チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

第4回みちのく津軽ジャーニーラン 完走記録

2019-07-28 14:36:57 | ご案内

2019年7月14日(日曜日)-15日(月曜日)に「みちのく津軽ジャーニーラン」 177kmに参加しました。この大会は国内でトレイルや超ウルトラマラソンなど数多くの人気のランニングイベントを開催しているNPO法人スポーツエイド・ジャパン主催の大会。代表の館山氏が故郷の津軽を多くの人に知ってもらいたいと地元の有志の協力を得て始めたもので今年が第4回目となる。

今回は263kmと177kmの2つのレースが開催され、どちらも弘前市を出発し津軽半島を回って弘前市に戻ってくる。263kmのレースは、津軽半島の先の竜飛岬まで行き半島の突端を周って戻ってくるのに対して、177kmのレースは龍飛岬の手前で戻ってくる。




263kmのレースは7月13日(土曜日)の17時に出発し15日(月曜日)20時までの51時間を制限とし、177kmのレースは7月14日(日曜日)の7時に出発し15日(月曜日)20時までの37時間を制限とし、途中263kmは6カ所、177kmは4カ所の時間制限の関門が設定されている。参加資格は以下の4点。

  1. 大会当日の年齢が 20 歳以上であること
  2. 2016年3月以降のウルトラマラソン大会で263kmの部は140km以上、177kmの部は70km以上の走破経験があること
  3. 地図が読めること
  4. 7 月 13 日(土曜日)13:30からの開会式・競技説明会に出席できること

私はこれまで2017年4月の彩湖70km、同じく4月の富士五湖118km、2018年6月の日光100km、2019年6月のいわて銀河100kmを完走し、177kmの参加資格を満たしていたので今回参加することができた。

そもそもなぜ177kmを走ろうと思ったのかは、エントリーした2月上旬の記憶が曖昧でよく覚えていないものの、2015年にランを始めて毎年チャレンジをしてきた延長で新しいチャレンジがしたかったことと、2014年に勤務した2社目をやめて3社目に入社するまでの間の数日に、秋田から青森まで自転車1人旅をし青森県の鯵ケ沢で食べた「うに」の味が忘れられなくてもう一度青森に行ってみたいと思ったからだろうと想像する。

この時には既に5月のいわて銀河100kmの申し込みをしていたものの、177kmを走れることが決まった途端、気持ちは177kmに向けて走り出していた。177kmという距離に加えて夜中に走るのは初めてで経験のないことばかり。レースまでに、過去のみちのく津軽ジャーニーラン参加者の記事をネットで調べ(ウルトラプロジェクトの新澤さんの記事は大変参考になりました)、100kmを超える超ウルトラマラソンの走り方などを調べ、ラン友の超ウルトラマラソンの実力者に教えをいただき、何を調べ何を準備する必要があるのかが次第にわかってきた。

 

1. 事前準備

100kmのウルトラマラソンとの比較では、①夜間に走る装備(懐中電灯2つ、後部の警告灯)と、②エイドやコンビニ&自販機が少ない区間が多いことから水分と栄養補給の対応と、③地図を見て走れるようにする準備だということがわかった。また④96km地点の休憩所では室内で暖かいものが食べられることに加えてシャワーも浴びられることから、この準備を96kmのドロップバックに入れておくことだった。

また、走る準備ではないものの、⑤走っている間に東京から持っていく荷物はどこに預けておくのか、ゴール後の休憩や宿泊をどうするのかも考える必要があった(ゴール後はシャワーを浴びてすぐにベットに横になりたい、そして夜は完走を祝って食事したい)。

⑤については、何時にゴールできるのかが決まらないと事前に対応ができないことから対応が難しいものの、早ければ24時間でゴールすることを想定して、7月13日(土曜日)in-16日(火曜日)outの3泊4日でホテルの手配をすることにした。たまたま3連泊パックというサービスを見つけ快適なホテルに一泊4500円で泊まれたことはラッキーだった。

①については、夜間の眠い時間帯には明るいものが良いというネットの記事を読んで、またヘッドライトタイプは灯りに向かって飛んでくる虫がいるということを同じく読んで、腰に装着可能なウルトラスパイア ルーメン600を購入した(とっても高かった)。2本目のライトは必要性を十分に理解できなかったことから弘前に入るまで購入せず、弘前での説明会で必要なことを認識し慌てて市内のスーパーでハンドライトを購入した(こちらは随分とリーズナブルな価格)。



②については、レースの1週間前になってamazonでGlMartという会社のハイドレーションシステムを購入(1359円!)した。ハイドレーションは高価な印象があったことに加えて、長いホースで水が飲めるイメージがつかなかったことや、重たいものを背中に抱えることに抵抗があったため確信が持てないところでの対応となった。



③については、地図を見るのは得意なものの、そのために立ち止まったり、また夜間に地図や標識が見えずらい中でストレスを感じることがないように、Googlemap、GoogleEarthでコースの確認、コンビニ等の商店の確認、自販機の確認を念入りに行った。

④については、95km地点で気持ちをリセットできるように風呂に入って全てを着替えられる道具一式と歯ブラシを準備するとともに、GPSランニングウオッチの充電器も用意した。95km以降は夜間のランニングとなることから日中に必要だったサングラスや首の日よけグッズが不要になる一方で、気温が下がった場合の防寒対策を準備した。

