WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

リンダ・ロンシュタットの初々しいジャズ

2007年07月31日 | 今日の一枚(K-L)

●今日の一枚 186●

Linda Ronstadt

For Sentimental Reasons

Watercolors0005_10  はっきりいって、2級品、3級品の類である。声にはしっとりとしたやわらかさが感じられず、硬くやや荒れている。表現にも余裕がなく、あまりに直接的で性急である。全体的には凡庸である、といってしまっても差し支えないかもしれない。

 なのに、また聴いてしまった。しばしば聴くわけではないが、本当に時々、何故だかトレイにあるいはターンテーブルに乗せてしまうのだ。合理的な理由はない。おそらくそれは、歌っているのがリンダ・ロンシュタットだからだろう。それ以外に理由は思いつかない。必然性もない。

 思えば、1970年代のリンダ・ロンシュタットは輝いていた。アルバム『ミス・アメリカ』の頃だ。その歌声と太ももははちきれんばかりに輝かしく、そのキュートな唇から紡ぎだされるポップなメロディーは我々の心を魅了したものだ。中学生の私は、その狸顔の瞳に見つめられると(もちろん写真だ)、胸が苦しくなるほどだった。当時は、「洋楽」女性歌手は、オリビア・ニュートンジョンとリンダ・ロンシュタットが人気を二分しており、日本のリスナーはオリビア派かリンダ派に分かれていたように記憶している。当初私は、控えめでしかも太陽のように明るい初期のオリビアを好きだったのだが、本当はどこかで自由奔放で恋多き女性のリンダに憧れを抱いていたのだと思う。リンダの写真を見て胸が苦しい気分になるには多くの時間を必要とはしなかった。

 さて、リンダ・ロンシュタットの1986年作品『フォー・センティメンタル・リーズンズ』である。何を思ったか1980年代に入ってリンダは、ジャズ風味のスタンダード・アルバムをたて続けに発表し、結構ヒットした。この作品は、『ホワッツ・ニュー』『ラッシュ・ライフ』に続く第3作目である。自由奔放なリンダがなぜスタンダードに興味をもったか。「1981年にブロードウェイで古い名作オペレッタ『ペンザンスの海賊』に主演したことから、さまざまな歌を勉強しようと考え、スタンダードを聴いているうちに、これらの歌が自分の思考や感情を表現できることを痛感した」というのが公式見解のようだが、そこはリンダのこと、自由奔放な恋が背景にあることは多くの評者の指摘する通りである。

 このアルバム、前述のように、聴くたびに2級品、3級品の類と思いながら、なぜか時々聴いてしまう。……初々しいのだ。ジャズポーカルとしては決してうまくはないが、素人の、凡庸だが素直な歌心がまっすぐに伝わってくる。そのまっすぐさに、あるいは初々しい凡庸さに共感するのだ。リンダは、心に描いた情景をシンプルに、そして素直に歌に置き換えていく。最大多数の感性に訴えるある種の凡庸さというのは、思えばロックやポップの手法なのであり、ロックあるいはポップ畑出身のリンダにしてみれば当然のことだったのかもしれない。

 ジャズは、うまい、下手ではない、といったのは誰だっただろうか。その言葉をあらためて考えさせられる一枚なのかも知れない。


リラクシン

2007年07月23日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 185●

Miles Davis

Relaxin'

Watercolors0004_9  いわずと知れたマイルス・ディヴィスの1956年プレスティッジ、マラソンセッションのうちの一枚『リラクシン』である。私はこのアルバムが好きだ。公式見解である。なぜかというと、かつて敬愛した故・中上健次が村上龍との対談『ジャズと爆弾』の中で、マイルス・ディヴィスの話題の中で一番好きな作品としてあげているからだ。敬愛する中上健次が好きというから好きだ、これ程説得力に富んだシンプルな言い方はないであろう。これに疑義をさしはさむ余地はないし、もし「敬愛する作家が好きだから好きだとは一体どういうことだ」などという反論をする輩がいれば、それは原理的にバカというべきであろう。

