WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

立原正秋箴言集(9)

2013年10月30日 | 立原正秋箴言集

午後の静かなひととき、陽のさす部屋で編物をしていると、波の音がきこえてくる日があった。風のない日であった。痴呆になったような幸福感を味わうこともあった。(『はましぎ』)

道太郎と結婚した信子の思いです。何という静寂感と安らぎの感覚なのでしょう。すごい表現だと思います。この部分を何度も読み返して感じ入ったものです。


都忘れ……青春の太田裕美(24)

2013年10月29日 | 青春の太田裕美

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 極私的名盤『手作りの画集』のA面③曲目「都忘れ」である。70年代歌謡曲然とした編曲に、マイナー・フォーク調の旋律だ。サウンド全体が、非常に重い、深刻な印象を与える。いつもの太田裕美なら、もっとかわいらしく、軽いノスタルジーに載せて表現するところだ。けなげではあるが、何か「怨念」にも似た、切羽詰まった印象だ。

 都会に出ていってしまった「あなた」に対する思いを吐露した歌である。都会に行ってしまった「あなた」と、ふるさとに残った「私」。いつまでも帰ってこない「あなた」に手紙を書いたけれど返事が返ってくるかどうか不安な「私」は、都忘れの花から、「あなたを忘れてしまいなさい」といわれているような気がして、うなづきそうになる。「流れゆく月日を 見送って泣いたのよ」とあるので、「あなた」は長い間帰って来ていないようだ。そして、「今年も咲いたわ 都忘れが あなたを忘れてしまいなさいと」の部分のリフレインは、恐らくはもう「あなた」が帰って来ないだろうことを暗示している。歌われているテーマは、「木綿のハンカチーフ」と同じだといっていい。そのバリエーションだ。

 Photo「木綿のハンカチーフ」では、軽いノスタルジーとともにかわいらしくに歌われたテーマが、ここではより直接的に、暗く、重く、深刻に歌われている。なぜ、そのように歌われなければならなかったのだろうか。

 気になる部分がある。

「工場の青い屋根

   この街も変わったわ」

 歌詞の中でこの一か所だけが異質だ。「風なびく麦畑」や「走り去る雲の影」、「祭りの準備」、「太鼓の響き」など、ふるさとの情景を中心に語られる歌詞の中で、唐突で異質な印象を受ける。しかし、よく聴きなおしてみると、この部分は語り手の女性の心の動きを表すものとして語られているようだ。語り手の女性の目に映る風景が、その心の動きを表出しているのだ。例えば、「なつかしい横顔によく似た雲」が「走り去る」などというところも、「あなた」が去っていくことに対する「私」の不安な心を表出したものといえるだろう。当該箇所についても、ふるさとの街の風景の変貌を通して、自分の周りが変わっていく心の不安を表していると考えることができるのではないか。その不安の中には、もちろん「あなた」が去ってしまうことも含まれている。しかも、変わってしまったふるさとの風景の象徴が「工場の青い屋根」であり、語り手がはっきりと「この街も変わったわ」と嘆いていることは、特に重要である。

 ここで語られているのは、都市化あるいは近代化によって地方の風景が変貌しつつあるということなのだ。実際、この時代には、次々に地方に工場が建設され、その伝統的な風景が奪われていった。それは例えば立松和平『遠雷』が描いた通りだ。言い換えれば、心の原風景としての「田舎」が、都市的なもの、近代的なものによって、解体されていった時代だったということだ。そして、「あなた」が都会に行ってしまったまま帰ってこないということは、語り手の女性にとっては、「あなた」が都市的なもの、近代的なものによって奪われようとしているということでもある。

 とすれば、都市的なもの、近代的なものによって、人々の生活や人間のつながりが「蹂躙」されているということを、この歌は静かに訴えているのではないか。都市的なものや近代的なものがふるさとの風景を変貌させ、この2人をも引き裂いてしまった、ということを歌っているのだ。独善的すぎる解釈だろうか。けれども、そう考えると、この重く、深刻な、「怨念」をも感じさせるようなサウンドもうなづけるのだ。作詞・作曲者の意図の如何にかかわらず、そのような社会的な「構造」の中でこの楽曲は成立している。作詞・作曲者とて、時代の「構造」と無縁ではいられないのだ。そして、「流れゆく月日を 見送って泣いたのよ」という部分から感じられるのは、いつもの軽いノスタルジアなどではなく、重くじめじめした、「怨念」にも似た感覚である。「今年も咲いたわ 都忘れが あなたを忘れてしまいなさいと」の部分のリフレインは、それを強調する効果をもっている。都市的なものや近代的なものによって蹂躙される人々の生活と、それに対する「怨念」が、この曲を成立させている。そう私は考える。

