チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

ニューヨークに行きたい

2012-03-08 22:38:39 | 身近な出来事
実現したいことを心の底から実現したいと思い、口に出すと、それが実現する体験を何度もしている。

2010年9月に参加したワークショップで、確か20年後の自分自身になったつもりで、これから自分自身が
おこす行動を、あたかもそれが実現されたかのように振り返って語るという機会があった。

実際にやりたいと思っていたけども、何もその時には手を付けていなかったテーマを選んで話した。
その後、この時に話したことは完全に忘れていたものの、それが一年後には実現されていた。

実現されたのは、必要な行動をおこしたからというのは事実だけれど、行動をおこす際に、
宣言をしたことは記憶にはなかった。

ただ、不思議なことにその後、いろいろなきっかけがやってきて、それが行動をさらに加速させて、
実現したという感じ。
話したことが潜在意識に焼き付けられて、それが行動をおこしたというように解説するのだろうか。

そんなことを昨晩思いながら、その時の感覚から出た言葉は「ニューヨークに行く」。
ただニュ-ヨークに行くのではなく、そこに住んで仕事をしたい。

なぜニューヨークかの理由は明確ではないんだけど、先日2010年9月と同じようなワークショップの機会に
マンハッタンにある高層ビル上層階のオフィスに立っている私自身の姿を漠然と見たことと、
つながりがあるように思う。

だからたぶん実現するのだと思う。

そして、これを実現させるために、昨晩は眠りにつきながら「ニューヨークに行く、ニューヨークに行く」
とこの言葉を頭の中で反芻し、マンハッタンの高層ビルのオフィスをイメージしながら眠りにつこうとした。

潜在意識にどんどんニューヨークに行くことが染みついていくことを信じながら、「ニューヨークに行く」
という言葉を繰り返し、マンハッタンのイメージを描いていた。

そうしていると、突然、頭の中の映像に変化が現れてきた、何かなと思ってみていると、それはお風呂の
ようだった。

そして「ニューヨークに行く」も次第にニュアンスが変化していく、「にゅーよくに行く」
「入浴に行く」

なんでこうなるのだろう、私の頭の中のオヤジギャグ細胞のいたずらか。
悲しいけれどこれが現実かなと思いつつ、そしてこのオヤジギャグに苦笑しながら眠りについた。

明けて今日。

i-Phoneの待ち受け画面をニューヨークの写真に変えた。気分だけでもニューヨークと思って。
そうすると、夜、ニューヨークに関係がある人と突然つながった。

なされるがまま

2012-03-04 00:35:09 | 身近な出来事
木、金、土と三日続けて酔っ払い。
よせばいいのに、毎晩気持ち良くなるまで飲む。

昨日は眠っている時に、耳元で聞こえるはずのない寝息が聞こえた。
どういう作用だろう。

アルコールが入ると、寝息が大きくなるから、眠りながら自分自身の
大きくなった寝息を聴いているのだろうか。
それとも、布団をかぶって寝ていて、布団の中で音が増幅されたのか。

あるいは何かが耳元近くで眠っているのか。

3番目の可能性はおそらく低く、可能性としては、ひとつめか二つ目の
いずれか。

ああ、眠たくなっちゃった、今晩はこれまで。

今晩はどんな夢を見て、どんな音を聞くのかが?
とりわけ酔っ払っている今晩は、なされるがまま。

アイスクリームの時間

2012-03-01 22:55:40 | 身近な出来事
飲んだ帰りの習慣がある。

コンビニでアイスクリームを買って食べながら歩いて帰ること。

外が寒くっても、暑くっても関係なく、酔っ払って歩いて帰るときはいつもアイスクリームを
食べる。

食べるアイスクリームは決まっていて、いつもチョコモナカ。
最中風の皮の中にホワイトアイスクリーム。そして中心には薄い板チョコが入っていて、
3種類の触感と味を楽しめる。