靴は今回用にHokaOneOneのカーボンXを新調した。



また、事前準備で忘れてはいけないのが、青森までの移動手段の手配。今回は新幹線で移動することにしていたものの、3連休で新幹線が混んでいること、また東北新幹線は列車数も座席数も少ないことを十分理解していなかったことから2週間前にネットで購入しようとしたところ、乗りたかったはやぶさは手配ができず、一本後のグリーン車でなんとか手配ができた。


2.  弘前に入ってスタートまで

弘前には東京駅8:40のはやぶさ新青森まで移動(11:51着)し、奥羽本線に乗り換え(12:03発)て12:39に着いた。途中線路脇には一面リンゴ畑が広がる景色を見て5年前に見た時の頃を思い出すとともに、再び弘前に来られたことをとても嬉しく思った。

弘前駅から競技説明会会場の「弘前文化センター」までは徒歩20分弱、13:30の説明会まで時間があったので、歩いて会場に向かう途中で宿泊するホテルに荷物を預けることを予定していた。ホテル近くまで歩きネットで見たホテルの外観とは違うことに気がつきホテル名を確認すると名前が違っていた。「弘前パークホテル」に予約をしていたのに「弘前プラザホテル」に向かっていた。地図には強いものの名前を間違えては向かえない。レースでは自分は地図には強いと過信せず慎重に対応しようと感じさせてもらった。

ホテルに荷物を預けて説明会場に向かうプランは崩れたものの、なんとか開始時間に間に合い、受付を済ませて説明会場のホールに入った。受付からホールまでの建物内では説明後の17時からスタートする263kmの選手が準備をしていたせいか、少しの緊張感が漂っていた。

13:30から説明会がスタートした。




説明会はNPO法人スポーツエイド・ジャパン代表の館山さんが故郷津軽で開催するジャーニーランへの熱い思いや、館山さんの後輩で後援の弘前市市長桜田氏の暖かい歓迎の言葉、そして第一回大会の開催から尽力された地元ランナー(お名前を失念しました)のお話や競技説明だった。地元ランナーの方は、第1回目のコース設定から始まって、今回のレースに向けてもコース上のコンビニ全てにランナーが来た際の対応について一件一件訪問しお願いをしたという話など、このレースを開催することへの熱い気持ちを伝えていただいた。話を伺ってレースに参加できることをとても嬉しく、そしてこのような方々に支えられてこのレースが成立していることに感謝の気持ちを大いに持った。目頭が熱くなることを感じていると、私だけでなく周囲のランナーも涙を抑えている様子がうかがえた。

競技説明では、いくつかのルールが説明された。スタートして5km過ぎまでは地元のランナーが先導するのでそのランナーを追い越すと失格になること、エイドの開設時間が決まっており、早いランナーは開設前に通過することもありえること、運営側が設置するエイド間の距離が30km近くになるところも複数あり、かつコンビニや自販機もない区間や、自販機があっても263kmのスタート後に走る177kmのランナーが到着する頃には飲み物がないかもしれないこと、コース上にはコースを示すマークはなく地図を見て走ること、コースについての解説(一部フレキシブルなコース取り)等の注意事項について説明があった。事前に想定していたこと、想定していなかったこともあり、大変有意義な説明会だった。

説明会が予定通り15:30に終わり、17:00の263kmスタートに向けてレースが動き出した。私も17:00のスタートを見送るまでにホテルにチェックインし、懐中電灯を購入し、さらに地図が濡れないようにするカバーを百均で購入することを決めて会場を後にした。

予定通りの行動を済ませ、263kmのスタートに間に合うギリギリの時間に弘前城東門に着いた時には選手が集合し、スタートの挨拶や、選手を鼓舞する郷土の音楽が奏でられ、すぐに17時となり221人の選手がスタートしていった。フルマラソン以下の競技とは異なり、また先導ランナーを抜かしてはいけないルールもあることからか大変穏やかで楽しげなスタートだった。数日前からの天気予報は日毎に予報が良い方向に変わっていたが、当日は予報以上の雲ひとつない快晴だった。

スタートを見送った後、今回一緒に177kmを走るラン友のこやまんとお互いの壮行会を開いた。こやまんとご一緒させていただいたことがとても嬉しかった。こやまんとは、私が2015年11月に初めてのフルマラソンである富士山マラソンを走った時に同じランニングクラブのメンバーとしてご一緒させていただいた。私のランナーとしての目標であり、こやまんからはそれ以降いろいろな事を教えてもらったし、今回のみちのく津軽ジャーニーランもこやまんがいるから不安を感じることがなかった。

2人で地元で一番人気の居酒屋に入り、地元の新鮮な魚や料理、そして日本酒も楽しんで気持ちも盛り上がった。おまけにお店のお姉さんも皆綺麗な人が多くてとても楽しい気持ちになれた。

お互いに明日のランニング計画について話し合った。私はわかりやすいところで24時間をターゲットにして走ることを伝え、こやまんはそれよりも少し時間をかけて走るとのことだった。

私の24時間という計画は2年前に富士五湖118kmを14時間で走れたことから、今回との差の59kmは9時間位あれば走れるだろうとの想定からだった。一方で富士五湖を14時間で走った時にはとてもそこから59kmを走れる体力は残っていなかったので、根拠のない計画だった。

ともあれ、お互いの健闘を誓い、ほろ酔い気分の帰り道に、明朝食べる食材やレースに持っていく補給食をコンビニで買ってホテルに帰ったのは20時過ぎだった。

 