 ところで、先にこの「都忘れ」が「木綿のハンカチーフ」のバリエーションのひとつだと語ったが、このアルバムの次の曲「青空のサングラス」にも、「木綿のハンカチーフ」という言葉が登場している。『手作りの画集』が「木綿のハンカチーフ」を強く意識していることは明らかなようだ。「木綿のハンカチーフ」がアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされたのは1975年12月21日であり、『手作りの画集』のリリースが1976年6月21日である。となれば、このアルバムは「木綿のハンカチーフ」の大ヒットによる、太田裕美旋風の真っただ中で制作されたことになる。いたしかたないことか。


「青春の太田裕美」あるいは「太田裕美的青春」

2013年10月27日 | 今日の一枚(O-P)

◎今日の一枚 354◎

太田裕美

手作りの画集

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 極私的名盤である。この作品に続く「12ページの詩集」とならんで、太田裕美のピークを記録した作品であると私は考えている。同じ1976年のリリースであり、「画集」と「詩集」というタイトルの類似からも、「手作りの画集」と「12ページの詩集」の関連性は推察できる。この2つは、連作としてセットで聴かれるべきものなのではなかろうか。もちろん、「画集」はすべての曲が松本隆&筒美京平コンビによるものであるのに対して、「詩集」は12人の異なる作曲者による楽曲という制作上のコンセプトの違いは理解している。しかし、アルバムのトータルなイメージ、表現のスタンスは驚くほどの近似性をもっているのではなかろうか。そしてそれは、私の考える「太田裕美的青春」と大きくかかわっている。

 この「太田裕美的青春」について、以前書いた「『青春の太田裕美』あるいは『太田裕美的青春』」という拙い文章を、若干改訂して以下に再録したい。

     ※     ※     ※     ※     ※

 太田裕美が好きだった。青春の一時期、ある種のアイドルだったといってもいい。ただ、一過性の、その美貌やチャーミングさに熱狂するような種類のアイドルではない。もっと静かで穏やかな、思いを投影し、共感するような種類の「アイドル」だった気がする。意外なことであるが、私と同世代(私は1962年生まれだ)の人には、現在も太田裕美の残像をどこかに抱えている人が結構いるようである。飲み会などで、ちょっと昔の思い出話などになると、「太田裕美」という名前が登場することがよくある。しかも、ずっと昔の一過性のアイドルというのではなくて、今でもその記憶を大切にしている人が多いのだ。

 太田裕美には周知のように多くのヒット曲があるが、ヒット曲以外の、一般的にはまったく無名のはずのアルバム収録曲を愛する人たちも少なくないようだ。彼らの心の中では、今でもそうした「無名曲」が鳴り響いている。もちろん私もその一人だ。もう十数年ほど前になろうか、当時の職場の同僚と酒を飲んでいる際、ふとしたことから太田裕美の話題となり、彼が太田裕美の「ファン」であることがわかった。さらに会話をすすめていくと、彼が愛する曲は「木綿のハンカチーフ」でも、「最後の一葉」でもないという。まさかと思って尋ねてみると、なんとこの『手作りの画集』収録の「茶色の鞄」という曲だったのだ。その時の驚きはいまでも忘れられない。我々の間に一種の共犯関係のような奇妙な連帯意識が生まれ、互いにニヤッとしたのだった。そして私はその後、同じような体験を何度かしたことがある。webで検索してみたところ、まったく意外なことであるが、この茶色の鞄」が現在でも多くの支持を集めていることがわかった。1970年代のアイドルにもかかわらず、古いオリジナルアルバムもいまだに廃盤とならずに、CDとして発売され続けているらしい。私にとっては、ちょっとした驚きだった。

 数年前から私は、このブログの、「青春の太田裕美」というカテゴリにいくつかの拙い文章をかいているのだが、まったく意外なことに、現在でもアクセスしてくださる人が少なからずいるようだ。その文章を書きながら、太田裕美とは、あこがれをぶつけて熱狂するような種類のアイドルではなく、時代を共有して、自身の青春を投影し、その音楽世界に共感する、そのような存在なのではないかという思いを強くした。その意味で、「太田裕美」とは、ある種の偶像なのであり、記号なのだ。

 そんな理由から、太田裕美の作品に表出されたような、自閉的でちょっと屈折した、けれども「純粋」で心優しい、1970年代特有の青春のあり方を、私は「太田裕美的青春」と呼んでいる。


がんばれ、楽天イーグルス!