一応大人だから、人目をはばかりながら食べる。
人通りの少ない道を選び、そうすると必然的に暗い道になるんだけど、そんな道をアイスを
ばくばく食べながら帰る。

きっと幸せそうな顔をしていると思う。

誰かから見られている可能性は低いので、誰かの目を気にすることなくバクバク食べている。

でも、たまに人にすれ違うことがある。

前から歩いてくる人影が男なら、それは気にしない。ばくばく食べ続ける。
人影が女性なら、アイスクリームを食べながら歩いているようなそぶりは見せない。
もぐもぐ動いている口を、わずかにとめて、何事もなかったかのように女性とすれ違う。

だって、夜の暗い道で、男とすれ違うだけでも女性にとっては警戒心を抱く瞬間かもしれない
のに、その男がアイスクリームを食べて幸せそうな顔をして歩いてくると、怪しい以外の何物
でもないと思うから。

酔っ払っていても、それでアイスクリームを食べていても、女性に対する礼儀は可能な限り尽くす
のが私のタイプ。

私の顔はすましていても、顔には最中の皮がついているかもしれない。アイスクリームの白いひげや
チョコレートの線がついているかもしれない。自分にはわからないだけで、相当怪しい人間に
見えるかもしれない。

幸い、「キャー!!」とかいって逃げられたことはないから、安全な人物の許容範囲に入っている
のだろう。

アイスクリームを食べながら、いろんなことを考える。
でも、酔っ払っているから、その時に考えていたことはほとんど思い出すことはできない。

今晩は、Blogに何を書こうか考えていたと思う、結局はそんなことを考えていたアイスクリームの
時間が今日のBlogになりました。

夢が伝えていること

2012-02-29 23:13:41 | 身近な出来事
何度も繰り返し見る夢のシーンがある。

それは走る夢。

ジョギングのようにゆっくりと走るのではなく、めい一杯早く走る夢。
短距離のリレーで走ったり、何かを追いかけていたり、何かに追いかけられたり、
とにかう早く走ることが必要な場面の夢を見る。

お決まりのパターンは、足はすごいスピードで回転する。
でも、スピードがぜんぜん早くならないで、足が空回りしている。

なんで前に進まないんだ!って、びっくりするやら悔しいやら、
そして「普段走っていないから、走ることができないんだ」
「昔は走るのが早かったのにな」っていう結論になって眠りに落ちていく。

昔は早かったことも、そして長い期間頑張って走ることをしていないから
走ることができないのも事実。
走ることを促す夢なのかとも思う。

だけど、この夢には別の意味があるんじゃないかって思い出した。
夢の中で走っている時の感覚で覚えている一つに、足が空中で空回りしてる
感覚がある。

まさに地に足がついていない感覚。
ここから思うに、夢が伝えているのは、「地に足をつけなさい」というメッセージ
もあるのかもしれない。

夢の感覚にはもう一つ典型的な感覚があって、それは足が伸びきらない感覚。
漫画で見るような膝が曲がった状態でぐるぐる高速回転する(あたかも車輪が
回転するかのように回っている)シーンに似ているもの。

ここからは、足を延ばして縮めて足全体の伸縮を使うこと、そこから浮かぶのは
「自分自身が持っているものを自覚し、それを全て使い切る」というメッセージ
なのかもしれない。

「地に足を付ける」「自分自身の持っているものを自覚し使い切る」

これは私にとって、すごく重要なメッセージに感じる。

一番嬉しかったことは、かばんの中に傘が入っていたこと

2012-02-28 22:23:23 | 身近な出来事
今日一番嬉しかったことは、かばんの中に傘が入っていたこと。
こんなことが一番嬉しいのは喜べることか、悲しいことか考えながら雨降りの中を
歩いた。

傘があれば雨が降っていても歩いて帰れる。それが嬉しい。
電車やバスを待つこともなく、周囲でおきていることに惑わされることもなく
自分のペースで、一人の静かな時間を確実に一歩づつ前に進んでいける。

今朝も会社まで歩いて行った。

会社に入るまでは元気がいいのに、会社の敷地に入った途端に何か重苦しさを
感じる、その理由を考えた。

仕事が面白くない? 今日、会社で嫌なことがある?

