チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

不思議な出会い

2011-09-02 21:04:54 | Weblog
Facebookを使い始めてBlogからますます遠ざかっていました。Facebookのいいところが目について、一方でBlogを書くのは時間がかかるし、一度書かなくなると再スタートには力が必要だし。でも今日はなんとなくBlogを書いてみたくなってとりあえず再開です。

Blogを書いてみたくなった理由は、私の出会った女性について書きたかったからです。
その人と出会ったのは夢の世界です。現実の世界では会ったことがなくて、夢の世界で昨日初めて会いました。

年齢はたぶん学年でいうと小学校3,4年生くらいです。髪の毛が背中までの長さでストレート、丸襟の白のブラウスを着て細い線の吊りスカートをはいていました。なんとなくハイソックスのようなものをつけているように思ったんだけと、足元のところははっきりしません。
体系は平均的なその年代の子供に比べると少し細いのかなと思いました。

その女の子は地下のトイレに住んでいます。

そうです、女の子はこの世の人ではありません。「○○○い」と表現するとその言葉の響きが怖いし、実際の夢の中ではそんな怖いような感覚を感じなかったから、あえてこの世の人ではないと表現したいと思います。

私はトイレを探して建物の地下に入り、そこで見つけた不思議なトイレでその女の子に会いました。女の子は私がそこに来ることを知っていて待っていたようでした。何も言葉を交わしていないから、本当は待っていたのかどうかもわからないんだけど、「私を待っていた」という感覚を強く感じました。
そして女の子は私に親しみを持っているようにも感じました。

夢の内容は残念ながらよく覚えていないんだけど、とっても不思議な夢。そして夢の中には女の子が私を待っていたに理由は示されなかったように思います。
繰り返しになりますが、私はその女の子と出会って、その子がこの世の人ではないことに気づいて、そしてその子は私に親しみを持っていて、私が来ることを知ってそこで待っていたことを私が感じたということです。

私はここではトイレの用をたしてはいけないと思い、別のトイレに行き、女の子と別れました。

トイレが私の夢の中に出てくるのはよくあることです。前の日に飲みすぎて夜中にトイレに行きたくなる、それが夢の世界に現れると夢の中でトイレを探んです。
だから、女の子と出会うのはトイレでなくてもよかったのかもしれません。夢の中のことだから、出会いの場所まで設定はできません。

でもとても不思議な夢、そして不思議な出会い。この夢が私に伝えているメッセージはなんなんだろう。考えてもわからないけど。

体験型コーチングワークショップ

2011-01-02 21:49:23 | Weblog
私のライフワークの柱である、人の持つ可能性を引き出す取り組み
を2011年はさらに積極的にやりたいと思い、1月早々にワークショップを
開きます。

以下ワークショップのご案内です。

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来る1月29日(土曜日)13:00-16:00@広島市南区民文化センターに広島
在住の10人のプロコーチが集まり「参加型,体験型」ワークショップを開催します。

コーチングを「教える」セミナーは多く開催されていますが,実際にコーチング・
セッションを体験できるセミナーはみかけません。今回のワークショップでは,参加者
全員の方が3人のプロコーチのセッションを受けることが出来ます。コーチングにも
個性が現れます。
それぞれ異なったコーチングスタイルで,色々なコーチング体験をしていただける
お得なワークショップです。コーチングに関心をお持ちの方であれば,どなたでも
参加いただけます。
この機会に,是非,プロコーチとのコーチング的な係わりを体験されて,新しい人生
へのきっかけにされてはいかがでしょうか。

こんな方をコーチはサポートします!

