平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1992 古関裕而の「人への応援歌」

2020-09-26 11:19:00 | 日記

NHKの朝ドラ「エール」は、コロナ騒動で、しばらく、収録出来なかったが、先週から再開。
時代は、長引いていた日中戦争、更に太平洋戦争に突入、戦争一色。
古関裕而が、軍歌(戦時歌謡)で、次々にヒット曲を産む。
軍とマスコミが束になって「国威高揚」のため、国民を煽動。
「お国の為に命を捧げさせる」ことに、躍起になっていた

歌も、「国威高揚」の歯車に組み込まれ、検閲で国威高揚にならない「軟弱」な歌は、認められなかった。
古関裕而の軍歌は、「国威高揚」「煽動」と言うよりは、戦場に駆り出される兵隊とその家族への「応援歌」
だった。
戦死覚悟で出征する男達の、悲しむことが国賊と喧伝され、涙を隠して父や夫、息子を送る女子供達の、
心に寄り添い、励ます応援歌だったように思う。
「露営の歌」「暁に祈る」「荒鷲の歌」「愛国の花」・・・
死と隣り合わせの熾烈な戦場での辛い思いを、銃後を守ると言う美名のもと夫や息子がいない悲しい思いを、
包み込んでくれているような、歌詞、メロディと思う

戦中生まれの私は、母のお腹の中で、防空壕の中で、聞いていたらしく、すんなり入ってくる。
戦後の「鐘の鳴る丘」「長崎の鐘」なども、「つらい悲しい思い」に寄り添い、包みこんでくれているようだ。
古関裕而の曲に、応援歌が多いけれど、どんな時代にあっても、作曲した歌は、「人への応援歌」だった。
NHKは、「軍歌」ではなく、「戦時歌謡」と言っているようだが、戦意高揚、鼓舞のための軍歌ではない
という意味で、ホントにそうだと思う。辛い思いに寄り添う「応援歌」だった

何があっても、戦争を背景にした「応援歌」を作曲しなければならない日本に、絶対してはいけない
ウォーキング中に出会った花と雲。ゴーヤも。

9月26日「今日は何の日カレンダー」より 彼岸明け、台風の特異日、ふろの日(毎月)
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(2006)▲福田康夫内閣発足(2007)▲日馬富士第70代横綱に(2012)▲安倍晋三元首相が史上初自民党
総裁に返り咲く(2012)▲楽天初のリーグ優勝(2013)▲カープ初のリーグ3連覇(2018)