2013年10月25日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 353◎

Eagles

Hotel California

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 天気が心配だが、明日からいよいよ日本シリーズだ。楽天イーグルスが日本シリーズを戦うなんて夢のようだ。やはり、地元に球団があるのはいいものだ。以前は私も何度か球場に足を運んだものだが、渡辺直人がトレードされたあたりからちょっと熱が冷めてしまって、球場には行っていない。

 けれど、やはり嬉しいことに変わりはない。パリーグ制覇の時も、日本シリーズ進出決定の試合も、テレビの前でだが大きな声をあげ、応援グッズを使って応援した。渡辺も鉄平も草野も山崎も、かつて球場に行ったころに活躍していた選手はもうほとんどいない。そのことがやや心にひっかかるが、基本的には素直に応援できる。金で選手を集めたジャイアンツは強敵だ。もしかしたら、楽天はボコボコにされるかもしれない。それでも気持ちで負けず戦ってもらいたい。応援グッズを使い、またテレビの前で応援したい。

 なお、ジャイアンツの阿部選手には、震災の時、胸に「JAPAN PRIDE」とプリントされた、アンダー・アーマーのウインドブレーカーを支援してもらった。金満球団、巨人軍は嫌いだが、阿部選手には頑張ってもらいたい。

     ※     ※     ※     ※

 もちろん、楽天イーグルスということで、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』、1976年リリース作品だ。先日購入した「Eagles The Studio Album 1972-1979」のうちの一枚である。ロックの名盤と呼んでさしつかえないだろう。アルバム全体のトーンや、曲の配置にも気が配られ、非常によくできたアルバムだと思う。

 ②New Kid In Town が好きだ。このアルバムで一番好きな曲である。いい曲だ・・・・。⑤Wasted Time(reprise)を聴いて、浜田省吾の『約束の地』の「マイ・ホームタウン」の前のやつを思い出すのは私だけだろうか。

 ①Hotel California はもちろん名曲である。メランコリックな曲想。歌詞構成のみごとさ。十二弦ギターの響き。静かなレゲエのビート。絶妙のタイミングのオブリガード。そしてなんといっても、ドン・フェルダーとジョー・ウォルシュによるツインギター。どれをとっても素晴らしい。ただ一方で、ほかの曲でなぜツインギターがフィーチャーされなかったのかという疑問と不満はある。もう少し、ツインギターを前面に出しても良かったのではないか。また、あまりに素晴らしいサウンドのためか、アルバム全体の中で、この曲だけ浮いているように感じるのは気のせいだろうか。

 しかし、それにしてもである。私のカーステレオのHDDには、この名盤『ホテル・カリフォルニア』の次に、最近の2枚組『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』が入っているのだが、車を運転しながら、いつも後者の方に共感をもってしまうのは一体どういうことだろう。


フリー"ライブ" 再び

2013年10月25日 | 今日の一枚(E-F)

◎今日の一枚 352◎ 

Free 

"LIVE"

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  台風27号もどうやらわが三陸海岸をそれていきそうだ。けれども、海は荒れている。あの大津波以来、松林や家々がなくなってしまったからだろうか、あるいは地盤沈下で海岸線が近くに来たからだろうか、"ゴーッ"という、海の荒れる音が本当によく聞こえる。少し、恐怖すら感じるほどだ。伊豆大島とか、台風の通り道になりそうな地域の人たちは、本当に不安だろう。痛いほど気持ちがわかる気がする。

 現在の家は海から1km以上も離れており、また家の周囲に崖などもなく、その意味では安心だ。子どもの頃に住んでいた家はそうではなかった。小屋のように粗末な家は嵐が来るときしみ、裏にあった高い崖が崩れはしないかという不安がいつもあった。嵐が来るたび、父とともに外にでて、風雨の中を裏の崖の状態を見に行ったものだ。子どもには決して楽しいことではなかったが、男は家族を守らねばならないということを学んだような気がする。父はそれを私に伝えたかったのだろうか。現在でも、私は嵐のときに家のようすを見ようと外に出るが、わが息子たちはついては来ない。

     ※     ※     ※     ※

 ずっと以前に取り上げたことのある、フリーの『ライブ』である。レコードプレーヤーが故障中ということもあり、CDを購入してみた。7曲のボーナストラック付きである。なるほど、オリジナル・トラックの方が確かに洗練された演奏だ。けれど、ボーナストラックの方も粗削りではあるが、なかなか力強い演奏である。ポール・コゾフの"泣きのギター" を堪能できる。ボーナストラックを聴くことで、当時のフリーのライブの臨場感をよりリアルに感じることができるように思う。

 ところで、しばらくぶりにフリーを聴いて感じるのは、アンディー・フレザーのベースの物凄い存在感である。ドライブするような音色でサウンド全体をけん引している。まったく独立したようなフレーズを弾きながら、曲をしっかりと支え、分厚いサウンドを作り上げている。本当にすごいベーシストだ。アンディー・フレザーは最近どうしているのだろうと思いwebを検索してみると、何と今年2013年の10月22日,24日に42年ぶりの来日公演があったらしい。近年は東日本大震災へのチャリティーや、幼児虐待防止キャンペーンなどの社会活動も行っているとのことだ。

 以前の記事でも取り上げたものだが、フリーというバンドについては、渋谷陽一氏の次の文章が核心をついていると思う(渋谷陽一『ロック ベスト・アルバム・セレクション』:新潮文庫)

