平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1265  無条件降伏

2018-09-14 10:30:21 | 日記
    平和への希い1265 戦後74年  
   無条件降伏   2018.9.14.

9月12日、ロシア・プーチン大統領は、ウラジオストクで開催中の東方経済フォーラムの全体会合で、
「一切の前提条件を設けずに2018年末までに日ロ平和条約を締結しよう」
「今思いついた」と、安倍総理に提案。
「平和条約に基づいて全ての意見の隔たりのある問題の解決を続けよう。それで問題の解決が容易になる。
条約締結後に領土交渉に取り組むべきだ」ということらしい。
1956年の日ソ共同宣言で「平和条約締結後に、色丹島、歯舞群島を引き渡す」と明記、日ソ両国が批准。
「日本は、この宣言の履行を拒否した」と、プーチン大統領は言及。
だから、「一切の前提条件を設けない日ロ平和条約を締結が先」
にと、思いついたらしい。

1945年2月、米英ソ首脳が、太平洋戦争終戦後の処理を決めた「ヤルタの密約」。
ソ連による千島列島と南樺太の領有を認めることを条件として、スターリンに日ソ中立条約を破棄しての対日
参戦を促した。これが「ヤルタ密約」
1945年8月15日、日本が無条件降伏を受け入れ、終戦。
ソ連・スターリンは、
「北方4島を含む千島列島全島の領有を挙げたのみならず、北海道の半分を要求してきた。北海道の占領は、
日本のシベリア出兵に対する代償であると主張した」(アメリカの反対で、北海道分割占領は免れた)
「日本が無条件降伏したのだから当然」との思いだったようだ。


ロシア・プーチン大統領は、「無条件降伏を受け入れた日本は、領土問題を持ち出すべきではない」と、
言っているような気がしてならない。
安倍総理のお爺ちゃん(岸信介)達が起こした太平洋戦争、孫の安倍総理が後始末に苦慮は続く。
「戦争で取った取られた」のバカバカしさ。戦争という武力で解決しても「ウラミツラミ」が残り、更なる
戦争の火種となる。

いかなる紛争も、武力によっては解決出来ない、「話し合い」によるしかないのです
ウォーキング中に出会った花。

9月14日「今日は何の日カレンダー」より
メンズバレンタインデー(日本ボディファッション協会1991)、コスモスの日、セプテンバーバレンタイン
▲津田梅子、女子英学塾(現津田塾大学)を開校(1900)▲ロシア、共和国となる(1917)
▲キャスリーン台風、関東に来襲。東日本や北海道にも大きな被害。死者・行方不明者1529名(1947)
▲都内6000軒の露店廃止決定(1949)▲「二十四の瞳」封切り。主役の女教師役には高峰秀子(1954)
▲ソ連の無人探査機ルナ2号月面に到達(1959)▲元女優モナコ王妃グレース・ケリー、事故死(1982)
▲長野県西部地震(1984) ▲国産新型ロケットイプシロン打ち上げ成功(2013)