チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

優しさに溢れたハウルの動く城

2004-12-31 13:58:37 | Weblog
 2004年最後に日に「ハウルの動く城」を見に行った。いろんなやりたいことをさしおいてでも、見に行って本当によかった。

 私がこの映画から強く感じたものは「優しさ」。
相手への思いやりやいたわりがベースにあって、その上に、さりげない優しさ、おしつけない優しさ、強い優しさ、いろいろな自然な優しさが溢れていた。
映画のなかのさまざまな悲しみや、苦痛や、怒りの描写が、優しさを一層際立たせていた。

 「優しさ」を私が強く感じたのは、私自身が優しくなりたいと思っているから、一方で私自身が優しくないからだ。
「冷たい人」だと言われることはない、むしろ優しい人だと言われることの方がおおいかも知れない。でも、私自身は私のなかに、わざとらしい優しさや、おしつける優しさや、計算高い優しさが見えていたりする。そしてそういう自分がいやになる。優しくない自分よりもっと嫌になる。
「ハウルの動く城」を見て、優しくなりたい、自然に優しい人になりたいと強く思った。

 「優しさ」って人間にとってとても大切なものだし、人間は皆優しさを持っていると思う。
ボランティアで障害を持った子供達の世話をしていたNさんが言っていた。「障害を持った子供達は本当に優しい子が多い。こんな子供達を見ていると、人間は本来優しさを持っていると強く感じる。そして障害を持っている子供達と一緒にいると自分自身も優しくなれる」
 でも、世の中には優しくないように思える人も多い。元々優しかった人が、さまざまな原因で優しさを忘れていく。そして人を優しくするのも、人から優しさを奪ってしまうのも全ては人だと思う。

 同じ人ならば、人を優しくする人になりたい。そのためには私自身が自然に優しい人になりたいと思う。

 優しさは人を強くもする。映画の中でハウルや、ソフィーがそうであったように。
自然に優しくて強い人、こんな人になりたい。

暗いニュースの多い年

2004-12-30 22:11:03 | Weblog
 年末ぎりぎりになって年賀状作成の追い込みをしながらも、テレビのニュースが気になってなかなかはかどらない。

 スマトラ沖地震は日を追うにつれ悲惨な映像や津波の瞬間の映像が出始め、目が釘づけになる。今回大変な被害を受けたプーケットには16年前に行ったことがある。
当時もすでにリゾート地だったものの、まだ小さなリゾート地だった。空港から三輪トラックに乗ってどのくらい走っただろうか、途中道路は舗装されていない箇所もまだ多くあり、「この先に本当にリゾート地があるんだろうか」と心配になった。

 昼はビーチに寝転がったり、それに飽きたら街をぶらぶらと歩いたが、小さな街だったので街の端から端まであっというまに歩けた。まだ建物も少なく、ビーチ近くにある建物は、日本の海の家のような粗末な建物だった。

 その後プーケットがどんなリゾート地になったのかは知らないが、それが壊滅的な打撃を受けたと聞き、他人事とは思えない。本当は救援に向かいたいところだが、それだけの行動力はない。

 奈良の小学生殺人事件は容疑者が捕まり一安心した。どんな背景があるかは知らないが、絶対に許すことができない犯罪だ。安心と同時にとても悲しい気持ちもこみあげてくる。

 紀宮さまのご婚約は本当におめでたい。いろいろな苦難を乗り越えてきっと今があるのだろうと思うと、その気持ちを想像して熱いもの感じる。このニュースがなければ今年は暗いニュースが多かった。

美味しい芋焼酎

2004-12-29 21:42:34 | Weblog
 今年大変お世話になった人との今年最後の忘年会。場所は、おいしい芋焼酎とそれにあった料理を出してくれる店と決めていた。

 芋焼酎ブームのおかげで、焼酎の種類を多く取り揃えている店は増えたが、なかなかこれといった店がない。気に入らない理由は焼酎の値段。

 ごく普通の芋焼酎でも500円~700円くらいとる店が多い。ましてや佐藤や伊佐美クラスになると一杯1000円くらいの値段がついている。

 いくら美味しい焼酎だからといってもそんな値段を出して飲むのは、ゆったりとした気分で飲めないので嫌だ。おいしい芋焼酎を妥当な価格で出してくれる店選びは簡単ではなかった。

