チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

自分らしさのプレゼンテーションの効果

2005-03-31 23:12:15 | 覚えておきたい考え
 人前でプレゼンテーションをすることが好きか嫌いかと問われれば、私は間違いなく「好きだ」と答える。目立ちたがり屋の気質もあると思うが、目立ちたいというよりは「自分自身を表現したい。そしてその反応を感じるのが好きだ」という方がより正確に自分自身をあらわしている。
高校時代に劇団に入っていた時も、「演劇をやりたい」という純粋な思いや目立ちたいという気持ちよりは「自分自身を表現したい」という気持ちがとても強かったように思う。

 自分のことは自分が一番わかっていそうで、案外わかっていないような気がする。「本来の自分」、「ありたい自分」、「ありたくない自分」、いろいろなものが1人の人には混在し、自分自身がよくわからない、「本来の自分」がよく見えないということがおきているように思う。
 
 「本来の自分」を出すことの大切さを先日参加したコーチングのワークショップで実感した。「本来の自分」とは飾らない自分、素のままの自分、もっとも自分らしい自分のこと。そして「本来の自分」が出ているときに人のエネルギーはすごく高まっている。その人らしい個性があらわれて、その人の魅力が際立ってくる。

 では、どうやって「本来の自分」を出すか?
自分自身をおもいきり表現すること、そのために表現できる機会を持つこと。プレゼンテーションはその一つの場面だと思う。

 視点の置き方、話し方、動作・・・よいプレゼンテーション、相手により強い影響を与えるプレゼンテーションのスキルはいろいろあるし、これらも大切だと思う。
しかし、これらのスキル以上に気持ちの部分がとても大切だと感じている。

 「本来の自分、自分らしさ」を思いきりだすこと。
さらに、相手のことを思いやる気持ち、相手をたいせつな人だと思う気持ちをめい一杯持っていると、その人にしかできない、とても素晴らしいプレゼンテーションになる。

 そして「本来の自分、自分らしさ」が見えてきて、「本来の自分、自分らしさ」が他の場面でもだせるようになる気がする。

超一流の選手

2005-03-30 23:28:00 | 気づき
 サッカーの日本対バーレン戦を見た。私はサッカーのことはよくわからないが、中村俊輔や三都主がドリブルでディフェンスを翻弄し、抜き去っていく姿はみていてすごくかっこいいと思う。
 
 中村や三都主だけでなく、この試合に出ている日本代表メンバーは皆日本の超一流の選手ばかりなので、全員がものすごい能力を持っているんだろうと想像する。

 サッカーの名門校市立船橋高校で活躍していた2人組の漫才コンビ(名前は忘れた)が、自分達のサッカーの技能を紹介する番組を見たことがある。素人の私からみれば2人とも素晴らしい能力を持っていたが、日本代表メンバーは、彼らとも比べものにならないもっとすごい能力を持っているんだろうと想像する。

 そんな素晴らしい能力を持っている選手、日本の超一流選手で代表選手だと思ってみているとがっかりすることがある。それは相手選手のファールがあった時に芝生に倒れこんだり、過度にいたがったりする仕草をすること。本当にいたいのなら仕方がないが、すごく痛そうにしていた選手がフリーキックを得るとけろっとして攻撃に加わる。こんなシーンを試合中に何度も見ているととても興ざめする。

 確実に審判からファール判定を得て、失ったチャンスを回復したりチャンスを拡大する、また、自分自身や自チームの選手の疲労回復のための時間かせぎをする、過度な仕草の裏にはさまざまな戦術や戦略があるのだろうとは想像する。

 しかし超一流の選手にはそんなことはして欲しくない。めちゃくちゃなことをいっているかもしれないが、相手からファールを受けてもそれを跳ね飛ばしてでもプレーを進める、疲労回復をしないでもすむような体力をつける、超一流の選手ならばそのようにして欲しい。

 相手からファールを受ければ、試合を中断する過度なアピールをすることがあたりまえのようになっているのはどこかおかしいような気がする。

六本木ヒルズ

2005-03-29 23:17:08 | ビジネスアイデア
 超一流と呼ばれる会社を3社訪問した。

 ビルを見て声にだして「おお~(驚き)」、建物に入って受付に行って心の中で「おお~美しい」、ミーティングルームに案内されて再び心の中で「おお~え~部屋」。

 さすがに超一流と呼ばれる企業はすごい。

 そこに働く人たちも皆すごそうに見える。どこか自分自身が引け目を感じているような気がした。何に対して感じているか?

