チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

ホットワイン

2004-11-30 23:14:28 | Weblog
 ドイツではこの季節、クリスマス市だけでなく、家でもホットワインをよく飲む。ドイツ人の友人宅に食事に招かれた時などは、まず最初にホットワインを薦められることが多い。ドイツの冬は寒さが厳しいので、屋外で冷えた体を温めるためにホットワインを飲む。

 ホットワインというのは、赤ワインにシナモンと砂糖を加えたもので家庭でも簡単に作れるが、そのような味付けをされたボトル詰めされたものがお店で売っている。このボトルを買ってきて、暖めれば手軽にホットワインが楽しめる。

 ドイツでは720ml入りのボトルが400円位で買えた。味をつけて飲むため、原料となる赤ワインはテーブルワイン程度の安価なものが使われているのだろう。またホットワインは、何杯も飲みつつけるものではなく、冷えた体を温めるために一杯程度飲むものだった。

 このホットワインが日本では3年ほど前に1,500円で売られていた。これを見た時に、日本で同じようなものを作って売ることを考えたことがある。ドイツのクリスマス市で売られているその年のデザインがされたイヤーマグカップとセットにして、季節商品として売り出そうと考えた。ボトルのラベルや化粧ケースにドイツっぽさを少し出して、ちょっとした贈り物にも使えるようにして。

 でも、結局行動力がなくこれまで実現にいたっていない。

クリスマス市

2004-11-29 23:09:52 | Weblog
クリスマスの4週間前の週末からドイツの街にはクリスマス市が立つ。フランクフルトやケルンといった大都市だけでなく、ドイツ中の大きな街から小さな町や村まで、その中心広場にクリスマス市が立つ。
ミュンヘンに近いニュルンベルクという街のクリスマス市はドイツ国内でも最大、恐らく世界で一番大きなクリスマス市かもしれない。
中央広場だけでなく、城壁に囲まれた町中がクリスマス一色になる。

 クリスマス市で売っているものは、クリスマスの飾りつけや、クリスマス時期に食べるケーキ、お菓子などクリスマスに関係のある商品が中心だ。それ以外にもスナックやソーセージ、ホットワインなども売っていて、お気に入りのクリスマス商品を探しながら簡単な食事もできる。

 ドイツに住んでいたころは、毎週末ごとにいろいろな街のクリスマス市を巡った。平日でも仕事が早く終わった日には、アウトバーンをぶっとばして田舎のクリスマス市にでかけた。ニュルンベルグのクリスマス市は何度いっても心がウキウキしたが、クリスマス市は大都市よりも小さな町や村の市のほうが趣きがあった。

 古い建物に囲まれた小さな町の広場にあるクリスマス市で、かじかむ手をホットワイン入ったカップで暖めていると、ドイツの暗くて寒い冬も、とても楽しく感じることができた。
この季節になるとドイツが恋しくなる。

不思議な人

2004-11-28 23:04:29 | Weblog
 この冬に着るハーフコートを探していた。軽くて暖かくてセンスの良いもので、色はできれば黒ではない色。
お気に入りの店に11月に入ってから何度も通って決められなかったものが、今日になってようやく決められた。

 ここ最近会えなかった店長の佐藤さんが久しぶりに店に出ていた。私の好みを伝えると、薦めてくれたのは私がこれまで何度も見ていたこげ茶のハーフコート。
バイヤーもしている佐藤さんは、自分がなぜこの商品を仕入れたのか、この商品のどこがいいのか、どんな使いかたができるのかを情熱を持って語ってくれる。
良い商品だということはたくさん語るが、決して商品を売りつけようとはしない。

 私はこんな佐藤さんに弱い。佐藤さんはいい商品が入ったといってバッファロー皮のジャケットも見せてくれた。
正直なところ、生地のよれよれ感や色合いなどこれは私の趣味ではないなと思ったが、佐藤さんがそれほどまでいうのならと思って袖を通してびっくり。
すごく気に入ってしまった。

 過去にも同じようなことがあった。佐藤さんは私が口に出さないのに、私が気に入りそうな商品をよく判っている。本当は着てみたいと思っているが、年甲斐もなくとか、ちょっとやりすぎでは、と私自身が押さえてつけている感情を察知するのか、そんな私を刺激するような商品を見せてくれる。

