WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ジャズ史における1959年とセロニアス・モンク

2019年08月15日 | 今日の一枚(S-T)
◉今日の一枚 441◉
Thelonious Monk
5 By Monk By 5
 セロニアス・モンクの1959年録音盤「5・バイ・モンク・バイ・5」だ。5人のミュージシャンでモンクのオリジナルナンバー5曲を演奏するという趣向である。サド・ジョーンズ(cor)、チャーリー・ラウズ(ts)によるホーン隊の生真面目な演奏に、やや調子っぱずれのモンクのピアノが、独特のタイム感覚でおちょくるように絡んでくるのが何ともいえず楽しい。モンクの作品の中でも、特筆すべき一枚だと思う。村上春樹氏はこのアルバムについて、
このLPはずいぶん繰り返して聴いたが、どれだけ聴いても聴き飽きしなかった。すべての音、すべてのフレーズの中に、絞っても絞っても絞りきれぬほどの滋養が染み込んでいた (「ポートレート・イン・ジャズ」新潮文庫)
と記している。

 ところで、このアルバムが録音された1959年は、周知のように、数々の名盤が怒涛のように録音されたジャズ史上特筆すべき年である。たまたま手元にある油井正一「ジャズ~ベスト・レコード・コレクション」は、ジャズのアルバムを録音年順に並べたなかなか重宝な本であるが、同書は1959年録音作品として次の作品を取り上げている。
Eddie Costa : The House Of Blue Lights
Paul Chambers : Go
Cannonball Addarley : In Chicago
Wynton Kelly : Kelly Blue
Miles Davis : Kind Of Blue
Junior Mance : Junior
Ben Bebstar : And Associates
Jackie McLean : New Soil
John Coltrane : Giant Steps
Bill Evans & Jim Hall : Undercurrent
Ornette Coleman : Shape Of Jazz To Come
Benny Golson : Gone With Golson
Horace Silver : Blowin' The Blues Away
Paul Desmond : First Place Again
Jackie McLean : Swing Swang Swingin
Cannonball Addarley : In San Francisco
Donald Byrd : Fuego
Kenny Dorham : Quiet kenny
Miles Davis : Sketches Of Spain
Bill Evans : Portrait In Jazz
John Coltrane : Ballade
Quincy Jones : The Birth Of A Band
 すごいアルバムの勢ぞろいではないか。ジャズ史上の転換点などといわれるのも当然である。菊地成孔・大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー(歴史編)」は、John ColtraneのGiant Steps、Ornette ColemanのShape Of Jazz To Come、Dave BrubeckのTime Out、Bill EvansのPortrait In Jazz、そしてMiles DavisのKind Of Blueを取りあげ、その楽理的意義について詳細な分析をしているが、難しすぎて私には理解できない。まあ文系的には、ハードバップの最も洗練された到達点と、そこから自由になる試みということになろうか。

 ところで、「5・バイ・モンク・バイ・5」がないではないか。上にあげた諸作品と比べて勝るとも劣らないと思うのだが、油井氏は取り上げなかったということになる。それだけではない。油井氏の前掲書に取り上げられたモンクの作品は5作品のみである。これは多くのアーティストに比して少なくはないが、例えばソニー・ロリンズやマックス・ローチが9作品ずつ掲載されていることから考えると、モンクが冷遇されている感じさえする。モンクのファンにとっては、はずせないはずのものがはずされているとも映るだろう。油井氏が同書において、ジャズ・ジャイアンツの一人としてモンクを取り上げ、特別にエッセイを記していることから考えてみても、奇妙である。一方、大ヒットアルバムである Dave BrubeckのTime Out もはずされていることから、ある種の恣意性を感じたりもする。

 しかし、翻って考えてみると、モンクの個性的な音楽は、ビバップ→ハードバップ→モードなどという楽理的なジャズ史とは別次元のところで展開されていたのではなかろうか。1959年にモンクは何をしていたのだろう。いつものモンクと同じである。いつも通り革新的だった。いつも通り革新的であるとは、予定調和的な音楽ではないという意味においてだ。

 モンクの音楽は、ジャズ史に記述されるような、その時代の音楽に対する前衛や変革としての方法論とは別のところで、いわば超時代的な前衛や革新としてあるのではないか。油井氏が、モンクに関するエッセイのサブタイトルを「わが道を生き抜いたモダンピアノの奇才」としたのも、そのことと関連するように思う。「わが道」とは、時代性に対するわが道なのだ。その意味では、発展段階論的に記述されるジャス史の中では、扱いにくいミュージシャンなのだろう。モンクの音楽は、いつの時代にも、音楽そのものに対する前衛や変革として存在しているのだ。







