チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

ハリネズミの時間

2008-10-31 21:33:59 | 身近な出来事
とても忙しい一週間。仕事もプライベートも。

ボ~っとする時間は全くなく、Blogもなかなか更新できなくてあっという間に一週間が過ぎた。

一秒、一分、一時間、一日の長さは冬時間になっても変わらないもに今週は冬時間を取り戻すかのように早く過ぎていった。

時間のことを考えていると、なぜかハリネズミのことが頭に浮かんだ。

ハリネズミの動きはとても遅い。庭の隅にハリネズミを見つけ、ゆっくりそちらの方向に向かうと、ハリネズミは逃げるような動作をするがとにかくゆっくりしている。

結局追いつかれて身体を丸くしてそこにとどまってしまう。



動きが遅いからはりのようなものが背中についているんだろう。

はりねずみの時間の感覚ってどうなっているのかな。

ケルン大聖堂を登る

2008-10-30 21:15:05 | 身近な出来事
ケルンにある大聖堂
ゴシック様式の建物としては世界最大で塔の高さは157mある。世界遺産にも指定されているすごく迫力のある大聖堂。


お客さんが来るたびごとに必ず訪れるから、たぶん50回以上はいったと思う。でも一度も塔に上ったことがなかった。

今回初めて塔に上がった。

エレベーターはなく、ひたすららせん状の階段を上っていく。
最近の運動不足がたたり5分もしないうちに息がきれてくる。次は足が重くなり途中で休憩をしながら上がった。

時々小さな小窓から外の景色が見えるから、今はどのくらいの高さにいるのだろうと想像し、もう少しもう少しと励ましながら上がった。

苦労を乗り越えた後の充実感は素晴らしい。おまけに外の景色も素晴らしく。
とても嬉しい気持ちになった。

ドイツ人のもてなし

2008-10-29 21:04:02 | 大切な人
今日は日本の友人とドイツのオフィスに行き、昼は会社の食堂で以前一緒に仕事をしたことがあるメンバーと食事をした。



友人もドイツの会社のメンバーも久しぶりの対面をとても喜び楽しい時間を過ごした。

ドイツ人は人をもてなす時の姿勢が素晴らしい。

急激な経済環境の変化に伴い皆とても忙しく仕事の中では笑いが途絶えているような状況なのに、この食事のときは素晴らしい笑顔で日本の友人をもてなしていた。

食堂にやってくる会社の人達の中で、私の友人と関わりがありそうな人を見つけるとその人を連れてきて顔合わせをさせる。社長だって連れてくる。

友人が喜んでくれたこと、友人を暖かくもてなしてくれたメンバーと一緒に仕事をしていることをとても嬉しく感じた。

デュッセルドルフ居酒屋の仕組み

2008-10-28 23:32:17 | 身近な出来事
日本から友人がやってきたのでドイツの居酒屋に食事に行った。
デュッセルドルフにあるローカルの人達が集う居酒屋が行きつけのお店。
たまに食べるドイツの食事はだいたい美味しいんだけれど、特にこのお店の食事は美味しいと感じながら食べられる。
料理は典型的なドイツ料理。

料理が日本と違うだけでなく、ドイツの居酒屋と日本の居酒屋では、そこでのくつろぎ方や料理の注文方法が違う。

ドイツ人の一般的なくつろぎ方は、とにかくビールを飲むこと。

デュッセルドルフのビール、アルトビールは茶褐色のビール。アルコール度数は5%弱で日本の一般的なビールと変わらない。200mlのごく普通のグラスでサーブされる。


味は黒ビールに近いが、黒ビールのような重たさはなくさっぱりとしている。表面にある泡はビール独特のシュワシュワ感があるものの、飲んでいるときにその水分の中に炭酸を感じることはない。
だから日本の一般的なビールのようにお腹が膨れてもうビールはいいやという感じにはならない。

ビールのグラスが空になるころには、注文をしていなくても次のビールが運ばれてくる。ビールをもう飲みたくなければコースターをグラスの上にのせて蓋のようにするか、店員にもうビールはいらないと告げる。

ひとしきりビールを飲んだ後に食事を注文する。食事は基本的に一人ひとりが自分の食べたたい料理を一品注文し、注文したものを各々が食べる。お互いの料理をシェアすることはないし、それを前提に注文をすることも無い。