自分らしくより良い生活を送りたい人
後悔のない選択,意思決定をしたい。
仕事でより高いパフォーマンスを発揮したい。
もっと笑顔で素敵なママになりたい。
本来の自分らしい生活を送りたい。。等

夢や目標を実現したい人
もっとビジョンを膨らませたい。
もっと具体的に考えたい。
躊躇している自分について考えたい。
そろそろ,何とか実現したい。。等

コーチ紹介
西田恭子
2003年6月CTIジャパン応用コース修了、2006年10月米国CTI認定資格
CPCC取得。ワークショップの開催など、コーチングに関わる活動を地道に続け、
2010年には日本コーチ協会広島チャプター設立に関わり、設立後は副代表
として運営に携わっている。心の底、体の奥から湧き出てくるものに素直に正直
に生きること、本音を語ることを大切にしている。

鈴木宏
2005年3月CTIジャパン応用コース修了、2007年2月米国CTI認定資格
CPCC取得。
国内、海外組織の人材育成領域の活動に加え、組織内外でコーチングに関わる
活動を続けている。個人コーチングに加え、夫婦、カップル、友人、組織における
関係性コーチングにも取り組んでいる。個人の潜在的な力やその人らしさを存分
に引出すことを得意とする。

お申し込み、お問い合わせは,下記あて先までお気軽にご連絡ください。
日時: 2011年1月29日(土)13時00分~16時00分(開場12:45)
参加費: 2,000円
定員: 16名
会場: 広島市南区民文化センター 大会議室A
広島市南区比治山本町16番27号
お問い合せ先・申し込み先: 鈴木
電子メール:hirono0221@gmail.com
お申し込みは、下記事項をe-mail でご連絡ください。
①名前(ふりがな)、②連絡先電話番号、 ③e-mail

8ヶ月ぶりの更新

2007-04-09 06:55:04 | Weblog
 久しぶりの更新です。前回の更新は昨年の8月20日ですからもうすぐ8ヶ月がたつんですね。最初はゆっくりと流れていた時間が、昨年9月を過ぎたくらいから急に早く流れ出し、仕事もそれなりに忙しくなってきて、またプライベートもたいしたことはやっていないようでいろいろなことに手を出し始めたせいか、ブログに気持が行かない感じでした。
 ブログを通じてその日にあったことを振り返り、自分が感じたことや考えたことを思い出したり、その時に感じたことを確認することはとても意味があるのですが、それがわかっていてもできない時ってあるんですね。

 いろいろと書きたいことはあるのですが、それを全て書こうとするととても重たい荷物をせおったような感じでとたんに指がとまりそうなので、徐々に書いていくことにします。

 まずはコーチングについてです。今年2月にCPCC(Certified Professional Coactive Coach)というプロコーチの認定を受けました。昨年4月にプロコーチになるためのトレーニングをスタートし、ドイツに来てからも頻繁に日本に連絡をとりながらトレーニングを続けていました。そして今年の2月に東京で受けた試験に合格しました。昨年秋ごろから生活が忙しくなった理由の一つが、このコーチングトレーニングの追い込みをしていたこともあります。

 コーチングに初めて出会ったのは6年前の2001年です。コーチングという言葉を聞いたことはあったものの、それが何かはよくしらずただ興味のおもむくまま参加したコーチングのワークショップが出会いでした。そこで見たコーチングのデモセッションで、コーチの出す問いがまるで魔法のように相手のさまざまな意思や感情を引き出してくるさまはとても不思議な感じがしました。それからしばらくは毎週一回開かれる勉強会に出席したり、途中からは私自身もコーチを持つようになりました。

 次の転機がやってきたのが2004年6月です。もう少し深くコーチングのことについて知りたいと思い大阪で2.5日のワークショップに参加しました。プロコーチになるということは当時は全く考えもしなかったものの、そのワークショップにとても魅かれたことや、コーチングにもっと触れていたいと思い、その後東京と大阪で3日間のワークショップを4回受け、応用レベルを終了したのが2005年4月です。もうこれでコーチングを学ぶのは終わりかなと思っていました。

