三流読書人

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桜桃忌

2013年06月19日 09時27分15秒 | 



桜桃忌
今日は桜桃忌、作家太宰治を偲ぶ日である。
太宰治にそれほど思い入れがあるわけではないが、若いころむさぼり読んだこともある。
1948年6月13日、太宰は愛人・山崎富栄とともに玉川上水(東京都三鷹市付近)に入水自殺した。没年38歳。だが、遺体が上がったのは6日後の6月19日。くしくもこの日は、太宰の誕生日でもあったことから、太宰を偲ぶ日となった。「桜桃忌」の名付け親は、同郷で太宰と親交の深かった直木賞作家・今官一である。短編小説「桜桃」による。
彼の言葉の、気になっているいくつかを書いてみよう。

◆「教養のないところに幸福なし、教養とはまずハニカミを知る事也」。(書簡昭和21年)
◆「含羞…恥じらいを含む、いい言葉だ…含羞のない奴は、どうしようもない」(太宰治の言葉)
◆友情、信頼、私はそれを「徒党」の中に見た事がない。(『徒党について』)
◆はにかみを忘れた国は文明国ではない。(書簡)
◆文化と書いて、それに、文化(ハニカミ)とルビを振ること大賛成。私は優という字を考えます。これは優(すぐ)れるという字で、優良可なんていうし、優勝なんていうけど、でももう一つ読み方があるでしょう? 優(やさ)しいとも読みます。そうして、この字をよく見ると、人偏(にんべん)に、憂(うれ)うると書いています。人(ひと)を憂(うれ)える、ひとの淋しさ、ひとの侘(わび)しさ、つらさに敏感なこと、これが優(やさ)しさであり、また人間として一番優(すぐ)れている事じゃないかしら、そうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。私は含羞で、われとわが身を食っています。酒でも飲まなきゃ、ものも言えません。そんなところに「文化」の本質がある、と私は思います。「文化」が、もしそれだとしたら、それは弱くて、負けるものです。それでよいと思います。私は自身を「滅亡の民」だと思っています。まけてほろびて、そのつぶやきが、私たちの文学じゃないのかしらん。(書簡昭和21年)   


含羞、はにかみ、ハニカミという言葉がいろんなところに出てくる。
改めてこの言葉について考えてみようと思う。
有名な
◆「富士山には、月見草がよく似合う」 
は共感できない。

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