考えていてわかったのは、自分のペースで進めないこと。
これには二つの意味がある。

一つ目は直接的なもので、会社の敷地に入った途端に、多くの通勤の列に加わり、
自分のスピードで歩けないこと。
二つ目は会社という組織の中で仕事をする上では、自分自身のペースで仕事を
進められない場面も多くあること。

私は自分のペースで進みたいんだなということをあらためて感じた。
わがままもあると思う、自然な感じがいいというのもあると思う。
他にも私の個性とか、私が大切にしていることとつながっているような気もする。

雨降りの中、かばんの中に見つけた傘をさし、いつしか今朝感じていたことを、
帰り道にもう一度感じていた。

あなたの中にあるもの

2012-02-26 22:15:03 | 身近な出来事
ふとした時にでてくる表情が気になる。
とても素敵な笑顔とそこにある大きなひとみ。

そのひとみは、目の前にあるものを写すだけでなく、心の中にあるものを写している。

心の中にあるもの。。。

人の痛みがよくわかる人。
だから、自身の中にあるものを、おきていることもよくわかっている。

言葉にしようとすると、出てきた瞬間に質感が変わる。
自分自身を表現したつもりなのに耳から伝わってくる言葉は自分の気持ちじゃない。

賢くて、芯が通っていて、自分自身に厳しくいられる人。
悲しいことや苦しいことがあったときも、これまで一人で頑張ってきたから、
強くなった。

とても優しくて思いやりがある人だから、自分のためじゃなくてきっと人のために
頑張ってきた。
弱いところをみせたらだめって、私は頑張らなくっちゃっていつも言い聞かせてきた
のかな。

頑張ってきたことはすごいこと。本当にすごいこと。
だからあなたはとっても美しい。

私にできること、それはよくわかっている。
話を聞かせてほしい。
あなたの中にあるものを、自分自身の言葉になってもならなくても、
あなたの中にある外に出たがっているすべてを。

2012年初夢

2012-01-04 07:51:02 | 身近な出来事
新年といえば初夢。
すでにたくさんの夢を見てどれが初夢だつたかわからなくなったものの、
一番記憶に残っている夢は友人が南の国の国王になった夢。

選挙に立候補して国王に選ばれたというところから話がスタートした。
国王などはもちろん経験したことがない友人は、国の重要な意思決定を行う
ために、知り合いの専門家を集めることを思いつき、その中の一人として
私も南国に呼ばれたのだ。

豊かな自然、燦々と降り注ぐ太陽、友人が住む王宮はジャングルのような
木々に囲まれ、水の豊かな庭園を持つ白を基調としたもの。
でかい、そして装飾がふんだんに使われたとっても豪華な王宮。

その豪華さに圧倒されている私のところに国王はやってきて、
「経済でも、財務でも大臣をやってくれない?」と頼んだ。

経済も財務も専門外だなと思いながら、一方でやれそう気持ちになったので、
「やりましょう!」と返事をした。
それに喜んだ友人は、「それでは早速ドライブで国内を視察に行こう」と
彼のガレージに案内してくれた。

国王のガレージはすごい。世界中の高級車が見渡す限り並んでいる。
ぴかぴかに磨かれ、どの車もいつでも動かせるようになっている。

「この車に乗りたくて国王になったようなもの」と国王である友人はとっても
彼らしい話をした。

夢はこれ以降覚えていない。

この夢が何を意味するのかはわからない。
夢占いではなく、心理学的なアプローチをとって私の潜在意識にあるものを
読み解くのも面白いだろうという気持ちもあるものの、しばらくはそれもしない。

