WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

グリーン・スリーブスを口ずさみながら、徳仙丈山でトレッキング

2021年05月30日 | 今日の一枚(I-J)
◎今日の一枚 507◎
Jeff Beck
Truth
 昨日は、朝6時から徳仙丈山に登った。地元の山だが、日本最大級のつつじの名所である。徳仙丈山に登ったのは、この5月だけで3度目だ。つつじのシーズンということで、朝早いのに登山客は少なくはなかった。テレビや新聞で取り上げた所為か、登り口の駐車場には、仙台ナンバーの車が目立った。残念ながら、つつじは終盤で、山麓ではもう枯れかけていた。山頂付近では、美しいつつじが多くあったもの、黄緑色の葉っぱが目立っていた。おそらくは、天候の悪かった先週の週末が最高の見ごろだったのだろう。
 つつじは今一つだったが、登りも下りもメインルートから外れた細い脇道をかき分けて進み、20mほど前を鹿が横切るハプニングなどもあり、なかなか楽しいトレッキングだった。
 トレッキング中、何故だか「グリーン・スリーブス」の旋律が頭に浮かび、ずっとそれを口ずさみながら進んだ。帰宅後、「グリーン・スリーブス」が収録された、懐かしいジェフ・ベック・グループのアルバムを聴き、譜面を見ながら、古いクラシックギターで「グリーン・スリーブス」を何度か弾いた。
 今日の一枚は、第一期ジェフ・ベック・グループの「トゥルース」だ。1968年の作品である。ロッド・スチュアートがボーカル、ロン・ウッドがベースとして参加している。ハードでブルース色満載である。ロッド・スチュアートのボーカルがやや小うるさく聞こえてしまうのは、歳のせいだろうか。
 「グリーン・スリーブス」は、本当に美しい演奏である。徳仙丈山を歩きながら私の頭に浮かんだのは、この「グリーン・スリーブス」だった。

ブレックス、ファイナルへ

2021年05月22日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 506◎
Holly Cole
Dark Dear Heart
 すごいゲームだった。すごいレベルのゲームだった。昨日も今日も、心臓が止まりそうだった。まだ、興奮しいいる。
 Bリーグ2020-21 チャンピオン・シップのセミファイナル、宇都宮ブレックス vs 川崎ブレイブサンダースのゲームの話である。日本のプロバスケットボールだ。やはり、チャンピオン・シップは、ディフェンスもオフェンスも、強度や集中力が全然違う。2試合とも、素晴らしいゲームだった。ブレックスが勝ったことについては、素直にうれしい。
 我らがブレックスは、強豪ひしめく東地区を首位で通過し、チャンピオン・シップ出場を決めたが、川崎には、レギュラーシーズンで1勝4敗と負け越している。全チーム中で唯一だ。しかも、天皇杯決勝で激戦の末破れ、レギュラーシーズン終盤のブレックスのホームゲームでも2連敗しているのである。ブレックスの唯一のホームでの連敗である。そのことから、ブレックスはレギュラーシーズン首位ではあったが、大方の予想は川崎有利、優勝予想の筆頭にも川崎をあげる解説者が多かった。
 昨日の第一戦は、2m以上のプレーヤを3人同時に起用するビックラインナップの川崎に対して、ブレックスはゴール下で身体を張って対抗し、ブレックスが10点以上リードして前半を折り返した。しかし、終盤川崎が追いついて、一進一退の攻防となり、残り数十秒のところで何とかブレックスが逃げ切った。互いにハードなディフェンスの応酬で、68-65のロースコアのゲームだった。
 今日の第二戦は、序盤から一進一退の手に汗を握る展開だったが、驚異的3ポイント成功率とオフェンスリバウンドに高い意識を持続したブレックスが、3Qで優位に立った。結果は96-78となったが、両チームとも最後まで集中力を切らさない、見ごたえのある引き締まったゲームだった。日本のバスケットもここまで発展・進化したのか、と思わせるゲームだった。本当に、感慨深い。
 来週はいよいよファイナルだ。相手は千葉か琉球か。おそらく、千葉だろう。いずれにせよ、ハラハラドキドキのゲームになりそうだ。

