1977年作品「九月の雨」。誰が弾いているのかわからないが、ベースラインが印象的な曲である。ヒット曲である。けれど、どうしても好きになれなかった曲である。ジャケットはなかなか可愛いが、いかにも歌謡曲然とした曲調がいけない。出だしからいかにもシリアスなという感じのピアノだ。あまりに生真面目すぎはしないか。大人への脱皮をはかろうとしたのであろうが、ちょっと無理をしすぎではなかろうか。声も荒れてしまっているではないか。こんなに無理をさせて、得るものとは一体なんだったのだろうか。
二股の歌である。あるいは男の浮気の歌である。太田裕美がかわいそうではないか。ユーモアに溢れ、アンニュイで、コケティッシュで、ノスタルジックな太田裕美の持ち味を損なっている。繰り返し聴けば、決して悪いメロディーではないが、やはり失敗作である。ヒット作品ではあるが、失敗作であると断じたい。しなやかさを欠いた生真面目さは、硬直的なのだ。太田裕美はこの曲によって大人の女性のイメージに脱皮できたであろうか。否、である。女の生臭さを表出してしまっただけである。聴衆が、太田裕美という「物語」に求めていたものは、そういった姿ではなかったはずだ。
しかし、そうはいっても、この曲がヒットしたことは事実である。この曲がヒットした社会的背景を分析しなくてはなるまい。若干の用意はあるのだが、他日を期したい。
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車のワイパー透かして見てた
都会にうず巻くイリュミネーション
くちびる噛みしめタクシーの中で
あなたの住所をポツリと告げた
September rain rain 九月の雨は冷たくて
September rain rain 想い出にさえしみている
愛はこんなに辛いものなら 私ひとりで生きて行けない
September rain 九月の雨は冷たくて
ガラスを飛び去る公園通り
あなたとすわった 椅子も濡れてる
さっきの電話であなたの肩の
近くで笑った女(ひと)は誰なの
September rain rain 九月の雨の静けさが
September rain rain 髪のしずくをふるわせる
愛がこんなに悲しいのなら あなたの腕にたどりつけない
September rain 九月の雨の静けさが
季節に褪せない心があれば 人ってどんなにしあわせかしら
ライトに浮かんで流れる傘に
あの日の二人が見える気もした
September rain rain 九月の雨は優しくて
September rain rain 涙も洗い流すのね
愛が昨日を消して行くなら 私明日に歩いてくだけ
September rain 九月の雨は冷たくて
September rain 九月の雨は優しくて