食事をしながらも料理を食べつづけるが、最初にビールを何杯が飲んでいる間はビールだけを楽しみ、おつまみなどは何も無い。

食事をした後の会計はビールのグラスの下に敷いているコースターにひかれた線を数えてお店の人が計算する。
ビールが運ばれてくるたびにコースターには線が引かれていて、この線の数にビール一杯の代金をにかける。それに料理の代金をたしたものが総代金になる。
これは多くのドイツの居酒屋に共通のシステム。

ただ面白いのは夏など店に客が入りきらず、外の道路ですごい人数の人がビールを立ち飲みしているときも仕組みは同じ。混雑している中を店員がビールを運んでくると、ビールを飲みたい人は店員を呼びとめおもむろにポケットのなかからコースターを出し、そこに線を引いてもらう。
とても不思議な光景!

ドイツ人の知り合いに「飲み逃げする人はいないの?」とたずねてみると、デュッセルドルフのこの地域では飲み逃げする人はいないとのことだった。

会計の時にはチップを渡すのがドイツでは普通。食事や飲んだ金額とはあまり関わりなく二人で食事をしたら1ユーロ~3ユーロ位の金額を渡す。
ドイツの食事の会計はテーブルで計算をしてもらい、金額を聞いた後にチップを含んだ金額を渡す。おつりをもらうときも同じで、チップ込みの払いたい金額を告げておつりをもらう。

二人のダンス

2008-10-27 07:10:27 | 覚えておきたい考え
土曜日、日曜日と2時間づつダンスのレッスンを受けた。

土曜日はディスコフォックス、ワルツ、タンゴ、ルンバのレッスン。日曜日はスロー、ジャイブ、チャチャのレッスン。

身体ができていないためワルツを踊るのはとてもきつい。ステップは難しいものをしていないから腕や姿勢を含めた身体のコントロールに意識を向けられるのだけれど、動いていない状態でもダンスの姿勢を保つことがとにかくきつい。

「動き出してから姿勢を作ることはできないから、動き出す前に姿勢を作って」と先生に言われる。だから頑張って姿勢を作りその姿勢をダンスの間中保ち続けようとする。実際には保ち続けられないんだけれど、とにかく頑張っていると呼吸がとても浅くなり、呼吸が切れるころには身体が崩れていく。ワルツは本当に手ごわい。

タンゴはワルツのように身体の上下運動や伸びがないからかもしれないけれど、呼吸をしながら踊れていて姿勢もある程度保てる。右ひじが下がらないようにすることと左ひじの張りと角度に気をつけていればそれなりの格好にはなる。

「ワルツはたいへんだ」と思う気持ちが余計にワルツをたいへんにさせているのかも知れない。

ボイストレーニングで時々”ハイC”にチャレンジする時、「この音はすごく高い音だから普通では絶対にだせない。自分の持っているものを全て振り絞ってださないといけない」と思うと、のどや身体に力が入りすぎて”ハイC”は枯れた声になる。逆にのどと身体をリラックスさせてその音のイメージを頭に持ちながらそこに自分の音を持っていくと思って歌うと”ハイC”が出せる。

身体と気持ちは繋がっている。気持ちをリラックスさせることがとても大切。
逆もそうだと思う。身体に力が入ると気持ちに力が入るというか緊張してしまい、あがってしまったり、気持ちの柔軟性がなくなってしまう。

人は人のエネルギーに影響を受けることも、日曜日に先生やとても上手な女性と踊っていて感じた。

ジャイブの単純なステップを練習している時に先生とダンスをする機会があった。
一緒にダンスをしていると私の技術がすぐに変わるはずがないのに動きが変わっていることを感じる。
先生と組んでいる手から伝わってくるエネルギー、それはリズムや力強さやメリハリや動き、動き以外のものでもダンスへの思いや、そんなものまでが伝わってくる感じがする。そして身体が反応する。ステップの伸び、腰の動き、組んでいない手の動きにも切れやリズムそして躍動感がでてくる。
一緒にダンスをするだけで、こんなに変化がおきることはとても不思議な感じがする。

今でも一緒にダンスをした感覚が身体の中にある。

ダンスはパートナーによって変わる。特にラテンにはそんな傾向があるように思う。パートナーの持っているエネルギーに影響を受ける。

私はそんなエネルギーを感じることがとても好き。

誰とでもダンスを踊れるようになることが私の目標。
相手のエネルギーを感じながら、そこに私のエネルギーを合わしたり、逆に私のエネルギーを伝えて相手にそのエネルギーに合わせてもらったり、そしてお互いのエネルギーを使って二人のダンスを踊る。
そんなダンスが踊れるようになりたいな。