 次の転機は2005年7月でした。ワークショップのアシスタントとして3日間のコースをサポートすることになり、そこでもう一度コーチングに触れたました。しかしここではコーチングよりもむしろ、そこでコースをリードするリーダーに関心がいき、どうすればこのようなリードができるのだろうと思ったのでした。そしてそこで出会ったリーダーから私が関心をもったことについて学べるトレーニングについて「きっとあなたに合うと思うから参加しては?」といっていただきました。その10日後にはサンフランシスコ郊外で開かれるワークショップに参加し、その後2006年4月まで合計4回アメリカでトレーニングを受けました。
 
 2006年4月からプロコーチのトレーニングを受けるようになったのは転機というよりはむしろそれまでの流れの中で、とても自然に選択したような感じです。

 コーチングを学んできたことで私が得たものはとても深くそして広いものです。これは知識やスキルといったことではなく自分自身のありかたにかかわるものです。また、今が終着点ではなくまだこれからも深くそして広がっていく気がしています。ただ、今の時点での私の学びを近いうちに整理したいと思っています。

 久しぶりのBLOGは何か取り留めのない内容になってしまいました。

 明日から日本に出張です。かばんの中には村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』上下巻が入っています。2月に帰国した時に遅ればせながら『海辺のカフカ』を読み、それから村上春樹ワールドにはまっています。
『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『スプートニクの恋人』『回転木馬のデッド・ヒート』『やがて哀しき外国語』『遠い太鼓』『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』『ささやかだけど、役に立つこと』を読みました。
そういえば2月末からは本を読むことにもいそがしかったです。

新幹線の中での独り言

2005-05-22 23:31:33 | Weblog
 新幹線に乗って退屈になると前方のドアの上にある電光掲示板に流れるニュースに目をやりながら一人で盛り上がる。