 そこで思いついたが馴染みの酒屋のだんなさん。相談をしたらとっておきの店を紹介してくれた。

 森伊蔵、佐藤、伊佐美、萬膳、不ニ才を飲んで食べて2人で1万円強。料理もすごく美味しかったので2人とも大満足。今年最後の忘年会は大いに盛り上がった。
やはりその道の穴場はその道の人に教えてもらうに限る。

心からでた言葉

2004-12-28 20:19:42 | Weblog
 仕事納めの今日は、一日の最後に今年一年のねぎらいと、休暇中の健康と安全について、ボスからメンバーへ話すことが恒例となっている。

 話上手なボスだから、毎回味わいのある良い話をしてくれる。今回も10分程度の時間だが、これまでにもまして良い話だった。
今年我々が多くのことに真剣に取組んできたこと、そして結果を出してきたこと、そんなメンバーへの感謝とそこでボスをしていることを誇りに思っていることなどが話された。

 綺麗なことはいくらでも言える。心の中では思っていなくても言葉だけは感謝や誇りについて語ることができる。
でも、下のものは上が思っている以上に上の本心や本音がどうなのかを感覚的に感じ取っている。

 今回ボスが話した言葉は、少なくとも私にはボスの心からでた言葉のように感じた。
そしてその瞬間ボスの気持ちと私の気持ちが一つになったような気がした。

 この一年いろいろとあった。ボスのことが信頼できないと思うようなこともあったが、一年の最後の十分間の話しで、そんな気持ちは全て吹っ飛んだ。

 信頼するに足るボス、素晴らしいリーダーを持っていることを誇らしく感じた。

節目になる日

2004-12-27 23:11:32 | Weblog
 私にとって一年の中で節目になる日がいくつかある。

 1月から順番に並べると1月1日、1月29日、2月21日、4月1日、6月21日頃、12月21日頃。その日の意味は、元日、父の命日、私の誕生日、新学期スタート、夏至、冬至だ。

 それぞれの日で思うこと、強く意識すること、思い出すことは違っているが、全てが私にとって節目となる特別な日だ。

 この中で冬至は「一年中で昼が一番短く、夜が一番長い日」とよく表現される。私が冬至に感じているのは「この日を境に昼が夜よりも長くなる」ということ。このことを強く意識して、この日を心待ちにしている。

 本格的に寒さの厳しい季節になるが、暗い季節は終わりだと感じる。それまで下向きに伸び続けていた矢印がこの日を境に上向きの矢印に変わるような感覚だ。
上手く表現ができないが、「よし、もう大丈夫!」という気持ちになれる。

 冬至の後も日の出時刻は1月15日頃まで毎日遅くなっていく。この頃を過ぎて、夜明けが早くなってくれば私はますます元気になってくる。

カラオケ紅白歌合戦

2004-12-26 23:54:10 | Weblog
 プロジェクト絡みの6人の仲間との飲み会はスタンドでのカラオケ大会だった。

 カラオケ大会にはルールがある。カラオケ機械の採点機で、82点以下の点数がでればその点数をだした人は1点マイナスにつき100円をテーブルの上の皿におく。

 その日の店の平均点が77点だったので、82点というレベルは簡単には達成できる数字ではなかった。1曲歌って1000円支払う人もいる。
1回も払わない人は一人だけで、毎回払うひともいればたまに払う人もいる。皿の上のお金がみるみるたまっていく。
大きな失敗をすると1000円単位のお金になること、また少額であっても支払うこと自体が恥ずかしい感覚がある。

 カラオケ大会にはもうひとつのルールがあった。90点以上の点数がでれば、その時点までにたまっているお金をすべて1人でもらうことができる。

 最初はリラックスして始まったカラオケ大会も、次第に、興奮と緊張した雰囲気にかわっていった。たまに予想もしない点数がでることもあり、採点基準はわからないが、何曲が歌っているうちに漠然とよい点数が出る時と出ない時が感覚的にわかってくる。

 82点以上だすこと、目指すは90点以上という目標が明確だから、みんなこれを狙った歌い方や選曲をしてくるので、次第にレベルが高くなり、後半には90点以上もぼちぼちと出てきた。