 超一流企業に勤めていること? 確かに彼らは超一流企業につとめている。

 給与? 超一流企業だからたくさんもらっているだろう。

 頭のよさ? 超一流企業だから頭の良い人はたくさんいるだろう。

 美しいもの、凄いものにかこまれていること? 見たとおり確かに囲まれている。

 東京で働いていること? これも事実。

 引け目は感じるが決して羨ましいとは感じない。変わって欲しいとも全く思わない。熱いものも感じない。

 最後に訪問した企業の20階の会議室を出る時に窓から六本木ヒルズが見えた。あそこには楽天の三木谷社長やライブドアの堀江社長、他にもいろいろなベンチャー企業が入っている。

このビルを見ていると気持ちが熱くなってきた。

懐かしい商店街

2005-03-28 22:57:23 | Weblog
 とても懐かしい気分になった。地方都市にはなくなりつつある下町商店街が浅草にはある。

 ゲームセンターやスロット屋、カフェ、携帯電話販売店、コンビニ、ファーストフードショツプ、百円ショップばかりの商店街が地方にはよくある。それでも店があるだけましで、郊外の大規模ショッピングセンターの影響などを受けて地方の中心市街地商店街にはシャッター商店街と呼ばれる、シャッターが閉まりっぱなしの店舗が連なる商店街が増えている。

 浅草の商店街にも確かに、回転寿司、マクドナルド、百円ショップもあるにはあるが、まだ昔ながらの面影が通りのあちこちに見られる。

 初老のおやじさん、おばちゃんが店を元気に切り盛りしている。街をあるく人たちも観光客らしき人を除いては高齢の人が確かに目立つが、こんなおじちゃん、おばちゃんが輝いて見える。
 耳を澄ますと、おじちゃんとおばちゃんがマツケンサンバがどうしたこうした話している。この響きもこの街にはとても似合う。

 なんか気分がいいな、落ち着くな~と感じながら街をぶらぶら歩いた後は、ミソカツが評判の店に入った。特大サイズのミソカツ、そして大盛りのごはん。

心もお腹も満腹になった。

正確なコミュニケーションってできるのか

2005-03-27 23:57:59 | Weblog
 たまには雨の日曜日もいい。晴れたら外に出ないと損した気分になるが、雨の日は家にいてもそう思わないですむ。

 メールをもらったのに返事を出せていなかった友人/知人に遅くなってごめんなさいと心で思いながらメールを書いた。私はメールを書くのに時間がかかる。時間をかけてもたいした内容は書けないのだが、思いつくままではなくできるだけ言葉を選んで書く。

 特定の人からのメールにしばしば不愉快にさせられることがある。受信リストにその人からのメールがあると「読むのはいやだな」と思ってしまう。私宛ではなくコピーの場合が多いのだが、メールを読むと案の定不愉快な気分になる。もう少し考えて書けばよいのにと思う。

 過去のメールの整理をしていてたまたま見たメールはごく普通の内容のメールだったが、宛名を見ると私が不愉快に思うメールの送り主からだった。そして次に、過去に同じメールを見て不愉快な気分になったことを思い出した。

 もう一度読み返してみた。確かに不用意な表現はあるのだが、私が以前感じたように不愉快な気分にさせるメールではなかった。

 私の先入観か偏見かが、ちょっとした不用意な表現に過度に反応したのだと思う。

 メールでなくても電話でも、直接会っていても同じようなことがおきていると思う。自分の思ったまま感じたままを相手に伝えるのはどれくらいできているのだろうか。同じことを話しても受け取る相手によって違うのだから、思ったこと、感じたこと正確に伝えるコミュニケーションなんてそもそも不可能なような気がする。

明治の日本はすごい

2005-03-26 23:25:21 | Weblog
 NHKスペシャル「シリーズ 明治 プロローグ 今、「明治」に何を学ぶか」を観た。

 内容を要約すると、次の通り。
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 少子高齢化、中国の台頭など今現在、そして今後大きな環境変化がおきるなかで、日本は変革が求められているものの、古い時代の枠組みからなかなか抜け出せないでいる。
一方で、日本は歴史の中で、江戸時代から明治時代にという現在よりももっと激しい環境変化を乗り越え、短期間で変革をとげた。

 明治の日本はなぜ変革が可能だったかについてピーター・ドラッカー氏や加藤周一氏の分析をまとめると、「古いものを活かしつつ、新しいものを積極的にとりいれたことであり①教育の重視、②文化の独立、③人材の活用という三つの法則を守ったこと」である。

 教育の重視とは、明治日本は将来の日本を子供達に託し、そのための教育を行った。
教育熱はすでに江戸時代末におきていたが、明治の教育は古いものと新しいものを組み合わせる教育であった。子供達が学ぶ教育カリキュラムに孟子を入れる一方で、西洋事情について入れることを忘れなかった。