テロップ:【女子プロゴルフ ブリヂストンオープンで宮里藍がプレーオフを制し2週連続V】

私: 「スッゲエ~! 藍ちゃんはプレーオフに出て、勝って、2週連続Vか。さすが藍ちゃんやな。」

【諸見里は3位タイに終わる】

「昨日までは首位やったのに。諸味里は調子をくずしたんか。やっぱり緊張したんかな?藍ちゃんみたいにアマチュア選手のツアー優勝はできんかったんやな。残念。」

【横峰さくらは27位】

「さくらちゃんは実力あるけどムラがあるなあ。今日のキャディは誰がやったんかな。さくらパパかな。ウェアは桜色かいな。」

【明日の天気予報】

「え~ おいおい、諸味里もええしさくらちゃんのニュースもええけど、藍ちゃんとプレーオフして負けた2位の選手はいったいだれやねん?」


 関西で週末を過ごすと言葉も関西弁になる。思考も関西弁的に思考した方が単刀直入でごちゃごちゃしない気がする。

わらしべ長者

2005-05-13 23:05:36 | Weblog
 先週日曜日に作ったチョコレートが今日で全て無くなった。

 インターネットで見つけたレシピに従って、カカオマス、粉砂糖、粉ミルクを混ぜ合わせて作った手作りチョコレート。

 おいしいチョコレートができると信じて大量の材料で作ったが、結果は大失敗。

 細かく砕いたカカオマスを湯煎で45度に保ちながら溶かし、その熱で粉砂糖、粉ミルクを少しづつとかすところを、全部の材料をぶちこんで溶かそうとした。

 いくら一所懸命まぜても、温度を上げても全く溶ける様子がない。インスタントココアの材料のようなものができてしまった。

 万事休すのところに、救世主が現れ暖めたミルクを少しづつ加えながら最後は何とか流体のチョコレートとなり、それをトリュフ状の団子に丸めて冷蔵庫で冷やしてできあがり。

 チョコレートは想像していた味とは大違い。一応チョコレートの味がするし、食べられはするが、ココアの塊のような味がした。

 これが大量にできた。

 先週の日曜日は母の日だったので、アンデルセンで購入したワインと一緒に「おいしくないですよ」といって義母にプレゼントした。

 次の日義母は「有難うという」言葉といっしょにアンデルセンの商品券1万円分をくれた。

 わらしべ長者の気分だ。味についてのコメントはなかった。

 次はこれで何を買うかが問題だ。

懐かしい商店街

2005-03-28 22:57:23 | Weblog
 とても懐かしい気分になった。地方都市にはなくなりつつある下町商店街が浅草にはある。

 ゲームセンターやスロット屋、カフェ、携帯電話販売店、コンビニ、ファーストフードショツプ、百円ショップばかりの商店街が地方にはよくある。それでも店があるだけましで、郊外の大規模ショッピングセンターの影響などを受けて地方の中心市街地商店街にはシャッター商店街と呼ばれる、シャッターが閉まりっぱなしの店舗が連なる商店街が増えている。

 浅草の商店街にも確かに、回転寿司、マクドナルド、百円ショップもあるにはあるが、まだ昔ながらの面影が通りのあちこちに見られる。

 初老のおやじさん、おばちゃんが店を元気に切り盛りしている。街をあるく人たちも観光客らしき人を除いては高齢の人が確かに目立つが、こんなおじちゃん、おばちゃんが輝いて見える。
 耳を澄ますと、おじちゃんとおばちゃんがマツケンサンバがどうしたこうした話している。この響きもこの街にはとても似合う。

 なんか気分がいいな、落ち着くな~と感じながら街をぶらぶら歩いた後は、ミソカツが評判の店に入った。特大サイズのミソカツ、そして大盛りのごはん。

心もお腹も満腹になった。

正確なコミュニケーションってできるのか

2005-03-27 23:57:59 | Weblog
 たまには雨の日曜日もいい。晴れたら外に出ないと損した気分になるが、雨の日は家にいてもそう思わないですむ。

 メールをもらったのに返事を出せていなかった友人/知人に遅くなってごめんなさいと心で思いながらメールを書いた。私はメールを書くのに時間がかかる。時間をかけてもたいした内容は書けないのだが、思いつくままではなくできるだけ言葉を選んで書く。

 特定の人からのメールにしばしば不愉快にさせられることがある。受信リストにその人からのメールがあると「読むのはいやだな」と思ってしまう。私宛ではなくコピーの場合が多いのだが、メールを読むと案の定不愉快な気分になる。もう少し考えて書けばよいのにと思う。

 過去のメールの整理をしていてたまたま見たメールはごく普通の内容のメールだったが、宛名を見ると私が不愉快に思うメールの送り主からだった。そして次に、過去に同じメールを見て不愉快な気分になったことを思い出した。

 もう一度読み返してみた。確かに不用意な表現はあるのだが、私が以前感じたように不愉快な気分にさせるメールではなかった。

 私の先入観か偏見かが、ちょっとした不用意な表現に過度に反応したのだと思う。

 メールでなくても電話でも、直接会っていても同じようなことがおきていると思う。自分の思ったまま感じたままを相手に伝えるのはどれくらいできているのだろうか。同じことを話しても受け取る相手によって違うのだから、思ったこと、感じたこと正確に伝えるコミュニケーションなんてそもそも不可能なような気がする。

明治の日本はすごい

2005-03-26 23:25:21 | Weblog
 NHKスペシャル「シリーズ 明治 プロローグ 今、「明治」に何を学ぶか」を観た。

 内容を要約すると、次の通り。
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 少子高齢化、中国の台頭など今現在、そして今後大きな環境変化がおきるなかで、日本は変革が求められているものの、古い時代の枠組みからなかなか抜け出せないでいる。
一方で、日本は歴史の中で、江戸時代から明治時代にという現在よりももっと激しい環境変化を乗り越え、短期間で変革をとげた。

 明治の日本はなぜ変革が可能だったかについてピーター・ドラッカー氏や加藤周一氏の分析をまとめると、「古いものを活かしつつ、新しいものを積極的にとりいれたことであり①教育の重視、②文化の独立、③人材の活用という三つの法則を守ったこと」である。