 興奮と緊張の中にも、ちゃんと場を和ませる仲間達。ユーモアのある会話に下ネタもすこし織りまぜ、スタンドの他のお客さんも巻き込んだ紅白歌合戦は深夜まで続いた。

 久しぶりにカラオケをおもいっきり歌った。
 

ロンドンのクリスマス

2004-12-25 18:15:39 | Weblog
 ロンドンでクリスマスを過ごしたことがある。キリスト教徒の多い国だから、クリスマスはとても盛り上がるんだろうと期待して行ったが、行ってみてびっくり。ショッピングをしたくても多くの店は25日には閉まっていた。空いている店も午前中でしまるところが多かった。おまけに地下鉄も午前中で止まってしまった。美術館や博物館も同じような状況だった。
クリスマスは家族と過ごす大切な時間らしい。
 
 せっかくだから教会で礼拝に参加したが、あとは何もできずホテルにこもっていた。郷に入れば郷に従う。イギリスのクリスマスはこうなのだからしかたがない。

 日本でもクリスマスは家族と過ごす人が多いとは思うが、感覚的には日本の昔の元旦のイメージだろうか。家族と過ごすことが最優先で働いてなんかいられない。

 7年くらい前の出来事なので、今のロンドンがどうなっているのかはわからない。
少なくとも日本の正月はずいぶんと変わった。日本人の感覚は変わった。元旦から空いている店もかなりある。元旦といっても普段の日と変わらないような生活ができる。
便利といえば便利かもしれないが、その代わりに失ったものもあるような気がする。1年の節目での家族との大切な時間。

 こんなことを思うのは年をとった証拠だろうか。

クリスマスケーキのたたき売り

2004-12-24 08:55:01 | Weblog
 私にとってクリスマスといえばクリスマスケーキの印象が強い。

 小学生の頃の記憶だが、12月24日と25日には商店街の入り口の屋台に山のようにケーキがつまれていた。ケーキを売っていたのは、いつもはその場所でバナナのたたき売りをしているおじさんだった。いつものようにはちまきを巻いて手にははりせんのようなものを持って机をたたきながら「らっしゃい、らっしゃい クリスマスケーキだよ!他で買うより絶対安いよ。早く買わないとなくなるよ!!」とかいって売っていた。

それに刺激された多くの人が競ってケーキを買い求めていた。
すごく活気があった。そしてケーキを買っている人達の顔はクリスマスの喜びとお得なものを買ったという喜びからか、とても幸せそうだった。

 25日の夕方7時頃を過ぎるとクライマックスがやってくる。「このケーキ買ってって!半額にするから!」と言ったかどうかは覚えていないが、本当のケーキのたたきうりが始まった。

 こんな経験から、私の頭には12月25日の夕方になると日本全国でクリスマスケーキのたたきうりが始まるという思い込みがあった。
3年前のクリスマスにこのことを思い出した。甘いもの好きの私は、期待を胸に夕方になるのを待って近所のケーキ屋にいった。
でも、たたき売りはしていなかった。「まだ時間が早いのかな」と思い、他のケーキ屋にいったが、そこでもたたきうりはしていなかった。結局たたきうりはどこでもしていなかった。

 クリスマスケーキのたたき売りは、ケーキを安い値段で買えるという金額的なメリットよりも、特別なプレゼントを貰ったような感覚が好きだった。

韓国ブーム

2004-12-23 23:20:07 | Weblog
 「冬のソナタ完全版」の放映が始まってから、自宅のテレビが夜遅くまでついている。主題歌の「最初から今まで」や冬のソナタ挿入曲は一日中いろいろなところで耳にする。

 日本経済新聞の「春秋」に日本での韓国ブームの一端と、韓国ブームの思わぬ影響が書かれていた。
<韓国ブームの一端>
・日本漢字能力検定協会が公募した「今年の漢字」で「韓」は「災」に次ぐ第二位。
・日経MJの今年のヒット商品番付けで「韓流」は東の横綱。
<韓国ブームの思わぬ影響>
・日本の韓流ブームがやや誇らしげに韓国の新聞で報道されており、これまで警戒的だった日本文化への論調が好意的になってきた。