瞬間瞬間を楽しむ

2008-10-26 23:14:55 | 身近な出来事
ヨーロッパは冬時間に入った。日本とドイツのと時差は8時間になった。

土曜が終わり日曜になったところの夜中の2時(中央ヨーロッパ時間)に夜中の1時に時間を戻す。1時間得したことになる。
おかげで冬時間になった最初の日曜日は1時間ゆっくりと朝目覚めることができる。

土曜日も日曜日も一日の時間のほとんどを家の中で過ごした。年末の旅行の行き先を考えたり、11月に出かけるカナダモントリオールのことを調べたり、パソコンのソフトウエアをアップデートしたり、昔の写真を眺めたり...
やることはいくらでもあるからいいんだけれど、この生活はちっともドイツで生活しているという感じがしないところが不満。

ドライブにでかけるか、散歩にでかけるかでもすれば少しはドイツらしい生活になるのだろうけれど、外にでかけようというモチベーションが高まらない。

昔の写真を眺めていると、休みには必ずどこかにでかけていたことがわかる。ほとんど毎週末は500kmはドライブしていた。家にじっとしていることができなかった。いろいろなものを見たかった。
若かったから元気があったのかなとも思う。

今も元気はあるんだけれど、動き出そうとする前には休息が必要と言う感じかな。身体や気持ちを休めて動き出すことに備えている。
10月は来週で終わりすぐに11月。11月もすぐに終わると思う。12月もすぐに終わる。その間にプライベートでは楽しいことがいくつもあるが、仕事はかなり大変そう。

大変な面に焦点をあてると気分が重たくなる。
前向きに精一杯の努力を楽しみながらできるよう気持ちを整えることが大切。

将来に生きるのではなくて今に生きる。計画をすること、将来に備えることは大切だと思うけれど、計画をたてる、将来に備えるのは今を精一杯いきるため。今を精一杯楽しむため。

今週末は休んでいただけでなく、今を精一杯生きるために将来の計画をたて自分自身の気持ちを整えていたと思えば有意義な週末になる。あとはその瞬間瞬間をいかに楽しむか。ちょっとここが足りなかったな。

風で飛ばされない落ち葉

2008-10-25 23:58:43 | 身近な出来事
落ち葉が公園を埋め尽くし、街路樹の植えられた道路では道路脇に落ち葉がたまっている。

私の家の庭の木もたくさんの黄色や茶色の葉っぱを落とした。
軽い葉っぱだから、掃除をしなくても風が庭の隅に運んでくれる。

何日か前からずっと動かない葉っぱを見つけた。



動かないだけでなく同じ場所に葉っぱが増え続けている。
不思議に思いながらも毎日観察していた。

葉っぱではなかった。



たくさんのきのこ。

去年も昨年もこんなきのこは生えていなかったのに。

庭の芝生も来年の春までは刈ることもないからきのこもこのままにしておく。いつまで生えているのな。


したたかな人達

2008-10-24 23:40:51 | 身近な出来事
ベルギーアントワープからドイツデュッセルドルフへのドライブ。
昨年9月からほぼ毎週の金曜日、平均的に毎週1回以上は続けているから60回くらいは動いたことになる。

ベルギーの会社からドイツのデュッセルドルフのアパートまでの距離はオランダ経由で225km。
ベルギーとオランダ国内でも渋滞区間以外ではスピード制限(120km)を越える140km~160kmで走り、ドイツ国内に入れば追い越し車線をふさがれていないときはアクセル全快の220kmで走る。
それでも金曜日の夕方はラッシュアワーの渋滞と重なるから2時間半はかかる。

今晩はデュッセルドルフで歓送迎会が19時から予定されていたため、2時間半前にベルギーの会社を出た。
順調にいけばぎりぎり開始時刻に間に合う時間。
でも、過去の経験から予定が入っている時に限って必ずいつもより移動に時間がかかることを知っている。前回は3時間、その前2回は4時間近くかかった。