 しかし、なぜ中上がこの作品を好きであったか。あるいはそのことが中上のジャズ聴きとしての水準を露呈してしまっているのかもしれない。高名な批評家、後藤雅洋氏は『新・ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)の中で、マイルスのしゃがれ声に続いてやはりマイルスと思われるカウントを取る指の音で演奏がはじまる① If I Were A Bell について、「この一瞬の静かな緊張は、ビ・バップ的な、後はどうなるかわからないアナーキズムとは異質な、演奏の方向を常にコントロールしようとするリーダー、マイルスの強烈な意思の現れである。そして実際の演奏も、マイルスの狙った通り、テーマとアドリブが有機的に結合された典型的なハードバップ的構成美をそなえたものとなっている」と述べている。冒頭の部分からのみ判断するには、やや大げさな表現であるが、大きな間違いとはいえないであろう。全体から遡及した見解であるが、曲全体あるいはアルバム全体についての見解としては、誤りとはいえないであろう。

 「物語の復権」を唱えた中上が『リラクシン』を好きだと語ったということは、面白い。


上田知華+KARYOBIN[2]

2007年07月22日 | ノスタルジー

Wpc68017  今日は息子の野球の試合のはずだったが、雨のため中止になった。日程がつまっているため、7月25日の夜にナイターでやるという。仕事の予定を繰り合わせて応援に行こうと考えていたが、予定が外れてしまった。まあいい、たまには家族を映画にでも連れて行こうかと考えている。

 だいぶ前に上田知華+KARYOBIN[3]についての記事を書いたが、アクセスしていただくことが多いようだ。ニューミュージックに「はまった」ことはないのだが、なぜか上田知華+KARYOBIN[3]というレコードが棚にあり、よく考えてみると、上田知華+KARYOBIN[2]という作品もカセットテープにある。そういえば、若き日々に聴いていたような気がする。西洋かぶれの私は、「邦楽」(死語となってしまった)に熱中することはほとんどなかったのだが、何かひっかかるものがあったに違いない。そんなわけで本当にしばらくぶりに、上田知華+KARYOBIN[2]のカセットテープを聴いてみた。レコードから録音したらしく、針の音がかなり激しい。

 上田知華+KARYOBINは、ピアノ+弦楽四重奏というめずらしい編成でポップスを演奏したグループで'78年夏にデビューしている。上田知華+KARYOBIN[2]というアルバムについては、データがないのではっきりしたことはわからないが、状況から1979年の作品ではないかと推察される。全体的に素人っぽさが感じられ、楽曲や歌詞、サウンドには破綻も多いが、既成のポップスに対して新しい何かを持ち込もうとする清新な気概は感じられる。また、素人っぽいだけに、70年代末の内気で控えめな、あるいはおきゃんでいたずらっぽい女の子の心象風景がリアルに表現されているようにも思う。

「サンセット」という曲が異彩を放っている。親しみ易いメロディーもさることながら、情景が目に浮かぶような映像的な歌詞が好ましい。たいへん個人的な視点であるが、私の学生時代の風景がそこに展開されているようである。「図書館の広い窓に  5時の鐘わたるとき」というところが何ともいえずいい。

  ※  ※  ※  ※  ※  ※

    サンセット

 図書館の広い窓に

 5時の鐘わたるとき

 言いかけた言葉さえぎって 

 あなた席を立つ

 私からあなたとれば 

 残るのは涙だけ

 だけどもう遠ざかる時間は 

 誰にも止められない

 Sunset  それは黄昏 

 夢が沈んでいくわ

 Sunset  知らないうちに

 色褪せていく季節

 どこか二人と似てるわ


 心のままを口にする

 勇気が少しあれば

 帰り道溢れる後悔に 

 立ち止まり振り返る

 Sunset  そこは黄昏 

 夕日にあなた滲む

 Sunset  これもあなたの 

 やさしい思いやりなの

 悲しいぐらい きれいよ


 Sunset  知らないうちに

 色褪せていく季節

 どこか二人と似てるわ


(カセットテープからおこしたので、あるいは誤解もあるかも知れません)


ダディ・プレイズ・ザ・ホーン

2007年07月21日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 184●

Dexter gordon

Daddy Plays The Horn

Watercolors0003_13  デクスター・ゴードンの1955年録音作品『ダディ・プレイズ・ザ・ホーン』(Bethlehem)である。映画『ラウンド・ミッドナイト』の主役までつとめたデクスター・ゴードンは、いまでこそテナーのビッグ・ネームだが、1950年代には、才能があるにもかかわらず、ほとんど活躍していない。吹き込んだリーダー作も2枚のみである。ドラッグ中毒のためである。1950年代といえば、ハードバップの全盛期である。この時期にデクスターのようなタイプのプレーヤーが十分な活躍の機会を得なかったのは、ジャズの世界の大きな損失のみならず、デクスター本人にとっても大きな不運だったというべきであろう。デクスターの活躍があれば、50年代ハードバップに何かしら違うテイストを付け加えることが出来たに違いない。