 


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宮城オルレ唐桑コーストレッキング

2019年08月11日 | 今日の一枚(M-N)
◉今日の一枚 440◉
Moncef Genoud Trio
It's You
 昨日は、懸案の宮城オルレ唐桑コースにチャレンジした。天候が心配だったが、天気予報では午前中は曇り、午後は降水確率40%前後ということだったので、とりあえず現地に行ってみた。私より先に歩いている人はいないということだったので不安はあったが、来週は雨の日が多いという予報もあり、思い切って決行することにした。

 天気予報がはずれて途中から雨が降ってびしょぬれになったり、カモシカに遭遇したり、階段で足を捻挫したりとアクシデント続きだったが、快晴のときとは違う灰色の海の景色は、水墨画のような趣があり美しかった。やはり、唐桑の海はいつ見ても素晴らしい。唐桑の海の水平線を見ているといつも、やはり地球は丸いのだということを再確認させられる。雨は途中から小降りになり、しだいに晴れ間が見えてくるなどコンデイションはしだいに良くなって、フィニッシュのときには快晴だった。分岐点のコース選択では海沿いのAコースを選び、巨釜の折石へのオプションコースも含めて、約10kmを3時間半程で歩いた。以前歩いた奥松島コースに比べてアップダウンが多く、その意味ではハードコースだが(とくに後半はアップダウンが多くてきつかった)、きちんと整備された道は足場がよく、快適にトレッキングを楽しむことができた。新たに購入したトレッキングシューズとトレッキングポールも大きな威力を発揮してくれた。近いうちに、Bコースをもう一度歩きたいと思っている程だ。日韓関係はどんどん険悪な雰囲気になっているが、9月28日には「大崎鳴子コース」が、今年度中に「登米コース」オープンする予定であり、それらのコースも是非チャレンジしてみたい。


 今日の一枚は、モンセフ・ジュヌ・トリオの1997年録音盤「イッツ・ユー」である。モンセフ・ジュヌという人を知ったのは、寺島靖国 presents Jazz bar 2002 というCDによってだった。彼が演奏するビル・エヴァンスの曲、We Will Meet again は、このCDの中でひと際輝きを放っていた。モンセフ・ジュヌは1961年チュニジアの生まれで、現在はスイス在住とのことだ。1987年にジェノヴァ音楽院で学位を取得、現在同校でジャズのアドリブについて教鞭をとっているようだ。寺島さんのCDを聴いたときには透明な響きのピアノだと思ったのだが、オリジナルアルバムを聴いてみると、意外に太いしっかりとした音のピアノを弾く人だという印象をもった。

 それにしても、寺島さんの一連のCD、小遣い銭稼ぎとかいろいろな悪口を言われたものだが、今考えるとなかなかいい選曲だったように思う。比較的新しい才能のある人を知るのにたいへん便利なCDだ。高いので、あまり買えないのだが・・・。
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ニューヨークの青江三奈

2019年08月08日 | 今日の一枚(G-H)
◉今日の一枚 439◉
Helen Merrill
With Clifford Brown
 1954年録音のヘレン・メリル「ウィズ・クリフォード・ブラウン」だ。誰もが認めるジャズの古典的名盤である。大学生の頃、廉価版のLPレコードを買った。ずっとそのLPレコードで聴いてきた。今でもそれを所有している。結構聴きこんだと思う。ところが、よく考えてみるといつしかこのアルバムを聴くことはなくなり、もう恐らくは20年近くターンテーブルにのせてはいない。このアルバムのことを思い出したのは、2日程前に10kmウォーキングをしていたときだ。突然、何の前ぶれもなく、「 ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」のクリフォード・ブラウンのブリリアントなソロが頭の中で鳴り響き始めたのだ。まったく思いがけないことだったが、ブラウニーのトランペットのメロディーを何度も口ずさみながら、残りの道のりをウキウキしながら歩いた。