実は、もう一つとても気になる夢を見た。この夢を見終わった直後に、今回
が初めてのことではなく、過去に何度もこの夢を見ていたことに気づいた。
そして、なぜこの夢を何度も見るのかについてもヒントを見つけたのだけれど、
これは夢の中で、夢から覚めて気づいたことなので、今はどんな夢だったのかも
思い出すことができない。

この夢を思い出せると、私自身が無意識化に感じている何らかのことへの大きな
ヒントが隠されているように思う。
まるで宝探しのよう、いつみられるかなあの夢。





空を飛ぶ時に大切なこと

2009-11-07 22:39:08 | 身近な出来事
空は飛ぶためにはリラックスした状態でいることがとても大切。

空を飛んでいる時、ふとしたきっかけで飛ぶ力が減衰し、地上に落ちそうになる。そんな時には地上に向かって落ちている感覚のためにすごく緊張する。
そして、緊張すると飛ぶ力はさらに落ち地上に向かって落ちていく。

地上に落ちていくその恐怖、緊張間の中にあっても、そのことを忘れ、頭と気持ちを一瞬で切り替えてリラックスした状態に自分自身を持っていくことが、飛ぶための唯一の手段だということを学んだ。

リラックスした状態になった時、自然と浮力が回復し、私の身体は再び浮き上がり、コントロールされた状態になる。

飛行において上下に移動する、左右に移動する、さらにはスピードを調整することも全ては身体の動きでおこなうのではなく、頭の中でどうしたいかを決めるだけで思ったように動くことができる。
ただ、頭の中で決めているようで、それは脳から指示がいくのではなく、どちらかというと胸の辺りにある何かから指示がでているように感じる。
落下した時に緊張する何か、そして再び浮上するためにリラックスする何か、そのどちらも脳にあるのではなく、飛行する方向やスピードを指示しているものと同じく胸の辺りにあるような気がしている。

マジックアイ』の映像を見る時も、その働きは目の働きであるものの、リラックスした状態を作ることがとても大切。そして私の場合、リラックスしようとした時に、それは脳が機能しているようで、それと同時に胸のあたりで何かが起きていると感じるのととてもよく似ている。

空を飛ぶのは夢の中の話。

いつからこの夢を見るようになったのか、夢のことだから起きたらすぐに忘れている。でもある日、空を飛んでいる夢を見た後にそのことが鮮明に記憶に残っていた。そして、その時に空を飛ぶ夢はこれまでも何度も見ていることに気がついた。

空を飛ぼうとするときは、まず自分自身をすごくリラックスさせることから始まる。完全にリラックスした状態になると私の身体は地面を離れ、空中に浮き上がる。

次に私が行きたい方向のについて意識を向けると私の体はそちらの方向に傾き、移動を始める。移動のスピードが早くなると私の身体は地面と水平になり飛行する。

まだ私が身体のコントロールに慣れないころは、私の身体は上方にどんどん浮き上がり、それもとてもバランスの悪い状態で浮き上がっていった。そしてこのままではコントロールのきかないまま空に放り出されると感じ、慌てて高い枝や建物につかまったことも覚えている。

何のために空を飛ぶのか、どこに行ったのかは全く覚えていない。角が多い建物の中を飛んだこともあるし、木がたくさんある山々も飛んだことがある。

今度この夢を見た時には、私が行きたいところを決めてそこに行ってみることを試してみたい。また誰かの手を握って一緒に飛ぶことができるのかも試してみたい。
ピーターパンみたいで楽しそう。

夢と言えば最近は金縛りの夢を見なくなった。

飛ぶ夢を見る代わりに、金縛りの夢を見なくなった私。私の深層心理のなかで何か変化がおきているような気がする。

効率的に非効率な仕事をする

2009-09-30 03:57:55 | 身近な出来事
日本とドイツの仕事の仕方について考えて出てきた答えが、「効率的に非効率な仕事をする」日本と「非効率に効率的な仕事の選択をする」ドイツという対比。