フリーのサウンドの最大の特徴はやはり重く落ち込み、そして決してネバつかないあの独特のリズムといえるだろう。ローリングストーンズが黒人音楽やスワンプサウンドを真似て重いネバつく音をつくりあげたとするなら、フリーはブルースから離反していく過程で重いリズムを獲得したといっていいだろう。フリーはあくまでも白人独特の疲労感と痛みを歌うグループなのである


数十年ぶりに聴いてみた

2013年10月20日 | 今日の一枚(A-B)

◎今日の一枚 351◎

Bill Evans

At The Montreux Jazz Festival

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 今日は、HCを務める高校女子バスケットボール部の部員を連れて、Winter Cup 2013 宮城県予選の女子決勝、聖和学園 vs 明成を見学(観戦)してきた。高校総体同様息詰まる接戦、好ゲームで、結局、同点の残り2秒で聖和学園がファールをもらい、フリースローを2本決めて、2点差で明成を下した。ゲームの中には、いくつもの見どころ、ターニングポイントがあったが、特に残り2分の両チームの駆け引き、精神戦は見ごたえがあった。ゲームの展開の中に、人生を重ね合わせてしまうのは、やはり私も年を取ったということであろうか。

     ※     ※     ※     ※     ※

 ビル・エヴァンスの1968年録音盤、『モントレー・ジャズ・フェスティバルのビル・エヴァンス』である。

 ジャズを聴き始めのころ(学生時代だ)、ジャズ入門本に名盤としてよく紹介されていた。レンタルレコードを借りて、テープに録音して何度か聞いたのだが、正直いってどの辺が名盤なのか、その良さがよくわからなかった。というか、全然いいと思わなかった。その後、CDを買って聴いてみたが、やはりよくわからなかった。CDは、その後聴かなくなり、今日、気づいたらジャケットにカビが生えていた(上の方)。それを消そうと消しゴムでこすったら、色が薄くなってしまった。

 今、数十年ぶりに聴いている。以前より、「理解」はできるようになったと思う。決して、毛嫌いするような作品ではないことはよくわかった。とくに、前半の数曲の疾走感は悪くない。けれども、心に響かない。グッとこない。ベースの深さが足りないのだろうか。サウンド全体が妙に薄っぺらく、小手先だけの音楽のように感じてしまう。エディ・ゴメスのベースはややスタンド・プレー気味のように感じるし、ジャック・ディジョネットのドラムも何だかシャカシャカうるさい。全体的にみんな自己顕示欲が強すぎるんじゃないの。恐らく当時は、先鋭的なインタープレイの作品として評価は高かったのであろう。けれども、それを取り去った後の、音楽としての評価はどうなのであろう。そういえば、最近のジャズ本でこのアルバムの紹介を見たことがない。なぜだろう。時代というろ過装置をくぐり抜けられなかったということではないか。

 と、ここまで否定的なことを記してきたが、書きながら聴いていたら、何だか結構乗りが良くて面白い作品のようにも思えてきた。もう少し聴きこんでみる必要があるかもしれない。もしかしたら、この記事を修正する必要があるかもしれない。今、断定的なことを記すのは留保した方がよさそうである。

 結局、私は何をいいたかったのだろう。


" Anniversary" 350

2013年10月17日 | 今日の一枚(S-T)

◎今日の一枚 350◎

Stan Getz

Anniversary

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 このブログの中心になってしまった「今日の一枚」も、やっとというべきだろうか、今回で350枚目である。最初の「今日の一枚」のジョアン・ジルベルト『声とギター』のアップが2006年7月11日(火)だから、もう7年以上経過している。時間がたつのは実に早いものだ。小学6年生だった長男も、もう高校3年生である。1000枚ぐらいは簡単に取り上げられると根拠もなく考え、軽い気持ちではじめてしまったが、生来の怠け癖で何度も中断し、あの大地震と大津波なんかもあったりして、1000枚などは夢のまた夢である。平均すると、ブログのアップはCD、LPの増殖には全然及ばないようなので、自分の所有するアルバム全部を取り上げるのは、一生かかっても無理だということがはっきりとわかった。だからといって、もうやめようとも思わないので、これからもダラダラと更新することになるのだと思う。これからもよろしくお願いします。

     ※     ※     ※     ※     ※

 350枚目の「今日の一枚」は、スタン・ゲッツの晩年の作品、1987年録音の『アニヴァーサリー』である。デンマークはコペンハーゲンの"カフェ・モンマルトル"でのライブ盤である。

 バーソネルは、

 Stan Getz(ta), Kenny baron(p),

 Rufus Reid(b), Victor lewis(ds)

 以前も取り上げたように、癌と戦いながら音楽活動を続けた晩年のゲッツについては、本領は若い頃の流れるようなアドリブ演奏にあるとして、その積極的な評価を留保するのが批評家筋の一般的傾向であろうか。また、例えば村上春樹氏が「その音楽はあまりに多くのことを語ろうとしているように、僕には感じられる。その文体はあまりにフルであり、そのヴォイスはあまりに緊密である」(『意味がなければスウィングはない』)と語るように、「人生の物語」の重さゆえに、日常的に愛好することを忌避するという人も多いようだ。

 しかし、私は聴いてしまうのだ。特に、この"カフェ・モンマルトル" のライブはいい、名盤『ピープル・タイム』などに比べて深刻な雰囲気がない。日常生活の中で、時にはBGMとしても聴いている。いつもながら、流麗で淀みのないゲッツのテナーが堪能できるとともに、その温かく、デリケートな音色に魅了される。気分がいい。ただ、気分がいいといいながら、そこに人生の哀しみのようなものを感じてしまうのは、やはりゲッツの音楽の持つ"深さ" なのだろうか。


文化は海から入ってきた!