 さて、「ニューヨークのため息」ともいわれるヘレン・メリルの歌声を聴いて、日本の歌姫、青江三奈とを連想するのは私だけではあるまい。青江三奈のちょっと演歌チックで声質がやや野太いところを除けば、そのヴォイスが醸し出す雰囲気はヘレン・メリルそっくりである。「日本のヘレン・メリル」とか、「伊勢佐木町のため息」などとは呼ばれなかったのだろうか。その辺の同時代的なことは、私には詳しくはわからない。青江三奈のメジャーデビューは1966年であり、登場した年代はヘレン・メリルが先行しているから、彼女が青江三奈を模倣したとは考えにくい。青江三奈がヘレン・メリルの影響を受けたと考えるのが自然である。実際、そうなのかもしれない。けれども、私にとっては青江三奈を知った方が先だったのであり、初めてヘレン・メリルを聴いたとき、「青江三奈じゃん」と思ったものだった。その意味で、ヘレン・メリルをあえて「ニューヨークの青江三奈」と呼びたいところである。
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最近、レッド・ガーランドをよく聴く

2019年08月05日 | 今日の一枚(Q-R)
◉今日の一枚 438◉
The 1956 Red Garland Trio

 ふとしたことから、このところレッド・ガーランドをよく聴く。マイルス・デイヴィスの「ワーキン」の美しすぎるイントロを別にすれば、私の中ではずっと、ビル・エヴァンスの登場によって歴史の片隅においやられた、格落ちのピアニスト、という勝手な思い込みをしていた気がする。

 しかし、左手のブロックコードと右手のシングルトーンから生み出される「ガーランド節」は、改めて聴くと、とてもシンプルで受け入れやすいサウンドだ。ガーランドの右手は、ときに美しくときにスウィンギーに、変幻自在のメロディーを奏でる。
 
 近頃よく聴くのは、「ザ・1956・レッド・ガーランド・トリオ」というアルバムだ。輸入盤CDで所有している。アルバムの成立についてはよくわからないが、「A Garland of Red」、「Groovy」、「Red Garland's Piano」、そしてマイルスの「Workin'」に収録されていたものの寄せ集めで、 レッド・ガーランドが1956年に残したトリオ演奏の集大成という企画のようだ。1956年といえば、レッド・ガーランドはマイルス・デイヴィス・グループのピアニストを務めていた時期であり、才気あふれる時代だ。寄せ集め盤だけに、どれも秀逸な演奏だが、① A Foggy Day と② My Romance、そして、⑪ O know way あたりは大好きだ。

 今日も暑いが、幸いなことに涼しい風が入ってくる。夏季休暇を取ったが、妻は遠方から来た友だちのお供で、家には私一人だ。懸案の唐桑オルレに挑戦しようかとも考えたが、暑すぎる故に断念し、午前中はしばらくぶりの一人ジャズ喫茶ごっこに興じている。


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宮城オルレ奥松島コース踏破

2019年07月28日 | 今日の一枚(K-L)
◉今日の一枚 437◉
Karel Boehlee Trio
Dear Old Stockholm
 昨日は、妻と連れ立って宮城オルレ奥松島コースにチャレンジした。1周約10kmの中級者向けコースで、オリエンテーリングのように目印を探しつつ歩くのはなかなか楽しかった。
 風景が次々変わり、随所に切通しなどもある起伏にとんだコースだった。しかし、ラスト3kmは地獄のようだった。雨が上がった後ということもあり、ドロドロ、グジャグジャで、グダグダの足場の悪い,およそ道とは思えないようなアップダウンの激しい急斜面が続き、身体的にも精神的にもかなりきつかった。膝が痛み出した妻は、もうこのコースには来たくないと訴える始末だった。ただ、終盤の大高森から見る眺めは、疲れが吹き飛ぶほどに美しいものだった。

 14時頃から歩き始め、コールしたのは17時半過ぎ。約3時間半のウォーキングとなった。足湯施設があるレストハウスなどの施設もすでに閉まった後だった。さて、奥松島コース踏破の後は、いよいよ宮城オルレ唐桑コース(上級者向け)へのチャレンジが現実的なターゲットとなってきた。


 今日の一枚は、オランダのピアニスト、カレル・ボレリーの2004年リリース作品「ディア・オールド・ストックホルム」である。このピアニストについては、以前「ラスト・タンゴ・イン・パリ」という作品を取り上げたことがあったが(今日の一枚113)、近年のピアニストの中ではすごく好きな人のひとりである。

