WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

君と歩いた青春……青春の太田裕美②

2006年08月17日 | 青春の太田裕美

Cimg1560_3  アルバム『12ページの詩集』 (1976年作品)収録の「君と歩いた青春」は、隠れ太田裕美ファンの中でも支持者の多い曲だろう。それを裏付けるかのように、1981年には別バージョンでアルバム『君と歩いた青春』が発表され、タイトル曲がシングルカットされている。『12ページの詩集』 は、12人の異なる作曲家の楽曲を太田裕美が歌うという企画で制作されたもので、知る人ぞ知る名盤の誉れ高い作品である。中でも伊勢正三作詞作曲の「君と歩いた青春」は、ファンの間ではいまだに根強い人気を誇る曲である。この曲は、松本隆&筒美京平というそれまでの太田裕美の路線とは異なるものだったが、歌詞のイメージの方向性などは松本&筒美コンビの路線を踏襲したものといえるだろう。 

 2ところで、「君と歩いた青春」の歌詞を今改めて眺めると、1970年代がもはや本当に遠い昔であることを実感せざるを得ない。幼い頃からともに遊んだ恋人と都会で暮らし始めたがうまくいかず、田舎に帰ろうとする彼女に対して男が語る思いやりのことば……。 

  今となっては、生活力のない男の女々しい自己弁護・自己満足のことば、ととらえることもできないでもないが、それを優しさとしてとらえることが可能な時代だったのだろう。思えば、社会全体が優しさを求めていた時代だった。高度成長が終わって人々は目標を見失い、一方、若者は学生運動の終焉とそれに続く連合赤軍事件や内ゲバによって社会変革への夢を閉ざされた。若者たちは「自己」の中に閉じこもり、そこに小さな幸せを見出すようになったのだ。そこで「発見」されたのが、「心」であり、心の「優しさ」や「純粋さ」に束の間の慰安を求めたのだ。  

 おそらく、この時代ほど、「心」というものに高値がついた時代はないのではないか。社会的な活動やエスタブリッシュメントは傲慢な自己主張としてしりぞけられ、純粋な心の優しさが重要な価値となったわけだ。

 皮肉なことに、その後の消費社会の進展と高度資本主義によって、「心」や「純粋さ」や「優しさ」さえも自己慰安的な欲望のひとつにすぎないとされるようになり、パロディーとしてしか成立しえなくなってしまった。資本主義とはまさしく、すべてを飲み込み、すべてを解体してゆくシステムなのだ。 

 恐らく、我々は、もはや1970年代のような「純粋な心」や「優しい心」という夢を見ることはできないだろう。そう思いながらも、この曲を聴きながら、過ぎ去りし「みんなが優しさを求めていた日々」に想いはめぐる。懐かしきは、われらが1970年代である。


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