不思議な人だ。

自然な感じ

2004-11-27 23:59:08 | Weblog
 今年から農業を始めた兄のことが気にかかっていた。手伝いをしたいと思いながらも、週末は何かと予定が入りなかなか手伝いに行けなかった。
今日こそはと思っていたが、午前中に予定が入り「今日もだめか」と思っているところに、兄から「午後から手伝いにきて欲しい」という電話がかかってきた。
私の思いが兄に伝わったのか、不思議なことだがこんなことが時々おこる。

 ビニールハウスで育てている小松菜と水菜の収穫を手伝った。素人の私が見ても、以前に比べて作物のできが良くなっていると感じた。
農業は自然が相手だから全てをコントロールすることはできないが、自然にまかせるだけではないらしい。水、肥料、温度、日照、種の種類や撒き方など、コントロールできるものをさまざまに試しながらどんな時にどんな作物ができるかを見ていく。

 ビニールハウスの両端の作物は、中央の作物に比べて条件が悪い。サイズがずいぶんと小さく商品にはならない。でも兄に話を聞くと、これはこれでいいらしい。両端の作物はビニールハウスの外から入ってくる害虫のトラップ(わな)なので、収穫することは最初から考えていない。
ビニールハウスの両端まで、全ての状態をよくするよりも、この方が効率的らしい。

 3時間あまりだったが、久しぶりに兄の手伝いができて少し満足していると、「お土産だ」といって今日収穫した作物を全てくれた。
何でも、おもったよりも作物の出来がよすぎて、刈り取りや出荷処理がおいつかない量になったので、私をよんだらしい。

 「自然を相手にしているので、最後は自然条件が作物のできを決める。」、「いい時もあれば悪い時もある。農業は毎日毎日続くので、たまには今日のようなことがあってもいい。」、「無理をしたり、欲が深いと続かない」
 
 一回り大きくなって、また自然な感じになった兄の言葉を思い出しながら、トランクにも、後部座席にも山のようにつまれた、野菜と一緒にドライブして帰宅した。

人喰い鮫に挑むとき

2004-11-26 23:47:35 | Weblog
 ディスカバリーチャネルで見たのだが、檻も何もない海の中でホオジロザメやメジロザメにえさを与えたり、一緒に泳いだり、さらにひざの上に鮫の頭をのせてなでていた。

 人食い鮫といわれるホオジロザメやメジロザメは人間の心臓の激しい鼓動や、不自然な動きに反応して興奮し喰いついてくる。だから心を落ち着かせ、心臓の鼓動が早くならないようにし、不自然な動きをしなければ、鮫は決して危険な生物ではないらしい。

 人間にも鮫と似たようなところがある。

 自分の考えや思いを他の人に説明するときに、心臓の鼓動が激しくなったり妙に力が入ったりすると喰いつかれることがある。
「あなたの言っていることはわからない」と言ったり、つかれると痛いところを目ざとく見つけてついてきたりする。そんな相手の言葉や態度に動揺してしまうと、相手の思う壺にはまり最後は餌食となる。
もちろん全ての人が人食い鮫のようではなく、相手を動揺させないような配慮をしたり、動揺したのを見て喰いつくのをやめたりする人もいる。しかし、人も鮫も生物として共通する部分もあるように思う。興奮したり、動揺したりしている人と話すことや、そんな人が近くにいるのはあまり好まない人が多いように思う。

よりよいコミュニケーションを行うために、心の平静を保つこと、それを自分自身でコントロールできるようになることは、すごく大事ことだ。

プレゼン原稿を作る時にひつようなもの

2004-11-25 23:08:26 | Weblog
 複数のマネジメントのプレゼンテーション原稿を1日中作っていた。過去に話をしたことがあったり、書き物でその人の言葉を頻繁に見ることがあるマネジメントの原稿は比較的書きやすい。
よくでる話題や大事にしている言葉を使いながら、あとはその人になったつもりで、その人の話のテンポやリズムで言葉を作っていく。
 
 このテンポやリズムはとても大切だと思う。 

 関西入の原稿は比較的書きやすい。私自身が関西人ということから、体に染み付いている関西人のテンポやリズム、意識はしていないけれども確実に私の体の中にあるように思う何かが反応する。「ボケとツッコミ」も関西人の体に染み付いている独特なものだろう。この「ボケとツッコミ」以外にもまだあるように思う。