 カレル・ボレリーは、ヨーロピアン・ジャズ・トリオの初代ピアニストであり、ジャス・ハーモニカの巨匠トゥース・シールマンズのピアニストとしても活躍した人のようだ。ライブも基本的にヨーロッパのみ、しかもオランダ周辺でしか行わないとのことである。透明感に溢れ、水を打つような静謐さが漂うピアノの響きは、まさにヨーロッパ的だ。以前は、オンマイクの録音があまりに明快できれいすぎることが気になっていたが、最近は、CDをかけると、いつも目をつぶって聴き入ってしまう。その気取らない気品のある響きにはいつも惚れ惚れするのみだ。表題作の②Dear Old Stockholm は本当にいい演奏だ。原曲の哀愁メロディーを生かした、透明で静寂な響きがたまらなくいい。
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ようやくかつおの季節だ!

2019年07月27日 | 今日の一枚(C-D)
◉今日の一枚 436◉
Carmen McRae
For Lovers

 先日記したように、今年はカツオの北上が遅れたらしく、カツオ水揚げ日本一といわれる私の住む街に、地物のカツオがないという異常事態が続いていた。2週間程前から水揚げが盛んになり、魚屋にもスーパーにも地物のカツオが並ぶようになった。魚市場では、この数日間カツオがバンバン揚がっているようだ。私の住む街もやっとカツオの季節だ。
 数日前には、カツオの刺身を食べた。私は、ちょっと前まではしょうゆとニンニクの薬味でいただくのが大好きだったのだが、最近は「味ぽんマイルド」で食べるのがマイブームだ。つまは、もちろんきゅうりの千切りである。しょうゆや味ぽんマイルドでいただくきゅうりの千切りは最高に美味だ。
 昨日の夜はカツオを食べるつもりはなかったのだけれど、職場の同僚たちがカツオの話をしているのを聞くに及んで、急にカツオが恋しくなり、電話で妻に許可をもらって、カツオを買って帰宅した。作ったのはカツオのたたきである。たたきといっても、表面を焼くやつではなく、カツオとネギと味噌を混ぜて細かく刻むのだが、ネギは玉ねぎでも可能である。昨夜は玉ねぎでやってみた。私の一番好きな食べ方である。

 今日の一枚は、2006年にリリースされたカーメン・マクレエの『フォー・ラヴァーズ』である。「恋人たちの時間を演出するロマンティックなジャズサウンド」と銘打ったユニバーサルミュージックの企画盤《フォー・ラヴァーズ》シリーズの一枚である。

 カーメンはいつ聴いてもいい。どのアルバムも魅力的だ。もちろん、エラ・フイッツジェラルドだって、サラ・ヴォーンだって好きなのだけれど。カーメンはちょっと聴き方が違うのだ。エラを聴くと、上手いな、すごいなと思う。サラを聴くと、カッコいいな、ご機嫌だなと思う。カーメンを聴くといつも、いいなあ、と思う。
 
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やませ

2019年07月25日 | 今日の一枚(A-B)
◉今日の一枚 435◉
Bill Evans
Songs On Time Remembered


 しばらくぶりの晴れだ。やっと晴れた。さあ,歩こう。雨の日は市立体育館のジムのマシーンで走っていたのだ。数日ぶりの防潮堤ウオーキングだ。自宅から防潮堤までの往復を含めて,6km程度のコースだ。防潮堤ウオーキング under the blue sky と思っていたのだが,行ってみると向こう岸は「やませ」だった。やませとは,下層雲や霧を伴う,東北地方太平洋岸で春から夏に吹く冷たく湿った東からの風のことだ。やませの向こうに大島大橋が見える。



 向こう岸はやませで大島が見えない状況だったが,空は晴れており,快適なウオーキングだった。しばらくぶりだったので,1時間10分程かけて比較的ゆっくり歩いてみた。

 今日の一枚は,ビル・エヴァンスの「ソング・オン・タイム・リメンバード」である。防波堤を歩きながら聴いた。ビル・エヴァンスの伝記的ドキュメンタリー映画「タイム・リメンバード」に登場す曲を集めた,2019年リリースの作品である。
 
 私はこの映画「タイム・リメンバード」を未だ見ていない。一関や石巻で上映されたらしいのだが,機会を逸してしまった。まったく口惜しい。ビル・エヴァンスの生涯を「時間をかけた自殺」などと表現する至言を目にすると,もう駄目だ。卒倒しそうである。上映でもDVDでも何でもいいから,一刻も早く見てみたいものである。