 今日の一枚は、ホリー・コールの1997年作品、『ダーク・ディア・ハート』である。ホリー・コールは、ボーカル、ピアノ、ベースのトリオ編成が好きだ。この作品はトリオ編成ではない。にもかかわらず、時々聴きたくなるのは、② Make It Go Away のためだ。ホリー・コールのささやくようなボーカルも素晴らしいが、途中から入ってきてアクセントをつける、ギターのシンプルなストローク演奏がたまらなくいい。この曲を聴くために、時々、このアルバムを手に取るのた。
 

チャーチルのVサイン

2021年05月22日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 505◎
綾戸智恵
Life
 ある俗説の話だ。第二次世界大戦期にイギリスを率いたW.S.チャーチルはよくVサインをしたが、戦後、その意味を問われてこう答えたというのだ。《このサインは、victry(勝利)の意味でもあるが、peace(平和)の意味でもある。一本の指は広島、もう一本の指は長崎。2つの原爆で世界は平和になった。》
 これは全くの俗説のようだ。チャーチルがよくVサインをしたことは事実であるが、あくまでvictry(勝利)の意味で使っていたのであり、戦時中から勝利への意志を示すために使っていたものだ。Vサインがピース(平和)と結びつくのは、60年代にベトナム反戦運動を展開した、ヒッピー文化の中でのことだったらしい。広島や長崎については後付けされたものではないかと考えられる。
 どのような経緯でこの俗説が流布したのかはわからない。ある予備校教師の本などに出てくるようであるが、典拠は示されておらず、この予備校教師が単独で考えたホラ話なのかどうかわからない。恐らく、元ネタがあったのだろう。悪意を感じる俗説である。
 今日の一枚は、綾戸智恵の『ライフ』である。1999年の作品である。つい最近のことような気がしていたが、綾戸智恵が旋風を巻き起こしたのも、もう20年も前の事なのだ。感慨深い。綾戸智恵がジャズではないといわれれば、それでもよい。事実、綾戸はジャズ雑誌にはほんんど取り上げられなかった。ただ、それまでの日本にはほとんどいなかったような種類の、ソウルフルでスピリチュアルでアグレッシブな歌唱だったことは間違いないだろう。所有する数枚のアルバムの中では、この作品が一番好きだ。ソウルやゴスペル、ブルース、そしてジャズなど、多彩なバックボーンを感じさせられる、歌心溢れる歌唱が展開される。しばらくぶりに手に取ったが、やはり、折に触れて時々聴きたい作品だと改めて思った。⑬夜空ノムコウは、日本に存在するこの曲の演奏の中で、最高の名唱だと思う。

徳仙丈山を縦走した

2021年05月16日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 504◎
Art Farmer
To Sweden With Love
  今日は,朝6時に出発して,日本最大級のつつじの群生地だという徳仙丈山(標高711m)に行ってきた。地元の山である。ゴールデンウィークにも家族で登ったのだが,その時はつつじはほとんど咲いておらず,山頂からの美しい景色を眺めるのみだった。今日は,山麓・中腹は3分咲き程度,山頂付近はほとんどつぼみという状態だった。それでも,第一展望台から見る《つつじが原》の景色は絶景であった。
 《気仙沼側登山口》から登りはじめ,《つつじ坂・《つつじ街道を経て《十二曲り登山道から山頂に登った。せっかく一人で来たのだからと,縦走することに予定を変更し,山頂からの急勾配を《お祭り広場まで降り,《のんびり作業道コース》を《本吉側登山口》まで下った。帰りは,急斜面やけわしい山道を含む《尾根道コース》から再び《お祭り広場》まで登り,今度はわき道をたどりながら,《気仙沼側登山口》に帰ってきた次第である。ややきつい時間帯もあったが,なかなかいいトレッキングだった。