細かい仕事に粘り強く取り組み、思いやりがあり、配慮ができる一般的な日本人はあれやこれやと仕事をする。例えば資料作りがそう。日本では上司のことを考えて上司がこんな資料があると喜ぶのではないかと考えて資料作りができる部下は上司受けがよくて、仕事ができる部下と見られる。

上司に受けることは受けないよりはいい場合が多いだろう。
上下関係で不要なストレスを抱えることが少なくなるし、仕事もやりやすくなるだろう。自分の為に上司を使うことができるのが優秀なサラリーマンの証明みたいなところもあるので、これにもつながる可能性はある。

的確な資料を作ることで、上司の判断が適切になり、そのことで仕事が速く進み、また上司の貴重な時間を無駄にしないで済む。結果的に会社にとって有益な場合もあると思う。

このように書きながら自分自身が混同し、混乱していることに気がついた。

私が書きたい「効率的に非効率な仕事をする」日本についてもう一度軌道修正をする。

資料作りについて言えば、要は必要以上または不要な資料を効率的に一方で時間をかけて作ることが当たり前になっているような日本の仕事の仕方のことを「効率的に非効率な仕事をする」と言わんとしている。

それに対してドイツは、会議の場で不必要な議論に象徴されるような非効率がある。
「こんな議論は不必要だろ!」と思うような議論、「おいおい、他の人が同じ事を言っているのを聞かなかったのかい、なぜ同じことをまた時間をかけて言うの?」というような発言に頻繁に出くわす。
日本人的な感覚からいうと「自己主張が強く、周囲への配慮が足りず、空気が読めない人達」という感じ。

ただ、どうも多くのドイツ人がこの調子だから、そこにいて黙っている私こそが「何を考えているのかわからない、参画意識の低い、協調性の無い人」と思われているかもしない。

一旦このことはおいておいて私の視点に戻ると、不要な議論が散々続いた後に、ある時急に、では「こういう方向でいこう」とリーダーが話を始める。「こういう方向」というのは、必ずしもその議論を踏まえてでてきた総意のようなアイデアでも、驚くような画期的なアイデアでもなく、最初にリーダーが提案、議論の種となったアイデアそのものだったりする。

ただ、一通り自己主張大会が終わると、リーダーの結論に従うのがドイツ人のおもしろいところで、もとのリーダーの提案でみんなが行動をおこすことに合意する。

「合意するのなら、どれだけ無駄な時間をかけて議論するの?」といいたい私がいるが、これがこちらの仕事のすすめかた。

リーダーのもってくる提案は基本的に効率的なアイデアが多い。労働時間が限られているドイツでは、その時間で可能な仕事のアイデアを最初から提案しないと話にならないから、無駄な部分をそぎ落とした効率的な仕事が最初から考えられている。

「非効率に効率的な仕事をする」ドイツ人と、「効率的に非効率な仕事をする」日本人。

個人的には「効率的に効率的な仕事をする」組織がいいとは思うが、結果重視でドイツの仕事の進め方の勝ちかな。

プレッシャーをかけない

2009-09-30 02:42:26 | 身近な出来事
人に対してよかれと思ってやっていることが、実はよくないことをやっているかもしれないことに気づかされた。

仕事をする上で過度のプレッシャーはよくないけれど、多少のプレッシャーをかけながら、チャレンジを促すことは大事だと思っている。
その人を、その人が快適と思える場所から一歩踏み出してもらう。すごく不安で心配で、一方でその場所へ行くことに対して期待も持っている、そんな兆候が見えた時に私は、多少のプレッシャーをかけチャレンジを促す。

私が準備し10月初旬のミーティングで行うパワーポイントプレゼンテーションの一部を、チームのメンバーにやってもらおうとした。それを本人に話したのが先週の木曜日だった。
予想通り、不安で心配な気持ちとともに期待を持っていることが見て取れた。