3. レース当日スタートまで

レースのスタートは朝の7時。6時15分にこやまんとホテルロビーで待ち合わせたので、4時30分に起きた。朝食にはどん兵衛、赤飯のおにぎり、カステラを食べた。シャワーを浴びて身支度をしてテーピングタイム。足裏、アキレス腱、足首、膝、長脛靭帯、前もも、ハムストリングス、胸にテーピングをし、肌が擦れる部分にはワセリンを塗り、日に焼ける部分には日焼け止めを塗った。テーピングは前の夜に全て長さを合わせて切っているので貼り付けるだけで済む。それでも時間は30分弱かかった。荷物も同様に朝着るものと背中に背負うもの、95km地点のドロップバックに入れるもの、ゴール地点に預けるもの全てを前夜に準備しているので、最終確認だけをした。天気は曇りの予想に反して快晴で暑くなることが想定された。




背中に背負うハイドレーションにはスタートから22.2kmのエイドステーションまでに必要となる水分補給を想定し1.5Lの水にメダリストのクエン酸粉末を加えて準備した。





こやまんとロビーで合流し、スタート地点の弘前駅前広場までの数百メートルをジョグした。快晴でも湿度が低いせいか暑くは感じない。既に始まっていた歩行者道路沿いの朝市を横目に見ながらスタート地点に着いたのは6:30だった。95km地点の「鰊御殿」で受け取るドロップバックの荷物と、ゴール地点の「さくら野百貨店」で受け取る荷物をそれぞれ預け、少しの動的ストレッチをしてスタート準備は完了。スタートを待つ間、記念撮影をしたり、




他のランナーの様子や装備を見たり、会話を聞いていた。フルマラソンやハーフマラソンとは違う100kmウルトラマラソンよりもさらにリラックスした空気感が自分には心地よく感じた。ほとんどのランナーが背中にバックを背負っており、その膨らみ具合は少ない荷物に抑えているであろう人から、万全の準備をしたのであろう人まで随分と異なっていた。その中で驚いたのは、バックパックもウエストポーチも持たないで、手にペットボトルホルダーだけを持つランナーもいたこと。無謀なのか、とっても早い人なのかはその時はわからなかった。フルマラソンやハーフマラソン、ウルトラマラソンとも異なるランナーのいでたち、そしてランナーもどこかギラギラとはしていない穏やかな人が多いように感じた。

スタートが迫ってきてもスタート地点でランナー全員で記念撮影する和やかな雰囲気。そしていよいよ7時となり186人の選手がスタートした。スタート前、こやまんとはゴールして明日夜におおいに飲もうと約束した。

 




4. スタートから第1CP(チェックポイント)嶽温泉 0km〜22.2km

弘前駅前をスタートし、朝市が行われている歩行者専用道路を数百メートル走り右折して弘前城に向かう。弘前城を過ぎた5km地点までは地元のランニングチームの複数のランナーが先導してくれた。




スピードは6分/kmとのことなので、この先長いとは言ってもスタートで高揚しているランナーにとってはすごくゆっくりとしたスピードに感じる。私はスタート地点でたまたま最前列にいたこともあり、先導するランナーのすぐ横で走った。

弘前城内を通り抜け、岩城橋を越えると5km、ここで先導する地元のランナーが1人を除いて離れていった。ここからは選手はそれぞれのペースで走ることが許される。1人の男性ランナーが満を持して飛び出し、もう1人の男性ランナーがその後を追った。5km/分位のスピードだろうか。私は先導してくれた地元のランナーが練習で第1CPまで6km/分で走る計画だと聞き、一緒についていくことにした。その時点で一緒にいた人たちは数名で、これが上位グループだった。

嶽温泉までの22.2kmは緩やかな登りが続いた。嶽温泉の標高は今回のコースで最も高い400mだった。地元のランナーとは、弘前ではリンゴの種類毎にリンゴジュースがあり、人それぞれに好みがある。弘前特産の「ふじ」リンゴが好きだといった話を聞かせてもらったり、私からは東京では皇居や多摩川、神宮外苑、駒沢公園で練習をしているといった話をした。

天気は雲一つない快晴で次第に暑さを感じるようになってきた。ここでトラブル発生。ハイドレーションで水分を補給しようと試みるが水が出ない。直前で買ったハイドレーションでレース前に一度試した際にもなかなか水がでずごちゃごちゃやっていると水が出てきた体験があった。安いものを買ったので不良品だったのではとの不安がよぎった。何度か試みるものの一向に水は出てこない。背中には1.5Lの水を持っていても出てこないのは仕方がない。立ち止まって自販機で水を買って飲んだ。

道は次第に傾斜を強めていった。水を買っている間に離れてしまった地元のランナーと数人のトップ集団とは500メートル位の距離が開いたが、無理に追いかけることはせず、そのまま走り続けることにした。

道路脇にはリンゴ畑が広がり、青森県の名峰で独立峰の岩木山が次第に何も視界を遮ることがない姿で目の前に大きく現れてきた。

第1CP嶽温泉、スタートから22.2kmまではそれほどの疲労もなく到着した。エイドでは、ゼッケンを確認を受け、マイカップでドリンクをもらい、冷たい水を頭からかぶった。水が出てこないハイドレーションをバックから出して色々と試みるも水は出ない。ここから次の第2CP「日本海拠点館」までは27.1km、途中は田舎道で第2CP直前までコンビニがないことに加えて、自販機ですらほとんど設置されていない。さらに、自販機があったとしても前夜に263kmの選手が走った後で残っているかはわからない。覚悟を決めてハイドレーションに2.5Lまで水を補給し、水が必要になったら立ち止まってバックを下ろし背中からハイドレーションバッグを出して吸水口を開けて補給をすることにした。