 今日の一枚は,アート・ファーマーの1964年録音作『スウェーデンより愛をこめて』である。
Art Farmer(flh)
Jim Hall(g)
Steve Swallow(b)
Pete LaRoca(ds)
 スウェーデンを旅行したアート・ファーマー一行が,その地のフォークソングを演奏した作品だ。美しい女性のジャケットが印象的な作品だが,しばらくぶりに聴いた。10年以上は聴いていなかったように思う。さわやかで哀感を感じさせるフリューゲルホーンの響きである。美しい旋律である。フリューゲルホーンという楽器はさわやかすぎて,若い頃はどうも好きになれなかったが,今は素直に聴くことができる。ジム・ホールのギターのアクセントが際立っている。



「徳」について

2021年05月09日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 503◎
Booker Little
Booker Little
 徳政令についてである。《ものの戻り》に着目して,徳政令の背後にある《徳政の思想》を解明したのは,笠松宏至『徳政令』(岩波新書:1983)だった。画期的な学説である。借金棒引き政策に人々が従ったのは,《本来あるべき姿に戻る》《昔に帰る》という観念が存在したからだというのだ。「徳」の字にも,《元に戻る》という意味があるらしい。ゆっくりとしか社会が変動しない中世社会では,急激な変革は嫌われ、こうした復古的な思想が「徳政」=良い政治とされたのである。《新儀》は非法であり,《先例》は善であるのだ。
 本郷和人は,これを敷衍して,崇徳天皇や安徳天皇や順徳天皇など「徳」の字の付く天皇は,恨みをもって都を離れて亡くなった天皇であると述べている(『天皇はなぜ生き残ったか』『考える日本史』)。都に帰りたがっている天皇の魂を,元に戻すということらしい。魂を都に戻すから恨まないでくださいね,ということだ。承久の乱で隠岐に流されて死んだ後鳥羽上皇にも顕徳天皇という名が贈られる予定だったようだ。面白い考えだ。啓発される。もっとも,本郷和人は典拠を示しておらず,これらが本郷オリジナルの考えなのか,誰かの考えを引いたものなのかは不明である。
 改革を声高に叫び,その掛け声のもと,政治を私物化し,その記録を改ざん,隠蔽する今日の情勢を見るにつけ,《徳政》の発想も必要ではないかと考えるのは,私だけだろうか。

 今日の一枚は,ブッカー・リトルの1960年録音,『ブッカー・リトル』である。
Booker Little(tp)
Tommy Flanagan(p)
Wynton Kelly(p)
Scott La Faro(b)
Roy Haynes(ds)
 哀愁のトランペットである。ブリリアントだが,翳りを含んだ音色である。スムーズなフレージングである。目をつぶって,じっと耳を傾けずにはいられない。クリフォード・ブラウン亡き後,トランペットのメインストリームを受け継ぐのは彼だったはずだ。この一年後に,ブッカー・リトルは病気で,スコット・ラファロは交通事故で亡くなる。信じられない。