 療養中の一時帰宅を利用して録音それたのが本作『ダディ・プレイズ・ザ・ホーン』だ。ドラッグ中毒療養中の身にもかかわらず、あるいはそれゆえにというべきだろうか、明るく元気で、伸びやかなテナーの響きである。そこにはドラッグからイメージされる呪われた煌めきのようなものはほとんど感じられない。ただただ、おおらかに素直に歌心の命じるままにテナーを響かせるデクスターがいる。

 『ダディ・プレイズ・ザ・ホーン』というタイトルが目に付いてしばらくぶりにCD棚から取り出した。今、息子を応援する気持ちでこのアルバムを聴いている。小学6年生の長男は野球をやっているのだが、生来の鈍クサさもあって、昨年秋の新人大会シーズンまではベンチを暖めていた。彼なりに努力したのであろう。今年の春から一塁手のポジションをもらってやっと出場の機会を与えられたのだが、その後主力選手の怪我などがあり、キャッチャーやピッチャーとしても起用されるようになった。2週間ほど前の地区大会準決勝では投手として予想しなかったヒットノーランを達成し、決勝戦では打者として公式戦初のセンターオーバーの本塁打を放った。最終回にはストッパーとして登場し、3人で抑えるというおまけもついた。まったく、信じられないことである。明日は、隣町の優勝チームとの県大会出場をかけた代表決定戦である。相手は春に県大会ベスト8にはいった強豪チームである。春の試合では何と18対1で完敗しているチームだ。しかし、わが息子のチームも怪我をしていた主力選手が復活し、保護者たちは今度こそといきまいている。まさしく臨戦態勢という雰囲気だ。その先発投手に息子が指名された。昨年までベンチ・ウォーマーだった息子にビッグゲームの先発投手とは荷が重かろうが、重圧を一身に受け止め、孤独に耐えながら、ひとりマウンドを守るという投手の醍醐味を味わうことの出来る貴重な機会である。子どもながら、重要な人生経験の機会かも知れない。仕事のため応援にはいけそうもないが、息子には、たとえボコボコに打たれようとも、立ち向かって勝負をするという気概を忘れないで欲しい。

 親ばかの文章を記してしまった。これもブログという装置のなせる業だろうか。


おとうさんはウルトラマン

2007年07月20日 | つまらない雑談

 

 

 

Cimg1904_3

 

 7~8年前のことだが、みやにしたつやさんという方の『おとうさんはウルトラマン』という絵本に出会い、毎日のようにページをめくったことがあった。お父さんとしてのウルトラマンを題材に、お父さんの子どもへの想いをテーマにしたものだが、当時まだ息子たちが小さかった私は、あまりの感動で涙なくしては読めなかった。特別のことではない、普通のおとうさんの普通の親としての想いをただ綴っただけの本だが、万人に共通する想いであるだけに、多くの人の共感を得たのであろう。 実際、この絵本はかなりヒットした作品だったようで、その後、『おとうさんはウルトラセブン』『帰ってきたおとうさんはウルトラマン』『おとうさんはウルトラマン/おとうさんの休日』などのシリーズ本が次々と発表された。私は、それらを次々に買い求め、やはりページをめくるたびに涙、涙であった。

 いつしか、私の息子たちも成長し、憎たらしい一面を身につけるにつれ、次第にその絵本をひらくことも少なくなっていった。先日、本棚の整理をしていてその絵本を見つけページをめくってみたが、やはりいい本だと思った。

  著者のみやにしたつやさんは、『おとうさんはウルトラマン』の序に次のような言葉を記している。たいへんシンプルであるが、長らく忘れていたものを思い出させるような文章である。

  ぼくが小さかったころ、

  人は、目に見えるものにとらわれ始め、

  それを追いかけるようになっていた。

  お金や物や地位や学歴……

  人は、無くなっていくものを、

  朽ちるものを必死で求めた。

  しかし、ウルトラマンはちがった。

  ウルトラマンは、目に見えないけれど

  確かなものをいつも追いかけていた。

  勇気と希望を、優しさや思いやりを、

  そして愛を……。

  ウルトラマンは決して色あせない、

  朽ちることのないものをぼくに見せてくれた。

  そしていま、ぼくはお父さんになった。

 


