WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

「フランスもの」の時代

2014年07月31日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 370●

大貫妙子

Romantique

 

 5月からwowowに加入した。大貫妙子の40周年ライブを視聴するためである。なかなか良いライブだった。興味深いライブでもあった。それにしても、1953年生まれの大貫妙子はもう60歳をこえているのだ。声の艶やのびやかさ、透明感は、例えば懐メロ番組に登場する同年代の歌手たちに比べて、ぬきんでて素晴らしい。歌の解釈や表現力もより深いものを獲得しているようにみえる。この声を維持するために、日々の生活を節制し、トレーニングに励んでいるであろうことは想像に難くない。

 しかし・・・・。それでも正直いって、聴くのが、そして視るのがつらかった。決して悪いライブではなかったが、ある種の「老い」がつらかったのである。彼女の「円熟」を認めながらも、無意識に若い頃の、溌剌とした大貫妙子を探し求めてしまう。そういったイメージが先入観として頭にインプットされてしまっているのだろう。

 このライブがきっかけで、初期の大貫妙子のCDを数枚買ってみた。いずれも、80年代に録音したカセットテープでずっと聴いてきた作品だ。大貫妙子を熱心に聴いたのは、1992年の『Drawing』あたりまでだったろうか。その後も数枚買ったが、聴きこんではいない。80年代後半から90年代の大貫妙子ももちろん悪くはないが、やはり、若い頃に聴いた、70年代末から80年代前半の、「フランスもの」といわれるヨーロピアン・サウンド時代の作品には特別の想いがある。後年の作品に比べれば、荒削りで、まだ十分にソフィスティケートされてはいないが、新しいものを、これまでの日本のポップスにないものをつくりあげようという、清新な気風に満ちている。

 1980年作品の『Romantique』は、初期の、「フランスもの」の時代の代表作だ。今日的視点からみても、日本のポップスの傑作/名盤といってもいいのではないか。かたくなだが、誠実で純粋なひとりの女性の姿が表出されている気がする。佳曲ぞろいのアルバムであるが、「若き日の望楼」には特別の感慨をもつ。貧しいけれど、自分の道を探し求め、夢を語り合う若者たちの姿、それを追憶する歌詞には共感を禁じ得ない。

見えぬ時代の壁  かえりこない青春

というころが何ともいえず、感慨深い。

 なお、wikipediaには、この『Romantique』についての、妙に詳細な解説が掲載されている。不思議だ。

 

 


知らぬ間に大物になっているミュージシャン

2014年07月28日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 369●

Joe Henderson

The State Of The Tennor

    Live At The Village Vanguard vol.1

 以前探していたアルバムを手に入れた。1985年録音の『ヴィレッジ・ヴァンガードのジョー・ヘンダーソン』である。ほぼリアルタイムで聴いた『ダブル・レインボー』(1994年録音)でジョーヘンに興味をもち、ジャズ本か何かで代表作として紹介されていたこのアルバムを探していたのだが、CDとしてはまだ発売されていなかったのだ。その後数年間、思い出すたびに調べてみたりしたのだがやはり発売されておらず、そのうち忘れてしまっていた。十数年ぶりに思いだし、たまたま発売されていたCDを購入したのはほんの数日前のことだ。

 いいなあ・・・。音色がいい。深みのある音だ。深みはあるけれど暗くない音。何かを探究するような求道的なフレーズだが、変に深刻ではない。何より、知的で汗臭くないのがいい。それにしても、ロン・カーターという人は、こういう不思議な感じのベースも弾けるのですね。

 ところで、後藤雅洋氏は『新ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)の中で、

知らぬ間に大物になっているミュージシャンというのがいる

とジョー・ヘンダーソンの紹介を書きおこし、現在のジョーヘンを「大物」のひとりと認めながらも、

僕らのように1960年代からジャズを聴いている者にとって、ジョーヘンは、言っちゃ悪いがその他大勢のひとりであった

と記している。確かに、またまた手元にある本だが、1986年に出版された油井正一『ジャズ・ベスト・レコード・コレクション』(新潮文庫)で紹介された597作品の中に、ジョーヘンのリーダー作は一枚も取り上げられていない。また、これまたたまたま手元にある、1993年出版の寺島靖国『辛口!JAZZ名盤1001』(講談社+α文庫)で紹介された1001作品に中にもジョーヘンのリーダー作は一枚もない。さらに、1983年刊の『ジャズの事典』(冬樹社)も手元にあるのだが、ここでもジョーヘンはまったく取り上げられていない。

 


トニー・ベネット

2014年07月27日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 368●

Tony Bennett & Bill Evans

The Tony Bennett Bill Evans Album

 