ウルトラマンとしてのアメリカ

2021年05月08日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 502◎
Linda Ronstadt
What's New
 ウルトラマンとはアメリカである,と記したのは佐藤健志の『ゴジラとヤマトと僕らの民主主義』という本だったらしい。らしい,というのは,私がその本を読んだことがないからである。私が知ったのは,大澤真幸『戦後の思想空間』(ちくま新書:1998)によってである。もう20年程も前に読んだ本だが,なぜか印象に残っている。オウムに言及した『虚構の時代の果て』もそうだが,この時期の大澤には基本的に首肯すべき見解が多いと思う。
 日米安保体制下での日本のアメリカへの依存関係と,ウルトラマンシリーズにおける人類のウルトラマンへの依存関係が同じものであるという見解だ。そもそも,ウルトラマンは宇宙人なのである。いうまでもなく,怪獣も地球人もともに宇宙人である。しかし,ウルトラマンは,なぜかいつも地球人の味方をしてくれるのだ。きっかけは"交通事故"なのだ。宇宙パトロール中のハヤタ隊員とウルトラマンがぶつかったのだ。そのことが原因で,ハヤタ隊員は死んでしまう。不憫に思ったウルトラマンは,ひとつの命を二人で共有するのだ。いい奴だ。いい奴すぎる。でも,やはりおかしい。ウルトラマンは,ほとんど善意で地球人を助けてくれているといっていい。"善意"といったが,それは,ウルトラマンの傘の下で安全を保っている地球人の"従属"を隠蔽するイデオロギーであると考えればわかりやすい。日米安保体制が背景になければ,思いつかないようなストラクチャである。
 ところで,ウルトラマンは強い。圧倒的に強い。いつも怪獣をやっつけてくれる。科学特捜隊もそれなりに活躍するが,はっきりいってウルトラマンだけでも事件は解決する。だから,科学特捜隊が《俺たちなんか,いなくてもいいんじゃないか》と,自己矛盾を感じたりすることもあるのだ。戦うアメリカと,それを後方で支援する日本という構図がダブって見える。そう考えると,最終回でウルトラマンがゼットンに負けるのは示唆的である。
 ちなみに,ウルトラマンのシナリオ作家の金城哲夫さんは,本土復帰前の沖縄出身であり,琉球ナショナリストでもあるようだ。沖縄が日本の善意に期待する構造と,日本がアメリカの善意に期待する構造がシンクロし,地球人がウルトラマンの善意に期待する構造に投影されている。すべて片務的な,善意の関係である。本来,ありえないような構造だ。やはり,日米安保体制という背景がなければ,発想できない構造である。

 今日の一枚は,リンダ・ロンシュタットの1983年作品,『ホワッツ・ニュー』である。ジャズを歌うリンダである。リンダ・ロンシュタットのジャズ作品としては最初のものだ。この後,『ラッシュ・ライフ』 ,フォー・センティメンタル・リーズンズ』 (→こちら)とジャズ作品が続いていく。ストリングスをバックに,リンダ・ロンシュタットはしっとりとスタンダードを歌う。ジャズ的な歌唱ではないのかもしれない。歌も巧いとはいえないのかもしれない。けれども,中高生の頃好きだったリンダ・ロンシュタットへの憧憬からだろうか,その飾らない,ピュアな歌声に初々しさを感じることもある。一方,テクニックを捨象したような,そのあまりにストレートな歌唱に痛々しさを感じることもある。80年代に買った中古のレコードを今でも聴き続けている。
 

日本の青空

2021年05月03日 | 今日の一枚(I-J)
◎今日の一枚 501◎
Jim Hall
It's Nice To Be With You
 先日、内田樹『そのうちなんとかなるだろう』を読んでいたら、内田樹さんの元奥さんの父親(元義父)が、日本国憲法制定時の首相である幣原喜重郎の秘書を務めた人で、幣原本人から「9条第2項を発案したのは私です。あれをマッカーサーのところに持って行って、これを何とか憲法に入れていただきたいということを申し上げたのです。」という話を聞いたことが記されてあった。内田さんの元義父は、亡くなるまでそのことを繰り返し話したという。
 GHQが所謂マッカーサー草案を作成する際、参照したものの一つとして日本人の民間団体「憲法研究会」が作成した「憲法草案要綱」があったことはよく知られている。マッカーサー草案との親和性が非常に高く、その"手本"になったとさえいわれるものである。
 そういえば、15年程前の映画で『日本の青空』(監督:大澤豊)というのがあった。「憲法研究会」の中心人物である鈴木安蔵を主人公にした作品だった。なかなか、興味深い映画だった。
 手続きの問題として、日本国憲法がGHQによる占領下で作成、制定、施行されたことには変わりない。けれども、日本人が憲法制定に際して情熱を傾け、自らの手で自由で民主的な国の枠組みを作ろうとしたことは、明治の自由民権期の私擬憲法とともに、日本人の誇りとして記憶にとどめておくべくだろう。左派や保守派だけでなく、右派も含めてである。それが、ナショナル・ヒストリーである。