予測は的中して、ラッシュアワー渋滞の後は道路工事による車線規制で長距離の渋滞。
ベルギーの道路工事ははっきりいっておかしい。道路工事で渋滞がおきるのは当たり前だけれど、渋滞を緩和させるやりかたをとっていない。『工事をするので、渋滞します』という予告を事前にするだけで、2車線の道路を簡単に1車線に規制してしまう。
これは私の思うところのベルギーで頻繁に見られる状況、人の思考パターンとも言える。なんとかして状況を少しでもよい方向にもっていこうというよりは、「こういう状況だから仕方ない、あきらめろ」的な発想。
歴史の中でベルギーという小国がドイツ、フランス、イギリス、時にはオランダに征服され、その中でもしたたかに生き延びていくために学んだ知恵なんだろうか、この『状況をかえるのではなく状況を受け入れる』という思考は。

これがドイツだったら道幅をすごく狭くし60kmの速度制限にしたとしても必ず2車線を確保しようとする。ドイツでは決まりがあるのかもしれない。通行量や車線数の状況を踏まえて、道路工事をするときには最低何車線の道路を工事中にも確保しなければいけないという。それがドイツ。

渋滞するハイウェーを降りてベルギーの田舎道を走る。ベルギーの田舎は美しい。自然もそうだけれど建物がとても美しい。この家に住んでみたいなと思える家が次々と現れる。ドイツのどっしりと感じとは違う、繊細さを感じさせる家。ドイツもベルギーもレンガや石、コンクリートを使った建築である点は同じなのに、その違いは大きい。建築にはベルギー独特の様式があるように感じる。ベルギーのこだわりを感じる。『状況をかえるのではなく状況を受け入れる』感覚の中にもしたたかに持ち続けているものがある、そんなベルギー人の気質の表れかなと思う。

ハイウェーが渋滞していなければこれから先もドライブすることは無かったであろう道を走りながら考え、感じていた。

あるべき姿にもどるだけ

2008-10-23 23:00:03 | 身近な出来事
1ユーロが125円を切った。
急激な円高が進んでいる。
3ヶ月前の7月には1ユーロが170円に届く円安レベルだったので、当時に比べて現在は円の価値が36%も高くなっている。

日本からやってきた生活者の感覚としては、円高によりこちらでの買い物が4割近く値段がさがった状況で、とても嬉しい。
一方で日本で作ったものをヨーロッパに持ってきて販売する組織に勤める者の感覚としては、円高により利益が大幅に減る大変厳しい状況で、とても苦しい。
この影響は4割どころではない。

仮に1ユーロ120円が利益のブレークイーブンポイントとした場合、1ユーロ170円の時には50円の利益がでるが、1ユーロ125円の時には利益が5円になる。つまり利益が10分の1になる状況。

円高分を小売価格に転嫁し、円高の利益減少分を取り戻す方法もあるが、小売価格を上げると販売量に影響がでて販売量が下がるため、単位あたりの利益が増えても面積が減ることで利益は大きく増えない。このため円高の小売価格への反映はそう簡単には行えない。ヨーロッパの市場が縮小している中で小売価格をあげることは通常よりもさらに厳しい結果につながりかねない。

生活者の感覚に戻ると1ユーロ170円が異常で、現在の1ユーロ125円は適正なレベルだと思う。ガソリン価格を例にあげると、1ユーロが170円だったころはガソリンも原油価格の高騰で高かったこともあり、ドイツでは1リットルが270円だった。日本でも同様にガソリンが高いころだったがそれでもガソリン価格は190円だったと思う。
現在はドイツでガソリンが1リットル163円、日本で160円とほぼ均衡している。ガソリン以外のものでも、125円レベルだと日本と同じレベルの価格になる。

企業としては1ユーロが170円の時にはそれが当たり前のように考えて利益の見通しをたて、1ユーロが125円になると緊急事態が発生したとして大騒ぎをしている。

私は経済の専門家ではないから生活者感覚でいいきってしまう。
過去の170円が異常、現在の125円が適正。企業は125円でも適正な利益が出せる体質にしないといけないし、125円になったと大騒ぎするのはおかしい。

やっと適正なレベルに戻ったと落ち着きを取り戻すくらいな余裕を経営者には持って欲しい。そうでないと間違った判断による不適切な行動をおこしてしまいそうな気がする。
「あの経営者の発言は異常だ、現実認識が正しくない」といわれないために、経営者は「大変厳しい状況にある」ということを外に対しては言わないといけないけれど、内に対しては「正常な姿にもどっただけだから、慌てることはない。ただ、今やるべきこと迅速に実施して、この状況を乗り越え、今の為替や経済状況が続いても生き残れるように取り組もう。我々がより強くなるチャンスがやってきたんだ。」みたいに言って欲しい。

