チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

熱い気持ち

2004-09-30 23:21:06 | Weblog
 「心は熱く、頭はクールに」

 心は熱くとは、熱いハートを持っている、情熱をもっている、本気だ!という状態のこと。リーダーという立場にいたり、リーダーでなくても、周囲に影響を与えながら仕事を進める人にとってはとても大事だと思う。
 頭はクールにとは、熱い心に流されない、自分自身に起こっていること周囲におこっていることを冷静にとらえ、最悪の状態も意識しておくということ。全てが自分の思ったとおりにはならないし、環境は変化するから、クールに考えることも大事だと思う。

 誰から聞いたのか、それとも何かの本で読んだのか思い出せないが「心は熱く、頭はクールに」を私自身仕事を進める時にはいつも意識していたいと思っている、しかし、現実はどちらも中途半端にしかできていない。
 私の会社の人たちを見ると、「頭はクール」な人は多いが、「心は熱く」という人が少ないように思う。

 真面目だけど真剣でない。

 こんな人たちが多いように思う。これは、私の会社の人たちだけの傾向なのか、世の中にそんな人が多いのか、わからないが、「心は熱く」や「真剣」って簡単そうで、なかなかできないことかもしれない。
でも、今日会議で会った2人のボスは「心は熱く、頭はクール」な人たちだった。こんな人たちと一緒に仕事をできることは幸せなことだ思う。多くのことを学びたい、そしてこんなボスたちと一緒に変革がおこせたらと思う。

 


金縛り

2004-09-29 23:29:10 | Weblog
 眠っている時に急に目が覚めて、でも体を動かすことができない時がある。

 「金縛り」と呼ばれている状態だが、こういう状態を私はたびたび経験している。「金縛り」は恐怖体験としてTV番組などでよく取り上げられ、この状態の時に、枕元、体の上、足下などに、白い服を着た悲しそうな女の人が立っていたりする。
 私も「金縛り」状態になった時には、そんな人がたっていたりするかもしれないと思い、身体が動かない状態にあっても、周囲を見渡してみる。立っていて欲しくはないのだが、確認しないと余計に怖い気がして、必ず確認する。幸い、これまで、白い服を着た女の人を見つけたことはない。

 金縛りは医学的に説明がされている。

 『睡眠まひ』と言うそうで、寝入った直後や、眠りから目覚めようとしているときに起きやすく、脳と体の睡眠状態とに関係がある。レム睡眠(レム睡眠のレム(REM)とは、睡眠時、閉じたまぶたの下で眼球が急速に動くこと=Rapid Eye Movementの略)の時、体は活動を休止しているのに、ある程度脳が働いており、、脳からの「動け」という指令は、体の筋肉に伝わらないように遮断されている。この状態の時は体を動かしたと思っても、実際には体は動いていない状態になり、これが金縛りの状態だ。

 金縛りになりそうな時は、「今晩きそうだな」とだいたい予想できる。

 一言で言えば、体と脳(思考)のバランスが悪い状態の時に、金縛りになる時が多いように思う。バランスを取り戻す、バランスを維持する方法については、私自身まだよくわかっていない。バランスってとっても大事だ。

これって大事

2004-09-28 23:55:37 | Weblog
 自分ひとりで話しすぎない。自分のことばかり話さない。

 仕事の時、仲間と飲みに行っている時、いろいろな場面で自分の経験や自分の考えを話しすぎじゃないかって最近感じたことがあった。聞いている人に「うるさいだまれ!」とか、嫌そうな顔をされたわけではないけれど、第三者的に私自身がその場にいたとしたら、「話しすぎじゃないか」って感じた。

 話が自慢話っぽかったり、説教地味ていたり、延々と話つづけたり、年配の人にこんな人が多いような気がする。若い人にもこんな人はいないことはないが、年配の人に比べると少ないように思う。

 一種の老化現象だと私は決め付けている。

 だから、自分の経験や自分の考えを話しすぎる度合いを、老化現象のバロメーターだと思って、そうしないようにって気をつけて、そう意識しているつもりだけども、時々話し過ぎてしまう。
今日もそんなことがあった。明日からはもう少し意識して、自分の話をするのではなく、相手の話をしっかり聞きたいと思う。

 誰でも自分の話はしたいし、話を聞いてもらいたいと思っているから。

  
 