2013年10月16日 | 今日の一枚(G-H)

◎今日の一枚 349◎

Honda Takehiro(本田竹曠

This is Honda

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 おとといに続いて日本のジャズを一枚。2006年に急逝した日本人ピアニスト本田竹曠の1972年録音作品『ジス・イズ・ホンダ』である。

 好きなアルバムだ。ペダルの使い方に特徴があるのだろうか。独特の響き方をするピアノだ。①のタイトルを、"You don't know what love is" ではなく、「恋とは何か、君は知らない」としたところに自意識が感じられる。恋の狂おしさがうまく表出された素晴らしい演奏だ。狂おしくはあるが、西洋人にありがちな、神経症的な感じがしない。まさに、「恋とは何か、君は知らない」だ。単なる模倣ではない、日本人による日本のジャズといえるのではないか。日本のジャズを"レベル"ではなく、表現のスタイルとしての"ジャンル"にまで高めている。

 鎌田竜也『JAZZ喫茶マスターの絶対定番200』(静山社文庫:2010)には、本田竹曠のこのアルバムについて次のような文章がある。

日本で本田竹曠ほど黒いブルース感覚を持ち合わせたピアニストはいなかった。一度ピアノに向かえばスロットルは全開し、情念がマグマのように噴き出す。強靭なタッチにピアノは軋み声をあげる寸前だ。たった10本の指から生み出される旋律は聴く者の心を揺さぶるほどに熱く、深い。それは不意にこぼれる一筋の涙に姿を変えるかもしれない。音の美しさが心の奥底にある感情をひとりでに引き出すのだ。

 破格の評価である。筆者の本田竹曠に対する、過剰ともいえる思い入れが爆発したような文章だ。「黒いブルース感覚」・・・・、確かにそれを感じる。日本人の独特な穏やかな叙情性の一方で、確かに「黒さ」や「ブルース」の感覚を感じることができる。

 現在のようには世界の一体化が進んでいない時代、1945年生まれの本田が、「黒さ」や「ブルース」の感覚を身に着けたのは、レコードからだけだったのだろうか。私には、彼が岩手県の宮古市出身であることと無縁ではないように思える。

 まだ陸上交通が不便だった時代、三陸地方では、文化は内陸部より海から入ってきたはずだ。遠洋漁業のマグロ船が文化を伝えたのだ。同じ三陸地方にある、私の住む街と同じだろう。実際、私が幼い頃の記憶を掘り起こしてみても、ノーカットのポルノ写真から、硬貨・紙幣、そして音楽や映画まで、私の住む街にはさまざまな海外の文化・文物が混在していた。海外文化が東京や仙台を経由せず、ダイレクトに流入していたのである。今考えても、地方の港町にしては、随分多くのジャズ喫茶やロック喫茶があったように思う。

 「ケセン語」の研究で知られる岩手県大船渡市の医師、山浦玄嗣さんは、早くからこのことを、「ことば」の視点から指摘している。中央とは明らかに違う系統の言葉や発音が残っているのだ。例えば「フライキ」という言葉。三陸地方では大漁旗のことを「フライキ(福来旗)」と呼んでいるが、これは英語の「フラック」のこと。また、後ろに下がることを「バイキ」ということがあるが(馬などに対してつかう)、これはもちろん英語の「バック」のこと。これらの言葉は、海外から流入した英語と、中央の言語統制とのせめぎあいの中で生まれた言葉であるというのが、山浦さんの考えだ。また、発音についても、例えば、「えぃーさつ」(挨拶)のように、英語の発音と同じ音が、方言訛りのようになって残っている。山浦さんのいう「ケセン語」とは、岩手県大船渡市を中心とする「気仙地方」を具体例として構想されたものであるが、同じような状況は三陸地方一般に敷衍できると思われる。

 いかがだろうか。「本田竹曠の黒いブルース感覚のルーツは、郷里の岩手県宮古市にあった」説。ここに挙げた例だけでは、ちょっと杜撰な論理に見えるかもしれないが、自分では、案外いい線いっているのではないかと、自己満足、いや慢心している。

 


伝説のテナー・マン

2013年10月14日 | 今日の一枚(S-T)

◎今日の一枚 348◎

Kazunori Takeda(武田和命)