 今日の一枚は、ジム・ホールの1969年録音作品、『イン・ベルリン』だ。ギター、ベース、ドラムスのトリオ編成による作品である。うまいギタリストだ。パット・メセニーが影響を受けたらしいが、音色に注意して聴くと、その類似性がわかる。エッジを立てないギターなのだ。音の輪郭を敢えて際立たせず、穏やかでマイルドなトーンにしている。その意味では、大人のギターである。心地よさに、眠ってしまう。In A Sentimental Mood に心を奪われる。

基本的人権の保障を第一条に

2021年05月03日 | 今日の一枚(I-J)
◎今日の一枚 500◎
John Coltrane
Giant Steps
 憲法記念日である。今朝の新聞には護憲派の巨大な意見広告が載っていたが、国民アンケートをみると、改憲支持が改憲反対を上回っているらしい。現在の改憲論は、保守派というというより右派によって担われ、第9条が主に俎上に載せられることが多い。けれども、私は本当に重要なのは第1条なのだと考えている。第1条は「天皇」の条項であり、象徴天皇制が宣言される中で、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く 」と国民主権が付け足しのように位置付けられるのだ。これは、日本国憲法が大日本帝国憲法の改正として成立した事情によりおこったことだが、やはり歪んでいる。
 日本国憲法の三大原則として「基本的人権の保障」「国民主権」「恒久平和主義」があげられるが、この3つは本来並列的に並べられるべきものではなかろう。一番重要なものは、いうまでもなく「基本的人権の保障」であり、「国民主権」と「恒久平和主義」はそれを実現するための手段として位置付けられるべきものである。ところが、「基本的人権の保障」が登場するのは、前文を除けば、なんと第11条なのだ。私が、「基本的人権の保障」の条項を第1条にと考える所以である。
 尚、高校教科書では、「基本的人権の保障」と記されているが、中学校教科書では「基本的人権の尊重」と格下げされた表現となっているようだ。まことに、残念なことである。

 今日の一枚は、ジョン・コルトーンの1959年録音作品『ジャイアント・ステップス』である。還暦をあと数年後に控えても、時々、大音響でコルトレーンを聴きたくなる。学生運動世代には人気があったというコルトレーンであるが、現在の純正ジャズファンからは悪口をいわれることが多くなったようだ。にもかかわらず、やはり私はコルトレーンが好きだ。タイトル曲Giant Steps の爽快なスピード感に、Naimaの哀しみを湛えた美しさに心を奪われる。
 シーツ・オブ・サウンド。時間と空間を音で敷き詰めてしまうかのように、高速で16分音符を基調としたフレーズを吹きまくるコルトレーンの奏法のことだ。音楽というものが音と無音によって成り立っていることを考えるとき、コルトレーンは音楽そのものを否定しようとしたのではないかとふと思うことがある。その後のコルトレーンの歩みを見るとき、あながち的外れではないかもしれない、と思うのは 私だけだろうか。

ムケート・ケニア???

2021年05月03日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 499◎
Charles Mingus
Mingus Ah Um
 ずっと、「ムケート・ケニア」だと思ったら、「ヌチェート・ケニア」だった。webは便利だ。アニメ『アタックNo.1』に登場するケニアのマヌンバ選手の言葉である。子どもの頃見たのに、妙に脳に残っている。
 「ヌチェート・ケニア」は、私の祖国ケニアという意味らしい。独立したばかりの貧しい国ゆえに、補欠なしの6人で戦わねばならない状況の中で、主将のマヌンバ選手が負傷する。一人でも負傷退場すれば試合を棄権しなければならない。主将のマヌンバ選手はコートに立ち続け、「ヌチェート・ケニア」と叫びながらプレーするのである。マヌンバ選手の思いに他の選手も奮い立ち、全員がレシーブの度に「ヌチェート・ケニア」と叫びながらプレーするのである。感動である。 
 思えば、子どもの頃の私が、第三世界というものに触れたのはこれが最初だったかもしれない。1957年にエンクルマの率いるガーナが、ブラック・アフリカで最初の独立国となるが、1960年には一挙に17か国が独立を果たし「アフリカの年」といわれた。1960年代を通してアフリカ諸国の独立は加速していく。ケニアの独立は1963年である。『アタックNo.1』が「週刊マーガレット」で連載されたのは、1968年~1970年であり、テレビアニメの放映は1969年~1971年である。世界情勢を反映していたといえるだろう。テレビアニメが世界認識のきっかけとなったことも多かったのだ、と改めて思う。
 ところで、ソ連のエースも、シェレーミナだと思っていたら、シェレーニナだったようだ。やはり、webは便利だ。

