鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

「一度に at once 」の2重の意味:論理的等価性と現実的同時性(GLASS1-2)

2011-02-06 20:34:15 | Weblog

 アリスは自分がたくさん悪さをしていたので罰を受けたらどうしようと思う。最初、牢屋にいれられるかと心配する。「それとも、それぞれの罰が食事抜きだったらどうしよう。」とさらに彼女は不安になる。
 
 PS1:アリスは牢屋に入れられるか、食事を抜かれるかと、罰について予想するからここまでは普通。

 「罰を受ける日が来たら一度に at once 50回分の食事をしないで済まさないといけないんだわ!」とアリスが言う。

 PS2:アリスのこの言明から、彼女はすでに50回の悪さをしたことが分かる。
 しかし、よく考えてみよう。「一度に50回分の食事をしない」とはどういうことだろうか?不思議な言明。50回の悪さに対し50の罰という推理は正しい。罰は食事を抜かれること。とすれば「50回の悪さ」(事態A)は「50回分の食事をしないこと」(事態B)と論理的に等価である。論理的等価性は現実の中では一瞬のうちに発生するのでアリスは「一度に at once 」と表現した。
 ところが「一度に at once 」の語には現実的同時性の意味がある。彼女の思考は「一度に at once 」の意味に関し論理的等価性から現実的同時性に移行する。

 「いいわ、そんなのヘイチャラだわ!一度に50回分食べるより50回分食べないほうが、ずっといいわ!」とアリスが結論を出す。

 PS3:「一度に at once 」が現実的同時性を意味する場合、「一度に50回分食べる」こと、つまり一度に50食、食べることは現実的に発生可能な出来事である。
 しかし「一度に50回分食べない」ことは、論理的等価性としては可能だが、現実的には発生不可能である。現実的同時性において「一度に at once 」可能なのは、「1回分の食事を食べない」ことである。「50回分食べない」ことが現実的に発生するには「一度に at once 」では無理で、「50度 at fifty times 」が必要である。
 アリスは現実の子である。彼女は現実の世界に生きる。「一度に50回分食べない」ことが現実にあり得ないから現実の罰にならないと彼女は気づく。
 アリスは最初、「50回の悪さ」(事態A)の論理的等価である「50回分食べない」こと(事態B)という罰が、意味的に一瞬のうちに=「一度に at once 」発生して恐怖した。
 ところが彼女は「一度に at once 」を現実的同時性と解釈すれば、「一度に50回分食べない」ことは現実に起こりえない=無意味である=現実の罰として起こりえないと直感した。
 だからアリスは言った、「一度に50回分食べない」としたって「そんなのヘイチャラだわ!」と。
 もし罰が「一度に50回分食べる」のだとしたらこれは現実的に可能だから、そして一度に50食も食べるのは大変な苦痛だから、「一度に50回分食べる罰より、(現実にはあり得ない)50回分食べないという罰のほうが、ずっといいわ!」と彼女がチャッカリと結論を出した。