トリオ 99→00

2007年07月16日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 183●

Pat Metheny

Trio 99→00

Watercolors_17 パット・メセニーの1999年作品、『トリオ 99→00』だ。ギター・トリオによるストレート・アヘッドなジャズ演奏で、密度の濃い緊張感のあるインタープレイが展開される。とてもスリリングだ。けれども、そうした即興演奏の後の最後の曲 ⑪ Travels は格別だ。アメリカン・フォーク調の叙情的で美しい旋律は、心の一番柔らかなところに届き、、胸がしめつけられるようだ。じっと聴いていると、涙がこみ上げてくる程だ。このアコーステック・ギターによるピュアで繊細な演奏は、私が初めて生のパット・メセニーを見た時の感動を思い出させる。

 あれは、1990年のライブ・アンダー・ザ・スカイだっただろうか。私が行った仙台会場での演奏は、パット・メセニー・グループ、デヴィッド・サンボーン・グループ、そしてマイルス・デイヴィス・グループという短縮版だった。私はマイルスの演奏に期待して行ったのだが、残念ながらこの時のマイルスは、ほとんどソロをとらず、若手ミュージシャン中心の演奏内容も私にとっては満足できるものではなかった。当時は脳天気なデヴィッド・サンボーンの演奏も好きになれず、はっきりいってストレスのたまるライブだった。そうした中で、私の心に残ったのは、前座の地位に甘んじていたパット・メセニー・グループの演奏だった。夕暮れ時に、おもむろにアコースティック・ギターを弾いてはじまったパットのライブは、その響きが仙台の夕暮れの風景に溶け込むかのようだった。優しく柔らかな音たちが、まだ明るい空に解き放たれ、広がっていくのがありありとわかった。以来私は、パットのアコースティック・サウンドを一層好きになった。パットのアコースティック・ギターを聴くたびにあの時の情景がよみがえるのだ。

 『トリオ 99→00』と題されたこの作品は、それ自体、その緊張感溢れるインタープレイにより、非常に優れたアルバムだと思うが、最終曲 ⑪ Travels によって、アルバム全体が意味づけられ再構成されて、全く違うアルバムに変貌するような気がする。この最後の曲があることによって、感動的なトータルアルバムになっているような気がするのだ。

 マイルス・ディヴィスは、このライブの翌年、1991年9月28日に亡くなってしまった。私にとってはまったく突然のことだった。私が一度だけ見た、生のマイルス・ディヴィスの演奏が"最低"の出来だったことは、今でも私の人生の中の残念な出来事のひとつとなっている。彼の存命中に"本当のマイルス"を見たかったと思う。あのライブに行かなければ良かったと思うこともあったが、それを打ち消すほどに、"前座"のパット・メセニーの演奏は素晴らしかった。


コーリング・ユー

2007年07月15日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 182●

Holly Cole Trio

Blame It On My Youth

Watercolors0002_12  台風4号が接近しているようで、私の住む東北地方太平洋側も荒れ模様だ。雨風が強いという程ではないにしろ、できればずっと家にこもりたい一日だったが、午後からバスケットボールの練習ゲームがあったため、HCとしての任務を果たさなければならなかった。高校の女子チームである。実はきのうもS高校と練習ゲームをしたのだが、1試合目はディフェンスが機能して、現状では格上と思われるチームに1ゴール差で勝つことができた。2試合目には相手のゾーンディフェンスを攻めきれず完敗だったが、一年生中心の我々のチーム(2年生は1人のみ)としては良くがんばったと思う。

 我々のチームの選手の多くは、中学時代いわゆる"弱いチーム"の出身で、きちんとしたスキルを学んでおらず、補欠で試合にほとんどでることがなかった者も約半数を占める。けれども、素直で他者の話に耳を傾け、教わったスキルを一生懸命実行しようとする人間性にはとても好感が持てる。私は、素直さやひたむきさというものも、身体能力や身長と同様重要な資質であり、才能なのだと考えている。部員はたった8人しかいないので、今は技術的に劣る選手も含めて負けることを覚悟で全員にプレータイムを与えている。

 今日の練習ゲームも強豪J高校には完敗したものの、格上かと思われたN高校には何とか、同点引き分けに持ち込むことができた。N高校とのゲームは、残り6分で8点リードしていたが、あえて補欠選手を2人投入したのだ。補欠選手には緊迫した場面で出場機会を与えることに重要な意味があると考えたからだ。運動能力とスキルは高くはないが、その前向きな姿に私は賭けているわけだ。