 先日、wowowでトニー・ベネットのドキュメンタリーをみた。途中からの視聴だったが、トニー・ベネットが自らの音楽に対する思いや、人生観を語る部分などもあり、なかなか興味深いものだった。

 wikipediaは、トニー・ベネットを「アメリカ合衆国において最高の男性ボーカリスト、エンターテイナーと称される存在」と記し、フランク・シナトラが「おれの考えでは、トニー・ベネットは音楽業界最高の歌手だ」と語ったことを紹介している。音楽活動への意欲は高齢になっても衰えず、近年は大御所から若手まで様々なジャンルの歌手とのデュエットアルバムを立て続けに発表し、2011年には85歳にしてBillboard200で自身初の初登場1位の記録を樹立したという。歌を歌い続けるために、喉を酷使しないように発声や生活習慣に常々配慮し、第一線で歌えるだけの性質を維持しているのだという。

 1975年録音の『ザ・トニー・ベネット・ビル・エヴァンス・アルバム』を取り出してみた。私のもっているトニー・ベネットは、現在のところこの一枚のみである。随分前に購入したのだが、数度聴いたきりで放置されていたCDだった。きっと、若い頃のわたしにはしっくりこなかったのだろう。wowowのドキュメンタリー番組がきっかけでもう一度聴いてみると、そこには素晴らしい歌たちが詰まっていた。ビル・エヴァンスのピアノもさることながら、トニー・ベネットののびやかな声が印象的である。声量のコントロールやスウィングの感覚もいい。どうしてもっと早く気づかなかったのだろうと悔やむばかりである。

 それなりに膨れ上がってしまったLPやCDの中にはあまり聴かずに放置してしまったものも結構あると思う。年齢を重ね、新たな耳で聴きなおすべき作品もまだまだあるに違いない。ジャズを聴くことの楽しみのひとつである。

 「人生は贈りものだ」・・・・。そう語ったトニー・ベネットの言葉は、彼が成功者であり大きな富を手にした人間であるということを差し引いても、含蓄のあるものではなかろうか。

 

 

 


自然な心で、フランク・シナトラ

2014年07月26日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 367●

Frank Sinatra

Sinatra  ~Best of the Best~

 

 NHKテレビの『日本人は何をめざしてきたのか』のシリーズがなかなかいい。こういう放送を見せられると、やはり受信料は払わなくっちゃと思ってしまう。姉妹編だった『日本人は何を考えてきたのか』の明治編や昭和編もよかったが、先日の「鶴見俊輔と思想の科学」や「丸山真男と政治学者たち」にはチャンネルにくぎ付けにされてしまった。敗戦後という状況の中で、彼らがどのように苦闘し、何を目指そうとしたのかがよくわかった。もう一度、鶴見や丸山を読みなおしてみようと思った。思えば、彼らをちゃんと読んでこなかったような気がする。1980年代のポストモダニズムの文脈の中で、戦後民主主義の理性中心主義の象徴として、いわば「否定されるべきもの」「のりこえられるべきもの」として読んできたように思うのだ。

 ところで、フランク・シナトラ、である。NHKの番組を見て以来、私の頭の中で、なぜだか、鶴見俊輔や丸山真男とシナトラがリンクしてしまった。ひと世代前の、「否定されるべきもの」として読み、聴いてきたものとしての共通性だろうか。フランク・シナトラについては、長い間、古いタイプの、「保守的なエスタブリッシュメントの権化」という強固なイメージを持っていたが、『革新者としてのフランク・シナトラ」(2006.12.3)という記事を書いて以来、固定観念が消えて自然な気持ちでシナトラを聴くことができるようになった。まったく不思議なことだ。拙い文章ではあるが、書くことによって自分が整理され、気負いなく対象に向き合うことができるようになったということだろうか。今ではヒット曲の「マイウェイ」も、なかなかいい曲だと素直に感じることもできる。先日購入したこのベスト盤『SINATRA Best of the Best』はシナトラの代表曲が適切にチョイスされており、なかなか重宝している。家族が寝静まった後にひとり酒を飲みながら、食卓のBOSEで聴くシナトラは至福の時間である。

 戦後民主主義の巨人、鶴見俊輔や丸山真男についても、そういう感じで向き合いたい。さて、今日のNHK『日本人は何をめざしてきたか』は、「司馬遼太郎」である。結構、楽しみだ。

 

 

 

 

 


太陽の国に生まれた、愛しきメロディーたち

2014年07月22日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 366●

Charlie Haden

    with Gonzalo Rubalcaba

Land of The Sun

 チャーリー・ヘイデンの2003年録音盤『ランド・オブ・ザ・サン』。メキシコ音楽集だ。ピアノは全編ゴンザロ・ルバルカバである。あの名演『ノクターン』の続編のような位置づけたったので、大きな期待を寄せて、発売されてすぐに購入した記憶がある。しかし、そのあまりに明快・明朗なトーンに圧倒されて、途中で聴くのをやめてしまい、今日までCD棚に放置されていた。自分の嗜好とあまりにかけ離れているように感じたのである。