 防波堤ウォーキングをしながらこのアルバムを聴き,イメージが広がっていった。しばらくぶりに聴いた「スパルタクス愛のテーマ」に胸が熱くなり,ジェレミー・スタイグとのデュオを思い出して,帰宅してすぐ「ホワッツ・ニュー」をCDトレイにのせた次第である。


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長沼ウォーキング

2019年07月23日 | 今日の一枚(A-B)
◉今日の一枚 434◉
秋吉敏子トリオ
1980 秋吉敏子トリオ in 陸前高田

 この前の日曜日は、宮城・登米市にある長沼の10kmのウォーキングコースを歩いてみた。長沼は、宮城県最長の外周を誇る湖沼で、ボート競技のメッカとしても知られたところだ。

 ハスで覆われた長沼の眺めはなかなかのものだったが、アップダウンはほとんどないものの、複雑に入り組んだ岸に沿って作られた、曲がりくねったウォーキングコースは、精神的な消耗をもたらすに十分だった。2時間弱でなんとか歩き切ったが、精神的にも身体的にもかなり疲れて、ヘロヘロな有様だった。しかし一方で、一周すれば20数キロある長沼の完全制覇に、いつかはチャレンジしてみたいとも思った。


 今日の一枚は、「1980 秋吉敏子トリオ in 陸前高田」だ。1980年6月13日、岩手県陸前高田市民会館大ホールで行われた秋吉敏子のライヴ録音盤である。奇跡的に発見された録音テープより最新デジタル・リマスタリングされたCDなのだそうだ。 

 陸前高田は隣町である。よく覚えていないのだが、高校3年生の頃、このコンサートに行ったかもしれない。陸前高田市民会館でのトシコのコンサートには行った記憶がある。トシコは、これまでおそらくは20回以上見ており、どれがどれか記憶が定かでない。奇跡的に発見された録音テープからのリマスタリングらしいが、音はそんなに悪くない。

 冒頭の「長く黄色い道」からトシコの流麗なアドリブ全開である。バックも迫力ある演奏だ。改めて聴くと、若い時代の、あるいは脂ののった時代の、トシコの才気あふれる演奏には、まったく脱帽である。「女バド・パウエル」と呼ばれることは、もしかしたらトシコには不本意なのかもしれない。しかし、そういわれることに首肯させられるほど、瑞々しくアグレッシブな演奏である。
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大島ウォーキング

2019年07月14日 | 今日の一枚(K-L)
◉今日の一枚 433◉
Keith Jarrett
Still Live
 そういえば、先週の日曜日には、突然思い立って、妻と大島ウォーキングに行った。今年の4月に待望の大島大橋が開通して、気軽に行けるようになったのだ。
 大島にはいくつかのウォーキングコースがあるが、歩いたのはもちろん初心者コースだ。距離は短いが、リアス式海岸の海岸線を歩くため、アップダウンが多く、意外に難コースだった。風が強く、ちょっとハードなウォーキングだったが、遊歩道からの海の眺めは本当に素晴らしいものだった。もう少し脚力を付け、近いうちに他のコースにも是非とも挑戦してみたいと思った。
 今日の一枚は、キース・ジャレットのスタンダーズトリオによる『枯葉~スティル・ライブ』である。録音は1986年。若いころ、リアルタイムで聴いた作品だ。もちろん、ドラムスはジャック・ディジョネット、ベースはゲイリー・ピーコックだ。スタンダーズトリオのライブ盤としては、『星影のステラ』に続く、2作目ということになる。

 キース・ジャレットのファンを自認する私は、キースの作品は現在に至るまで基本的に購入し続けている。ところが、いつのころからか、購入はするものの熱心には聴かない状態が続いている。トリオが成熟し、三者のインタープレイ濃度が増してより緻密な音楽世界が表出されるようになるにしたがって、音楽が難しいものになったように思う。

 このアルバムに代表される1980年代のスタンダーズトリオでは、インタープレイの中にも素朴な歌心が息づいており、肩の力を抜いて安心して聴くことができる。明晰で透き通ったキースのピアノの響きが大好きだ。


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骨寺村荘園遺跡ウォーク

2019年07月14日 | 今日の一枚(G-H)
◉今日の一枚 432◉
Giovanni Mirabassi
Animessi

  昨日は、岩手県一関市の骨寺村荘園遺跡を歩いた。骨寺村は、鎌倉幕府の公式歴史書『吾妻鏡』にも登場する中尊寺経蔵領の所領だったところだ。中世の荘園の田園風景がいまでも残っている稀有な場所だ。