 さて、今日の一枚である。ホリー・コール・トリオの1992年作品『コーリング・ユー』だ。ヒット作だ。久々に聴いたのだが、やはりよくできたアルバムだと思う。ホリー・コールその人の歌唱もさることながら、このアルバムはやはり "トリオ" の作品なのだと思う。ピアノ、ベース、ボーカルの組み合わせが、他に置き換えられないような独特のサウンドを生み出している。本当に趣味のいいサウンドだ。特に、サウンド全体を支える深く柔らかなベースの響きが素晴らしい。秀逸な演奏である。あまり話題にされることはないようだが、私は⑧ On The Street Where You Live (君住む街角)に魅了される。ホリー・コールの七色のボイスが余すところなく表出されていると同時に、トリオのサウンドとしても大変優れたものだと思う。

 うがった見方であることを承知でいうのであるが、ホリー・コール・トリオの"トリオ演奏"は、かつてのビル・エヴァンス・トリオに比肩しうる部分があるのではないかと思うほどだ。ボーカルを特権的な地位から解放し、トリオとしてのトータル・サウンドを追究しているように思うのだ。それは、とりもなおさず、ボーカルを楽器のひとつと考えることであり、実際ホリー・コールのボーカルは楽器的である。

 残念ながら、日本のジャズ業界においては、ホリー・コールの評価は今ひとつ高くはないように思える。このアルバムがヒットしてしまったからだろうか。しかし少なくとも、ホリー・コール・"トリオ"としてのサウンドは、もっと評価されてもいい、と私は思うのだがいかがだろうか。


461オーシャン・ブールヴァード

2007年07月15日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 181●

Eric Clapton

461 Ocean Boulevard

Watercolors0012_2  久々にロックだ。エリック・クラプトンの1974年作品『461 オーシャン・ブールヴァード』。名作である。『レイラ』発表後、ヘロイン中毒でロックシーンから姿を消していたクラプトンが、再起を期して発表したアルバムであり、例えば渋谷陽一はこのアルバムについて、

《 堕ちるところまで堕ちた人間がつかみとった救い、というある種ゴスペル的でスピリチュアルな感じのアルバム…… 》

などという過大とも思える評価を与えている。ちょっといいすぎであると思う反面、このアルバムとそれに続く『安息の地を求めて』『ノーリーズン・トゥ・クライ』が、人生の苦杯をなめた男の、肩の力を抜いた安息の境地を感じさせるのは確かだ。

 ギターの神様などといわれたクラプトンが、クリーム時代のような長大でひけらかすギターソロをとることもなく、あるいはむしろそれを封印して、歌を歌い、音楽を演奏するという行為に専念しているところが好ましい。ギターソロが極端に少ないということに不満を感じつつも、この作品の持つ何かに魅了され、高校三年生の夏休み、私は数十回もこのレコードをターンテーブルにのせたものだ。

 最近、押入れの古いダンボール箱の中から、クラプトンにまつわる「完全コピー譜」やギター教本を発見した。ギター少年の私は、どちらかというと、ジェフ・ベック派を自認していたのだが、クラプトンからも多くを学んでいたのかも知れない。しかし、『461 オーシャン・ブールヴァード』以降のクラプトンはギターの神様であることをやめ、普通の洋楽ミュージシャンになってしまったようにも思える。ギター少年だった私にとっては、聴くミュージシャンではあっても、学ぶミュージシャンではなくなってしまったと思われたものだ。そう考えると、『461 オーシャン・ブールヴァード』に魅了されつつも、何か複雑な心境だ。

Watercolors0014_1 Watercolors0015


センド・イン・クラウンズ

2007年07月13日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 180●

Sarah Vaughan & Count Basie Orchestra

Watercolors0011_2

 サラ・ヴォーンが、カウント・ベイシー・オーケストラの重厚なサウンドをバックに歌いまくったゴージャスな1981年録音作品だ。スイングジャーナル誌'81年ジャズ・ディスク大賞ヴォーカル賞受賞作品でもある。 二十数年も前の学生時代、渋谷の区民図書館で借りたレコードを聴いて衝撃を受けて以来の愛聴盤だ。例によって、ずっとカセットテープで聴き続け、CDを購入したのはだいぶ後になってからだった。一般には、"Sarah Vaughan & Count Basie Orchestra" というタイトルで流布しているが、ジャケットには "Send In Clowns" と書き込まれている。これはタイトルではないのだろうか。