 文化の独立とは、明治の翻訳主義のことを言っている。インドを初めてとして他のアジア諸国が西洋から学ぶ時に西洋の言語で学んだのに対し、日本は翻訳によって西洋の制度と技術を消化した。明治日本は翻訳を通じて、日本文化における意味合いを考える作業を行った。このおかげで日本は文化の独立を保った。
 
 人材の活用とは、教育を行った子供達が大きくなるまでの間、今ある人材を活用せざるを得ない、それを活用したことを言っている。武士をどう活用するかが課題だった。配置転換により武士を流動化して、身分という世襲のものに頼らないものにする必要があった。技術は西洋から輸入したが、人材は江戸を活用した。
渋沢栄一は「新しい日本は古い日本を生かしてその上に築かなければならない。」という信念を持って人材の活用を図った。

 また明治時代の日本はできることと、できないことの区別をはっきりとつけ、優先順位を明確にして難題に取組んだ。手段と目的を明確に区分し、目的意識をはっきりさせてエネルギーをそこに集中させた。そんな割りきりがあった。
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 ドラッカー氏は「若年人口が減りつつある現代、高学歴の人材を再教育により新しい時代に活躍でききる人として活用することが日本の変革にとって必要。」と述べていた。
私自身教育にたずさわるものとして、このことを強く感じている。また、今やっていること、これからやろとしていることに新たなより高い視点が加わったように感じた。

再放送は3月29日(火)午前0:15~1:07(28日(月)深夜の予定だそうだ。

ファシリテーションワークショップ

2005-03-25 23:59:57 | Weblog
 毎年春から夏にかけては自分の勉強のための時間が比較的とれる。いろいろとやりたいことがあるが、その一つにファシリテーションの勉強がある。過去に黒田由貴子さんや本山雅英さんの研修他いくつかのファシリテーション研修を受講したり、ファシリテーション関連の書籍も読んだが、
ファシリテーションの技術をしっかり身につけたいと思っていた。

 そんな折タイミングよく友人のヨダさんから日本ファシリテーション協会の広島サロンへの案内があり、今晩参加してきた。

 参加者は今回のファシリテーターであるホリエさんを含めて15名。教育関係、コンサルティング関係の仕事をしている人が比較的多いが、さまざまな職業、年齢、男女の集まるダイバシティ豊かなメンバーであった。

 今回のワークは3人1組で話し手、聞き手、観察者の役割を持ち”話す、聴く、観る”について学ぶものだったので、ややコーチング的な印象を受けたが、ファシリテーションの重要ないくつかのスキルを学ぶトレーニングとしても使えると感じた。
「新米ファシリテーターには複数の人の話を聞くのは難しい。一人の人に集中して傾聴のトレーニングができるので、この形はおもしろい」と参加者の一人が言っていたが、その通りだと思った。

 今回は聞き手、観察者の役割を担当したが、聞き手はコーチングのトレーニングにもなったし、観察者は記録の大切さや難しさを学んだ。記録については私は比較的得意なほうだと思っていたが、成果はいまいちだったので、これを勉強したいと思う。

 ワークショップ終了後の「泡の会」もとても楽しい会だった。参加者の方々とより親しいコミュニケーションを持つことができ、次回会えることがとても楽しみになった。 

森伊蔵と眠る

2005-03-24 23:58:53 | Weblog
 インターネットで購入した『森伊蔵』が届いた。JALの機内販売を目的として作られたもので、お洒落なオレンジ色の箱の中に入れられた720mlの小瓶。

 すぐに飲みたいという気持ちと、なかなか手に入らないものだからしばらくはこのまま置いておいて眺めて楽しんだ後で特別な時に飲もうという気持ちとが戦っている。

 10年以上前に1962年の『シャトー・ラフィット・ロートシルト』をプレゼントでもらって、特別な時に飲もうととっておいたことがある。特別なことはいろいろとあったが、ワインの存在を忘れて飲まないままだった。そして昨年の正月に親類が集まった時、どうしても飲みたくなってコルクを抜いた。

 「滅多に飲めないワインだから味わってのんで!」とみんなに言って、最初に私がテースティングをしてびっくり。「まずい!」。保存状態が悪かったのだろう、味が変わっていた。