 教育の重視とは、明治日本は将来の日本を子供達に託し、そのための教育を行った。
教育熱はすでに江戸時代末におきていたが、明治の教育は古いものと新しいものを組み合わせる教育であった。子供達が学ぶ教育カリキュラムに孟子を入れる一方で、西洋事情について入れることを忘れなかった。

 文化の独立とは、明治の翻訳主義のことを言っている。インドを初めてとして他のアジア諸国が西洋から学ぶ時に西洋の言語で学んだのに対し、日本は翻訳によって西洋の制度と技術を消化した。明治日本は翻訳を通じて、日本文化における意味合いを考える作業を行った。このおかげで日本は文化の独立を保った。
 
 人材の活用とは、教育を行った子供達が大きくなるまでの間、今ある人材を活用せざるを得ない、それを活用したことを言っている。武士をどう活用するかが課題だった。配置転換により武士を流動化して、身分という世襲のものに頼らないものにする必要があった。技術は西洋から輸入したが、人材は江戸を活用した。
渋沢栄一は「新しい日本は古い日本を生かしてその上に築かなければならない。」という信念を持って人材の活用を図った。

 また明治時代の日本はできることと、できないことの区別をはっきりとつけ、優先順位を明確にして難題に取組んだ。手段と目的を明確に区分し、目的意識をはっきりさせてエネルギーをそこに集中させた。そんな割りきりがあった。
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 ドラッカー氏は「若年人口が減りつつある現代、高学歴の人材を再教育により新しい時代に活躍でききる人として活用することが日本の変革にとって必要。」と述べていた。
私自身教育にたずさわるものとして、このことを強く感じている。また、今やっていること、これからやろとしていることに新たなより高い視点が加わったように感じた。

再放送は3月29日(火)午前0:15~1:07(28日(月)深夜の予定だそうだ。

ファシリテーションワークショップ

2005-03-25 23:59:57 | Weblog
 毎年春から夏にかけては自分の勉強のための時間が比較的とれる。いろいろとやりたいことがあるが、その一つにファシリテーションの勉強がある。過去に黒田由貴子さんや本山雅英さんの研修他いくつかのファシリテーション研修を受講したり、ファシリテーション関連の書籍も読んだが、
ファシリテーションの技術をしっかり身につけたいと思っていた。

 そんな折タイミングよく友人のヨダさんから日本ファシリテーション協会の広島サロンへの案内があり、今晩参加してきた。

 参加者は今回のファシリテーターであるホリエさんを含めて15名。教育関係、コンサルティング関係の仕事をしている人が比較的多いが、さまざまな職業、年齢、男女の集まるダイバシティ豊かなメンバーであった。

 今回のワークは3人1組で話し手、聞き手、観察者の役割を持ち”話す、聴く、観る”について学ぶものだったので、ややコーチング的な印象を受けたが、ファシリテーションの重要ないくつかのスキルを学ぶトレーニングとしても使えると感じた。
「新米ファシリテーターには複数の人の話を聞くのは難しい。一人の人に集中して傾聴のトレーニングができるので、この形はおもしろい」と参加者の一人が言っていたが、その通りだと思った。

 今回は聞き手、観察者の役割を担当したが、聞き手はコーチングのトレーニングにもなったし、観察者は記録の大切さや難しさを学んだ。記録については私は比較的得意なほうだと思っていたが、成果はいまいちだったので、これを勉強したいと思う。

 ワークショップ終了後の「泡の会」もとても楽しい会だった。参加者の方々とより親しいコミュニケーションを持つことができ、次回会えることがとても楽しみになった。 

森伊蔵と眠る

2005-03-24 23:58:53 | Weblog
 インターネットで購入した『森伊蔵』が届いた。JALの機内販売を目的として作られたもので、お洒落なオレンジ色の箱の中に入れられた720mlの小瓶。

