今までにGooブログに投降した分を編集して no+eブログに載せていきます。
海外旅行編
https://note.com/hdesan_en/n/n02218994061b
四国88か所編
https://note.com/hdesan_en/n/n03e7a2bea5c0
年の瀬の12/31は墓参りに行って、おせちを取りに行きました。
1/4に東京から帰ってきた孫と家内と一緒に車で西宮の息子が予約してくれた
甲子園口の「かごの屋」で11名で昼食会をしました。
その後 阪神西宮に近い西宮えびす神社に行きました。
東京の娘とその長男と私たちの4人で エクシブ有馬に行ってきました。
1/5に志度に帰って家のマッサージチェアを廃却して、1/6に孫は東京に戻りました。
12/31の墓参りと おせちの画像と 1/1のTVでの初日の出です。
1/4に甲子園口の「かごの屋」で志度の3人・西宮の3人・東京の3人
・吹田の2人 合計11名で「しゃぶしゃぶ」を食べました。
会食の後で阪神西宮から近い西宮えびす神社に行きました。
阪神西宮駅は様変わりしていて阪神デパートがあり
「御座候」を土産に買いました。
1/4には娘が予約してくてていた エクシブ有馬に泊まって来ました。
夕食は中華のコースでご馳走で、庭のイルミネーションも立派でした。
1/5に志度に帰って昼食は寒川のうどん屋さんで食べました。
能勢の友人が手伝ってくれた後に、肥やしやりと草取りをして
今はエンドウ用のネット張りが一段落した状態です。
カブとダイコンとチンゲン菜などの葉物が元気でエンドウとソラマメと
タマネギも順調に育っています。
下の画像は上段と中段と下段のエリアのタマネギの状態です。
肥やしを撒いて草とりもして順調に育っています。
左の画像は中段エリアに張ったネットと
下段のエリアのアーチ状の支柱に張った
ネットの状態です。エンドウはまだまだ
育ってはいません。
下の画像下段のエリアのエンドウです。
下の画像は上段と中段と下段のエリアのソラマメの状態です。
道の駅や種苗店で買って来て植え付けた分と
種を撒いた分が育ってきて支柱が必要なくらいになりました。
下の画像の左側は下段のエリアに植えてあるチンゲンサイとダイコンの様子です。
下の画像の右側は下段のエリアのカブとニンンクとホウレンソウの様子です。
下の画像は上段と中段と下段のエリアの状態です。
下の画像はイチゴ畑とナンテンとスイセンとワットソニアです。
下の画像はバイクでログに行く途中のミカン畑の様子です。
下の画像は近所の麦畑に芽が出始めた様子です。
下の画像は五剣山の風景と畑の初氷の様子です。
1998年12月6日から11日まで 初めての海外旅行に行った時の記憶をたどってみます。
55歳で仕事も忙しい時に家内がダンスの友達2人と行く旅行に便乗しました。
海外旅行の経験が豊富で、英語もすごく達者なYさんが面倒を見てくれて
無事に楽しい旅行ができました。
たしか 10数人くらいの少ないメンバーで、ガイドさんがよく世話をしてくれたと思います。
当時はまだデジカメが無くて、APSカメラで撮影してプリントしたアルバムが7冊ありました。
その中なら選んだ分をスキャナーで画像にしたり、インターネットで取り込んだ画像を編集しました。
旅行に際して購入した本が残っていました。
今 見るとよくわかりますが、その時は読んでも
あまりわからなかったと思います。
アルバムの最初はサンフランシスコで、観光で一番の人気スポット ゴールデン・ゲート・ブリッジを
背景に写真を撮っていたのを編集しました。
ゴールデン・ゲート・ブリッジを造った人の
ことを 調べてみました。その時にガイド
さんから説明があったと思いますが、すご
い人です。 「20年と2億の言葉で説得。
橋に賭けた男の夢」 金門橋物語
SF最大の名所、ゴールデン・ゲート・ブリ
ッジ。特に夏、霧に包まれて浮かび上がる
姿は、SFの代表シーンとして世界中の人々
の頭に焼きついている。しかし世界屈指の
橋も、この男がいなかったら実現しなかっ
たことだろう。その男はシカゴ生まれの
エンジニア、ジョセフ・ストラウス。
1920~30年代の長い間・ゴールデン・ゲー
ト(金門)海峡に橋を架ける夢を語り、説得し
続け、遂に実際に造り、その後まもなく死
んでしまった。
彼が生涯に手がけた橋は約400。まさに橋ロ
マンの男と呼ぷにふさわしい人だった。
周囲の説得にこんなに長くかかったのは、
まずフェリー会社から猛反対が巻き起こ
り、次いで市民から、景観や地震に対ずる
不安の声が上がったからだ。
ようやく、周辺の6つの郡の住民投票によって、建設資金を集めるために公債を発行ずることが決まったが
大恐慌時代のさなかで、債券を引き受ける金融機関はなかなか見つからなかった。
この危機を救ってくれたのが、バンク・オプ・アメリカの創業者である。
橋の工事は1933年1月5日着工、完成は1937年4目28日。オープニングには歩行者を渡ることにしたが、
なんと20万人もが押し寄せた。
そして翌日が車の渡りぞめ。「説得には20年と2億の言葉を費やして、
コンクリートとスチールをくっつけるには、たったの4年と3500万ドル」というのが、
彼の感想だったとか。
Googleマップのストリートビューで
取り込んだ 画像を編集しました。
「霧のサンフランシスコ」をCravin
g Explorerで ダウンロードし
た分をPicasaウェブアルバムに
登録しました。
旅行の本をスキャナーで取り込んで
見ました。
サンフランシスコを舞台にした映画が
多くあると思って調べてみました。
YouTubeにヒッチコックの
「めまい」の予告編が あったのを
取り込んで Picasaウェブアルバ
ム に登録しました。
出演者はジェームズ・スチュアートと
キム・ノヴァクです。
サンフランシスコのホテルはケーブルカーの乗り場の近くだったかと思います。夕食後に家内と二人で
山頂まで行って無事に帰って来れました。イタリア人のグループがケーブルカーの中で元気に歌っていた記憶です。
暗い写真ですが 一枚だけケーブルカーが写っているのがあり、POWELL & HYDE Sts. の文字が見えます。
インターネットで取り込んだケーブルカーの画像を Photocapeで編集しました。
サンフランシスコの観光スポットとしては「フィッシャーマンズ・ワーフ」があり、自由に散策して
ガイドさんから勧められた人気のお店でカニを茹でたのを買って食べたと思います。
私が撮ってあった風景写真と、お店の人と買っている家内たちの写真を編集しました。