金融危機による不況で国家財政が破綻を迎えかけているアイスランドや、海外からの資金流入がとまり経済活動が停滞し消費が大幅に落ち込んでいるスペインもこれまでの姿がおかしかったんだと思う。
そこで生活している人にとっては当たり前だった姿もやっぱりおかしかったんだと思う。

おかしいことは必ず元に戻る。あるべき姿にもどる。ただそれだけのこと。

英国女性を観察する

2008-10-22 23:26:52 | 身近な出来事
英国女性の面白い。

私の数少ない経験から感じるものだから正しいかどうかはわからないが、タイプの違う英国女性に共通するものを感じるからまんざら思い込みではないと思う。

英国女性にはユーモアのセンスがある。自分自身をネタにして笑える、日本で例えると関西女性に通じるユーモアのセンスを感じる。
英国女性のユーモアのセンスは英国紳士のユーモアと関係があるのかもしれない。

英国と聞いて私がイメージするのは007のジェームスボンド。ユーモアのセンスがあってそしてかっこよくて、まさに「クール!」という感じ。

英国にはこんな紳士があふれている、こんな紳士が人気があるのかと思うと、どうも違うようだ。

英国のテレビ番組を時々見る機会がある。そこに登場する人たちもみなユーモアのセンスがあり冗談ばかりを言っている感じがする。
ジェームスボンドと違うのは外見がボンドのように「クール!」な感じではないこと。どちらかといえば身長もそんなに高くはない。見かけも日本ならば漫才師っぽい感じ。まさにユーモアのセンスで番組に登場しているように強く感じる。
『紳士』という印象からはかなり遠い。

そんな世界で育っているから英国人女性もユーモアのセンスが優れているのだろうと私は勝手に決め付けている。

英語(米語ではなく)の山谷ある発音も私にとってはそれを聞くことで頭の中が揺さぶられるため、英国人女性と接する時には、彼女達を受け入れやすい状態になっていると思う。

アントワープの大学が運営している語学学校で英語の勉強を始めた。ここの先生が若い英国人の女性。英国人から英語で学ぶ英語は日本で学ぶ英語とは違う目の覚めるような内容もある。

それに加えて彼女自身がとても興味深い。英語とともに英国女性を学んでいる感じがしている。私のモチベーション的にはとてもいい感じ。

インターナショナルチーム

2008-10-21 23:00:55 | 身近な出来事
私のベルギーの会社のマネジメントチームはとてもインターナショナル。

国籍と人数は次の通り。

ベルギー:     3人
オランダ:     1人
デンマーク:    1人
オーストラリア:  1人
日本:       1人
アメリカ:     1人
イギリス:     1人

コンセンサスを取る事がとても難しい状況に何度も直面し、その度に「ベルギーの文化はイージーではないな」と感じていた。これはベルギーの文化が背景にあると思い込んでいた。
それも背景にはあるかもしれないけれど、それ以上にこのインターナショナルなマネジメントチームの構成も理由にあるかもしれない。

日本と同じようなやり方で進めようとするほうが間違っているかもしれない。
会議を開いて合意をとるやり方がいい場合もあれば、キーパーソンに個別にアプローチしそこでの合意を元に、メールで一方的に通知し「文句があれば言ってくれ!」的な方法をとらないと進まない場合もある。これもこのインターナショナルなチームの構成がその一因にあるかもしれない。

『若いうちの苦労は買ってでもしろ』というから、この経験はきっとこの先なにかに役立つかもしれないと思う。

でもよく考えたらもう若くはない。

どうするんだろうねこれから。

「君はどうしたんだい?」
自分自身に問いかける。


月曜日のサンバ

2008-10-20 23:29:09 | 身近な出来事
月曜日の朝は登社拒否の気分で始まった。
理由はある。

仕事で単純なミスをしたことを関係者に報告し、その対応について合意を得る手続きが気を重たくさせていること。
気が重いことによるものだけでなく、とにかく日曜日の夜の睡眠がいつも浅く、昨晩は一晩中うとうととしてすごしたこと。
忙しい週末をすごして少し疲れているところもあるのかもしれない。