 焼酎はワインのようにデリケートではないから、大丈夫かもしれないが、やはり早く飲むのにこしたことはない。

 今晩は枕元に置いて、いつ飲むか、いつ特別なことをするか考えながら眠ることにする。

美しい景色

2005-03-23 23:24:59 | Weblog
 ディズニーシーの景色は気に入った。

 まずディズニーシー駅を降りて前に見える、ディズニーシーの入り口にある建物がまず素晴らしい。2階以上の部分はホテルミラコスタになっているが、外見だけ見ても「泊ってみたい」と思うホテルだった。イタリアのフィレンツェやベニスをイメージした建物で、そのクラッシックさがたまらない。

 この建物をくぐるとメディテレーニアンハーバーという港がある。プロメテウス火山という山や大公開時代の要塞、そして港に沿って拡がるホテルミラコスタの建物、テーマパークであるからこそ見られる景色、ここでしか見られない景色だが、その一方で不自然さも感じず。ただただいい景色だと感動してしまった。

 フィレンツェやベニスやポンペイ、トルコのイスタンブール、ポルトガルのポルトなど、過去に私が見たことのある現実の世界の美しい景色に匹敵するものだと感じた。
この景色だけでももう一度見にくる価値はある。是非次回はホテルミラコスタに泊って客室から眺めてみたい。

ディズニーランドで気になったこと

2005-03-22 23:04:52 | Weblog
 昨日までのワークショップの決意をしっかりと抱えて、また余韻をひきづりながら今日は東京ディズニーランドでの自由な一日。

 東京ディズニーランドに来るのは16年ぶりくらいだと思うが、その間フロリダのディズニーワールフドやフランスのユーロディズニーに何度か行っていたので、久しぶりという感覚はなかった。

 途中冷たい雨が激しく降り、気分が少し暗くなる時も確かにあったが、朝一番から夜8時までマンネリ気分も全くなく十分に楽しめるディズニーランドは素晴らしい。

 今日一日いていくつか気にとまることがあった。

その1:従業員の高齢化
 決して否定的にとらえているわけではない。ただ、客観的に見て、高齢化が進んでいるように思う。ディズニーランドができたころから従業員がいるのだろうか、ディズニーシーができて、若い従業員はシーに行ってしまったのだろうか。

その2:従業員のサービスのばらつき
 ディズニーランドの従業員といえば、ホスピタリティー溢れるよく教育された従業員というイメージがある。確かに他のテーマパークと比べると平均的なサービスレベルは高いと思うが、ばらつきが気になった。
一例としてジャングルークルーズの船長さん、明るくて楽しい人だったが、自分が楽しむことと、人を楽しませることを混同していた。
ディズニーランドの強みの一つは間違いなく従業員のサービスレベルだと思うので、教育をこれからしっかりしていかないと少し心配だ。

人に真剣に関わる

2005-03-21 23:40:57 | Weblog
 「人に真剣に関わって欲しい、それができるあなたを多くの人が求めている。人との真剣なかかわりをいつかやろうと思うのではなく、すぐに始めてほしい」「世の中の人すべてが、人に対してもう少し思いやりを持って欲しい、いたわりの気持ちを持って欲しい。そうすれば世の中はもっと素晴らしいものになる」ワークショップリーダーのひろしさん、千花さんがワークショップの終わりにあたって贈ってくれた言葉だ。

 ひろしさんや千花さんだけでなく、3日間のワークショップで関わってきた仲間一人一人の言葉もとても心に響いた。ワークショップ初日に、ひろしさんや千花さんから「自分らしさを出して」と言われ、無理やりそれらしくやった自己紹介。今から思えばやはり表面的な話をしていた。
3日間のワークショップが終わった今では、皆「じぶんらしさ」がにじみ出た言葉を出せるようになっていた。

 私自身もそうかもしれない。全ては出せなかったかもしれないが私らしさ、私の本質を最後にだせたように思う。

 私の本質には弱さや恐れがある。人と接する弱さや恐れ。良いように思われたい、カツコ良いと思われたいというよりはむしろ、悪いように思われて傷つくのは嫌だから格好をつける。見られたくないところを見られないように、それを隠すためにいい格好をしている部分がある。

 自分自身の弱さや未熟さを人に見られること、そのことで傷ついたり寂しい思いをするのがいやだから、見られたくないところにはふたをして、いいところばかりを見せようとしていた。カッコいいところばかりを見せようとするから、自分自身の身体が持たない。
コミュニケーションが億劫に感じることも有り、バランスをとるために自分らしく生きられる一人の時間が欠かせなかった。

 人と深い付き合いをせず表面的なつきあいに留めているところがある。一方で、自分らしさや本質は、私自身の弱い部分を見せない限り本当はでてこない。弱さにふたをすることは結局、自分らしさや本質にふたをして隠してしまうことと同じだと今わかった。