 大学生のころ、関係文書を読んでレポートにまとめたことがある。骨寺村の存在は当時から知られていたが、まだそれほど有名ではなく、現地調査をしなかったこともあって、いつかきちんと調べてみたいと思ったものだった。結局、40年近くそのテーマを放置したままだったのだけれど。その後、発掘や遺跡の整備が行われ、行政のPRもあって骨寺村はすっかり有名になった。最近、ウォーキングやトレッキングをやるようになり、とりあえずは、と思い立って遺跡を歩いてみた次第である。

 梅雨の合間の晴れた一日。気持ちの良いウォーキングだった。約3kmの駒形コースを横道にもそれながら約1時間かけて歩き、すこし休んで約2.5kmの若神子コースを50分程歩いた。

 山間の少し開けた場所に、湧水を使った田園風景が続く。中世の風を感じながら、古に思いを馳せる。遥かなる中世・・・。

 骨寺村を歩きながら、ネックスピーカーで聴いたのは、イタリアのピアニスト、ジョバンニ・ミラバッシの2014年録音盤『アニメッシ』だ。ジョバンニ・ミラバッシがアニメ曲に取り組んだアルバムである。収録曲は次の通り。

01. 君をのせて(『天空の城ラピュタ』より)
02. 人生のメリーゴーランド(『ハウルの動く城』より)
03. クラッチ(『カウボーイ・ビバップ』より)
04. 炎のたからもの(『ルパン三世 カリオストロの城』より)
05. 旅路(夢中飛行)(『風立ちぬ』より)
06. 愉快な音楽I~V(『ホーホケキョとなりの山田くん』より)
07. 風の伝説(『風の谷のナウシカ』より)
08. グラヴィティ(『ウルフズ・レイン』より)
09. 銀色の髪のアギトBGM(『銀色の髪のアギト』より)
10. さくらんぼの実る頃(『紅の豚』より)

 売れ狙いの企画ものなどではない、骨太のジャズ演奏である。流麗な即興演奏の中で、原曲の骨組みが時折顔を見せると、聞き覚えのある旋律に思わず頬が緩む。ジョバンニ・ミラバッシという人は、即興演奏も流麗であるが、透き通った美しい音色のピアノを弾く人だ。④「炎のたからもの」、いいなあ。
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防潮堤ウォーキング

2019年07月06日 | 今日の一枚(E-F)
◉今日の一枚 431◉
Enrico Rava
Renaissance


 防潮堤ウォーキングにはまっている。震災後に築かれた防潮堤の上を歩くのだ。自宅と防潮堤まで往復する時間を加えて1時間強のコースだ。海を見ながら歩くのは気持ちいい。このコースは長続きしそうだ。体育館のマシーンで走るよりずっといい。まだ2週間程だが、夕方帰宅してウォーキングに行くのが楽しみな始末だ。


 
 防潮堤は銀色の要塞だ。浜辺に巨大な人工的建造物が続くのは、異様な光景だ。防潮堤建設にはいまでも反対だか、ここから見える景色は、なかなかきもちいい。


 今日は一日曇りだったが、夕方になって一瞬晴れ間が見えた。すかさず、ウォーキングだ。4月に開通した大島大橋が遠くに見える。波も穏やかだった。


 大島もくっきり見える。大島は東北地方最大の有人離島だ。海食による荒々しい奇岩が見事な龍舞崎や、鳴き砂で知られる十八鳴浜(くぐなりはま)、環境省の「快水浴場百選」で全国2位に選ばれた小田の浜などがある。正面の山は亀山だ。震災の時、この山の火事を対岸から見ていたことを今でもはっきりと思い出す。


 三陸道の湾内横断橋の工事もだいぶ進んできた。この橋ができれば、三陸道の利便性は格段に向上するだろう。

 今日の一枚は、イタリアのトランぺッター、エンリコ・ラバの2002年録音作品「ルネッサンス」だ。ヴィーナス盤である。CDの帯には次のようにある。
ルネッサンスの夢と幻、青春の光と影。イタリアのモダン・ジャズ・トランぺッター、エンリコ・ラバの人生を決定づけたマイルス・デイヴィスとチェット・ベイカーに捧ぐ、哀しくも熱いハートが聴くものの胸を締めつけ、そして解放してくれる。ジャズの一大絵巻的アルバム。
 これは日本語なのだろうか。意味不明だ。まあいい。ただ、「ルネッサンスの夢と幻、青春の光と影。」というには、ちょっと音が強すぎる。音の起伏や陰影が足りない。悪くない演奏だが、ヴィーナス盤特有のベースのゴリゴリ感がアルバムのコンセプトを裏切っている気がする。

