WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

今日の一枚(101~200)

2007年09月24日 | 今日の一枚INDEX

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101

ドン・フリードマン   サークル・ワルツ
102 ズート・シムズ   デュクレテのズート
103 エディ・トンプソン   Ain't She Sweet
104 アーチー・シェップ&マル・ウォルドロン   
       追憶~レフト・アローン
105 トリオ・モンマルトル   カフェ・モンマルトルからの眺め
106 ニルス・ランドーキー/トリオ・モンマルトル   
      北欧へのイマージュ
107 ファッツ・ナヴァロ   ノスタルジア
108 ズート・シムズ&アル・コーン   ハーフノートの夜
109 バド・シャンク・カルテット
110 ソニー・スティット   ペン・オブ・クインシー
111 ゲイリー・バートン&チック・コリア   
   クリスタル・サイレンス
112 ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン
113 カレル・ボレリー  ラスト・タンゴ・イン・パリ
114 ブルース・スプリングスティーン   ザ・リバー
115 マイケル・フランクス  Burchfield Nines 
116 ケニー・バレル   ミッドナイト・ブルー
117 ビル・エヴァンス   ムーンビームス
118 板橋文夫   わたらせ
119 ビル・エヴァンス   From Left To Right
120 穐吉敏子   トシコ・プレイス・トシコ -時の流れ-
121 ザ・ビートルズ   ホワイト・アルバム
122 ヨーロピアン・ジャズ・トリオ   哀愁のヨーロッパ
123 ダスコ・ゴイコヴッチ   イン・マイ・ドリームス
124 アル・コーン&ズート・シムズ   フロム・A・トゥ・Z
125 デクスター・ゴードン  バウンシン・ウィズ・デックス
126 スタン・ゲッツ   キャプテン・マーベル
127 セロニアス・モンク   ソロ・オン・ヴォーグ
128 タル・ファロウ   タル
129 チェット・ベイカー   It Could Happen To You
130 カーティス・フラー   ブルースエット
131

ハービー・ハンコック   スピーク・ライク・ア・チャイルド

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132

ジュニア・マンス   Ballads 2006
133 ジャッキー・マクリーン   4,5&6
134 -->

ザ・ビル・エヴァンス・アルバム

2007年09月21日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 202●

The Bill Evans Album

Watercolors0015_1  カーテーンの隙間から入り込む風が気持ちよく、さわやかな朝だと思ってベッドを抜け出し、カーテンをあけたら、ギラギラした原色の太陽の光が飛び込んできて、目が痛い。天気予報では今日も暑くなると報じている。軽めの曲を聴いて穏やかな気持ちになりたいと、取り出したのが大袈裟なタイトルをもったこのアルバムである。

 『ザ・ビル・エヴァンス・アルバム』。ビル・エヴァンスの1971年録音作品だ。CBSへの移籍第一弾であり、前作?『フロム・レフト・トゥ・ライト』に続いて、エレクトリック・ピアノを使用した珍しい作品である。珍しいとはいっても、この時期のエヴァンスはかなり本気でエレクトリックサウンドを取り入れようとしていたふしがある。でなければ、二作も続けて電気ピアノを導入したりはしないであろう。巷のフュージョン・ブームの中でエヴァンスもそれに影響を受けたのであろうか。あるいは、煮詰まった自分の音楽からの突破口として、電気ピアノで表現の幅を広げようとしたのだろうか。いずれにしても、新しい表現を模索しようとするこのエヴァンスの態度は好ましいものだ。評論家筋では、エレクトリック・エヴァンスは概して評判が悪く、まともな論評もしてもらえないのが現状であるが、よく聴けば、これはこれで面白いのではないか。

 スタインウェイ・ピアノとフェンダー・ローズを使い分けるエヴァンスのプレイについては、エレクトリック・サウンドに飛び込みきれず、古い自分のスタイルにしがみついているという評価もあるのだろうが、この使い分けがかなりいい効果をもたらしていることは事実である。私は好きである。電気ピアノのみの演奏だたったら、恐らくもっと飽きのきやすい単調でつまらない作品になっていたような気がする。ある意味深遠で趣のあるアコースティック・ピアノに、フェンダー・ローズの響きが爽やかで軽いテイストを付け加えている。歴史に残る名演ではないかもしれないが、十分に聴くに値する作品であり、生活の中に潤いをもたらす一枚であると考える。

 しかし、それにしても何という醜悪なジャケットだろう。エレクトリック・ピアノの揺れる雰囲気をかもしだろうとしたのだろうが、はっきりいって失敗であろう。気持ち悪い。エヴァンスのディフォルメされた肖像も、私にはうだつのあがらない酔っ払いオヤジか、助平な変質者にしか見えない。ジャケットがその爽やかな内容を完全に裏切っている。私がこのアルバムを手に取ることの少ない理由の多くは、この気持ち悪いジャケットにある。爽やかな演奏だと知りつつも、ジャケットの気持ち悪さに、それを手に取ることさえ憚られるのだ。