 この作品を聴いていつも考えるのは、人間が成長し、円熟するということのすばらしさについてだ。デビュー作のクリフォード・ブラウンとの共作はたしかに才気溢れるすばらしい作品だったが、この作品はレベルが違う。ダイナミックで爆発的な声量、感動的な歌の解釈、情感溢れるヴィブラート。すごいとしかいいようがない。SARAH VAUGHAN  with CLIFFORD BROWN のあの女性が、晩年にこのような地点にまで到達し、円熟の演奏を残したことについて、深い感慨を覚えるのである。年をとるということの積極的な意義を考えずにはいられない。

 もう二十年以上も前のことだが、私が他県の定時制高校の教師をしていた頃、中学時代からずっと不登校の女の子がいた。ある日、彼女は私にこう話しかけてきた。「大人になるって楽しいですか」私は、答えに躊躇したが、「確かに、嫌なこともたくさんあるけど、同じぐらい楽しいこともたくさんあると思うよ。見えなかったものが見えてくることもある。」と答えた。それが原因ではなかったと思うが、その後彼女は学校に通えるようになり高校を卒業した。私は、彼女が卒業する前にその職を辞し故郷へ帰ってきたのだが、数年前にその彼女が東北旅行のついでにと仙台まで足をのばしてくれた折、「あの時、先生にいってもらった言葉で救われました」といってくれた。今となっては懐かしい思い出であるが、よく考えると、あの時の言葉は本当は私自身に言い聞かせていたのかも知れない。

 "Sarah Vaughan & Count Basie Orchestra" を聴くたびに、その彼女にサラ・ヴォーンの円熟した姿を聴かせてあげたいと夢想したりする。


コンサート・バイ・ザ・シー

2007年07月13日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 179●

Erroll Garner

"Concert By The Sea"

Watercolors0010_3  言わずと知れたエロル・ガーナーの有名盤、1955年録音の『コンサート・バイ・ザ・シー』である。私はCDで所有しているのだが、だいぶ前に購入した輸入廉価盤なので、オリジナルのものとはジャケットがやや異なるようだ。

 もう20年近く前であるが、当時好きだった作家、高橋源一郎が推薦している記事を読んで購入した。ガーナーの代表作にして名盤といわれる作品である。ビハインド・ザ・ビート、つまり左手のバッキングにやや遅れて右手のメロディが入るガーナー独特のビート感覚を記録した代表的作品とされるものである。けれども、私は最近までこのアルバムの良さがどうもピンとこなかった。若い頃の私の悪いくせだが、ビハインド・ザ・ビートなどという「特殊な用語」がでてくると、それを理解したいがために、教養主義的あるいはお勉強主義的に聴いてしまうことがあったのだ。この作品も然りだ。ビハインド・ザ・ビート……、なるほど、フムフムなどとわかったようなつもりになったものの、何がすごいのかよくわからない。どこがいいのかがピンとこない。結局このCDは、以後20年近く、私のCD棚で眠り続けることになってしまった。

 ふとしたことがきっかけで、約20年ぶりに聴いてみたわけだが、何となく、その良さがわかったような気になった。結局、難しいことではなく、ノリの良さがすべてなのではないだろうか。ノリの良さと爽快なスウィング感、そしてライブ特有の大胆な崩した弾き方、大胆に崩してはいるが、あるいはそれ故に、溢れんばかりの歌心が伝わってくるところ。それらが、この作品の良さであろう。

 年齢を重ね、肉体は衰えていくが、若い頃の先入観や思い込みから解放され、少しだけ肩の力を抜いて、「自由に」物事を感じ、考えることが出来るようになること。私はまだまだそれ程の年齢ではないが、四十代も半ばをすぎた今、年齢を重ねることの効用をそんなふうに感じることもある。

 エロル・ガーナーは、1921年6月ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。77年、56歳で死去した。


Sea Of Joy

2007年07月08日 | 写真

Cimg1891_2

Cimg1898_1

 わが東北地方も もはや陽気は夏だ。息子のサッカー大会を観戦した後、次男と海までドライブだ。海までドライブといっても、我が家から車で5分だ。時間はもう5時をまわっており、海水浴客もほとんど帰ってしまったが、こんな寂しげな海もなかなかに好ましい。砂浜には、多くの海水浴客のつけた足跡だけが残り、にぎやかな声も屈託のない笑顔ももうそこにはない。

 遠くに太陽が沈んでいく。

 


ロンリー・ガール

2007年07月06日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 178●

Julie London

Lonely Girl

Watercolors0009_3  ジュリー・ロンドンを聴くのは初めてだった。ジャズ決定盤1500シリーズのキャンペーンで、CDを数枚もらった中の一枚だ。大正解だった。その魅惑的なジャケットゆえ、ジュリー・ロンドンには以前から興味はあったのだが、なぜか今日まで聴く機会に恵まれなかったのだ。