重たい気分のなかで支度を整え車ででかけた。

今日の天気は雲一つ無い快晴だというのに、私の頭の上にはには分厚い雨雲がかぶさっているよう。

「はぁー」というため息をだすのも疲れる感じ。
「今日はさぼってやれ!」くらいの元気があればいいのだが、このまま会社以外のところに走っていく元気もない。

土曜日に買ったCDをかけるとそこから突然軽快なサンバ/ボサノバのリズムが流れた。

O Ariyá ra yo oba oba oba  
オ- アリャ ラ ヨ オバ オバ オバ  
O, O, O, O, O, Ariyá ra yo oba oba oba  
オ-オ-オ-オ-オ-オ- アリャ ラ ヨ オバ オバ オバ  
Mas que nada
マシュケナダ
Sai da minha frente que eu quero passar
サィダミニャ フレンチ ケウ ケ-ル パサーア
Pois o samba está animado
ポィズ サンバ イsタ アニマ-トゥ
O que eu quero é sambar
ウ ケゥ ケ-r エ サンバーr  
Este samba que é misto de Maracatu
エsチ サンバ ケ ミ-sトゥ ジ マラカトゥ
É samba de preto velho, samba de preto tu
エ サンバ ジ プレトゥ ヴェ-リュ サンバ ジ プレトゥ トゥ  
Mas que nada, um samba como este tão legal
マィs キ ナダ ウン サンバ コム エsチ タゥン レガ-ゥ  
Você não vai querer que eu chegue no final
xヴォセ ナゥン ヴァィ ケレーr キ エゥ シェギ ヌ フィナゥ

『Mas que nada』、とてもご機嫌な曲。
気分が一気に盛り上がってくる。
一緒に歌いだす。身体もリズムにあわせて揺れている。

近いうちにダンスのメンバーと一緒にカラオケにいって、私がこの曲を歌いメンバーはサンバを踊る、そんなことを考えて気分がうきうきしてくる。

ダンスで習ったサンバのステップを思い浮かべ、サンバのステップをもっと習いたいと考える。

そんなことを考えていると沈んでいた気分が一気に晴れていく。
気分が沈んでいるときはサンバだね。


マシュケナダ』日本語歌詞

マシュケナダ(これ以上のものはない:最高!)
私の前をどいて、そこは私が通りたいんだから。
サンバは活気があるからね。
私の前をどいて、そこは私が通りたいんだから。
サンバは活気があるからね。
私のしたいことはサンバを踊ること。
マラカト(踊りの種類)を取り混ぜたこのサンバは、
古い黒人のサンバだよ。黒人である君のサンバだよ。
マシュケナダ、このような、かっこいいサンバ
あなただって私に最後に満足してほしいでしょう?

ダンス、ダンス、ダンス、いつまでもダンス

2008-10-19 23:20:28 | 身近な出来事
ドイツの社交ダンスバッジテストを受けた。

ブロンズというクラスのバッジテストなのでスタンダードとラテンの10種目の中から3種類目を選びそれぞれ90秒ずつ踊る。
選んだのはスローワルツ、タンゴとルンバ。ブロンズクラスの定番種目。

足の怪我で8月末からダンスを休んでいたんだけれど、このバッジテストを受けたくて昨日から練習を再開した。8週間のブランクを少しでも取り戻すため昨日はプライベートのレッスンも受け3時間半のトレーニングをした。

足はまだ完治とまではいっていないもののダンスに支障はなく、久しぶりのダンスをレッスンでもバッジテストでも楽しんだ。

日本人のダンス仲間5組がブロンズバッジテストを受け、1組がゴールドバッジテストを受け、全組めでたく合格。

ゴールドバッジテストを受けた日本人仲間のダンスはとても素晴らしかった。この日のダンスの中で最高だった。「あんなふうに踊りたい!」という思いを強くもった。



ドイツ人のペアのダンスにもとても強く印象に残るダンスがいくつもあった。
その中でも89歳の男性と80歳強の女性のペアのダンスは、そんな年をいっさい感じさせない軽やかで優雅なダンスで、今回で55回目のゴールドバッジテストに合格した。

年をとることをある時からネガティブに感じていた私にとって、年をとっても素敵なこともあるなと思えた瞬間でもあった。

ダンスにめぐり合えたことを幸せに感じた。

ジャズのコミュニケーション

2008-10-18 22:52:57 | 身近な出来事


岸ミツアキ・トリオのジャズを聴きにいった。ジャズに興味を持ったのは最近のこともあって岸さんが日本で有名人なのかどうかは全く知らないけれど、インターネットで調べてみるとそれなりに名前が知れている人らしい。