次から次に選手が出発する中で私は最初からつまづいた感じだったが、気持ちはそんなにネガティブではなかった。なんとかなるそんな気持ちだった。

 

5. 第1CP(チェックポイント)嶽温泉→第2CP日本海拠点館 22.2km〜49.3km

嶽温泉を過ぎると道は左右に蛇行し下りながら林を抜け、中村川に出た後は少しの登り降りをしながら川沿いに日本海に向かっていく。

ハイドレーションを走りながら再度試すが水が出ない。説明書に書かれていた内容を思い出す。何かを引っ張ることが書かれており、それを試していたものの別にも引っ張るところがあるのかもしれないと思いついた。飲み口の近くにもう一箇所引っ張るところがあり、それを引っ張ると水が出た! とっても幸せな気持ちになりペースが少し上がったところで前のランナーに追いついた。

そのランナーはスタートで見た背中にバックを背負わず、ウエストポーチも持たず、手にペットボトルホルダーでボトル持つだけのランナーだった。その徳島から参加したランナーはギリシャで行われる約260kmの超人レース、スパルタスロンに過去8回チャレンジし昨年念願の完走を果たしたこと、5月連休に四国一周のレースに参加し毎日100kmの距離を数日間走ったこと、また昨年のみちのく津軽ジャーニーランの177kmも完走しており、今年は帰りの飛行機の都合で24時間以内で走る予定とのことだった。この話を聞いて装備に納得し、並走しながらお互いのことについて話をし、スパルタスロンについても少し教えてもらった。

それにしても天気はよく暑い日だった。私はハイドレーションが機能したことで水は十分にあったが、徳島のランナーは500ccのペットボトルでは足りず、途中湧き水を給水するために立ち止まりそこで別れた。別れる前に我々を勢いよく抜かしていった女性ランナーがいた。下りとはいえ、4分30秒/kmを切るスピードだったので、大丈夫だろうかと心配をした。

林を抜けても道の周りには畑や野原ばかりで家はまばらに、それもたまに集落があるくらいだった。途中道沿いの大きな農家の前でおばさんが立っていた。「どこまでいくの」と聞かれて、「日本海までです」と答えると、「暑いのに大変、家で休んで行きなさい」と言ってくれた。その暖かい気持ちがとっても嬉しかったがここで休んでいるわけにはいかないので、丁寧にお礼を言って別れた。

第2CPまでの27.1kmはこのレースの一つの壁だと思っていた。道が単調補給できるポイントが少ない。しかし意外と順調に距離を踏むことができた。途中一ヶ所の自販機で冷たい水を買い頭からかけて体温も下がり気分もリフレッシュした。

第2CPにあと2km位のところで、道路脇におばちゃんが立ってコップを持っていた。私に「氷が入った冷たい水だよ」と手渡してくれた。「まだこれから人が来るの?」と聞かれたので、「これからたくさん来ます」と答えると、「それは大変急いで準備しないと」とおばちゃんは慌てながらも嬉しそうだった。ここでも気持ちが和んだ。

第2CPまで後1kmのところにローソンがあり、ここで補給と休憩をすることにした。かちわり氷と水を買ってハイドレーションに補給し、余った水や氷は他のランナーに渡し、コーヒー牛乳を飲んでおにぎりを食べた。15分弱の休憩の間他のランナーとたわいもない話をして第2CPに向かった。

ローソンで休憩したこともあり、第2CPではこのレース最初のQRコードによる通過確認を受けたのち、軽く食べ物をいただき、トイレを済ませ早々と立ち去ることにした。代表の館山氏はスタートと第1CPでの応援の後既に第2CPに来ていた。館山氏のこのレースへの思い、ランナーを応援する気持ちを感じ、少しの疲れはあったものの元気よくスタートを切れた。

 

6. 第2CP日本海拠点館→第3CP亀ヶ岡遺跡 49.3km〜67.4km

第2CPを過ぎて少し走るとこの地の名物「わさお」の家に着いた。「わさお」は名物の秋田犬。今回のランの中で訪れることを楽しみにしていた場所だったので、止まって記念撮影をした。







第2CPでハイドレーションに詰めた氷と水は炎天下で背中を気持ちよく冷やしてくれていた。ハイドレーションからも少し吸い込むとチューブにたまり外気で暖められた水の後にとっても冷たい水が出てくるので、体の芯から体温が下がることを感じるとともに気分もリフレッシュした。

55km手前のローソンで、予定通りハイドレーションに水を補給した。手前のローソンで買った氷は半分くらいは残っており、ここでは氷は買わなかったが、他のランナーが氷をくれたので帽子とリストバンドに入れて体を冷やした。私は代わりにローソンで買った水を渡しお互いに頭からかけて体温を下げた。

ローソンをスタートすると竜飛岬に向かって伸びる道。午後の太陽がじりじりと照りつけるとともに、強い向かい風も受けるようになった。ただ、風がある分いくらか暑さを和らげてくれたようにも感じ、足取りは順調だった。それもあってかこの区間で何人かのランナーを追い抜いた。