 ジュリー・ロンドンの1956年録音作品、『ロンリー・ガール』。アル・ヴィオラのギターのみをバックにジュリーが切々とした女心を歌い上げるといった趣向だ。いい作品だ。歌い上げるというより、ささやくといった方が適切だろうか。ジュリーはちょっぴりかすれた声で胸いっぱいの想いを込めて歌っていく。まるで、自身の胸のうちをうちあけるかのようにだ。ギターとボーカルというシンプルな構成ゆえ、ひっそりとした静けさとともに、歌の臨場感がダイレクトに伝わってくる。ジュリー・ロンドンという歌手を今まで聴いてこなかったことが実に悔やまれる。今後、ジュリー・ロンドンを探究することになりそうだ。

 1926年生まれのジュリー・ロンドンは、はじめ映画女優としてデビュー、いくつかの作品に出演するが幸運には恵まれなかったようだ。その後結婚して二人の子をもうけるも離婚、1950年代に歌手に転向し、50年代から60年代に華々しく活躍した歌手だ。活躍の陰には、後に夫となるジャズ・ピアニストのボビー・トゥループとの出会いがあったようだ。ボビーの指導を受け、本格的なジャズシンガーとなったわけだ。ジュリーは、前年に亡くなった夫ボビーの後を追うかのように、2000年10月18日に亡くなっている。


アイ・ウィル・セイ・グッバイ

2007年07月05日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 177●

Bill Evans

I Will Say Goodbye

Watercolors0007_3

 ビル・エヴァンスのファンタジー・レーベル最後の作品、1977年録音である。長年続いたエディ・ゴメスとの競演としても最後の作品である。

 Bill Evans (p)

  Eddie Gomez (b)

  Eliot Zigmund (ds)

 後期エヴァンスの最高傑作ではないか、と私は思う。この後、エヴァンスは、マーク・ジョンソン(b)、ジョー・ラバーベラ(ds) とトリオを組んで最後の炎を燃やすのであり、周知のように、この最後のトリオの世評は非常に高いものがある。この最後のトリオの演奏の緊密さは確かに素晴らしいものがあり、高い評価は十分にうなづけるのであるが、私としては正直何かまだピンとこないものがあり、その評価の確定に躊躇している。そんなわけで、現在のところ、私にとっての後期エヴァンスの最高傑作はこの『アイ・ウィル・セイ・グッバイ』だ。近いうちに、もう一度集中的に最後のトリオの諸作品を聴きなおして考えをまとめてみたいと数年前から思っているのだが、生来のものぐさのためか未だ実行していない。

 さて、『アイ・ウィル・セイ・グッバイ』の何がいいのか。なんといってもまず、タイトルである。何と感傷的なタイトルなのだろう。私はこのようなことばに弱い。I Will Say Goodbye 、その響きを聴くだけで胸がしめつけられてしまう。それをタイトルにするところがすごいではないか。同じように胸がキュンとするタイトルに We Will Meet Again というのがあるが、こちらの方は内容がイマイチだ。『アイ・ウィル・セイ・グッバイ』は内容もいい。最後のトリオにつながるような元気の良い部分もあるのだが、全編を貫くセンチメンタルな雰囲気がいい。47歳のエヴァンスの成熟したセンチメンタリズムが感じられる。CDの帯には「瑞々しいまでの感性に溢れ、リリカルなピアノが冴えわたる」というやや気障な言葉が刻まれているが、それも決して的外れではない程に、リリカルで優しさに溢れた演奏だ。

 例えば、③ Seascape や ⑧ A House Is Not A Home の優しさに満ちた美しい響きはどうだろう。ほっと息を吐き出して、全身の力が抜け、無防備に自分を解き放って、音楽に身をゆだねてしまう。そんな音楽だ。

 やはり、ビル・エヴァンスはいい。しばらく聴かず、離れていても、やはりときどき戻ってくる場所、それが私にとってのビル・エヴァンスだ。

[追記]

胸キュン・タイトルでもうひとつ重要なものを忘れていました。You Must Believe In Spring です。こちらは、感傷的なタイトルとしても最上級、内容も最上級です。