 今日の一枚は、チャールズ・ミンガスの1959年録音作品、『ミンガス・アー・アム』である。ジャケットが、デイヴ・ブルーベックの『タイム・アウト』と似ていて間違いやすいと思っていたら、同じデザイナーによるものだった。ミンガスはなぜだか私のアンテナに引っかからなかったようで、所有するレコード・CDは少ない。名曲「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」が収録されたこのCDを購入したのも1年程前のことだ。
 ベース奏者、作曲、編曲、バンド・リーターと、やはりミンガスという人は才能のあった人なのだと改めて思う。若い頃、『直立猿人』を聴いて、ミンガスって小難しい奴なのかなと思っていたのだが、このアルバムはたいへん聴きやすい。サウンドが安定しており、まったく聴き飽きしない。全編がとてもスムーズに進行し、音量を上げても下げてもそれぞれに楽しめる。ハーモニーの感覚がすごく好きだ。

スペイン風邪と歴史叙述

2021年05月01日 | 今日の一枚(I-J)
◎今日の一枚 498◎
Jeff Beck
Jeff Beck With The Jan Hammer Group Live
 コロナ禍である。感染の拡大や死亡率の上昇とともに、経済の停滞あるいは衰退が大きな問題となっている。日本史のひとつのターニング・ポイントとなるだろう。
 比較される疫病として、大正時代のスペイン風邪が取り上げられることが多い。およそ100年前の話だ。ところが、このスペイン風邪は、高校日本史や世界史の教科書に記されはいないのだ。コロナ禍の経験からしてみれば、とても不思議だ。スペイン風邪も社会や経済に大きな影響をもたらしたのではないのだろうか。実際、スペイン風邪は、第一次世界大戦終結の要因の一つとされることもあるのだ。教科書は、社会経済史をその原動力として、政治史を中心に叙述されている。もちろん、マルクス主義史学の影響である。生産関係の矛盾が歴史を動かすという方程式からは、疫病の問題は大きくはずれるのだろう。歴史を発展法則から考える立場からは、疫病などという突発的なものに歴史を動かされてたまるか、ということになるのかもしれない。経済については、第一次世界大戦による空前の好景気のため、スペイン風邪が日本経済に与えた影響は少ないとされているようだ。本当だろうか。例えば、1920年の恐慌(戦後恐慌)は、終戦によるヨーロッパ経済復活による、輸出商品相場の大暴落が原因とされているが、本当にそれだけなのだろうか。スペイン風邪の影響はないのだろうか。スペイン風邪の流行の真っ只中なのである。検討すべき問題である。
 いずれにせよ、教科書も含めて、歴史叙述には、歴史を動かす要因として、疫病や自然災害、気候変動など社会経済史以外の要因も検討されなければならないだろう。

 今日の一枚は、ジェフ・ベックの『ライブ・ワイアー』だ。1976年のライブの録音盤である。ヤン・ハマーのバンドにベックが参加するという趣向のようだ。白熱のライブである。三大ギタリストなどというが、本当にすごいギタリストはジェフ・ベックなのだと改めて思う。ジェフ・ベックがギター表現の可能性を極限まで追及しようとしていたことが明確にわかる。過剰なデストーションを使わず、原音に近いサウンドで勝負する姿が好ましい。どの演奏も圧巻であるが、Scatterbrainは必聴であろう。