24の夜遅くに凾館港を出て、4/25の朝7時ころに青森港に着き
7時半にはバスツアーに出発して、14時半には船に戻りました。
青森港を17時ころに出港し
4/26は終日航海日で、
4/27の朝には次の寄港地の韓国 釜山に着きます。


 私は福島以北の東北には
 来たことがないので、
 地理が
よく分かっていません
 でした。

 青森市・弘前市・五所川原市

 岩木山・八甲田山・十和田湖

 の位置をGoogle Map
 で
調べて Snipping
 Toolで
切り取って画像に
 しました。

 今回のツアーは弘前城の
 桜をみるもので、お昼は
 津軽南田温泉のホテル

 

船から降りると歓迎のテントが立ち並んで
いて
お土産を売ったり ガイドブックや
記念品を
くれたりしました。

私たちは5号車でバスガイドさんは
地元の人で
津軽弁でいろいろと話しを
してくれました。

津軽富士(岩木山:青森県の最高峰 1,625 m)

が車窓から見えたのをデジカメで撮った写真をペイントブラシで修正しました。

  

 

 


 

 弘前さくらまつり
 4/23(水)からで
 日本一の桜と称される
 約2600本の桜が
 今年はちょうど見ごろで
 良かったです。

 桜の背景に岩木山が見えて
 きれいな桜の写真をたくさん
 撮りました。

 今年は 東京・大阪・京都と
 この青森でも桜を見ました。

 

 

バスは「津軽藩 ねぷた村」
駐車場に停まって、ガイドさんの
案内で弘前城まで歩くのですが
大勢の人で お土産の店先で
試食を出されたりでなかなか
お城まで行けません。

中央高校口から 「日本最古の
ソメイヨシノ」を通り過ぎて
橋を渡ると場内でした。
行列にならんで天守閣にも
登って展示物をみたり
岩木山と桜の風景をたくさん
デジカメ写真に収めました。

桜を見て バス停の「ねぷた館」
までのお店で試食した
「津軽路せんべい」を買いました

  


 ねぷた館の津軽三味線を聞こう
 と演奏時間に合わせて行った
 のですが、すごい人で最後列の
 長椅子に上がって写真を撮り
 津軽三味線の演奏もデジカメで
 動画撮影をしました。

 その動画をムービーメーカーで
 
編集して YouTubeに
 アップ
しました。 

 

 

 

                   2014年4月25日津軽三味線


 弘前さくらまつりとねぷた館を

 見て、お昼に向かいました。
 青森までの帰途にある平川市
 南田温泉ホテル アップルランド
 という所で「りんご大観音」で
 有名なよう
です。
 弟とビールも飲んで
またお土産を
 買いました。

    

ホテルの廊下に飾ってあった「津軽富士」の絵をデジカメで撮って ペイントブラシで修正したものです。

ホテルに隣接してあるリンゴ園の木に芽が出ている風景を撮って PhotoScapeで編集しました。

    


 かなり前になりますが、当時は単身赴任も

 多くて送別会の後の飲み屋で吉 幾三の

 「津軽平野」を歌った記憶があり、
 好きな歌です。

 インターネットで調べると歌碑が見つかり
 Snipping Toolで切り取り
 編集しました。

 それとこの曲をYouTubeから
 ブログに
貼りつけました。

 

 

 

 

         津軽平野(木造田植唄入り) /吉幾三


 バスガイドの人が特に熱心に
 話してくれたのが、
 1902年(明治35年)に青森の
 連隊が雪中行軍の演習中に
 遭難し、210名中199名が死亡
 した「八甲田雪中中行軍遭難
 事件」に関することでした。

 私は新田次郎の小説八甲田山
 死の彷徨
」が映画化
されたのを
 見たのと
会社の研修の教材で
 事件の概要を知ったくらいで
 す。

約100年くらい前のことので、青森市だけでなく地方におられる遺族の方々には
とても悲しい出来事です。

「八甲田山雪中行軍遭難資料館」という施設があることを知って、
インターネットで画像を取り込んで編集しました。

  八甲田山(1,584m)は、青森市の南側にそびえる複数火山の総称で単独法は存在しない。

  それほど高い山ではないが 太平洋側と日本海側の風が吹き付けるために 

  周辺は世界でも有数の豪雪地帯である。

  命名の由来については、八の(たくさんの)甲(たて)状の峰と

  山上に多くの田代(湿原)があるからという。