 自分らしく自分の本質を見せていこう、そうすることで自分自身が人とより深い関わりを持つことができる。そして人と真剣に関わっていく、絶対に逃げないという気持ちが高まっている。

自分らしさや自分の本質を表に出す

2005-03-20 01:04:36 | Weblog
 「自分らしさを意識する」、「自分の本質を呼び覚ます」ことが人にとってどれだけ重要かを体感する一日だった。
 
 「自分らしさや自分の本質を表に出すこと」は本当に重要だ。

 自分が何をしたいのかが明確になり、明確になるとそれを達成しようという気持ちがおき、それに続く行動をおこすための強い動機づけとなる。
人は自分らしさや自分の本質を意識している状態の時に、持っているエネルギーが非常に高い状態(=良い状態)になる。

 一方で、自分らしさや自分の本質は内側にしまっていることが多い。自分らしさを出すと、「身勝手な人」「わがままな人」と思われたり、「とるに足らない人」「情けない人」と周囲に思われる、そのことで人間関係に悪影響をおよぼしたり、自分自身が不利になるのではないかと恐れている。

 これは私なりの解釈でありこのように考えているから、私自身「自分らしさや自分の本質を表に出すこと」に躊躇している。
でも、本当は出したい気持ちがある。それが次第に高まってきている。

ワークショップ最終回初日

2005-03-19 23:28:33 | Weblog
 3日間のコーチングワークショップ(WS)が今日から始まった。

 過去4回参加したWSと今回のWSはスタートから様子が違っていた。今回のリーダーである“ひろし”さんと“千花”さんには前回11月のWSでもお世話になったが、これまで2人に持っていた印象が一変するような出来事から始まった。スタートに行われた自分自身の本質を表現することに意識を向けた自己紹介では、2人のリーダーそれぞれからとてつもない情熱と圧倒されるようなエネルギーを感じた。

 今回のWSで学ぶ中心的な内容が「自分らしさ」と「本質を呼び覚ます」ことだったため、2人のリーダーはこれまでは見せていなかった本質部分や自分らしさを、あえていろいろなタブーを犯しながらも見せてくれたのだった。

 人の本質部分には大きなエネルギーがある。このことはその後の演習を通じて強く実感していった。

 「自分自身の本質を表すことを恐れるな」強いメッセージが降り注がれるが、私自身はまだその覚悟ができていなかった。本質を隠すことに意識が向かっていた。

夜行バス

2005-03-18 23:21:53 | Weblog
 今晩は東京へ向かう夜行バスで車中泊。のどの乾燥防止用マスクとスポーツドリンク、騒音防止対策の耳栓を持ってトレーナー&トレパンの格好でバスに乗り込んだ。

 明朝からの東京での予定に備えてしっかり眠っていくつもりだ。

 夜行バスは学生のころにしばしば利用した。スキーシーズンに毎年何度か夜行バスで信州に向かった。当時のバスは空調が今晩のバスのように快適ではなく、暑すぎたり寒すぎたりということがしばしばあった。でも、次の日に備えて眠っていくことを考えていなかったし、眠らなくても次の日のスキーに支障はなかった。

 関西から信州まで7時間くらいの移動だったと思うが、ずっと友人と話をしているか、当時流行ったカセットウォークマンで音楽を聴いていた。
途中2時間おきくらいにあるトイレ休憩では毎回必らずバスを降りて飲んだり食べたりしていた。スキー場まであともう少しのところにある松本の休憩では、信州そばと五平餅を食べるのが慣わしだった。

 翌日に備えることよりも今を楽しむことに集中できた時代があった。

 そう言えば初めて夜行バスに乗ったのは、高校生のころに初めて東京に遊びに行った時だった。この時も始めておとずれる東京に興奮し目がぎらぎらしていた。

応援団

2005-03-17 23:03:12 | Weblog
 2年近く音信不通だった友人が戻ってきた。いつも陽気で前向き、明るくて思いやりのある友人は多くの仲間から愛されていた。

 そして、ずっとこの友人に会いたいと思い、どうしているのかと心配していた仲間5人が集まって3年ぶりに飲んだ。

 自分の力を試し、自分の夢を実現するために、東京に出て行った友人が経験したことは楽しいことばかりではなかったようだ。以前のような元気がなく、疲れている様子だった。そして少し寂しそうだった。

 またもう一度以前描いた夢をおいかけるのであっても、新たな夢を追いかけるのであってもどちらでも友人がやりたいことをやって欲しい。以前のような元気を取り戻して欲しい。集まった仲間は皆、口には出さなかったが友人にエールを送っていた。