チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

伝説のSMAPの元リーダー

2008-12-24 16:42:38 | 身近な出来事
SMAPのメンバーと一緒に海にやってきた。この季節は風が強いために海は荒れていると思っていた。たしかに沖のほうに目をやると見渡す限り白波がたっている。
でも私達が立っている砂浜の近くの波はとても静かだ。この海岸は遠浅になっているためだろう。
潮が満ちてくる時間が近づいているのか、我々がここについてからまだあまり時間がたっていないのに、波がどんどん砂浜の奥のほうまでやってくる。

SMAPとは特別親しいわけではない。
我々の関係というか、私からの一方的な関係というほうが正しい。以前日本人のコーラスグループで『夜空のムコウ』を歌った。それ以降カラオケでもこの歌を定番のように歌うし、車の中で時々SMAPの音楽を聴いている。『ライオンハート』は車のなかでよく歌っている。この季節に似合う曲だと思っている。

なぜこうなったのかわわからないけれど、とにかくSMAPと一緒にこの海岸にきている。SMAPのメンバーと波が引いた時には、その波が最もひいた場所まで走っていき波を眺める。そして波がよせてくると、潮で足元が濡れない場所に波と競争をしながら引き返してくる。

同じことの繰り返しをどれだけしただろう。波の押し寄せてくる量が多くそしてより浜辺の奥にまで入ってくるようになって、私もSMAPのメンバーも次第に波に足をとられるようになり、ズボンのすそといわず腰の近くまでずぶ濡れになり、濡れた部分の色が変わっている。

気がつくと遊びつかれて砂浜の手前にある防波堤に座ってこちらを眺めているメンバーもいる。
防波堤の向こうには、10階建てくらいの高さのある茶色とグレーの外壁を持った洋風の建物がある。歴史を感じさせる建物。この建物がなんのなのかは判らない。壁に多くの窓があるのでアパートかもしれない。でも窓は一つもあいていないし人の気配もしない。不思議な建物。

この建物の上には塔のようなものが立っている。波打ち際で遊んでいるときに次第に光の気配を感じるようになっていた。立ち止まって光の気配のするほうを眺めてみると、光は洋風の建物の上にある塔からやってきていた。
この建物と塔の写真を撮りたくなって、打ち寄せてくる波を気にせずにその場所でカメラを構えた。カメラに映し出される建物と塔の姿もとても美しい。

気がつくと波打ち際には私ひとりしかいなかった。SMAPのメンバーは皆防波堤に座っているのが見える。私も波打ち際から砂浜を通り越して防波堤に戻った。

防波堤にはSMAPのメンバーのほかにファンらしい人たちがいた。ここにきていることは誰にも伝えていないのに、波打ち際でおおはしゃぎをしている姿が目立ったのか我々の存在はこの海岸に来ていた人たちは皆しっていたようだ。

ファンはSMAPのメンバーの写真をとっている。SMAPのメンバーは特別なポ-ズをとるわけでもなく、自然な姿でファンが構えるカメラに収まっていた。

「すみません」と突然声をかけられた。

私が振り向くと1人の男性がたっていた。「私ですか?」と自分のほうを指差しながらこたえると、「ええ、そです」という返事。
とっさに私はSMAPのメンバーと写真を撮りたいのでシャッターを押してくださいというお願いだと思った。面倒くさいなという気持ちもあったが断る理由もない。

でも男性はとんでもないことを言ってきた。
「あなたはその存在が伝説になっているSMAPの元リーダーですよね?」
「あなたが波打ち際に1人で立って写真を撮っている姿を見て、それを確信したんです。私と一緒に写真をとってくれませんか?」

「伝説のSMAPの元リーダー?」「確信した?」男性の言っていることは全て理解できるものの、それが私自身とに結びつかない。SMAPに伝説のリーダーがいたなんてことも聞いたことがない。でも悪い気はしない。一人一人がとても個性的で、また一人一人がとても成功しているSMAPのリーダー、元リーダーであったとしても伝説になっているんだからきっとすごい人だったんだと思う。そんな人に間違えられるのは光栄なこと。

光の存在を再び感じた。そちらの方向を見るとさっきの洋風の建物の上に建っている塔が再び光を放っていた。



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ここに書かれている内容は私が夢の中でみたことであり、現実世界の話ではありません。

投資回収型コミットメント

2008-12-03 23:43:36 | 身近な出来事
「継続は力なり」ではなくて「力になるまで継続する」というのが、前の組織のトップがいつも言っていた言葉だった。

この言葉には逆転の発想があり、それが正しいかどうかわからなくても、とにかく続けてみること、続けてみるとその本質が見えてくるし、そして続けていることで力がついてくるという意味だと私は思っている。

この逆転の発想に似たもので、『コミットメント』と『とにかくやってみること』との間に私にとっての新しい関係性を見出した。

私の場合最初にコミットメントがあって、それをベースにしてとにかくやってみるという思考パターン&行動パターンがある。コミットメントが先に来て、それで私自身のモチベーションをコントロールし行動を起こすパターンがあった。

