かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (5)

2024年06月23日 | 脱原発

2013年2月8日

 昨日、twitterでのデモの呼びかけに、天気予報を調べてから「明日は寒くなさそうですね」と応答したのだが、とんでもない。今日はずっと雪がぱらついて、風の強い1日だった。デモの頃の気温はマイナス2℃くらいで、風がなければとくに寒いというわけではないが、小雪混じりの強風に閉口した。
 ほんとうに春が恋しくなってきた。
 春の彼岸の頃には、私が生まれ育った宮城県北の農村では雪が消え、子どもだった私は待ちかねてマブナ釣りに出かけるのだ。

風の日は魚もこもりて春彼岸  鷹羽狩行 [1]

 風のない暖かい日を選んで近くの小さな川で竿を出すのだが、そんなに釣れた記憶がない。釣りに飽きて、風を防いでくれる堤防の斜面に寝っ転がって暖かな陽ざしを楽しんでいると、枯草の匂いがふわっと顔を包みこむ。
 この枯草の匂いに私は一番強く〈春〉を感じる。雪が消えただけのまだ何も萌え出していない枯野に、影も形もない春が強い気配を漲らせている。そんな早春の短い時期がとても好きで、中学生くらいになってからは釣り竿と本を持って堤防斜面の枯草の上で時間を費やすのが習いであった。
 彼岸とはいえ風が吹けばまだ震えあがるほどの寒さがぶり返すのだが、ずっと春を待ち続けている子どもには、枯草の匂いもまた春の匂いなのである。
 春を待つ気持ちがもっとも強くなるのは、おそらく寒さが極まる2月の頃だろう。脱原発を願ってデモをするためにこの勾当台公園に集まって来る人たちもまた、春を待ちかねているにちがいない。春になれば、草や木が萌え出すように、人の心ももっと強く萌え出すだろうし、原発ゼロを目指す大勢の人が街に出てくるのではないか。春を待つ気持ちのなかにはそんな期待もある。
 そう、これからしばらくは「春待ちデモ」である。
 当たり前のことだが、春はまちがいなくやってくる。問題はそこからなのだ、きっと。

春がきたのなら春に目覚めねばならぬ
夏がきたら夏に目覚め
たとえどこまでしきたりが続くにしても
いろとりどりに空間をきらねばならぬ
        渋沢孝輔「広場への散歩」部分 [2]

[1] 鷹羽狩行『句集 十二紅』(富士見書房 平成10年)p. 16。
[2]『現代詩文庫42 渋沢孝輔詩集』(思潮社 1971年)p.17。


2013年6月14日

 デモが一番町に入ると、先週から開催されていた大陶器市が今日で終るらしく、それぞれのテントは商品の片付けをしている。先週と同じようにここではコールを遠慮しながら歩くのである。
 定禅寺通りから一番町に入り、広瀬通りに出る少し手前に「ブラザー軒」がある路地の前を通る。じつは、昨日ひさしぶりに菅原克己の詩を読んでいて、そこから高田渡の「ブラザー軒」に想いが及び、これまたしばらくぶりの高田渡の歌を聴いた。
「東一番丁 ブラザー軒」という歌い出しで始まる菅原克己の詩に高田渡が曲を付けて歌っているのだ。ブラザー軒の椅子に座った詩人が亡くなった父親と妹の幻影を追うという内容の詩で、次のようなフレーズで詩は終る。

死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
東一番町、
ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。
     菅原克己「ブラザー軒」部分 [1]

 じつに静かな感情で亡くなった者たちへの哀惜を詠ういい詩だし、いい歌である。高田渡は歌うべき素敵な詩を選ぶ才能に恵まれたフォーク歌手だった。
 菅原克己は宮城県亘理町生まれで、黒田三郎や吉野弘と同じように、辛い社会を優しい心でとらえ続けた詩人で、私としては次のような詩がとてもお気に入りなのである。

もう会うときはあるまいと、
それぞれ考えながら
それでも年に一度ぐらいは、
などといたわりあって別れる
むかしの人に会ってきた。
二〇年目に、
暗い八重洲通りで……
     菅原克己「むかしの人」部分 [2]

  反原発デモの話が、菅原克己の詩の話題になってしまったが、これもいいことにしよう。デモは来週も、再来週も、その後もずっとあるのだから、今日はこのまま詩の話で終ることにしよう。

蔵王の、
ぶなの森の、
小径は良かったね。
蛇や栗鼠があそんでいた。
人がいないのに
かえってにぎやかだった、
あの木漏れ日の小径は。
    菅原克己「蔵王の小径」全文 [3]

 2週続けて蔵王連山の北の端の山を歩いた。木漏れ日の小径が賑やかだというのは、一人で山歩きをする人間には意外と共通する感覚かも知れない。
 来週も山へ行こうと思っているが、梅雨時の天気予報は思わしくなく、雨天登山などは避けたい身にはまったく予定が立たないのだ。
 さて、菅原克己も高田渡も亡くなってずいぶん時がすぎた。「東一番丁」もとうの昔に「一番町」と名前を変えられてしまっているが、ブラザー軒は昔の名で立派に残っている。

[1] 『菅原克己全詩集』(西田書店  2003年)p.78。
[2] 同上、p.184。
[3] 同上、p.28。


 

 

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