 「韓国ブーム」の流れは、「冬のソナタ」以前にも芸能界でのBOAブームや、食べ物の世界での韓国のりやブルゴギブームなどがあったが、「冬のソナタ」でより多くの人が韓国ブームにはまっていったのだろう。

 日本と韓国との間にあった壁が低くなって相手の顔が見えてきた。相手に対する偏見や誤解がとれてきた。等々ワイドショー番組などで報じられている。
 こんな話をきくと「そうだなあ」と思う自分は古い世代の人間だ。自分自身ではなんら壁を感じたり、偏見や誤解をもつような経験をしたわけでもないのに、そのようなものを頭のどこかに持っていた気がする。きっと親の世代からのインプットの影響かもしれない。

 「冬のソナタ」にはまっている世代は中高年層が多いが、若年層にも人気があるらしい。若年層といえば私の世代よりも偏見や誤解は少ししか持っていないか、いや全く持っていない世代かもしれない。

 そんな世代を巻き込んで「韓国ブーム」はブームに終わらず、そこにある独自性は日本にしっかりと根付いていきそうな気がする。
 

手話通訳のリーダー

2004-12-22 23:29:46 | Weblog
 3年前から続いている1年に1回の飲み会。

 参加者は組織内で手話通訳の講師を務め、聴覚障害者の働きやすい職場環境作りに励んでいる組織内手話通訳のリーダー、聴覚障害者の福利厚生を担当している寮長や寮の指導員、そして採用や教育の担当者。

 私が担当している教育プログラムで手話通訳の役割を担っていただいた以来の付き合いで、過去の飲み会には、聴覚障害者の方も何名か参加していた。

 この会に参加すると、聴覚障害者の方が直面している現状や課題を様々な視点から生の声で聞くことができ、私自身の仕事について考えさせられる。
これから先のことを考えるだけでなく、昨年取り組もうと思ったものの、その実現のためのハードルの高さに躊躇し、「優先順位」とかいう言葉を使って取組まなかった私自身を発見する。

 手話通訳のリーダーは、それを業務としてやっているのではなくボランティアでやっている。組織内に必要な役割や機能であるにも関わらず、それがなかったり、機能していなかったりするために、リーダーがボランティアとして取組んでいる。
リーダーが業務時間中に社内通訳に行くときなどは、上司の理解や協力があることは間違いないが、自分自身の仕事に使う時間をリーダーを必要とする人のために使っている。

 聴覚障害というものに関心がなく身近に感じていなかった私に、リーダーはいろいろなことを教えてくれた。正直なところ私のリーダーに対する最初の印象は少し堅物で、難しい人だった。

 でもだんだんわかってきた。
リーダーが実現したいこと、それは自分自身のことではなく聴覚障害者の人達が求めていることを実現しようとすると、妥協していてはできない。変わった人だと思われたとしても、強引だと思われても、強い意志を主張することが必要だ。リーダーはそんなことができるとてもやさしい人だ。

 リーダーを応援するためにも、私のできることをやりたいと思い、一つのことを決めた。

期待感、ワクワク感

2004-12-21 23:02:32 | Weblog
 リーダーの役割の一つとしてメンバーが期待感を持てるようにする、ワクワクできるようにすることがあると思う。

 
 リーダーは自分一人でするよりもより長い期間にわたってより大きな成果が得られることについて、メンバーの力を引き出して取組むことが求められている。
そしてメンバーの力を引き出すときには、無理やりにやらせるようなことでは、充分な力がでなくなる。メンバーが自発的にやってみようという気持ちが重要だ。

 不安や心配では「よ~っし!やってみよう」という気持ちにはなれない。メンバーがそれに取組むことを楽しみ思えるような、期待感とワクワクをもてるようにすることが重要だ。
 
 定規でたとえると、一番右端に期待感やワクワクがあるとすると、一番左端は不安や心配。真中にあるのは無感覚だろうか。
リーダーは、メンバーがたっているところを感じて、できる限り右端に近づくようにする役割を持っていると思っている。そしてリーダー自身がこの右端の位置に立つことが必要だと思っている。

