かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(8)

2024年07月09日 | 脱原発

2013年7月19日

  それなりに長いこと生きてきたが、選挙というものに楽しい思い出はない。すべての選挙で投票してきたが、私が投票した人物が当選したという経験はほとんどない。いまさらのことだが、ほとんどの場面でマイノリティの側として生きてきた、ということである。
 原発ゼロを望むのは国民のマジョリティの意見である。憲法改正反対もマジョリティの意見である。少なくともマスコミの調査ではそのような結果が出ている。つまり、その2点に関して言えば、私はマジョリティの側に属している。
 今までだってそのようなことはあった。最大の争点と思われることがらでマジョリティの側として投票したのに、それが結果に反映されないのだ。日本のマジョリティは、政治的争点ということを考慮して投票しているわけではないらしい。
 そのことを自民党は知悉していて、今回の選挙での最大の争点のはずの「憲法改悪」、「原発」、「TPP」、「嘉手納基地」を完全に隠してしまった。首相は選挙を福島から始めながら「原発」に触れようともしない。そんな卑怯な方法も、経験的には有効であることを自民党はよく知っているらしい。
 何よりも不思議なのは、争点を隠されたら国民から見えなくなるらしいということで、ほんとうに理解するのが難しい。たかだか2週間ちょっとの間、政治家が口にしなかったら、原発やTPPの問題はないものだと考えるらしいということが理解できない。
 一番気になるのは、「政治は大所・高所から判断するべきだ。原発だけが日本の問題ではない。憲法以外にも緊急の政治課題があるのだ。全体を勘案して投票すべきである」としたり顔で語る「高所・大所シンドローム」患者が意外に多いことである。そんな言説で政治的争点がグズグズにされてしまう。
 そんな患者は、町会議員や市会議員、その取り巻きでいっぱしの政治家気取りの人間、あるいは職場や町内の政治通らしき人間に多いように思う。たぶん、新聞、雑誌、本、ネットなどのマルチメディアから政治問題を積極的に集めようとしないマジョリティは、そんなクズな言説にしてやられるのかも知れない。
 ましてや、テレビだけが情報源だということになったら最悪である。テレビに出てくる解説者、評論家などというのは、純正な高所・大所シンドローム患者そのものなのだから。
 くどくど言ってもしょうがないが、今度の参議院選挙の投票は誰に投票するかは悩みようがない。朝食をたべながら家族で選挙の話題が出たが、考えていることは同じで1分もかからず話題が尽きた。我が家の家族は全員、マイノリティになる確率が高い、ということらしい。


2013年9月13日

   昨年(2012年)の7月に始まった「脱原発みやぎ金曜デモ」に参加するようになってから、朝日新聞の「朝日歌壇・俳壇」に掲載される投稿短歌や俳句の中から、原発事故に関連したものを抜き書きしている。
 最近、原発事故に関連する短歌や俳句がめっきり減ってきた。新聞の投稿欄なので、そのときどきの季節やトピックにふさわしい歌や句が選ばれやすいだろうから、それはそれで仕方がない。
 マスコミ・ジャーナリズムは事件や事故を「風化させてはいけない」と言いつのるが、真っ先に風化させているのは、新しい事件や事故、目新しい風俗や風説を追い求めているマスコミであり、そのマスコミの言説をそのまま受け止めているマジョリティの大衆(の一部?)であろう。そういう人々をネグリ&ハートは「メディアに繁ぎとめられた者」と呼んで、権力に支配され虐げられている主体形象の一つにあげている [1]。
 しかし、生まれた土地を放射能で汚され、避難せざるを得なかった人々、放射能被爆に日々怯えて暮らすしかない人々にとって「風化」などあろうはずがない。
 抜き書きを思い立った2012年7月から前、原発事故までの期間の「朝日歌壇・俳壇」には沢山の関連した歌や句が掲載されているのは当然で、いつかそれらを抜き書きしたいとずっと思っていた。
 しかし、古い新聞は捨ててしまっているので、図書館で縮刷版で調べるしかない。図書館の机に拘束されている自分を想像するだけで少しばかりうんざりしてしまって、ずっと放っていたのだが、この水曜日の午後、なんとかとりかかることができた。
 ハンディスキャナーとOCRソフトでノートパソコンに直接読み込めば楽勝と思っていたのだが、縮刷版の文字が小さすぎて文字変換の成功率が異常に低い。直接打ち込む方がずっと早いのだが、ど近眼でなおかつ老眼の身にはこれまた楽な作業ではないのだった。2001年3月と4月分から拾い出すのに3時間かかってしまった。
 とはいえ、始めたものは途中で投げ出せない。拾い出し、抜き書きを続けていけば、私にも何か別の風景が見えてくるかもしれない、そんなことを期待しているのである。
「脱原発みやぎ金曜デモ」が始まった頃、脱原発デモを詠った歌や句がたくさん投稿され、たくさん選ばれていた。

炎天に我もとぼとぼ蟻のごと脱原発を唱えて歩く
  (三郷市)岡崎正宏(2012/8/6 永田和宏選)

炎天の「さらば原発集会」に出たき八十路の思いよ届け
  (東京都)峰岸愛子(2012/8/6 佐佐木幸綱選)

原発の再稼働否(いな)蟻のごととにかく集ふ穴あけたくて
  (長野県)井上孝行(8/20 佐佐木幸綱選)

一〇〇円の帽子被って参加した脱原発デモの後のかき氷
  (神戸市)北野中 (8/20 佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏選)

原発を残して死ねじと歩く老爺気負わずノーと夕風のごと
   (秦野市)森田博信(8/20 佐佐木幸綱選)

国会を囲む原発NOの輪に我も入りたし病みても切に
   (埼玉県)小林淳子(8/20 高野公彦選)

身分明かす物持たず行くデモでなく気軽でもないパレードを歩く
   (日野市)植松恵樹 8/27 永田和宏選)

「故郷」の唄を歌いて人々は明り灯して国会包囲す
  (東京都)白倉眞弓(8/27 永田和宏選)

国会を包囲し気付けばお月さま明るく静かに見守っている
  (町田市)北村佳珠代(8/27 佐佐木幸綱選)

脱原発の人犇(ひし)めきて蓮開く
  (旭川市)河村勁 (7/23 金子兜太選)

 そして、避難先で、あるいは放射能汚染の地で生きなければならない日々を詠った切実な歌や句も散見されるのだ。

兀兀(こつこつ)と人生きるなりふくしまの重いひき臼しずかにまわし
   (福島市)青木崇郎(2012/10/22 佐佐木幸綱選)

みちのくに人は還らず秋刀魚焼く
   (横浜市)永井良和(2012/10/1 金子兜太選)

 私は、私の住む仙台から福島までのその距離感でしか事象を見ることができない。投稿された短歌や俳句は、日本(世界)の至る場所、そして福島のど真ん中そのものから見たフクシマを指し示しているにちがいない。そのような眼差しや感情をいくぶんかでも我が身に取り込めたら、図書館での苦行も救われるだろう、そんな淡い期待を抱いているのである。



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