 テンポやリズムという言葉であらわされるようなもの以外の「なにか」もあるように思う。「なにか」はもう少しで出てきそうだが、出てこない。

ダイバーシティー

2004-11-24 23:56:56 | Weblog
 多様性(ダイバーシティー)はイノベーションの源泉といわれている。同分野の専門家が集まって研究開発に携る場合と、異分野の専門家が集まって研究開発に携る場合とを比べた場合、同分野の専門家が集まった場合の方が、失敗の確率は低くイノベーションの平均的な価値は高い。その一方で、並外れたイノベーションは少なく、並外れたイノベーションを狙うのならば多様性が欠かせない。

 仕事が忙しくなってくると、ついつい話しが早く進むやり方を考えはじめる。多様性が重要とはわかっていながらも、仕事を頼むにも異なる意見を言われたり、価値観の違い等から説明や説得に時間がかかる人は避けがちになる。
同じ理由から、カナダ人の上司に対しても、着任して間もないことをいいことに、英語の資料を作る手間を惜しんで、プロジェクトの進捗状況について充分な説明を行っていなかった。

 どうしても説明が必要な状況になり、しかたなくカナダ人の上司にプロジェクトの相談を持ちかけたところ、彼は私が忘れていた重要なメッセージをいくつも与えてくれた。彼が与えてくれたメッセージは、プロジェクトの成否に関わる重要な内容を含んでいたと同時に、彼はプロジェクトに取組む情熱やエネルギーをも与えてくれた。

 やっぱり多様性って重要だなとつくづく感じた。

チームビルディング

2004-11-23 23:09:16 | Weblog
 今、取組んでいるプロジェクトは来年2月で丸5年になる。1年単位で繰り返すプログラムを、毎年毎年社内外の環境変化を踏まえて、新たな趣向を凝らし変化させながら実施している。今年のプログラムも実施に向けた開発の最終段階に近づいており、明日は一つの山場を迎える。

 プログラムの根幹はある程度不変なものの、毎年毎年新たなチャレンジがあり、必死で取組まないとなかなか形にならない。今回はこれまでになく短期間で準備を進めているが、プロジェクトチームメンバーの頑張りで、なんとか形になりつつある。

 チームメンバーへの感謝の気持ちを感じていると、友人から「チームメンバーのモチベーションを高めるためのマニュアルのようなものはないか」という相談があった。モチベーションを高めることや動機付けをすることが私のチームの専門分野だから、相談してくれたのだと思うが、残念ながらそんなものは一つもない。しかたなく自分自身の実体験や大学院で学んだことを思い出しながら、アドバイスめいたことをした。

 興味深いことに、同じような相談を別の人からも持ちかけられた。そしてふと気がつくと先日購入してまだ読まずに机におかれている雑誌の今月号の特集記事が「チームビルディング 求心力の経営」だった。

 なにがあるのかはわからないが、モチベーションやチームビルディングについて学ぶことが私のいまやるべきことのような気がしてきた。

風邪も楽しい

2004-11-22 21:54:18 | Weblog
 2週間後のイベントに向けて月曜から全力投球するつもりが、朝起きると喉が痛い。風邪をひいたようだ。「なんでこんな時に風邪なんか引くんだ」と少し嫌な気分になったが、同時にラッキーと思った。
今の風邪を2,3日で直すと、その後は直ぐには風邪はひかないと思うので、2週間後のイベントの時点ではベストの状態になっていられるからだ。

 決して仕事熱心なわけではない。体調が悪いよりも良い方がイベントを楽しめる。体調が良い状態でイベントができることを保証されたように思い、単純に喜んでいる。

 「いつもより早く仕事を終えて、帰りに病院で注射をしてもらい、家に帰ってにんにくと野菜をたっぷり食べて早く寝る。」こんな計画を立てると体調が悪いのも結構楽しめる。「熱がでてきたらサウナに行って汗を出して」なんて考えると、風邪も楽しいイベントになる。風邪は気からというから、こんなことを考えていると意外と明日の朝には直っているかもしれない。

 自分自身、なぜか前向きな考えができるなと思っていると、いつもの好調の兆しが現れはじめていることに気がついた。

ビジネスパートナー

2004-11-21 16:23:54 | Weblog
 自分自身の内面を見つめる時間を持った。こだわりを持っているもの、なくてはならないもの、ゆるせないものを考えたり、未来の自分の姿などもイメージし、そこから今現在の自分自身の価値観を明確にした。