スタートをする前から左足の足底筋膜炎の痛みと、右アキレス腱痛があったものの、スタート前のロキソニンと、50km過ぎの追加のロキソニンで痛みはほぼ感じなくなっていた。加えて前から風を受ける時間帯で前傾姿勢を強くしたことが良かったのか、足への重心の乗りが良くスムースな重心移動で効率的な走りができていた。

第3CPまでと、次の第4CPまでは疲れが出てくる距離でもあり、また道が単調なことから苦しい走りとなる事を恐れていたが、ここまでのところは極めて順調だった。途中自販機で水を買い頭からかけた。第2CPに行く途中で出会った徳島のランナーにこの区間で追いついた。彼は途中の休憩はほとんど取らず走りづけていたそうでどこかのコンビニで私が休憩している時に先に行っていたようだ。

第3CPに着き、ドリンクをもらいそうめんをいただいた。5分くらいの休憩の後、次は第4CPの鰊御殿に向かう途中の78km過ぎのコンビニを目指して走り出した。

 

7. 第3CP亀ヶ岡遺跡→第4CP鰊御殿 67.4km〜95.3km

第3CPからコンビニまでは10kmちょっと、これまでのペースならスムースに走れると思っていたところが、第3CPで休憩をした後スピードが思ったように上がらない。疲れも出てきたように感じた。道が長い。時間が経たない。時々歩きたい気持ちにかられるようになってきた。

でも、暗くなる前に鰊御殿につく事を目標にし、その通り走ってこれているので、ゆっくりでも止まらずに走るよう頑張った。そうこうしているうちになんとか78km地点のファミリーマートに着いた。ファミリーマートではコーヒー牛乳を買い、水と氷を補給した。

残りの鰊御殿までは18km弱、ここは一気に走り切ることにしてコンビニで長めの休憩を取ることにした。15分位休んだろうか、コンビニを出発する際に再び徳島のランナーとあった。

また、このコンビニには他にもランナーが休憩していたことから地元の子連れの綺麗な若奥さんに話しかけられた。とても暖かい言葉をかけていただき、元気が蘇ってきた事を感じた。

休憩したこともあり足の動きは調子を取り戻した。スピードも上がってくる。途中で1人のランナーを追い抜かした際、そのランナーに声をかけられ一緒に走った。偶然だがそのランナーは多摩川クラブのランナーで、恐らく過去に練習を一緒にしたこともあるかもしれない。2人で走っていること、鰊御殿まで近づいていることもあり早くたどり着きたい気持ちから自然とスピードが上がってくる。

途中十三湖の河口を横切る橋の上では突風が吹き、怖い思いもしたが順調に進んでいった。鰊御殿まで残り4km位のところで、鰊御殿を折り返してきたトップランナー数人とすれ違った。第2CP手前で徳島のランナーと走っている時に抜き去っていった女性ランナーともすれ違った。

後2kmで鰊御殿というところで、とうとう疲れが出てきてスピードが大きく落ち始めた。多摩川クラブのランナーはそんな私に合わせて決して先には行こうとはしない。申し訳無い気持ちで走っていると「あと少しよ頑張って」という声を道路脇で応援してくれている何人かのおばちゃんにかけられた。もう少しなら頑張ろうという気持ちになり再びペースをあげた。道路をそれて鰊御殿までの200mほどは全速で走り抜け、鰊御殿には予定の18:30よりも30分以上早い17:58に着いた。

スタートして95.3km、約11時間でここまできた。

鰊御殿ではスタッフの人達が暖かく出迎えてくれた。「食事も暖かい食事が何種類もありますよ」「シャワーも浴びられますよ」「休憩室でも休んでください」。そんな声を聞きながら、ここまで走ってきた充実感を味わうとともに、もうこれ以上走りたくないなという気持ちも正直あった。

まずは食堂でカレーライスを頂いた。とっても美味しい!一杯では足りず2杯頂いた。フルーツや野菜なども頂いた。食堂には私の他に私より先に到着したランナーが2人、私と一緒にやってきた多摩川クラブのランナーが1人の4人だった。

食堂の窓からは日本海に沈んでいく太陽が見えた。昼間の時間が終わり夜の時間の始まりを感じた。

食事の後はドロップバックを受け取り、着替えの準備をしてシャワーを浴びた。歯磨きもした。着ているものも全て着替えた。気持ちがリフレッシュした。ランニングウオッチの時計も携帯バッテリーで充電をした。ストレッチとマッサージをして体をほぐした。もう走りたくないという気持ちも次第に薄らいでいく。2時間休憩をするつもりだったが1時間を過ぎたあたりで気持ちが走ることに向いてきた。

第1CP日本海拠点館49.3kmのチェツク順位が14位、第2CP鰊御殿95.3kmのチェック順位が9位というのにも励まされた。

ここからは夜間の走行なので、夜用の準備を確認する。サングラスはもういらない。首のタオルもいらない。多少暑いかもしれないと思いながらもワークマンの長袖Tシャツに着替えた。ウエストポーチに固定するライトもバッチリ。ハンドライトもバッチリ。



ただ時計が少し心配だった。到着時にはほとんどバッテリーがない状態であったにも関わらず10分も経たないうちにフル充電状態を示している。おかしいと思い何度か試してみるもなんどやっても変わらない。ランニングウオッチがないと次のCPまでの距離がわからず、夜の暗い道で道に迷う恐れもありとても心配になったが、いざとなったらスマホの地図機能が使えると気をとりなおした。