静かな音

2004-09-27 22:25:48 | Weblog
 「音を聞いて静けさを感じるのは日本人くらいだ」

 秋の虫の鳴声や、風鈴の音色を聞くと、音が鳴っているにも関わらず、音が何も鳴っていない時よりも静けさを感じる。
こんな感性は誰もが持っているのかと思い、オーストラリア人に尋ねてみると、「虫の声で静けさなんか感じない。うるさいだけだ。」と答えたそうだ。
「音を聞いて静けさを感じるのは、日本人固有の感性だ。」と平井さんが教えてくれた。

 静けさや 岩に滲み入る 蝉の声

 松尾芭蕉のこの俳句の正しい解釈は忘れてしまったが、私なりの勝手な解釈では、蝉の声さえも、その音があることで、静けさを感じることに繋がっている。

 週末の睡眠が少なかったため、ソファーで寝転んで、ウトウトしながら、秋の虫の鳴声を聞いた。

水琴窟

2004-09-26 23:52:44 | Weblog
 水琴窟を造るプロジェクトがスタートした。

 水琴窟とは、日本庭園の茶室入口のつくばいなどに造られる日本独自の庭園施設のことで、もともとは排水施設を起源として、それを江戸時代の庭師達が音を楽しむことを目的に造りかえた、水おとの芸術作品だ。江戸時代にはよく作られたようだが、今ではめったにみられない。

 こんな水琴窟を、師匠を含む7人で造ろうというプロジェクトが立ち上がった。モノづくりの師匠以外、私を含めメンバーは水琴窟を見たこともないし、知識も全くない。それでも、モノづくりの師匠から、このプロジェクトを通じて、モノづくりについて学びたい、また日本文化について学びたいという気持ちからメンバーになった人達だ。

 メンバーで水琴窟について話をしていると、プロジェクトの期待がどんどんと高まっていった。「本物の水琴窟を見に行こう」「日本文化を学びにお茶席にいこう」「高い音がいいのか、低い音がいいのか」「甕も自分たちで作ろうか」...どんどん話がおもしろい方向に広がっていく。

 モノづくりについて学ぶ、日本文化について学ぶという期待に加えて、このメンバーと一緒にプロジェクトに取り組むことへの期待がどんどん高まって行った。


*水琴窟の図はhttp://www.suikinkutsu.com/suitoha.htmからの引用


ラスト・サムライ

2004-09-25 23:42:07 | Weblog
 身体中が感動に包まれる。

 『ラスト・サムライ』をビデオで見た。トム・クルーズ、渡辺謙、真田広之、小雪、映画の中の人物はみんなとてもいい表情で、いい味を出していた。映画の宣伝コピーだった「日本人であることに誇りを感じられる!」を再び体験した。
 普段はあまり感じることはない、私の身体の中の日本人がこの映画に触発される。映画の中で表現される、日本人の価値観、優しさ、強さ、そして弱さも含めたさまざまな感情に私の心が反応していることを感じる。自分の中にある日本人をしっかりと意識しながら、背筋をしっかりと伸ばして生きたいと思った。

 でもこの感情ってすぐ忘れてしまいがちだ。
 
 映画の中の登場人物をイメージして、その人ならどう感じ、どう考え、どう行動するかを想像してみるといいかもしれない。 
誰がいいのか?渡辺謙や真田広之はなかなか想像がつかないので、まずはトム・クルーズから始めてみよう。
『ラスト・サムライ』の中でトム・クルーズが演じたオールグレインを想像してみよう。オールグレインならどう感じ、どう考え、どう行動するかを想像してみよう。

有難う

2004-09-24 19:35:44 | Weblog
 「有難うございました!」と小声で言った。
 
 感謝を伝える気持ちだから、相手に聞こえる大きな声ではっきりと言ったらいいのに、小さな声しか出なかった。
 広島に来て「これはいいな!」と感じたのが、バスから降りる際に運転手さんへ「有難うございました!」という人が多いことだ。運転手さんも気持ちよさそうな顔をしていたので、早速まねをすることにして何年も経つ。

 大きな声で言える時もある。

 そんな時のことを思い出すと、私自身がとてもよい状態の時のような気がする。良い状態だから、自分自身を素直に出せる。感謝の気持ちをストレートに表現できる。

 「自己好感、自己重要感、自己有能感」

 自分のことが好きだと思え、自分はとても重要な存在だと思え、そして自分は能力が高いと思える感覚のことだ。今日受講した研修の中で教わったことだが、この3つの感覚を高いレベルで持てると、セルフエスティーム(自尊心/自負心)が高まり、素直なその人らしさを出せるそうだ。そして素直な状態は、本人にとって良いだけでなく、周囲に対してもよい影響を与える。
 
