「兵卒」
理想的兵卒はいやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加えぬことである。すなわち理想的兵卒はまず理性を失わなければならぬ。
「又」
理想的兵卒はいやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。すなわち理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ。
これは芥川龍之介の「侏儒の言葉」(岩波文庫)の中の一節。
こういう兵卒を育てるのは、生れ落ちてから兵卒にふさわしい年齢になるまで途切れることなく続けられる教育の営みである。
権力者が、あるいは「独裁者」が教育の目的を自らの手に握ろうとするとき、このことが念頭にあると言ってよいだろう。
まず、教師を「理想的兵卒」にしなければならぬ。そして親を「理想的兵卒」にしなければならぬ。それの実現する過程を我われは良く知っている。知らぬとは言わせぬ。
その反省から昭和22年「教育基本法」ができた。残念ながら改悪された。
もしこの芥川龍之介の箴言に反論することが可能なら試みてみればよい。
憲法九条を変えようという動きがある。
さらに、地方の行政から「教育基本条例」などという理解に苦しむような条例をつくろうという動きがある。
子供たちの未来はどうなる。
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