グレート・アメリカン・ソングブック

2007年09月18日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 201●

Carmen Mcrae

The Great American Songbook

Watercolors0014_2

 先週一週間、休みを返上して働いたご褒美で、今日はオフだ。早起きして朝食をつくり、妻や子どもたちを送り出して、洗濯と皿洗いを済ませ(食洗器だが)、時間をかけて最近気に入っているコーヒーを淹れた。時間がゆっくりと流れるのを感じ取ることができる。CDを再生装置のトレイにのせ、アンプのボリュームをいつもよりもあげてみる。ちょっとしたJazz喫茶ごっこだ。誰もいない家で大音響で音楽を聴くのは、考えてみればしばらくぶりだ。

 カーメン・マクレエの1971年録音作品『グレート・アメリカン・ソングブック(完全盤)』である。ジャズ喫茶ごっこには、このようなライブ録音盤がふさわしい。何より音がいい。カーメンたちがすぐそこで演奏しているようだ。カーメンのMCや観客の拍手、食器の音にいたるまで臨場感に溢れている。2枚組みのライブ盤は、今日のような時間的余裕のある日にはまったくふさわしい。音質、演奏、構成とも本当にライブ会場で聴いているかのようだ。2枚組LPも所有しているが、8曲追加され、オープニングの演奏も加えられたこの完全盤CDの方をよく聴く。盤面を変える手間が少ない分、演奏にどっぷりつかることができるからだ。LP時代にはなかったCDの楽しみ方のひとつかもしれない。

 時にスウィンギーに、そして時に情感をこめて、カーメンはリラックスしつつも、適度な緊張感をもって歌っていく。世間的評価どおりの名唱・名盤である。1971年のスウィング・ジャーナルの年間評価でエラ・フェッツジェラルドのアルバムが、カーメンのこの作品を上回ってベストヴォーカルアルバムに輝いたことに対して、かの大橋巨泉は「今のジャズ評論家は一体どうなっているのか?」と嘆いていたらしいが、巨泉さんの気持ちもわかるような気がする。カーメン自身、「このセッションは、私の音楽生活の中で最も満足のゆくものです」とかたったらしく、その意味でもカーメンの代表作のひとつといわれてしかるべきであろう。


九月の雨……青春の太田裕美⑰

2007年09月03日 | 青春の太田裕美

Watercolors_21   1977年作品「九月の雨」。誰が弾いているのかわからないが、ベースラインが印象的な曲である。ヒット曲である。けれど、どうしても好きになれなかった曲である。ジャケットはなかなか可愛いが、いかにも歌謡曲然とした曲調がいけない。出だしからいかにもシリアスなという感じのピアノだ。あまりに生真面目すぎはしないか。大人への脱皮をはかろうとしたのであろうが、ちょっと無理をしすぎではなかろうか。声も荒れてしまっているではないか。こんなに無理をさせて、得るものとは一体なんだったのだろうか。 

 二股の歌である。あるいは男の浮気の歌である。太田裕美がかわいそうではないか。ユーモアに溢れ、アンニュイで、コケティッシュで、ノスタルジックな太田裕美の持ち味を損なっている。繰り返し聴けば、決して悪いメロディーではないが、やはり失敗作である。ヒット作品ではあるが、失敗作であると断じたい。しなやかさを欠いた生真面目さは、硬直的なのだ。太田裕美はこの曲によって大人の女性のイメージに脱皮できたであろうか。否、である。女の生臭さを表出してしまっただけである。聴衆が、太田裕美という「物語」に求めていたものは、そういった姿ではなかったはずだ。 

 しかし、そうはいっても、この曲がヒットしたことは事実である。この曲がヒットした社会的背景を分析しなくてはなるまい。若干の用意はあるのだが、他日を期したい。 

※   ※   ※   ※ 

車のワイパー透かして見てた 

都会にうず巻くイリュミネーション

くちびる噛みしめタクシーの中で
 

あなたの住所をポツリと告げた

September rain rain  九月の雨は冷たくて
 

September rain rain  想い出にさえしみている

 愛はこんなに辛いものなら  私ひとりで生きて行けない               

 September rain  九月の雨は冷たくて 

ガラスを飛び去る公園通り 

あなたとすわった 椅子も濡れてる

さっきの電話であなたの肩の 

近くで笑った女(ひと)は誰なの 

September rain rain  九月の雨の静けさが 

September rain rain  髪のしずくをふるわせる 

愛がこんなに悲しいのなら あなたの腕にたどりつけない 

September rain  九月の雨の静けさが

季節に褪せない心があれば 人ってどんなにしあわせかしら                 

ライトに浮かんで流れる傘に
 

あの日の二人が見える気もした

September rain rain  九月の雨は優しくて 

September rain rain  涙も洗い流すのね 

愛が昨日を消して行くなら 私明日に歩いてくだけ 

September rain  九月の雨は冷たくて 

September rain  九月の雨は優しくて

 

 