 音が強いので、リズム感が際立ち、ウォーキングしながら聴くには、悪くないアルバムだった。
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生きがい

2019年07月06日 | 今日の一枚(S-T)
◉今日の一枚 430◉
渋谷毅 & 平田王子(LUZ DO SOL
太陽の光

 apple music をいじっていたら、面白い作品が目にとまった。渋谷毅と平田王子によるユニット、LUZ DO SOL(ルース・ド・ソル)の第三作、2011年作品の「太陽の光」である。

 アルバムの最後に収められた「生きがい」がいい。1970年に由紀さおりが歌ってヒットした名曲である。いい曲だ。平田王子の訥々とした歌い方が曲の魅力を引き出している。それにしても、なぜ「生きがい」をと思って調べてみると、なんとこの曲を作曲したのは渋谷毅だった。そういえば、子どもたちが幼いとき、子ども番組で聴いた「夢のなか」という曲がいい曲だなと思っていたら、なんと渋谷毅作曲だった。恐るべし渋谷毅。

 このユニットのライブを、私の住んでいる街のヴァンガードというジャズ喫茶で見たことがある。2007年のことだ。そのときの渋谷毅は特異な存在感を放っていた。ジーンズによれよれのシャツとジャンパーを着た渋谷毅の風貌は、地元のさえないおじさんと区別するのが困難なほどだった。開演前に狭い会場の客席を落ち着きなくうろついていた渋谷毅は、マスターからコップ酒をもらうと、それを飲みながら寡黙にピアノのある方向に歩き出した。

 平田の演奏が始まっても、渋谷毅はピアノの前に立ったままだった。髪の毛をかきあげながらじっと譜面を見つめていた。そのうち、おもむろに椅子に座ると、抜群のオブリガードで平田の音楽に合わせていった。渋谷毅の指先からは、端正で流麗な美しい音色が紡ぎだされた。曲が終わると、髪をかき上げながら、ピアノの上にぐちゃぐちゃに散乱した書類の中から次の曲の譜面を探しはじめた。そんな渋谷毅の姿に、退廃的な香りを感じないわけにはいかにかった。
 
 デカダンス・・・。まったく恥ずかしい話だが、私はそういうジャズの退廃的な香りが好きだ。そういう渋谷毅をかっこいいと感じてしまう。

 渋谷毅。稀有な音楽家である。
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かつおが揚がらない

2019年06月30日 | 今日の一枚(G-H)
◉今日の一枚 429◉
日野皓正
Blue Smiles


 西日本は大雨で大変なようだ。私の街でもこの土日はずっと雨だ。泊りがけの同級会で妻が不在なので、釜石のジャズ喫茶「タウンホール」あたりに行ってみようかなどと目論んでいたのだか、この雨のためかどうも気持ちが乗らない。昨日、近所の風呂屋に行ったことと、今日、市立図書館に行ったこと以外は、ほとんど戸外で活動していない有様である。

 ところで、6月ともなれば、私の住む街ではかつおのシーズンに突入するはずなのだが、今年はどうも様子が違う。スーパーに行っても、売っているかつおは千葉産とか静岡産のものばかりだ。地物を置かないなんてナメてんのかなどと思っていたら、今年は地元にかつおが揚がらないのだという。海流や水温の影響で、かつおの群れが千葉あたりで停滞し、北上して来ないのだそうだ。カツオ船が水揚げしたのも数度だけのようだ。もちろん、千葉産とか静岡産のかつおだってまずいわけではないのだが、やはり節のものは地物がいい。そんなこだわりみたいなものがあり、地元に揚がったカツオじゃないとどうも心を開いて酒が飲めない。

 一日中雨だった今日の一枚は、日野皓正の1992年録音作品「ブルー・スマイルズ」である。哀愁のバラード集だ。このころの日野皓正は、「ブルー」の付く哀愁のブルーシリーズを連発しており、いかにもという感じで、ちょっとキザな奴だななどと考えていたが、時を隔てて聴いてみると、これはこれで一つの芸の形なのだと感じられるようになった。余計なことは考えず、哀愁のトランペットは哀愁のトランペットとして聴くのが流儀というものだろう。①blue smiles から②you are so beautiful への流れが好きだ。