 バスの運転手さんにどれくらいの声の大きさで「有難うございます!」っていえるかが、私のセルフエスティームの状態を示すバロメーターかもしれない。でも、よく考えたら、バスの運転手さんだけでなく、いろんなことに有難うって言える状態ってきっと素直なその人らしい状態だと思う。
 いろんなことに有難うって言える状態を作りたい。声からだけでもやってみようかな。大きな声で「有難う!」って。

 

大切なものは枕元に

2004-09-23 21:00:38 | Weblog
 小雨が降っていたが、今日はバイクで会社に行った。

 3ヶ月くらい悩んだ末に、バイク屋の店員さんの「これ被ったらクールすよ!」の一言が決めてになって月曜日に買ってしまった黒いヘルメットを被りたかったからだ。以前のヘルメットに比べて格段に安全になっただけでなく、被っていてとても気持ちがいい、そして誰が見ているわけでもないのに、「俺ってクールだな~」と自分に酔いながら会社までの短い道のりを走った。

 仕事が終わって、また帰り道を「俺ってクールだな~」と思いながら走っていて気がついた。このヘルメットを被っていると本当にクールだ。外気の取り込み口があちこちにあるので、風がヘルメットの中を通ってすごく涼しい。そうか、店員さんの言っていていた「これ被ったらクールすよ!」というのはカッコいいということでなくて涼しいということだったんだと気付いた。

 でも、とにかく気に入ったから、どんなクールでもいいや。

 買ったばっかりのヘルメットを雨で濡らしてしまったので、そのままバイクのトランクにしまわず、部屋に持ち帰りタオルで拭いた。子供の頃なら、このあとは枕元に持っていって一緒に寝るんだろう。初めて買ってもらった野球のグラブは、枕元において灯りを消すまでしみじみと眺めて、手でいじくりまわして、灯りを消してからもそこにある感触を楽しんでニタニタ笑っていた。とても幸福な気分だった。

 自分の気に入ったものを手に入れた時の嬉しさは、昔も今も、あまり変わらないかもしれない。違いは、喜び方の表現のしかたかもしれない。それこそ大人だからクールになろうとか思って、自分自身を作って、枕元に置いたりはしなくなった気がする。
でも、このことを考えていて、「もっと自然に喜んだ方がいい」という気になってきた。自然体が大事だから。

 今晩はヘルメットを枕元において、それを触りながら、ニタニタしながら寝ることにした。

感動

2004-09-22 23:17:15 | Weblog
 6年振りにボーリングをした。職場のボーリング大会だ。

 大会には20人以上が参加し、現役ボーラーのモリダーや元体育会ボーリング部のツッチーといったボーリングのつわものから、普段は私がまともに話すことのできない大ボスのマサキ、可愛いい子供達3人が入ったカナダ人のブラちゃんファミリーと多彩なメンバーが集まった。いろんな人が集まると面白い。企画してくれたヨッシーの人徳だ。

 ボーリングの後は、しっかり飲み会で騒ぐ。

 みんなボーリング大会に参加したメンバーだから、ボーリングの話題で盛り上がる。適度な運動も加わり、いつも以上にみんなはしゃいでいるようだった。私もいつも以上にビールばかり飲んでいたが、運動の後はビールがいくらでも飲める。

 今日はいい一日だった。

 飲み会が終わったあとぶらぶらと歩きながら、今日一日を味わっていた。
いい一日だった理由はいろいろあるが、ボーリングのゲームの中で、成果や結果を一緒に喜んだり、残念がったりできたことが大きいかもしれない。
ストライクを出そうものなら、同じレーンでゲームをしたヨッシーやマサキがニコニコしながらハイタッチで迎えてくれる。ピンが1本だけ残れば、一緒に悔しがってくれる。
大ボスのマサキとハイタッチなんて仕事の中では考えられない。
 
 でも、ボーリングだけでなく普段の仕事の中でも、喜んだり、残念がったりってもっとあってもいいと思う。仕事の中でもいろいろな感動を作りたいと思った。
  

夏をあきらめて

2004-09-21 22:37:49 | Weblog
 この曲が似合う季節かな。

 昨日の夜に大雨が降って、朝になったら秋になっていた。9月になって2度目に感じた秋は本当の秋のような気がする。
 秋はなんとなく寂しくて、でも心が静かになっていって、少し透明になったあとに凝縮されて色がついていくような感覚がある。少しづつ何かを洗い流しながら、力を蓄えるための準備をしているイメージが秋にはある。

