1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

雰囲気は・・・

2009-11-06 10:51:54 | 雑談の記録
ここ半年くらい「走姿」と「肩の感性(肩グニャリ)」にこだわってボクなりのリロンを見出し、指導という程のこともないけど、4年生のリョー坊にわかるように説明して(わかってもらえたかどうかは疑わしいけど)、それを体現してもっらってどうにかソレナリの成果が出たかなと思う今日このごろ、みなさん如何お過ごしでしょうか。

実は「走姿」リロンについては、厚顔無恥をぶっ放し、HRNコーチにボクのバカブログ文章を読んでもらったりしたのだった。

ボクは子供のころからそうだったけど、自分がある考えや事象を発見をしたとき、その考えが合っているのか間違っているのか無性に確かめたくなるクセがあるのだ。中学校のころ、恐竜化石が出るという現場で「恐竜のタマゴ」を拾い、それをワザワザ大学の研究室まで一人で運びこんだという離れワザをやってのけたことがある。もちろん、それはただの「石ころ」だったのだけれど、そのときの行動力には我ながら今でも感心している。それかも、似たような事件は幾多も起こしているように思うけど、HRNコーチにその文章を読んでもらったってのは、そんな事件の一ファイルに過ぎないのかも知れない。

さて、松井選手がヒーローになった昨日、ボクは家でビールを飲み、ワールドシリーズと日本シリーズを2画面で楽しみながら、手元には昨日届いた一冊の本。

その本は20ページも読んでないけど、内容にちょっとビックリポックル。

やっぱり、世の中には自分と同じ考え方をする人がいるんだぁ~。
「究極の身体」
見開きに鞭(ムチ)の話しが・・・。

話しはかわるけど、昨日の松井選手のツーラン。追い込まれてからの8球目だったと思うけど、解説していた伊東元西武ライオンズ監督がホームランを打つ前に言っていた「雰囲気がありますよ」という言葉。
人間にはそれを感じる能力があるし、また、勝つための雰囲気を作る能力もあるってこと。

ボクは松井選手が身体を解放しているように思えた。

大袈裟かもしんないけど、あれはどうみても命のやりとりの瞬間の雰囲気だった。
「勝つために「命懸け」で闘う」というのは本当に有りなのだ。

ボクらが人間としての身体を得る進化の過程には、何億年にも及ぶ「命のやりとり」があったことは想像に難くない。

「命のやりとり」の瞬間、怯えていたらヤラレてしまう。
「命のやりとり」の瞬間、緊張していたらヤラレてしまう。
そんなものだ。

だから、本来、「命のやりとり」の瞬間は、「楽しい」とか「幸せ」の感情が脳内に発生していないといけないと思うのだけど、どうだろう。

一流のスポーツ選手がよく言う「楽しむ」ってのは、そういうことじゃないのかなって思う。

ボクらの身体は、実は「命のやりとり」の瞬間のために準備、設計されたものではないのだろうか。
コメント
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