第4CPについて1時間15分後にゴールに向かって走り出した。出口では鰊御殿にいたボランティアスタッフが元気な声で送り出してくれた。外はまだ明かりがあるものの夜の世界もうすぐ始まることが告げられていた。

 

8. 第4CP鰊御殿→第5CP総合文化センターパルナス 95.3km〜118.5km

第4CPをでて4kmほどは、先程私が体験したように鰊御殿に向かうランナーとすれ違う。時間は19時半前、前から走ってくるランナーの多くがライトをつけて走っている。私もライトをつけて走る。途中でウルプロの新澤さんやラン友のこやまんにすれ違いここでも勇気をもらった。

5km少し走ったところで、道路脇に木々が生い茂る道になった。既にライトがないと何も見えない状態で私の前後にはランナーもおらず、また道路を走る車もほとんどいない状態だった。

「これは熊が出てもおかしくないな」「UFOが出てきて宇宙人にさらわれるかもしれないな」「お化けもいそうだな」と不安な想像ばかりが頭を過ぎる。

その時突然後ろから叫び声げ聞こえた。出た!と思って瞬間的に後ろを振り向くと、自転車で大声で歌いながら走ってくる人がいた。人騒がせなやつだなとそれでも安堵の気持ちになった。きっとこの薄気味悪い道が怖くて大声で歌っていたんだろうなと思った。

薄気味悪い道は時間とともにさらに薄気味悪さを増していく。天気が急変しているようで、風が強くなり周囲の木々が大きく揺れ始めた。小雨もぱらつき始めた。地図で見ると途中に道の家などもあり少しは賑やかな場所もあるように感じていたのだが、道路脇の店は全て閉まっており、また進むにつれ道は上り坂となり想像とは大きくかけ離れていた。

なんとか登りを終えると、天気も嘘のように回復し、空には大きな月と星も見えた。下り坂を走っている時に道路脇に白い人のようなものが大の字に横たわっているのを見て思わず道路にはみ出した。今見たものはなんだったんだろうと疲れた頭で考えて、その格好から昼に何度もご一緒した徳島のランナーが寝ていたんだろうと予想した。経験豊富な方だからまずは心配ないだろうと道を戻ることはしなかった。

山のような場所から平地に降りてきて第5CPに向かうがCP5はなかなやってこない。途中何度か立ち止まって地図をチェツクし道を間違えないようにした。途中何人かのランナーを抜かした。ゼッケンからは263kmのランナーで、途中の合流地点から同じ道に入ってきた人達だった。

気温が下がってきているせいか、暑さは感じなくなり、喉も乾かなくなってきた。ようやくのことでCP5についたのは22:08だった。

CP5ではボランティアスタッフに暖かいコーヒーを頂いた。「横になる場所もありますよ」と勧められたが、横になる程は疲れていなかったしまだ眠くもなかった。問題はランニングウオッチだった。鰊御殿でフル充電が示されていたのは誤作動で、充電はされておらずバッテリー切れを間も無く迎えるところであった。ここでは充電の手段はないので、このままやり切る以外に方法はなかった。

5分ほど休憩をして次の第6CPに出発した。

 

8. 第5CP総合文化センターパルナス→第6CP金木町総合物産館 118.5km〜126.3km

第5CPを通過したことで距離は距離は118kmを超えて、これまでの自身に最長になる。これからは未体験ゾーン。何が起きるか不安なような楽しみなような感覚を感じた。そんな中、第5CPから第6CPまでは距離も短く、道も頭の中に入っているので、スピードは上がらないまでも安定したペースで走れた。

第6CPは太宰治の生家の前にあり、日中であれば感慨にふけることもあったろうが深夜が迫るこの時間には感動もない。気温が下がってきていることに加えて、また風が出ていたので止まると寒さを感じる。こんな時間、こんな寒い場所でボランティアをしているスタッフには頭が下がる。ドリンクを頂いて最後の山場である第7CPまでの道のりを確認し早々と第6CPを後にした。

 