 わかってはいるし、意識はしているんだけれど、なかなかできないこと。でも強く意識することからはじめてみる。

気持ちが灰色

2004-12-20 22:49:19 | Weblog
 昼間なのに外が急に暗くなってきたと思ったら雨が降り出した。空も道路も建物も空気までも全てが灰色で塗りつぶされ、心も灰色に塗りつぶされる感じがする。気分が暗くなってくる。

 「気持ちがブルー」と落ち込んだ気持ちを色で表現するが、「気持ちが灰色」は私にとって暗い気持ちを表現する言葉としてピンとくる。

 部屋の中にいても、この外には灰色につつまれた世界があると考えただけで、「気持ちが灰色」になってくる。今日は午後から外出する予定があったから余計に気持ちが灰色になった。

 でも午後になって外に出るころには、雨はやんでくれた。空を覆っていた灰色の雲に切れ目ができて、それが次第に拡がっていく様子が歩きながら見えた。

 切れ目には青い空があった。冬の空だから青はそんなに濃い青ではないが、灰色の雲とはあきらかに違う青が拡がっていた。

 こんな風に空を見ながら歩くのはすごく久しぶりのような気がする。そして空を見ていると気持ちがよくなってくることを感じた。

 大きな世界に生きていると感じた。

 ほんのさっきまで、時間に追われ、気配りに追われ神経をすり減らしながら生きていた自分がいたところが、とても小さな世界のように思えた。
大きな世界に生きていることを感じていると、もう気持ちは灰色ではなかった。

ええかっこしい

2004-12-19 20:27:33 | Weblog
 初対面の人と会うのは楽しいが心はおだやかではない。私自身が評価されるような立場にいる場合は少し緊張感を感じる。

 きっといいかっこをしよう、良い評価をしてもらおうとするから、緊張するのだと思う。

 こんな時は自然体になればいい。自然体が一番だと思っているけれど。ええかっこしいの自分がなかなか抜けない。

 自然体の自分にもまだ自信がない。

楽しい時間とさびしい気持ち

2004-12-18 20:23:41 | Weblog
 楽しい時間を過ごした人と別れる時はとてもさびしい気持ちになる。

 楽しい時間を過ごせば過ごすほと、別れの時のさびしい気持ちは強くなる。こんな気持ちはいくつになっても変わらない。
いつでも会おうと思ったら会える人かもしれないけれど、別れはさびしくてとても苦手だ。

 別れをさびしいと初めて感じたのは小学生のころだった。

 思いっきり楽しい夏休みをおばあちゃんの家で過ごした後の帰りの車の中。
ものすごく優しい顔で見送ってくれるおばあちゃんを見ていると、別れがとてもつらくなった。
後ろ髪をひかれるというのでは表現しきれない。全身が引っ張られている。心が取り残されいた。
 
 おばあちゃんの姿が豆粒になるまで手を振った後は、なみだがこぼれてとまらなかった。

卒業

2004-12-17 20:16:17 | Weblog
 今年最初の忘年会は、他部門へ異動する大切な仲間の送別会を兼ねて行われた。仲間は2年前に同じ部の別のプロジェクトに移ったが、それからもいつも私のチームことを気にかけていてくれた。
たいへんな時には何度も助けてくれた。

 今回も遠くに行ってしまうわけではない。彼のことだから、私が困っているといえば、これからもいろいろサポートしてくれると思う。

 でも、そんな彼にいつまでも甘えてはいけないと思っている。
別の部門にいって新しいプロジェクトに取組む彼を、もう私のチームのプロジェクトからは卒業させてあげないといけない。

 彼がやってくれたことは、仕事の隙間を拾い、仕事と仕事を、人と人をつなぐこと。
チームの誰かが仕事のもれに気づいたときには、すでに彼がそれを埋めていた。そんなことを彼はいつも自然に、たんたんとやっていた。

 きっと誰もきがつかずに、彼がやってくれていたこと、そのおかげで仕事がまわっていたことも多くあったと思う。
地味だけどとても大切なことをさらりとできる彼はとても優しくて、とても強い人だ。
彼ならどんな組織にいっても貴重な人になると思う。

 彼が与えてくれたたくさんの優しさと、秘めたる情熱に感謝。