Gentle November

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 恥ずかしながら、「武田和命」という人を最近まで知らなかった。ジャズ本で知ったのは半年ほど前のことだ。日本の伝説的テナーマンといわれる人だったのですね。ジャズの「伝説」が好きな私は、これはすぐに聴かねばならないと思ったわけだが、たまたま作品が再発売されていて、すぐに入手できた。これまでなら、なかなか手に入らなかったらしい。

 武田和命は、1960年代に富樫雅彦・山下洋輔らと日本で最初のフリージャズバンドを組み、相倉久人氏をして「60年台初期の日本ジャズシーンでフリー・フォームのジャズを、頭からでなく、からだで最初にこなしたプレイヤーのひとり」と言わしめた男だ。1966年には、エルヴィン・ジョーンズと共演する機会を得、エルヴィンが認めた唯一の日本のジャズマンだったともいう。1967年、本田竹曠(p)、紙上 理(b)、渡辺文男(ds)と武田カルテットを結成してジャズ界の注目を集めるが、1970年代初め、彼は忽然と姿を消し、その後約10年間ジャズシーンに現れることはなかった。彼自身の弁によれば、その頃家庭を持ち、ジャズでは喰えなかったのでキャバレーのバンドやドサ廻りなどで生活をつないでいたのだというが、本当のところは「謎」のようだ。

 1978年に東京のライブハウスでR&Bバンドで演奏しているところを「再発見」され、翌1979年、山下洋輔グループをバックに吹き込んだ初リーダアルバムがこのGentle Novemberである。ベースは国仲勝男、ドラムは森山威男である。武田は40歳だった。

 感激だ。いい作品だと思う。コルトレーンの「バラード」を意識した作品である。私は、コルトレーンの「バラード」というアルバムをあまり好きではないのだが、武田のこの作品には興味深く耳を傾けられる。ひきつけられる、といった方が正確だろうか。何というのだろう。コルトレーンの作品をある意味、「模倣」しているように見えながら、そこには独特の「叙情性」が漂っている。音色や、音の強弱、間の作り方に、欧米人のセンチメンタリズムとは異なる、穏やかな叙情性が漂っている。音が、神経症的でないのだ。もしかしたら、それは日本人にしか表現できないような種類の叙情性かもしれない。

 世界の一体化が現在ほどではなかった時代、この極東の地で、日本人がJazzを演奏する意味を問うことは、想像以上に大きな問題だったに違いない。それは、例えばスタン・ゲッツら白人が、もともと黒人音楽だったjazzを演奏し、その意味を問う苦悩より、ある意味で、深刻で大きな問題だったかもしれない。そう考えると、このGentle November は、日本人でしかできないJazzを表出した、奇跡的な作品のひとつ、といえるかもしれない。

 武田和命は、1989年8月18日、食道ガンのため49歳の若さで帰らぬ人となった。生前、武田はソニー・ロリンズの影響を受けたといっていたらしいが、そうであればなおさら、彼自身が「生活のため」と語った、10年間の沈黙の意味が、今となっては興味深い。


勇気あるご意見

2013年10月12日 | 今日の一枚(M-N)

◎今日の一枚 347◎

Miles Davis

Sorcerer

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 ジャケット写真の女性は、のちにマイルスと結婚することになる女優、シシリー・タイソンである。マイルス・デイヴィスの1967年録音作品、『ソーサラー』だ。ウェイン・ショーター入りの、第2期クインテットの最高傑作とされる作品だ。先日取り上げた『ネフェルティティー』同様、すごくかっこいいサウンドである。決して取っつきやすいサウンドではないが、そのかっこよさに魅了される。非常に明快なサウンドでありながら、全編に漂う独特の浮遊感のようなものが心地いい。これが後の『イン・ア・サイレント・ウェイ』の超現実的な浮遊感覚へとつながっていくのであろうか。

 中山康樹『マイルス・ディヴィス』(講談社現代新書:2000)は、当時のマイルスが、非ジャズ的なものの追究、ジャズ的なものからどこまで遠くに行けるかという探究の中で、ロックに接近していったことを力説しているが、この浮遊感はその過程で生まれたものなのかも知れない。

 ところで、中山氏は前掲書の中で、このアルバムについて、次のように述べている。

マイルスの全アルバム中、どう考えても『ソーサラー』ほど不憫な一枚はない。傑作であるにもかかわらず、録音時期のまったく異なる、しかもボブ・ドローなるヴォーカリストの歌をフィーチャーした演奏が一曲入っており、そのたった一曲のために『ソーサラー』は" 無実の罪 "をきさせられつづけて今日にいたる。しかし、本来『ソーサラー』は『ネフェルティティー』と連作として聴かれるべきものなのであり、そのためにもボブ・ドローの一曲をカットすることが急がれる。