 同じようなことは、3ヶ月前にもやったことがあるが、その時と比べて変わらないものもあれば、新たな発見もあった。

 今現在の私の価値観の中では、ビジネスパートナーの重要性が高まっている。私自身が現在関わっている仕事のパートナーはもちろん大事だが、今後私が取組もうとしているビジネスのパートナーへの意識が3ヶ月前よりも強まっている。
主体者意識を持ってビジネスに取組め、信頼感が高くて、リズムの合う、そんなパートナーへの意識が高まっている。
 
 私の周りにはすでにこういう人が何人かいるので、私自身が描いているビジネスの姿を明確にすることがまず必要になる。その上で、パートナーになって欲しい人たちを説得しながら一緒にビジネスの骨格作りができればと思う。

 これが実現するのは、すごく遠い将来のような気もするし、すごく近い将来のような気もする。

変化の前の停滞

2004-11-20 23:26:51 | Weblog
 近所のお祭りにでかけた。お祭りにつきものの屋台が数多くでて、祭りの雰囲気を盛り上げていた。

 祭りに行くのは久しぶりなので、どんな屋台がでているのか興味深く観察するが、目を引いたのは、小さなタコを1匹まるまる入れる大たこ焼きくらいだ。全体的にありきたりの屋台ばかりであまりおもしろみがない。ワクワクしない。
では、どういった屋台がワクワクするのかと問われても私自身答えはもっていない。

 屋台の中でまず一番に変わって欲しいのは「くじ引き」。今のくじ引きは、子供に夢を与えるのではなく失望感を与えているように思う。店のにいさんはいかにも夢を売っているような顔をして子供達をひきよせる。そして子供達はそれにまんまとのせられて、1回300円のくじ引きでほとんどの人がはずれを引き20円くらいのおもちゃをもらう。
少し偏った考えかもしれないが、お祭りという場所では、もう少し夢を売ってもらいたいと思った。
 
 くじ引きやの人達もそう思いながらも、よい案がでないだけかもしれない。「この状況はなかなか変えられないし、変わらないだろう」と多くの人が思い込んでいるかもしれない。でもこういうところに、突然変化はやってくる。
ナベツネさんが支配していたプロ野球が誰も予想しなかった状況の中、突然大きく動きだしたのと同じように。変化がおきる前に停滞はつきものだから。

感情豊かな人

2004-11-19 23:28:51 | Weblog
 自分自身の感情を見つめること、意識することはとても大切なこと。この時には、怒りや失望や悲しみといった「ともにいられない」感情と、その反対の「自分自身の存在意義」を強烈に感じるような圧倒的な喜び、の両方を感じることが大切だ。

「ともにいられない」感情を感じること(谷に下りるという)は心がつらくなるため人は充分に感じようとはせずむしろ避けようとする。「自分自身の存在意義」を強烈に感じること(山に登る)も、「自分はそんなにたいした人間ではない」とか、照れくさくて充分に感じようとしない。

 谷に下りることも山に登ることも充分にしないでいると、次第に人の感情はどちらもあまり充分に感じられなくなり、これがさらに進むと無感情な人になる。

 これは先週のワークショップで学んだ中で頭の中に強くのこっている内容だ。私自身にも「すごくあてはまる」と感じた。
私はもともと感情的で喜怒哀楽が激しくてそれがすぐ顔や態度にでていたが、「こんなに喜怒哀楽が激しいのは子供っぽい」と自分自身や、周囲の反応を感じ次第におさえつけるようになっていった。
その結果、感情表現がおさえられるのと同時に、感情の鈍い、あまり感じない人間になってきているように思う。

 もう子供ではないからあまり過度に感情表現はしないほうが良いとおもっているが、自分自身との対話においては、めいいっぱい感じたいと思っている。

 宮沢賢治の「雨にも負けず」の主人公はとても感情豊かな人だった。その行いも素晴らしいが、その背景にある感情の豊かさが素晴らしいと思った。
私は欲深い人間だから、「雨にも負けず」のような生き方や行いは今はできないが、そのような豊かな感情をもてるようになりたいと思っている。

常識をうたがう

2004-11-18 23:32:09 | Weblog
 セロテープを買うとセロテープのパッケージに一緒に入っている小さなテープカッター、セロテープの輪に爪を折り曲げひっかけて使う、この小さな金属製のテープカッターの向きについて議論になった。