9. 第6CP金木町総合物産館→第7CPスポーツプラザ藤崎 126.3km〜156.4km

いよいよ自身未体験の夜中を走る時間帯。疲れは次第に溜まってきており歩きたい気持ちが時間とともに増してくる。近くを車が通ると、もうレースはいいから乗せてくれないかなと考えたり、遠くに列車のようなものが見えると、駅が近くにあるのかもしれない、電車に乗って帰りたいなという気持ちが出てくる。 これまで走ってきた距離も、後に残っているゴールまでの距離もどちらも心に響かない。考えているのは次のCPまでの距離。でもこの第6CPから第7CPまでの30.1kmは致命的に長い。思考力が鈍っている頭では捉えどころのない距離に感じた。
幸いなことにこの区間にはあちこちにコンビニがある。疲れて歩きたくなったらコンビニに入って飲み物を飲んで休憩をすることをしながら前に進む。2回のコンビニ休憩の後も、歩かずに走り続けていた。時刻は真夜中2時を過ぎていた。眠ってしまうという感覚はないが、頭がぼうっとしている。走っていてもスピードは上がらない。気がつけば右に左に蛇行しながら走っていた。坂道に入り、とうとう歩くことにした。30分位歩いただろうか、もっと短いかもしれないが、よく覚えていない。そうしていると第7CPの手前9.2kmにある道の駅つるたの休憩所に着いた。暖かいコーヒーを飲みたかったがここにはないということで、立ち止まらずに先に進むことした。
後9.2km、それだけを考えながら前に進む。周りが一面リンゴ畑のエリアに入ったことに気がついた。なぜそれがわかるのかぼおっとした頭で周りを見渡すと東の空がうっすらと明るくなっていることに気がついた。時間はまだ3時を過ぎたところだったが4時過ぎの日の出前に既に東の空は明るくなっていた。最後の力を振り絞って第7CPに向かう。時計は既にバッテリー切れで残りの距離はわからない。前に進むだけ。第7CPに着けばゴールまで残りは21.1km。ハーフマラソンの距離だから想像がつく。
リンゴ畑に囲まれた単調の道は続くが、第7CPまで、そしてゴールまで着実に近づいていることを感じていた。
そして第7CPに到着した。時間は4時1分。既に世界は朝を迎え、ライトは必要のない時間になっていた。第7CPには先に到着していた女性ランナーがいた。私よりも疲れた表情をしていた。私が鰊御殿について際に出発した女性の2番手のランナーだった。女性ランナーは疲れた足取りで私より先に出発した。私ももうここでゆっくりとするつもりはない。少しでも早くゴールにつきたい。そしてここから頑張れば目標としていた24時間切りも達成する可能性が出てくる。少しの休憩の後第7CPを後にし、ゴールを目指した。
 
 
10. 第7CPスポーツプラザ藤崎→第8CP黒石駅前多目的広場 156.4km〜165.9km
 
走り始めて最初の目標は私の前にいる女性ランナーに追いつくこと。走りだすと直ぐに追いつくことができた。追いついたらスピードを落とすことなく走り切る。女性より先に行きたいからそうするのではなく、少しでも早くゴールに着くために自分を追い詰めるため。走り出してまだ脚は残っている事を感じる。疲れてはいるけどまだいける。第8CPに向かってひた走る。途中真正面から上がってきた太陽が眩しくて前が見えない。見えないけどサングラスもないのでこのまま走り切るだけ。そのうち太陽は上に上がっていく。黒石市内に入り第8CPに着いた。第8CPでは黒石名物の「つゆ焼きそば」をいただく。ご当地名物でソース焼きそばがつゆに入って出される。味が濃いいけど美味しい。また元気が出てきた。
つゆ焼きそばを食べて、第8CPを後にした。
 
 
11. 第8CP黒石駅前多目的広場→第9CP田舎館役場前 165.9km〜171.4km
 
黒石の観光地である「中町こみせ通り」を通って第8CPに向かう。館山代表がぜひ見てもらいたい場所なのでコースに設定したという通りの価値がある趣のある通り。またゆっくりと見てみたいものだと思いながら第9CP、そしてゴールを目指して走る。
途中、スタートを支援していた地元のランニングチームのメンバーと何人もすれ違い応援をしてもらった。我慢し切れなくなって歩いた10m位を除いて走り続けた。
第9CPが見えてきた。第9CPでは椅子に座らせてもらいコークを頂いた。残りは5.3km。ゴールが見えてきた。
 
 
12. 第9CP田舎館役場前→ゴール さくら野百貨店 171.4km〜176.7km
 
第9CPからゴールまでは交通量の多い、そして狭い道路横を走る。油断していると車に跳ねられそうでいい緊張感がある。ゴールが近づいてきたこの時間、何を考えていたのか覚えていない。車に跳ねられないようにだけを思っていたのかもしれない。走り終わることの安堵感も特にはない。走ってきたことの感動も特にない。ゴールになる建物が次第に近くに見えてくる。この角を曲がって次を曲がるとゴールテープが待っている。
7月15日(月曜日)午前6時40分37秒、スタートして23時間40分37秒でゴールした。目標の24時間切りを果たせた。そして総合7位、男子6位で入賞というおまけもついてきて館山代表から賞状と記念品を頂いた。







謙虚に求めていくぞ

2012-11-04 21:04:23 | 覚えておきたい考え

大きなことを成し遂げるために強さを与えてほしいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶように弱さを授かった

偉大なことができるようにと健康を求めたのに、
よりよきことをするようにと病気を賜った

幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようとして力と成功を求めたのに、
得意にならないようにと失敗を授かった

人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに、
あらゆるものをいつくしむために人生を授かった


求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
私はもっとも豊かに祝福されたのだ


--「悩める人々への銘」 ある無名兵士の詩 ------

「この詩はニューヨーク大学の壁に掲げられていて、140年前
にアメリカの南北戦争に従軍した南軍の兵士が記したものとい
われている。」
引用 http://www.geocities.jp/nkkagosu100/page014.html


10月に参加した不良牧師アーサー・ホーランドの講演会でこの詩が紹介された。
謙虚になること、そして「何が幸せで、何が不幸せかを 誰が知っているのか?」
という問いが頭の中に出てきた。

今日、「祈り」という映画を見た。
この詩が映画の中のナレーションででてきた。

私にとってきっと意味のある言葉なんだろうと改めて思った。
でも私は謙虚さを忘れず、まずは求めていこうと思っている。

自分に厳しく

2012-03-21 01:00:57 | 覚えておきたい考え
今、自分自身に頻繁にやってくるメッセージがあることに気が付いた。

そのメッセージは「自分に厳しく」。

私自身が持っている「楽しい」という価値観が長い間ないがしろにされていることに気づき
そこに意識を向けて楽しんでいる間に「自分に厳しく」というもう一つの私の価値観を
忘れていたんだと思う。