 チャーリー・ヘイデンが亡くなってしまったのを機にもう一度聴いてみようと思い立ち、今日、10年以上の歳月をへてCDをトレイにのせてみた。なるほど、と思った。明快で明朗な中にもノルタルジックで狂おしい旋律がちりばめられ、これがチャーリー・ヘイデンがめざした音楽ではなかったのかと思った。CD帯の「太陽の国に生まれた、愛しきメロディーたち」との表現はまことに的を得たものであると思う。

 ライナーノーツの黒田恭一氏は、

本当に大切なことは、難解さなどとは無縁の、平易な言葉で語られる。音楽だって同じことで、真の奥の深い音楽は、これみよがしな尖った音の世話になどならずとも、普通の音で、柔らかい口調で奏でられる。まさにそのようなことが可能なところに、チャーリー・ヘイデンの真骨頂がある。

と記している。私自身への戒めともとれる言葉である。

 不思議なことだ。この明快・明朗なサウンドで奏でられる哀愁の旋律が、チャーリー・ヘイデンその人へのレクイエムのように聞こえてしまう。それは、彼の死に接して日が浅いからなのだろうか。やはり、自分の嗜好とはちよっと違うなと考えながらも、私は今、冷たいビールを飲みながら、チャーリー・ヘイデンを想い、このアルバムを聴いている。

 


ミズーリの空高く

2014年07月21日 | 今日の一枚(C-D)

今日の一枚 365●

Charlie Haden & Pat Metheny

beyond the Missouri Sky

 前の記事が1月10日だったから、およそ半年ぶりの更新となる。この間、長男が大学に進学して一人暮らしをはじめ、妻は離島に転勤となって毎朝早くに出勤するようになり、「激変」とまではいなかいけれど、生活のパターンはかなり変わった。社会に目を移せば、立憲主義を骨抜きにするような仕方で、「集団的自衛権」という名の戦闘行為への「加勢」が合法化されてしまおうとしている。私はといえば相変わらずなのだが、幾人かの知人が亡くなったこともあって、こうやって自分をとりまく世界は変わりゆくのかなどという妙な感慨にふけっている。

 数日前に訃報に触れた。チャーリー・ヘイデンが亡くなったというのだ。少なからずショックだった。有名な人もそうでない人も含めて、自分にとっての「先人」のような人、自分に影響を与え、ちょっと大げさにいえばどこかで心の支えになっているような人を失うのは、何だか自分が無防備になっていくような気がするものだ。

   ※     ※     ※     ※

 チャーリー・ヘイデンとパット・メセニーの『ミズーリの空高く』、1996年に録音された作品である。もう18年も前の作品になるのですね。私はまだ34歳だったわけだ。時間の流れは速い。自分自身の進歩のなさに、18年間何をやってきたのか自問してしまう。当時、文字どうり擦り切れるほど聴いたアルバムだが、意外なことに、聴いたのは数年ぶりだった。感動を新たにした。批評的な言説など無化してしまうような、心にしみるサウンドだ。身体の生理的なリズムに合致するような、ゆっくりとしたタイム感覚がたまらない。音楽が、深いところまで到達してかたくなな心を武装解除し、自分の弱さを見せつけられるようだ。脱力して呆然と立ち尽くし、涙があふれてくる、そんな作品である。

 パット・メセニーの印象的なギターに耳を奪われがちだが、よく聴くと、当然のことながら、チャーリー・ヘイデンのベースが非常に重要な役割を果たしていることに改めて驚かせられる。優しく柔らかな低音でしっかりとサウンドを支えると同時に、このベースはサウンドの雰囲気を決定するような、歌心溢れる良質な「鼻歌」になっている。実際、パット・メセニーが「チャーリーにこのアルバムづくりに誘われたのは光栄だったよ」というように、この作品の制作はチャーリー・ヘイデンから持ちかけたものであり、録音・制作もチャーリー・ヘイデン主導で行われたようだ。その意味では、パット・メセニーの存在感はもちろん否定すべくもないが、その構想はチャーリー・ヘイデンその人のものなのであろう。

 すごくヒットしたアルバムなのでちょっと気恥ずかしいが、私にとっては墓場までもっていきたいもののひとつだ。

 日中戦争が勃発した1937年に生まれ、ジャズミュージックに偉大な足跡を残したチャーリー・ヘイデンは、2014年7月11日に亡くなった。76歳だった。