 確かに、他の曲が1967年録音なのに対して、件のボブ・ドロー入りの⑦Nothing Like You だけが1962年録音であり、編集の過程で「謎の追加」がなされたのかもしれない。サウンド的にも何か一つだけ場違いな感じは否めず、特に前の曲⑥Vonetta の持つ異次元的な浮遊感とのかい離は、あまりといえばあまりといいたくなるほど、はなはだしいものがある。

 私には、この「謎の追加」の本当のところを知る術はないが、「オリジナル盤の制作者の意図」にあえて疑義を投げかけ、この曲のカットを主張する中山氏のご意見は勇気のあるものだと思う。

 なお、ジャケット写真の女性、シシリー・タイソンは、当時マイルスと交際中だったようで、その後一旦関係は終わり、マイルスは他の女性と結婚したが、またよりを戻して、1981年に結婚、しかし1988年に離婚している。


五十肩がなおらない

2013年10月11日 | 今日の一枚(A-B)

◎今日の一枚 346◎

The Beatles

Let It Be

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 「五十肩」(?)が治らない。もうかれこれ1年になろうか。 

 それまで通っていたスイミングクラブのジムが大津波で木端微塵に流されて消滅し、しばらく運動不足だったのだが、昨年の夏ぐらいから市の体育館付属のジムに通いだした。しかし、どうもやりすぎたようだ。見知らぬ人と競い合ってしまうのだ。特に、明らかに自分より年上の、「老人」のような人が、自分より負荷の強いトレーニングをやっていたり、速いスピードで、あるいは長い時間走っていると、負けてなるものかと、ついつい無理をしてしまう。左肩の筋肉がぶつっとなって肩に違和感を感じたのはちょうど昨年の今頃からだったろうか。昨年12月ごろからは、肩を動かすと、角度によって激痛を感じるようになってしまった。涙が出るほどの激痛である。病院に行っても、「けんばんえん」といわれ要領を得ない。リハビリといいながら、ただ軽く肩を動かし、様子を見るだけの処置だった。結局、「五十肩だから、一年もすれば治る」と周囲にいわれたことばを信じ、そりまま放置している。「なすがままに・・・・」である。 

     ※     ※     ※     ※ 

 本当にしばらくぶりに聴いた。ザ・ビートルズの1970年リリース作品、『レット・イット・ビー』だ。制作されたのは『アビー・ロード』が最後であるが、リリースされたのはこれがビートルズ最後のアルバムということになる。ビートルズ史的には、4人が仲たがいして、グループに亀裂の入った状態のままライブレコーディンクされたものに、フィル・スペクターが手を加えて完成させたアルバムであり、これについて4人の意見が分かれて、ビートルズ解散の一因となったとされている。アルバムに統一性がなく、あまり高い評価がなされない場合が多いようである。 

 けれども、私は好きである。映画『レット・イット・ビー』は、確かにビートルズの分裂を記録したものであり、その意味からもアルバムに対する否定的な評価も理解できるのだが、私はやはり好きである。①Two Of Us から②Dig a Ponyへの流れは何度聴いてもワクワクするし、その後に続く③Across The Universe も佳曲である。⑥Let It Be は間奏のギターソロが何ともいえず好きだ。B面にいって、⑧I've Got a Feeling は大きなうねりを感じさせる曲だし、ストリングスを用いた⑩The Long and Winding Road はウィングスのブラスバージョンより好きだ。⑨One After 909 と⑪For You Blue をいい曲だと思ったことはないが、⑫Get Back でアルバムが終わるところはゾクゾクするほど素晴らしいと思う。 

 かつてはLPで聴いていたが、今日はThe Beatles BOX のCDで聴いている。サウンド的には今一つ迫力が感じられず、LPを恋しく思うが、とりあえず音量を上げてカバーすれば、それなりに聴ける。 

 つまらないことを書いているうちに2巡目に入ってしまった。また①Two Of Us だ。「You and I Have Memories」というところが、何ともいえずいい。


かっこいい!

2013年10月06日 | 今日の一枚(M-N)

◎今日の一枚 345◎

Miles Davis

Nefertiti

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 しばらく更新をサボっていたが、数日前からまたぼちぼちはじめようかと思い立ち、過去のバックナンバーを一瞥してみたのだが、意外なことにマイルス・デイヴィスが少ない。LPやCDの棚には結構な枚数のマイルスが並んでいるのだけれど・・・・。大学生の頃、アート・ペッパーからジャズに入った私は、どういう経緯だったかマイルスにたどり着き、マイルスの共演者の音楽を聴くことによって、徐々に守備範囲を広げていったのだ。

 そんなことを思って、今日はマイルスと決め、ランダムにCDの棚から選んだのは、この1967年録音作品、『ネフェルティティー』だ。ウェイン・ショーター入りの、第2期クインテットの代表作のひとつであり、アコースティック・マイルスの最後の作品である。