この私自身のコントロールのしかたがあってのことだと思うが、私以外の人に対してもコミットメントをまず最初に求めていた気がする。

相手に対して「信じるのか、信じないのか まず決めてくれ!」とナイフを突きつけて、そして「信じる」といってもらうことをまず求めていた。
そして「信じる」というところで私とその人とでコミットメントの共有ができ、あとはそれをゆるぎないものとして実際の行動に移るというパターン。

先に決めて、それをエネルギーにして行動を起こすパターン。

私の、『コミットメント』と『とにかくやってみること』についてのとてもホットな発見は、「信じるか、信じないかは重要ではない」、「信じなくてもとにかく始めてみればいい」そして「やっていることにエネルギーや時間をかければかけるほど、コミットメントは勝手に高まってくる」というもの。

これに気がついたのは英語学校の宿題をやっていた時のこと。

「なんでこんな宿題をやらないといけないんだ」と不満を持ちながら宿題をしていた。量が多いから時間がかかり、なかなか終わりが見えないときには不満がとても強い。「もう勉強に行くのはやめてやる」とか、「あの先生の教え方はいまいちだ」とかいろんな不満に意識がいき、不満ばかりが出てくる。コミットメントはどこにもない。

それが、宿題が進み、終わりが見えてくると次第に気持ちが変わってくる。「ここまで時間をかけて宿題をやったのだから、私自身の役に立てたい、私の力を高めたい」というように気持ちが変わってくる。英語学習に対するコミットメントが高まってくる。『投資回収型コミットメント』と呼ぶのか、または『不満足から満足への転換型コミットメント』と呼ぶのか、いずれにしても最初にコミットメントがあるかどうかは全く重要ではない。

このことに気がついて自分自身がすごく楽になった気がする。私自身の気負いがなくなるような気がするし、私が接する人に対してもう少しリラックスした対応がとれるようになると思う。

『学びはいろんなところにある』ということも改めて気がついた。

ウインクの練習

2008-12-02 23:42:57 | 身近な出来事
毎週火曜日にアントワープにやってきた時にかかせないことは食料品の買い物。アパートの近くにある小さなカルフールに買い物にいく。

買い物をするものはだいたい決まっている。
今日の買い物はレタスを中心としたカット野菜、みかん、2種類のチーズ、ヨーグルト、ベーコン、牛ミンチ、ワイン、パン。 ここまでは定番の買い物。
食べ物の好き嫌いがあることもさることながら、料理を真剣にするつもりがないから立派なキッチンがあるのに、調味料、調理道具、お皿などがほとんどないこともその理由。

毎日15分以内でできる食事を作って、ワインかベルギービールを飲みながらひとりで食事をする。以前は毎日外食にでて美味しいベルギーの料理や日本食を食べていたけれど、ある時から外に食事にいくことがおっくうになって簡単食事生活が始まった。 

ただ、今日はいつも買わないフォワグラを買った。買い物をしながらフォワグラをバゲットにつけて食べる瞬間を想像し、その味を想像しウキウキした。

今日のレジはとても魅力的な女性。カルフールのさえない緑と白の制服もなんとなくお洒落に見えないこともない。

私のレジの番になると、まず目を合わせてウインクをするところからレジが始まった。シャイな人が多いベルギーではなかなかない体験。慌ててこちらも左目のウインクを返そうとしたが、鼻も口も左につりあがり、とても不自然なウインクになった。

次の機会に向けてウインクの練習をしようと心に決め、帰り道はウインクをしながら帰った。少し小雨が降っていたし、誰も見ていなかったと思う。

カッコいいウインクができるようにないたいな。

毎週お決まりの買い物が少し鮮やかなカラーになった。

コーラスの本番に向けて

2008-12-01 23:15:02 | 身近な出来事
今週日曜日12月7日はドイツの教会で、ドイツ人コーラスグループに招かれて歌を歌いにいく。"O Holy Night"他ドイツ語、英語、日本語の歌全5曲を日本人のコーラスグループで歌う。

11月からは毎週月曜日に2時間の練習をしてきた。週末の個人のボイストレーニングでも折に触れ練習を重ねてきた。
でも、すぐに旋律を忘れてしまう。

主旋律を歌うときは問題がないんだけれど、そうでないときは主旋律を歌うソプラノと私のパートであるテナーをいったりきたりしてしまう。
一度歌うとしっかりと私のパートを歌えるンだけれど、一回目がどうもうまくいかない。本番では一発勝負なのでどうなることか心配。

おまけに"O Holy Night"は私だけが主旋律を歌うことになっていて、加えて3番目の歌詞の最後は高音シを出すのだが、これがほとんどうまくいかず、音をはずしてしまうか、音がでないかのどちらか。

かなり深刻。
絶対音感は当然ないし、楽譜もまともに読めないから不安定感がもともとあるのに加えて「この音が綺麗にだせるだろうか」という不安と「みんなに迷惑をかけてはいけない」というプレゥシャーからますます声の柔軟性を失い、高音を出せなくなってしまっている。

練習するしかないな。
アントワープのアパートで1人で練習をしよう。