「今少し時間がとれますか」と電話がかかってきた。部屋にいってみるとプレゼンテーションの原稿ができていた。私はこれまでプレゼンテーションの原稿を準備したことなどあまりない。プレゼンテーションをするのだから原稿を準備するのはあたりまえかもしれないが、チャレンジ使用とする気持ち、そこでベストを尽くそうという気持ちがとても嬉しかった。

説明内容を一通り聞いて、本人の考えや思いを引き出しながらアドバイスをした。話が終わった後、本人から健康上の問題があり、実はプレッシャーがかかることがあまり望ましくない状態であることをきいた。

私はそのことを聞いて、とても申し訳ない気持ちを感じた。またそれと同時に、そのような状態でありながらも、チャレンジし準備をしてくれたことをとても嬉しく思った。

「もうプレッシャーをかけることはしないから、あなたの身体のことを考えてあなたができること、そしてやりたいことをやって欲しい」とお願いした。
プレッシャーをかけたことをすまないと思い、もうプレッシャーはかけたくないと思った。

会社の帰り道、いつものようにドイツ アウトバーンを走った。
速度制限の無い道をアクセル全開でその日一日のストレスを晴らすように、車を蹴散らせながら走る。いつもは。

でも今日は私以外の人にプレッシャーをかけないように走った。

アカデミックな世界

2009-09-29 19:30:47 | 身近な出来事
日本から大学教授が2人り来られ日本とドイツの働き方や生産性についてインタビューを受ける。

下準備として事前にいただいた質問表の答えを準備したあと、インタビューに来られる先生の情報をインターネットで調べた。すぐに、先生の過去の論文のタイトルや、講演のパワーポイントスライドなども見つかった。

久しぶりにアカデミックな雰囲気に浸るが、そこに書かれている内容がアカデミック過ぎてなかなかピンと来ない。特に統計手法についての知識が不足している性で、データーから結論に結びつけるところが理解できず、狐につままれたような感覚を覚えた。

アカデミックな世界は論理的な世界。論理のトレーニングをするのにはたまにこのような資料を目にするのも悪くない。そしてそれと同時にまたアカデミックな世界に足をつっこみたい思いも沸いてきた。

日本にかえってからやることがまた増えそうだ。

豚はじまる

2009-09-27 20:17:40 | 身近な出来事
先週は精神的に落ち着かないことがあり、また少し怪我をしたこともあってジムに一度もいかなかった。また精神的なものから来たのか、体に疲れを感じ、食事をとるとすぐ眠ることが多かった。

食事をとってすぐ眠るパターンは体によくない。胃がもたれるし、まさに豚のもと。

先週の締めくくりは金曜の歓送迎会。イタリアンレストランで脂っこいものをたくさん食べて、ビールとワインをたらふく飲んだ。二次会に行ったカラオケでもそれは続き、結局夕方7時から夜中の3時まで食べ、飲み放題。

先々週まで順調に減らしてきた体重が一気に金利もついて帰ってきたように感じる。豚はじまる。情けない。

でも、カラオケは楽しかった。かなり酔っ払いだったので、何を話したのか何曲歌ったのかはよく覚えていない。それまで抱えていた精神的な負担も歓送迎会までには解消し、怪我からも回復してきたこともあったのか、とてもリラックスして楽しんだ。
気の置けない仲間と飲んでいたのも良かったし、カラオケのお店の女の子も雰囲気を盛り上げてくれ、他のテーブルのお客さんとも一緒になって騒ぎ、ダンスをした。夜中の3時にあっという間になった。

昨日土曜そして今日日曜はダンスがあるので、少しは体は絞られるが、またいい体に向けて一から出直しという感じ。

豚という言葉について、日本ではこの言葉にあまりいい響きがない。カラスとかコウモリとか、狐とか蛇もそうかもしれないが、豚に比べれば、そこには賢そうだったり、魔性的なニュートラルか人判断する人によってはいくらかポジティブなイメージがあるように感じる。