 読書の秋!スポーツの秋!食欲の秋!飲み会の秋?カラオケの秋?? 何でもいいや、今日は少し気分が落ち込んでいたが、サザンオールスターズの「夏をあきらめて」を聞きながら口ずさんでいると元気がでてきた。

笑い顔

2004-09-20 22:44:55 | Weblog
 デジカメで写真を撮るようになってから、写真を見る回数が減った。
 パソコンの中にデータがあるからいつでも見ようと思うと見られる。でもフィルムで撮った写真を現像し、アルバムに入れたり、机の引き出しにいれているものを見るのに比べて見る回数は減っている。
いつでも見られるからか、フィルムで写真を撮る時のように写真が出来上がるまでの労力がかかっていないからか、ただ何となく見なくなったのか理由は私自身わからないが、写真を見ようという気持ちが低くなっているように思う。

 そんな写真を久しぶりに見てみた。

 写真の中には記憶が一杯つまっていた。「そうそうこんなことがあったあった」とその時の会話や周囲の状況を思い出したり、その写真を撮ったときの気持ちなども思い出してくる。

 写真の中にはたくさんの笑い顔があった。

 悲しい場面や嬉しくない場面を写真に撮ることはあまり好きではないので、写真の中にはたくさんの笑顔が残っていた。旅行中に撮った写真で、けんかをした後に撮った写真などは作り笑いや引きつった笑いもあるが、それでも写真の中には笑い顔があふれていた。

 この写真を見ているとエネルギーが高まってくる写真を選んで、プリントして手元に持っておこうという気持ちになった。机の上の写真たて、財布の中、手帳の中に写真を入れた。
そんなことをしているとメールで写真が送られてきた。先週末に参加したワークショップの最後に参加者全員で撮った写真をローリーさんが送ってきてくれた。この写真にも飛び切りの笑い顔が溢れていた。この写真も印刷し、机の前の壁に貼った。

逃げられないもの

2004-09-19 23:58:11 | Weblog
 何となく前向きになれない気持ちになる時がある。

 例えば明日が提出期限のレポートなのに、「何となく今日はやりたくないから、明日やろう」と先延ばしするときなどはこんな気持ちの時だ。そんな時には「何で今日やらないの?」と尋ねられると、咄嗟にいくつもの理由が口から出てくる。
「明日やった方が、よいものができそうな気がする」「ギリギリになって追い込まれてやる時にすごくパワーがでる」「今日中にやっておく必要があることに全力で取り組みたいから、明日でいいことは明日やる」
 でも、これらは本心から言っている言葉ではないように思う。「本当は、今日やっておいた方がいい、少しでも手を付けておいた方がいい」と思っているのに、手を付けられない自分自身を、そんな私を正当化するために、誰かが言ってくれているような感覚だ。

 それでも期限があるものは、提出期限までに何とか形になるか、少し期限から遅れても、そのことに取組み、何らかの結果をだせるからまだましだ。
その一方で、期限がとても長いか、期限がないよういように感じるもの、例えば自分の夢とか理想を叶えるということは、いつまでたっても取組まないことが多いように思う。
でも、期限のないものなんて、本当はあるんだろうか?これは、寿命の話ではなく、やりたいことをやれる時期、人生の中の旬といったものもあると思うからだ。

 自分の夢や理想をかなえる期限をきめる事から逃げている。

 期限だけでなく、そのことに向き合う、真剣に考えることから逃げているんだと思う。でも、逃げられないものは必ずあると思う。逃げられないから、「自分の夢とか理想が叶えられなかった」とあとで後悔するか、心の平静を保つために自分自身を正当化してくれる声を聞こうとするだけだ。

 自分の夢や理想をかなえる期限をすべて作るのも、現実的ではないように思うので、小さいことからでも、自分の夢や理想をかなえることにつながる行動の期限を決めて、とにかく一歩づつでも進んでいきたい。

 先延ばししていた、2匹の犬をお風呂にいれながら考えた。

証拠写真

2004-09-18 23:18:36 | Weblog
 今日の時点で61.0Kgになるという減量を1ヶ月前に決めた。2kgの減量なので、最終日には食事を減らして、意地でも達成するつもりだったが、最終日に無理することなく達成できた。この1ヶ月間は暑かったこともあり運動はさぼり気味だったが、とりあえずカテキン式ダイエットの効果がでたのだろうか。調子にのって1ヶ月後の10月17日には60.0kgを目指すことにする。今度はしっかりと運動をして身体をひきしめながら、体重を落としたいと思う。カテキン式は今後も続けるが、より効果が高そうな高濃度茶カテキンのヘルシア緑茶に切り替えようかと思い、1Lペットボトルの販売開始も聞きつけコンビニに買いに行った。結局1Lボトルは関東甲信越地区限定らしいので、買えなかった。