 すぐに飲みたいという気持ちと、なかなか手に入らないものだからしばらくはこのまま置いておいて眺めて楽しんだ後で特別な時に飲もうという気持ちとが戦っている。

 10年以上前に1962年の『シャトー・ラフィット・ロートシルト』をプレゼントでもらって、特別な時に飲もうととっておいたことがある。特別なことはいろいろとあったが、ワインの存在を忘れて飲まないままだった。そして昨年の正月に親類が集まった時、どうしても飲みたくなってコルクを抜いた。

 「滅多に飲めないワインだから味わってのんで!」とみんなに言って、最初に私がテースティングをしてびっくり。「まずい!」。保存状態が悪かったのだろう、味が変わっていた。

 焼酎はワインのようにデリケートではないから、大丈夫かもしれないが、やはり早く飲むのにこしたことはない。

 今晩は枕元に置いて、いつ飲むか、いつ特別なことをするか考えながら眠ることにする。

美しい景色

2005-03-23 23:24:59 | Weblog
 ディズニーシーの景色は気に入った。

 まずディズニーシー駅を降りて前に見える、ディズニーシーの入り口にある建物がまず素晴らしい。2階以上の部分はホテルミラコスタになっているが、外見だけ見ても「泊ってみたい」と思うホテルだった。イタリアのフィレンツェやベニスをイメージした建物で、そのクラッシックさがたまらない。

 この建物をくぐるとメディテレーニアンハーバーという港がある。プロメテウス火山という山や大公開時代の要塞、そして港に沿って拡がるホテルミラコスタの建物、テーマパークであるからこそ見られる景色、ここでしか見られない景色だが、その一方で不自然さも感じず。ただただいい景色だと感動してしまった。

 フィレンツェやベニスやポンペイ、トルコのイスタンブール、ポルトガルのポルトなど、過去に私が見たことのある現実の世界の美しい景色に匹敵するものだと感じた。
この景色だけでももう一度見にくる価値はある。是非次回はホテルミラコスタに泊って客室から眺めてみたい。

ディズニーランドで気になったこと

2005-03-22 23:04:52 | Weblog
 昨日までのワークショップの決意をしっかりと抱えて、また余韻をひきづりながら今日は東京ディズニーランドでの自由な一日。

 東京ディズニーランドに来るのは16年ぶりくらいだと思うが、その間フロリダのディズニーワールフドやフランスのユーロディズニーに何度か行っていたので、久しぶりという感覚はなかった。

 途中冷たい雨が激しく降り、気分が少し暗くなる時も確かにあったが、朝一番から夜8時までマンネリ気分も全くなく十分に楽しめるディズニーランドは素晴らしい。

 今日一日いていくつか気にとまることがあった。

その1:従業員の高齢化
 決して否定的にとらえているわけではない。ただ、客観的に見て、高齢化が進んでいるように思う。ディズニーランドができたころから従業員がいるのだろうか、ディズニーシーができて、若い従業員はシーに行ってしまったのだろうか。

その2:従業員のサービスのばらつき
 ディズニーランドの従業員といえば、ホスピタリティー溢れるよく教育された従業員というイメージがある。確かに他のテーマパークと比べると平均的なサービスレベルは高いと思うが、ばらつきが気になった。
一例としてジャングルークルーズの船長さん、明るくて楽しい人だったが、自分が楽しむことと、人を楽しませることを混同していた。
ディズニーランドの強みの一つは間違いなく従業員のサービスレベルだと思うので、教育をこれからしっかりしていかないと少し心配だ。

人に真剣に関わる

2005-03-21 23:40:57 | Weblog
 「人に真剣に関わって欲しい、それができるあなたを多くの人が求めている。人との真剣なかかわりをいつかやろうと思うのではなく、すぐに始めてほしい」「世の中の人すべてが、人に対してもう少し思いやりを持って欲しい、いたわりの気持ちを持って欲しい。そうすれば世の中はもっと素晴らしいものになる」ワークショップリーダーのひろしさん、千花さんがワークショップの終わりにあたって贈ってくれた言葉だ。