豚にはそれがない。

人に大して「豚!」みたいに悪口をいうことは日本語だけでなく、英語、ドイツ語、フランス語にもある。

豚ってかわいそう。

自分自身の棚卸し

2009-09-27 19:46:39 | 身近な出来事
定期的に自分自身の棚卸をすることにしている。

最も手っ取り早くて、次につながる何かをえられそうなことになるかもしれないので、求人サイトに登録し、そこに載せる履歴書を過去の履歴書を見直しながら最新版にした。

履歴書だからアピールすることが重要。うそは一切書かないが、自分自身の過去の経歴や能力を最もポジティブな視点から抽出し、簡潔に纏め上げた。

「それなりにこれまで努力をしてきている」と、自分自身のことをよく思えたし、加えてもう少し伸ばしたい能力にも気がつく。

会社人間にはなりたくない、いつでも会社を辞めれるようにしておきたいというのは学校を卒業して今の会社に入った時からずっと思ってきた。これまで転職をしていないのは結果的にそうなっただけで、転職しないと決めていたことはこれまでなかった。

上司や、他のいろいろな環境に恵まれ会社に対しての不満がほとんどなかったことや、会社以外でいろいろとやりたいことがあって忙しかったことも原因だと思う。
転職活動をしたこともあるが、それも転職することを目的にして真剣に取り組んだものではなく、たまたま声がかかったところに話を聞きにいったレベルに過ぎない。自分自身の社会的な評価を確認したり、転職活動をすることで自分自身が会社に縛られないというスタンスを保とうとしたのだと思う。

また、結果的に最終オファーをうけられなかったことも転職していない大きな理由。でも、不思議なことにそれらの会社はその後全て業績が悪くなっている。当時は勢いのある会社で個人的には将来性がある会社だと感じていたのに、ことごとく経営危機に直面している。

何が良いことなのかは、とらえかた次第だからなんともいえないと思うものの、恐らく今の状態は転職さいたよりも結果的には良い状態のように思う。

「私は他力本願で、私のほうから動くのではなく周囲からやってくることを待っている傾向が強い」ということをあるかたに話した時に次のようなお返事をいただいた。

「自分が考えて、意思決定してやっているように思っても、それは必ず自分の外にある環境にスペースを与えられてやっているわけで、自分がやったのか、自分以外のものがやったのかわからないことがある。他力本願と自力本願、突き詰めると、結局はつきつめるとつながるように思います。また待つというのは、ある意味、とても基本の自分で考える行動のように思います。待てないで、周りの環境、ヒトに動かされることもありますから。」

確かにその通りのような気もする。
まずは自分自身の棚卸をやぅった。あとは何かが起きるかもしれないことを待つようにする。

秋の一日

2009-09-24 08:53:56 | 身近な出来事
「秋になりました。夜の時間が長くなり、今日は昼間の時間が夜よりも8分長いだけです」

通勤途中の車のなかでラジオから聞こえてきた。

日に日に朝の日の出が遅くなっていくことを感じる。
あと一ヶ月すればドイツは冬時間になり、朝は一層暗くなる。
暗いうちに会社にでかけ、暗くなってから家に帰ってくる生活になる。

秋も、そして冬も好きな季節。それは夜が長いこととも関係があるように思う。
明るいうちは何かしなければという気持ちから、昼間が長いと頑張りすぎてしまうのかもしれない。

自分に戻る、自分らしい場所に帰っていくのには夜がいい。

今日は少し変な日だった。
何が変かと問われれば一つ一つは些細なこと。
例えば、オフィスの椅子に座った時に、何か落ち着かない感覚があり、探してしまった。

シートベルトを。でもそこにはあるわけがない。

車の運転をしていて、信号の無い交差点に入るために左右を確認しようとした。でも寝違えて首が右側のほうに向かない。

体の向きを変えて右側を見たら、そこからは左側が見えなかった。

明日はいい日になるといい。