大切なことは必ずやってくる。
だから、ここ最近このメッセージを頻繁に受信するようになったんだと思う。

誰かに「あなたは自分に厳しくない!」と責められたわけではない。
最近ふとしたきっかけで知り合った方と食事をしている時に、そのかたは言った。

「私は人にお願いをしない」「人にお願いをしないといけないような付き合いはしない」

自分に厳しいかただなと思った。それと同時に自分自身を窮屈なところにおしこめている
のではないかとも思い、どちらかというと、「自分自身を窮屈なところにおしこめる」
ことについて私の意識は向かっていた。
「私は自分自身を窮屈なところにおしこめていなくてよかった」と。

次に大切な友人から「あなたの言った言葉が気になって、それがどう意味が知りたい」と
強い感情とともに打ち明けられた。
私を責めているわけではないものの、「あなたはどう考えてそれをいったのか?」と
何かを突きつけられるような厳しい感情がそこにあることを感じた。
決して私はその人を追い詰めるつもりも、ひどいことをいうつもりでもなく、逆に友人が
らくになればと思って違った視点を示したものだった。なので、私は、友人が違った視点で
みられるようになるにはどうしたらよいものかと考える場面になった。

そして昨日は私が多くのことを教わっている方から、礼をつくすことについて話を聞かせて
いただく場面があった。
私の非礼な対応について、言いにくいことをあえて言っていただいたものだった。
私はそのことについて厳しい方だなと思ったことに加えて、私はどうすればいいのかと考えた。

それらのメッセージに全て共通するのは「自分に厳しく」。

明日から気持ちをひきしめよう。
きっとこれが今の私にとって大切なことのように思える。





人ってすごい

2012-03-09 23:31:08 | 気づき
東日本大震災からまもなく一年。
TV番組で、自衛隊員が見た大震災といった内容の番組を見た。

そこで紹介されていたエピソードに心を打たれた。
人はこんなにも誰かのために強くなれるのか、優しくなれるのか、人ってすごいなって。
そして、そんな人が一人や二人ではなく、たくさんいたこともすごい。

捜索活動にあたった自衛隊員の中には、トイレに行く時間もおしがってオムツをして作業をしたり、

自分自身も津波にのまれ、流されている時に、溺れそうな人2人を抱きかかえて助け、その後も木材を束ねたものに乗っかって多くの人を助けにいったり、

福島原発に放水をする危険な作業をまかされた部隊では、隊員の多くが「私に行かせてください」と志願したり、

他にもたくさんのストーリーが紹介されていた。

そしてこれは自衛隊の隊員だけでないことも、色々なところで伝えられている。
私が参加した震災ボランティアのメンバーも泥かき作業の時など、男も女も関係なく自分自身のもてる力を精一杯出し、もくもくととりくんでいた。くる日もくる日も。

人をみくびってはいけない。人って本当にすごいな。
私もそんな人になりたい。


ニューヨークに行きたい

2012-03-08 22:38:39 | 身近な出来事
実現したいことを心の底から実現したいと思い、口に出すと、それが実現する体験を何度もしている。

2010年9月に参加したワークショップで、確か20年後の自分自身になったつもりで、これから自分自身が
おこす行動を、あたかもそれが実現されたかのように振り返って語るという機会があった。

実際にやりたいと思っていたけども、何もその時には手を付けていなかったテーマを選んで話した。
その後、この時に話したことは完全に忘れていたものの、それが一年後には実現されていた。

実現されたのは、必要な行動をおこしたからというのは事実だけれど、行動をおこす際に、
宣言をしたことは記憶にはなかった。

ただ、不思議なことにその後、いろいろなきっかけがやってきて、それが行動をさらに加速させて、
実現したという感じ。
話したことが潜在意識に焼き付けられて、それが行動をおこしたというように解説するのだろうか。

そんなことを昨晩思いながら、その時の感覚から出た言葉は「ニューヨークに行く」。
ただニュ-ヨークに行くのではなく、そこに住んで仕事をしたい。

なぜニューヨークかの理由は明確ではないんだけど、先日2010年9月と同じようなワークショップの機会に
マンハッタンにある高層ビル上層階のオフィスに立っている私自身の姿を漠然と見たことと、
つながりがあるように思う。

だからたぶん実現するのだと思う。

そして、これを実現させるために、昨晩は眠りにつきながら「ニューヨークに行く、ニューヨークに行く」
とこの言葉を頭の中で反芻し、マンハッタンの高層ビルのオフィスをイメージしながら眠りにつこうとした。

潜在意識にどんどんニューヨークに行くことが染みついていくことを信じながら、「ニューヨークに行く」
という言葉を繰り返し、マンハッタンのイメージを描いていた。

そうしていると、突然、頭の中の映像に変化が現れてきた、何かなと思ってみていると、それはお風呂の
ようだった。

そして「ニューヨークに行く」も次第にニュアンスが変化していく、「にゅーよくに行く」
「入浴に行く」

なんでこうなるのだろう、私の頭の中のオヤジギャグ細胞のいたずらか。
悲しいけれどこれが現実かなと思いつつ、そしてこのオヤジギャグに苦笑しながら眠りについた。

明けて今日。

i-Phoneの待ち受け画面をニューヨークの写真に変えた。気分だけでもニューヨークと思って。
そうすると、夜、ニューヨークに関係がある人と突然つながった。