ギター殺人者の凱旋

2007年09月02日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 200●

Jeff Beck

Blow By Blow

675_1   「今日の一枚」もNo.200となった。これをはじめたのが昨年の7月なので、1年と2ヶ月ほどの期間に200枚の作品にコメントしたわけだ。この間、他の記事も書いたので、飽きやすい私にしてはよく続けてきたなという感じだ。今日の一枚は、ロック作品である。当時は、クロスオーバーなどともいわれた作品である。No.200の記念として特別の作品を取り上げようというわけではないのだが、何故だが今朝からロックっぽいものを聴きたいという欲望が渦巻いており、たまたまレコード棚の目につくところにあったのがこのアルバムだ。

 ジェフ・ベックの1975年作品『ブロウ・バイ・ブロウ』、高校生の頃、繰り返し聴いた一枚だ。この作品に『ギター殺人者の凱旋』という日本タイトルをつけたのは誰だろう。他のブログに書かれていたのだが、アメリカでこのアルバムが発売された時に出た広告のコピーが「The Return Of The Axe Murderer」となってるのを当時のCBSソニーの担当者が見つけて訳し邦題にしたということらしい。気持ちは理解できないでもないが、やはり今となっては、ピントはずれなタイトルというべきだろう。

 昔、ヤードバーズ出身の三大ギタリストという言葉があったが、ギターという楽器そのものを追究したのは、結局のところ、ベックだけだったのではないだろうか。クラプトンは歌物の世界に開眼してヒットメーカーになり、ジミー・ペイジはギターアンサンブルの可能性を追究した。それに対して、ベックはエレクトリック・ギターという楽器を使ってどこまで表現を広げられるかという、ギター表現の可能性に取り組んできたように思える。その結果、彼はロックの世界に軸足を置きつつも、クロスオーバーとかフュージョンとか呼ばれた世界に接近することになる。私自身がそうだが、このアルバムを通して新しい音楽分野に目を開かれたというリスナーは意外と多いのではなかろうか。

 かつては鑑賞というよりギターの教科書として聴いていたこの作品だが、改めて聴きなおしてみると、思いのほか新鮮である。未だコンピュータ音楽などのない時代、当時のテクニックを駆使して、ギターという楽器ひとつで音楽世界を構築しようとしたベックの冒険的試みが手に取るようにわかると同時に、音楽それ自体も感動的である。よくできた秀逸な作品である。

 ベックのお気に入りのギタリストであるロイ・ブキャナンに捧げたという名曲「哀しみの恋人たち」は、やはり今聴いても心に染み入るものがある。高校生の頃、コピーしたこの曲は、今でもアドリブのひとつひとつまで口ずさむことができる。チョーキング、プリングオフ、ハンマリングオン、トリル、スライドという基本技術をはじめ、ピッキングハーモニックスやボリューム奏法といったテクニックが実に効果的に使われている。テクニックが表現の手段として、演奏に絶妙のアクセントをつけているところがすごい。ベックは、テクニックをひけらかすようなタイプのギタリストではないのだ。

 ロックからジャズへと興味が変わって30年近いが、『ブロウ・バイ・ブロウ』は今でも聴くに値する作品だ。今日聴いてみてそう思った。私の所有するLPの帯には、小さな文字で次のように書かれている。

「ピッキング、フィンガリング、スライディング、ジェフのギターが唸りをあげる! BBA解散後2年間の沈黙を破って発表されたロック・ギター史に燦然と輝く傑作アルバム」

 実に懐かしい文句だ。

 


ノックターン

2007年09月01日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 199●

Charlie Haden

Nocturne

475_2   チャーリー・ヘイデンの2000年録音作『ノックターン』だ。一曲目から素晴らしい演奏だ。というか、私にとってはこの① En La Orilla Del Mundo を聴くためのアルバムである、といってもよい。出だしのピアノソロに狂おしい気持ちになり、何かがこみ上げてくる。デリケートで絶妙なタッチ、リリカルが舞い落ちてくるような演奏だ。ピアニストは、ゴンザロ・ルバルカバ。こんな美しい旋律をこんなにも繊細なタッチで弾くピアニストは一体誰だ、と思ったものだ。そう、私はこのアルバムによってゴンザロを知ったのだった。このピアノソロがずっと続いて欲しい、という気持ちを裏切り、57秒からやや凡庸なベースとヴァイオリンが入ってくる、と思っていたのだが、改めて聴いてみると、これはこれでいい効果をだしているのではないかと思えるようになった。そして、1分22秒からはこれまた狂おしいサックスの音色が加わってくる。キース・ジャレットのヨーロピアンカルテットを彷彿とさせるような演奏である。

 いわゆるジャズ的な演奏ではないが、心のやわらかい部分に触れるような旋律である。ゴンザロの優しいピアノの響きを聴いていると、涙が込み上げてきそうになる。美しい旋律に接すると、私は時々、音楽はなぜ永遠に続かず、終わりがあるのだろうか、などと青臭い感慨を抱いてしまうことがある。