 日野皓正の哀愁のトランペットの傍らで光を放っているのは、シダー・ウォルトンのピアノである。固い音だが、音に芯があり流麗な演奏だ。シダー・ウォルトンを初めて知ったのはどのアルバムだったろうか。ロン・カーターとのデュオ「Heart & Soul」だったような気がするが、よく覚えていない。ずっと嫌いではないピアニストだった。そんなに自己主張しないピアノだが、その流麗な演奏に自然と耳が引き付けられていく。村上春樹が、彼を「真摯で誠実な、気骨のあるマイナーポエト」と称したのは、なかなか核心をついているような気がする。(村上春樹『意味がなければスウィングはない』)
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発達障害に関する覚書(3)

2019年06月29日 | 発達障害について
自閉症スペクトラム障害(3)
 ~社会性の障害について~

 自閉症スペクトラム障害は、「社会性の障害」「コミュニケーションの障害」「想像力の障害(こだわり)」が中心的症状であるとされ、これらは「三つ組」などといわれている。「社会性の障害」「コミュニケーションの障害」を1つにまとめて考えてもよかろう。実際、DSM-5(アメリカ精神医学会の「精神疾患の診断・統計マニュアル第5版」)では1つにまとめて考えられているようだ。ここでは、参考文献を参照しつつ、「三つ組」について、それぞれの具体的様相をまとめておきたい。まずは、対人関係の特異性を特徴とする「社会性の障害」である。

相手の気持ちや状況を考えない言動
太っている友だちに対して「太っているね」といってしまうなど。
●マイペースで、一方的な言動
周りの友だちが皆で遊んでいても仲間に入らず、一人で遊び続けることが多く、一緒に遊んだ場合でも、その場を仕切って自分のペースに引き込もうとする。思い通りにいかないと癇癪をおこす。
●場の雰囲気が読めない
相手が困惑し、迷惑がっているのに気づかない。静かにすべき場所か、騒いでいい場所か判断できない。
●人に対する共感性が弱い(他者への関心が薄い)
初対面の人に次々と不躾な質問をしたり、自分が関心のある話題を一方的に話し続けたりする。自分が関心あることは、相手も関心があると思ってしまう。
●人と関わることが苦手
視線を合わせたり、手をつなぐなどの身体的接触が苦手

[参考文献]
田淵俊彦ほか『発達障害と少年犯罪』新潮新書2018
平岩幹男『自閉症スペクトラム障害』岩波新書2012
岩波明『発達障害』文春新書2017
杉山登志郎『発達障害の子どもたち』講談社現代新書2007


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カフェ・コロポックル

2019年06月29日 | ジャズ喫茶


 2016年にオープンしたという宮城・栗原市若柳の「カフェ・コロポックル」である。ラムサール条約指定の白鳥の飛来地、伊豆沼のほとりにあるジャズ喫茶だ。半年ほど前、知人に紹介されて行ってみた。最初の訪問ですっかり気に入ってしまった。自宅からは三陸道を車でとばしても1時間20分程度かかるが、3,4度は足を運んだだろうか。

 スピーカーはJBLのDD67000、その他の機材はマスターの自作だそうだ。14時以降は大音量タイムで、結構な音量だが不思議なことに聴き疲れしない。全体的に柔らかく繊細な音で、曲の終わりの余韻がたまらなくいい。

 アナログレコードだけでなく、CDやハイレゾ音源をいい音で聴くのがコンセプトとのことで、実際、かけられる音楽もほとんどがデジタル音源だ。しかし、そんなことなど全く知らなかった私は、初めて訪問した時、生意気にもアナログ盤をかけるようリクエストしてしまった。以来、マスターがそのことを覚えているのか、あるいはたまたまなのかわからないが、私が訪問すると必ずアナログ盤がかけられる。うれしいやら、恥ずかしいやら、アンビバレントな気持ちだ。

 昔のジャズ喫茶と違ってコーヒーがすごくおいしい。また、高台にあるため、テラス席から見る伊豆沼の景色は本当に素晴らしい。気分よく、ゆったりとした穏やかな時間を過ごせる空間である。自宅からは遠いが、時間があれば何度も行ってみたいジャズ喫茶だ。



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