岸ミツアキ(Pf) 荒玉哲郎(Bs) 田中ひろし(Ds)のバンドの演奏はとても心地よかった。ジャズをどう表現するのが適切なのかわからない私が表現すると、とてもナチュラルで優しくて暖かい、そして綺麗な演奏という感じ。

観客の8割くらいはドイツ人。在デュッセルドルフ日本国総領事館が主催し、文化交流的な意味合いもあったので、日本の童歌をジャズにアレンジしたものやドイツのローレライ、デュッセルドルフ出身の作曲家シューマンのクラッシックをジャズにアレンジしたもの、スタンダードのジャズに加えて演奏された。

曲の合間に岸さんが曲紹介や衣装のことについて話をする際には、とてもユニークで面白おかしく話されたため、笑いもある楽しいジャズ演奏会になった。

ピアノ、コントラバス、ドラムの独奏の場面も何度もあり、これは迫力があった。



ドラムはピアノを演奏する岸さんの背中側に置かれていたが、ドラムの独奏の場面では岸さんは椅子の反対側にすわり直して、ドラムの独奏をとても楽しそうに聴いていた。
その表情はとても楽しそうで、暖かくて、その目はとても優しいのもだった。
ドラムの田中さんはそれに刺激されているのか、これまたとても楽しそうに演奏をしていた。

何も話さないで見ている岸さんとバンドの田中さんだけれど、ここには見ている人がはっきりと理解できるコミュニケーションがおきている。

「お、そうきたか! すごくいいね! たまらないね。 もっとやってよ! 最高!」

「どうだこれで! まだまだいけるよ! ほらどうだ! やるだろ!」

楽しくて暖かくて繋がっていてすごくいいコミュニケーション。

こんな感じで一緒に演奏ができるってすごくいいな。
岸ミツアキスタイルのジャズの特徴なのかもしれないけれど、ジャズっていいな。

親密な関係

2008-10-17 23:42:49 | 身近な出来事
ベルギーの会社では皆がお互いのことをファーストネームで呼び合う。「ファーストネームで呼び合おうね!」なんて話をしなくても、最初に相手の名前を呼ぶときからファーストネームで呼びあっている。
会社の約束事ではなくてこの地域のカルチャー、ベルギーのオランダ語圏にある会社ではそれが当たり前で、苗字で呼ばれるのは違和感を感じるらしい。商談などで始めて合う人にも、苗字で呼ばれると"Call me -(ファーストネーム)--- ”とお願いしている。

日本の会社では苗字+役職(部長など)で呼ぶ代わりに、苗字+さんでよぼうという『さんづけ運動』があった。堅苦しいところがとれてこれはこれでとてもよかった。日本でもファーストネームで呼び合う会社もあるのかもしれないけれど、逆に呼ばれた人が慣れるまで違和感を感じ続けるのではないかと思う。だから会社のなかでは『さんづけ』くらいが一番いいのかな。

ドイツの会社でも今はファーストネームで呼び合っているケースがほとんど。でも、一部の人どうしでは苗字で呼び合っている。特に日本人は日本人社員同士で呼び合うときも、ドイツ人を含む日本人以外の社員と呼び合うときも苗字で呼び合うことが多い。

私も一部の例外を除いてファーストネームを使う。ただ、ドイツの場合はベルギーほどオープンにファーストネームを最初から使うのではなく、合意をとった後に使う。

「Duを使ってもいい?」がその時の決まり文句。

ドイツ語では単数形の『あなた』に相当する主語、英語の"You"に相当するものに"Du(ドゥ)"と"Sie(ズィー)”の2種類があって、"Du"はファーストネームで呼び合うような関係に使う。だからファーストネームで予備あうことを確認する時に「Duを使ってもいい?」という聞き方をする。

"Du"を使う特に実は困ったことがある。それはドイツ語の動詞の変化。ドイツ語は動詞の主語が変わると動詞の語尾が変化すること。
"Sie”に続く動詞が動詞の基本形で"Du"の時には動詞の語尾を変化させないといけない。定型の変化をする動詞も多いけれど、そうでない動詞も結構な数がある。
Duの変化形が私にとってはなかなか頭にでてこないため、Duの後の動詞が「モニョモニョ---」とした発音になって相手には聞き取れにくいようだ。

ファーストネームで呼ばれたり、Duで呼ばれたりするのは私にとってはとてもいい感じ。お互いの関係を親密に感じられるだけでなく、この社会の一員になった気がする。