 マラソン、ウィンドサーフィン、バイクの長距離ツーリングなど、身体を使ってやりたいことがいろいろあるので、体重を落とし引き締まった身体になることはとても大事なことだ。TOROYのブラッド・ピットとまではいかなくても多少の筋肉も欲しい。そして充実した仕事をするためにも、身体作りは大切だ。

 ついでに宣言してしまおう!とりあえず、毎週腹筋200回と腕立て伏せ200回を1ヶ月続ける。



アメリカ

2004-09-17 21:15:35 | Weblog
 コーチをやっているキヨさんに刺激されて、しばらく休んでいた英語の勉強を、ヒアリングから再開した。

 しばらく休んでいてもヒアリングの力はあまり落ちないようだ。NHKラジオ朝7:45からのリスニング入門や夜23:00からの英語ニュースは、とても聞きとりやすい英語で話されこともあり、聞いていて楽しめた。

 でも、スピーキング力は休んでいた分だけ落ちている。

 今日の昼、オフィスにアメリカ人がふらっとやって来た。会話をしようかと思ったが、言葉がスッと出てこなかった。へらへら笑いながら“Nice to meet you"とだけ話した。
 その後、オフィスにいたヨッシーとモリダーに「初めて会う人にどこから来たの?と聞く時には"Where are you from?"と聞いてはだめなんだよ!」と偉そうに話した。「じゃあどういうの?」と聞かれて、思い出そうとしたが思い出せなかった。
 正しくは、電話をかけてきた相手の名前を聞くときに、"What is your name?"と聞くのはだめで、"Can I have your neme please?" と聞く話と混同してしまっていることに気づいた。
 
 スピーキングといえば、大学生のころにアメリカを一人旅していた飛行機の中での思い出がある。ニューヨークからワシントンに向かう飛行機だったが、ドリンクサービスが回ってきたので"Beer Please!"と注文した。

 すると“Milk"が出てきた。

 ビールとミルクは聞き間違えるはずはないと思うので、当時は童顔だった私がビールを注文したことにたいして、「子供はミルクでも飲んでおきなさい!」というアメリカ人一流のジョークだったのだろう。
 アメリカといえば今日友人に送ったメールにすぐ返信があったが、アメリカからの物だった。そして、4日前に送別会をした後輩が今日の仕事を最後にアメリカに旅たった。

ご褒美

2004-09-16 22:08:30 | Weblog
 「扉を開けたら何かくれる?」2日前から何度も尋ねてみた。

 私の会社の席の近くにある金庫の扉がなかなか開かなくて、来る人、来る人、困っていた。私はそんな人に「開けたら何かくれる?」と尋ねてみた。何でもいいから「あげる」と言ってくれる人がいないかと思っていた。もちろん本気で何かを欲しいわけではないから、気持ちが相手に伝わって冗談にとられたのか、それとも「あつかましいオヤジや!」と嫌われてしまったのか、ただ一人だけチロルチョコレートをあげるといってくれた。

 でも、まだくれない。

 ベルギーにいたころ、同僚のキムが言っていた。「俺は毎日自分にご褒美をあげるんだ!」そういったあと彼はフライトショッピングでボールペンを買っていた。前の日は本をもらったらしい。自分にどんなご褒美をあげようかワクワクしながら考え、そのご褒美をもらうためにその日一日努力したり、人のためにいいことをするらしい。

 大人になったらご褒美は自分であげるものかもしれない。

 子供のころはよくご褒美をもらっていたような気がする。それこそ「ガンバッタよ~!、何かちょうだ~い!!」と母親にねだり、母親はいつも小さなチョコレートとか、ガムとかを持っていてそれをくれていたような記憶がある。アシカショーのアシカのようなものだが、思い出すだけで、心な中が暖かくなるものを感じる。
 
 大人になってご褒美なんておかしいのかなと思っていたが、単純な私には効果がありそうな気がしてきた。こんなことを考えていたら少しワクワクしてきた。明日は何のご褒美をもらおうか、そのために何をしようか考えよう。
ご褒美を買う時は、一緒に人にあげる小さなご褒美も買っておこう。自分がご褒美をもらったら嬉しいのだから、ご褒美のもらえなくなった大人はきっと喜ぶかもしれない。