 かっこいいの一言だ。私の持っているCDは妙に音がいい。非常に鮮明な音だ。全体的として、わりとけだるい曲想の中から、突然飛び出してくるような、トランペットやテナーやピアノの明快な音色が気持ちいい。実は、そんなに聴きこんだアルバムではないのだけれど、改めて聴いてみると、どの曲も個性的で好きだ。いまのところ、一番のお気に入りは、⑤Riot 。マイルスのはじけるような明快な音色のトランペットが全面にフィーチャーされた曲である。やや唐突に終わってしまうのも、なかなかセンスがあるじゃないか。夜中に家族が寝静まった後、音量を絞って聴くなんてのもいいんじゃないだろうか。

 1967年の録音であることに、改めて驚く。私はまだ5歳のこどもで、もちろん何もわからなかったのだが、このようなかっこいい演奏を生み出した、1960年代後半の雰囲気と時代精神に思いを巡らせてしまう。

 


いろんなものが壊れる年だ!

2013年10月05日 | 今日の一枚(A-B)

◎今日の一枚 344◎

Stan Getz & Bill Evans

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 今年は、妙にいろいろなものが壊れる年だ。とりわけ、エアコン、レコードプレーヤー、カセットデッキが「失われた三種の神器」ということになろうか。これに寝室用のONKYOのミニコンポを含めて「失われた四種の神器」というべきかもしれない。他にもいくつかあるのだが、最近の家電は、「一定の時間が来ると破損する時限爆弾」が仕込んであるのではないかと疑ってしまうほどだ。部品の在庫保有期間は10年だとかで、修理もままならない場合も多い。 

 エアコンについては、家の新築と同時に取り付けたFUJITU製ものだったのだが、今年で11年目ということになる。とりわけ暑かった今年の夏、まったくこれには困り果てた。メーカーに問い合わせても部品の在庫がすぐには確認できないといわれ、新しいものを購入しようとすると取り付けは1か月待ちとのこと。結局、暑さは扇風機と網戸で何とかしのいだのだが、結構つらかった。機能的には何ひとつ不満はなく、家の一部だと思っていたほどだったので、何か大きな喪失感だ。エアコンはまだ購入していない。昔は、エアコンなどなくても平気だったのに贅沢になったものだとも思うのだが・・・・。 

 レコードプレーヤーについては、前のプレーヤーが破損したあと、新しいものを購入せず、BOSEからもらったベルト式の「粗品」を使っていたので、まあ仕方ないだろう。新しいものを購入するためには数万円はかかるようだ。その数万円を、プレーヤーに充てるか、CDや本に充てるかは考えてみると結構迷う問題だ。妻の反応も怖いところである。ただ、LPでしか持っていない音源もあり、それが聴けないということは、やはり私にとって大きななダメージだ。  

 カセットデッキにはほとほと困っている。ある日突然、電源が入らなくなったのだ。「昔のカセットテープを聴く」というマイブームで使用頻度が増えたのは確かだったのだが、それにしてもあっけなく壊れてしまったものだ。長く使ってきたものだったのでそれなりに愛着もあり、ちょっとがっかりだ。ネットで調べても、もう売られているデッキの種類は限られており、安いものでも数万円の出費を覚悟しなければならない。所有するテープの中には、現在CD化されていないものも多数あり、また私自身の若い頃の演奏の音源などもあるので、やはりそのうち購入したいとは思う。 

     ※     ※     ※     ※ 

 今日の一枚は、1964年録音で1973年にリリースされた『Stan Getz & Bill Evans』である。カセットテープに同じタイトルのものがあったのだが、確かジャケットに日の丸みたいな赤丸がついていたと記憶している。違う作品なのだと思って購入したのだが、ジャケットが違うだけの同じ作品だったのですね。カセットデッキの破損でテープが聴けなかったので、まあいいか、と自分を慰めたりしたわけであるが、よく見れば、このジャケットもなかなかいいではないか。背後の壁に『エラ&ルイ』がさざってあるところがなかなかいい。ほほえましい感じがいいではないか。演奏も、『エラ&ルイ』同様、くつろいだ、歌心のある演奏内容だ。 

 ⑦~⑪にボーナストラックが収められており「お得感」はあるのだが、通して聴いてしまうとやや冗長な感じは否めない。だから、通常は①~⑥だけを聴くようにしている。カセットテープでこのアルバムを聴いていたのは20代の頃だったので、通して聴くのはおそらく30年ぶりぐらいになるかもしれない。 

 こんなにいい内容だっけ、と感激している。①Night and Day は、好きな曲ではないのだが、このアルバムの演奏で聴くと共感できる。お気に入りは、⑤Melinda と⑥Grandfather's Waltz だ。美しいメロディーの芯をきちんと抽出した歌心溢れる演奏と、背後に漂うほのかな静謐感がたまらない。なんだか心がドキドキする。 

 長い年月をへて、良さがわかる。これもJazzを聴くことの楽しみの一つだろう。 

 願わくば、音楽も電化製品も長く付き合いたいものである。