 テープカッターには、テープをカットするギザギザの歯がついた垂直に立つ側と、垂直部分がない側とがあるが、私はセロテープを剥がし、テープの粘着面側に、ギザギザの歯がついた垂直に立つ側を押しつけてカットする使い方をしている。
垂直部分がない側を片方の親指で押さえつけ、もう片方の指でテープの先をつまみ、垂直に立つ側のギザギザの面でテープを上から押さえつけるようにカットする。そしてきり終えると、垂直に立つ側にテープの粘着面をはりつけて固定する。

 これが正しい使いかただと思いこれまでずっとこのようにしてきたが、この使い方は正しくないらしい。ギザギザの歯のむきは逆にして使うやり方が正しいらしいと今日知った。

 自分では常識だと思っていたことが常識でなかったりする。

 チームメンバーのエバタさんの家では「カニを食べ過ぎると鼻血がでる」と兄弟3人がずっと信じていたそうだ。それが、大人になって「カニを食べ過ぎると鼻血がでるよ」と知り合いに話したところ、「そんな話しは聞いたことがない」と言われて、初めて間違いに気づいたそうだ。
これも常識だと思っていたことが常識ではなかった例だろう。

 自分が常識だと思っていることを一度疑ってみることも必要だと思った。特に、それが常識だと思って、自分自身の行動を制限してしまっていたり、小さくしているようなことがあれば、なおさらその常識をうたがってみることが大事なように思った。自分の可能性を拡げるために。

継続する

2004-11-17 20:04:14 | Weblog
 変革をおこすためには、「変革」が必要だ。でも「変革」だけでは変革はおこせない。変革をおこすためには「変革」とともに「継続」が必要だ。
「「変革」と「継続」のバランスに注意を払うことで変革が実現する」とINSEADのQuyが言っている。

 今年で5年目になる組織変革プロジェクトの企画段階の大詰めになって、「継続」を忘れていたことに突然気づいた。
私自身の飽きっぽい性格や、常により良い方向に自分自身や環境を変化させたいという願望が強いせいか、「変革」にばかり意識がいっていた。
 
 新しいことを始める、変化をおこすことはたいへんなエネルギーを必要とする。でも新しいことだから結構楽しみながら取組め、終わった時の充実感も高い。また多少の失敗は許される面もある。
継続はその逆で、忍耐強く地道に取組むことが必要で、前回よりも精度を上げながらより高い成果をあげることが求められる。

 今からでもまだ間に合う。「継続」をより強く意識して、もう一度見直すべきことは見直そうという気になった。

「継続は力なりではなく、力になるまで継続する」は所属する組織の社長の好きな言葉だ。

流れ星の魔術師

2004-11-16 23:20:38 | Weblog
 初めて流れ星を見たと実感したのは、20年前に信州霧が峰高原で見たペルセウス座流星群の流れ星だ。1時間に何十個という星が流れた。

 流れ星に願いを3回伝えると願いが叶うというので準備をして待ったが、何度流れても最所の第一声が「あっ!」という驚きの声になるので、結局3回伝えることができなかった。
どんな願いをかけようとしたのか覚えていないが、欲が深くて伝えるのに時間がかかりすぎたことも原因かもしれない。

 今年の夏に久し振りに信州霧が峰高原をおとずれた時にもたくさんの流れ星を見た。でも今回も願いを3回伝えることはできなかった。
相変わらず第一声が「あっ!」で始まること、欲が深いこと、いっしょにいた人に聞かれると恥ずかしいような願いだったことからあまり声にだせなかっことが原因だ。

 流れ星は、それを見る人に「今」を感じさせ、感動を与え、喜びを与えるように思う。

 先週参加したワークショップで、自分自身の存在意義について「私は今生きている感動を呼び覚ます、流れ星の魔術師です」という宣言をした。元気のない人、夢を失っている人、「今」という時間を忘れている人の頭の上に流れ星を降らせ、それに気づいた人に、「今」を感じさせ、感動を与え、喜びを与えられるような存在になれたら素晴らしいという思いからだ。

 流れ星はたとえであって、本当に流れ星を流す魔術師になりたいと思っているわけではないが、人が思わず感動してしまうようなそんなきっかけを与えられる人になれたらいいと思っている。現実の私自身とはほど遠い存在感だ。

 今週末11月20日の明け方には、しし座流星群がきて、理想的な条件なら一時間に数十個流れ星がみられるそうだ。