エクリプソ

2007年07月04日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 176●

Tommy Flanagan

Eclypso

Watercolors0005_9

 トミー・フラナガンの快盤『エクリプソ』、Enjaレーベルから発表された1977年録音盤である。1950年代にマイルスやロリンズはじめ数多くのミュージシャンと競演し、名盤の影にトミフラありといわれた男だが、意外なことに、1957年録音の名盤『オーバーシーズ』以来リーダー作の機会に恵まれず、次のリーダー作は1975年の『ア・ディ・イン・トーキョー』であった。まあ、トニー・ベネットやエラ・フィッツジェラルドの伴奏者として活躍はしていたわけであるが……。

 大好きなアルバムである。人によっては超のつく名盤との評価もある。ただ、私としては、良質な 《フツーの》 ピアノ・トリオアルバムといいたい。《フツーの》 とは、作品のレベルが普通レベルということではない。奇をてらわない、自然体のピアノ・トリオ作品だということだ。このような作品を《 超 》をつけて神格的な地位に祀り上げることには反対だ。この作品を聴くと、私はジャズ喫茶の煙草のけむりとコーヒーの香りを思い出す。私がジャズ喫茶に入り浸った1980年代前半には、まだ前代の激しいジャズのなごりが残る一方、このアルバムのような良質のフツーのジャズが多くかけられていた。このアルバムに出会ったのも、今考えれば渋谷の百軒店にあった《 音楽館 》だったように思う。《フツーの》 ジャズがかかると、じっとそれに聴き入り、あるいは立ち上がってアルバム・ジャケットをチェックするような人が多かったように思う。タフでハードな重苦しい時代を終え、人々は重い荷物を下ろして、フツーのジャズをフツーに聴きたかったのかも知れない。

 さて、『エクリプソ』である。なんと楽しげな演奏。なんと軽やかなスウィング感だろう。音が飛び跳ねるような躍動感がたまらない。心はウキウキ、ワクワクだ。スピーカーの向こうに、音楽を演奏することの喜びに溢れた1977年の2月4日の演奏者たちの姿が、ありありと浮かび上がってくる。ウキウキ、ワクワクの感情は時代を超えるのだ。

 ジョージ・ムラーツ……。すごいベースだ。ドライブするとはこういうことをいうのだろう。トミフラも、エルヴィンももちろん素晴らしい。しかし、私は断言してもいいが、このアルバムを快盤たらしめているのは(もちろん名盤とよんでもいいが)、ジョージ・ムラーツのベースである。トミフラの優雅で楽しく飛び跳ねるピアノに浸りながら、私の耳はいつのまにかムラーツのベースを追っている。


ルネ・ユルトルジェ

2007年07月03日 | 今日の一枚(Q-R)

●今日の一枚 175●

Rene Urtreger

joue Bud Powell

Watercolors0004_8  jazz in paris シリーズの一枚。フランスのピアニスト、ルネ・ユルトルジェの1955年録音盤、ルネの初リーダー作だ。

 フランス語とフランスのジャズに無知な私は、この輸入盤CDのタイトルを見てバド・パウエルの作品と勘違いして購入してしまった。早速聴いてみたがなんだかおかしい。確かにバド・パウエルっぽいのだが、何かピンとこない。何というか、軽いのだ。バド特有のうねりというか、ちょっとだけ黒っぽい部分が感じられない。パリに移り住んだバドは、こういうふうに変化したのだななどと勝手に思い込んだりもしていたのだが、フランス移住後のバドを勉強しなおそうとwebで検索していたら、何とこのアルバムはフランスのピアニスト、ルネ・ユルトルジェのバド・パウエル作品集だということがわかった。私は、『死刑台のエレベーター』のピアニストとしてルネ・ユルトルジェの名前は聞いたことがあったが、リーダー作を聴いたことがなかったので、そのスペリングをみても読めなかったわけだ。そもそも、ジャケ裏には明らかにバド・パウエルではない白人の写真があったのであり、本来その時点で気づくべきであったのだが……。

 バド・パウエルの作品ではなかったが、軽やかにスウィングするすっきりしたサウンドでなかなかいい。このアルバムは、かつてはピアノ・ファンが最後に捜し求める「超難の幻盤」といわれ、きれいなオリジナルの10インチ番は給料一か月分もするといわれたこともあったらしい。jazz in paris シリーズのこの盤は、オリジナル・ジャケットではないが、ピアノ・ファンが最後に捜し求める「超難の幻盤」などといわれると、それなりに感慨深いものがある。

 内容的に超名盤とは思わないが、収録時間の短さも幸いして、非常に聴きやすい作品だ。ここ数日、早起きしてする仕事のBGMとして重宝している。とてもさわやかなスウィング感だ。