 ひろしさんや千花さんだけでなく、3日間のワークショップで関わってきた仲間一人一人の言葉もとても心に響いた。ワークショップ初日に、ひろしさんや千花さんから「自分らしさを出して」と言われ、無理やりそれらしくやった自己紹介。今から思えばやはり表面的な話をしていた。
3日間のワークショップが終わった今では、皆「じぶんらしさ」がにじみ出た言葉を出せるようになっていた。

 私自身もそうかもしれない。全ては出せなかったかもしれないが私らしさ、私の本質を最後にだせたように思う。

 私の本質には弱さや恐れがある。人と接する弱さや恐れ。良いように思われたい、カツコ良いと思われたいというよりはむしろ、悪いように思われて傷つくのは嫌だから格好をつける。見られたくないところを見られないように、それを隠すためにいい格好をしている部分がある。

 自分自身の弱さや未熟さを人に見られること、そのことで傷ついたり寂しい思いをするのがいやだから、見られたくないところにはふたをして、いいところばかりを見せようとしていた。カッコいいところばかりを見せようとするから、自分自身の身体が持たない。
コミュニケーションが億劫に感じることも有り、バランスをとるために自分らしく生きられる一人の時間が欠かせなかった。

 人と深い付き合いをせず表面的なつきあいに留めているところがある。一方で、自分らしさや本質は、私自身の弱い部分を見せない限り本当はでてこない。弱さにふたをすることは結局、自分らしさや本質にふたをして隠してしまうことと同じだと今わかった。

 自分らしく自分の本質を見せていこう、そうすることで自分自身が人とより深い関わりを持つことができる。そして人と真剣に関わっていく、絶対に逃げないという気持ちが高まっている。

自分らしさや自分の本質を表に出す

2005-03-20 01:04:36 | Weblog
 「自分らしさを意識する」、「自分の本質を呼び覚ます」ことが人にとってどれだけ重要かを体感する一日だった。
 
 「自分らしさや自分の本質を表に出すこと」は本当に重要だ。

 自分が何をしたいのかが明確になり、明確になるとそれを達成しようという気持ちがおき、それに続く行動をおこすための強い動機づけとなる。
人は自分らしさや自分の本質を意識している状態の時に、持っているエネルギーが非常に高い状態(=良い状態)になる。

 一方で、自分らしさや自分の本質は内側にしまっていることが多い。自分らしさを出すと、「身勝手な人」「わがままな人」と思われたり、「とるに足らない人」「情けない人」と周囲に思われる、そのことで人間関係に悪影響をおよぼしたり、自分自身が不利になるのではないかと恐れている。

 これは私なりの解釈でありこのように考えているから、私自身「自分らしさや自分の本質を表に出すこと」に躊躇している。
でも、本当は出したい気持ちがある。それが次第に高まってきている。

ワークショップ最終回初日

2005-03-19 23:28:33 | Weblog
 3日間のコーチングワークショップ(WS)が今日から始まった。

 過去4回参加したWSと今回のWSはスタートから様子が違っていた。今回のリーダーである“ひろし”さんと“千花”さんには前回11月のWSでもお世話になったが、これまで2人に持っていた印象が一変するような出来事から始まった。スタートに行われた自分自身の本質を表現することに意識を向けた自己紹介では、2人のリーダーそれぞれからとてつもない情熱と圧倒されるようなエネルギーを感じた。

 今回のWSで学ぶ中心的な内容が「自分らしさ」と「本質を呼び覚ます」ことだったため、2人のリーダーはこれまでは見せていなかった本質部分や自分らしさを、あえていろいろなタブーを犯しながらも見せてくれたのだった。

 人の本質部分には大きなエネルギーがある。このことはその後の演習を通じて強く実感していった。

 「自分自身の本質を表すことを恐れるな」強いメッセージが降り注がれるが、私自身はまだその覚悟ができていなかった。本質を隠すことに意識が向かっていた。