WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

神棚完成2015

2014年12月30日 | 写真

 今年も何とか神棚が完成しました。例年、12月31日の午前中に設営する習慣でしたが、早く片付けてしまってマイブームの風呂屋に行こうかなどとたくらみ、一日はやい今日30日の午前中にやっちゃいました。妻は怪しがっていますが・・・・。去年に引き続き、次男が手伝ってくれて大助かりです。ここにアップしておくことで、来年の参考になります。

 今年は、餅を中央にひとつにしてみました。星の玉(手前のカラフルな絵)は、昨年に引き続いて手書きのものです。手書きは味があっていいです。エビ(奥のしめ縄のようなもの)は3房のものです。新築当時は気を張って7房にしていたのですが、結構高いものなので次第に5房となり、一昨年ごろから見栄を張らずに3房にしています。


ジャケットがかっこいい!

2014年12月30日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 400●

Miles Davis

Bags Groove

 朝起きて、何か聴こうかなとCDの棚を物色していてたまたま目についた。それにしてもかっこいいジャケットである。文字だけで構成されたジャケットだが、ポップでお洒落だ。文字というものが意味情報の伝達だけでなく、絵画的なデザインの役割も果たしている格好の例だろう。1954年録音の、マイルス・ディヴィス『バグス・グルーヴ』である。

 しばらくぶりに聴いたが、内容の方も全編が良質なかっこよさに満ちいてる。ホレス・シルヴァーがピアノを担当する③以降はいつもながらの普通に素晴らしいマイルス。非常にブルージーな演奏である。セロニアス・モンクがピアノを務める①及び②のBags Grooveの2つのテイクは、モンクとマイルスの掛け合いが手に取るように伝わってくる、臨場感あふれる演奏だ。この時の演奏で、マイルスがモンクに対して自分がソロを吹いているときは伴奏をつけないよう指示したことから、「ケンカ・セッション」といわれているようだ。確かに、モンクのピアノはマイルスを挑発しているようにも聞こえる個性的なものだ。特に、②の方は強烈である。アーマッド・ジャマルの影響を受けて新しいサウンドの方向性をめざしていたマイルスにとって、モンクの個性はあまりにアクが強く、大き過ぎたということなのであろう。

 1954年のクリスマスイヴにマイルスが行ったレコーディングは、この『バグス・グルーヴ』と『マイルス・ディヴィス・アンド・モダンジャズ・ジャイアンツ』の2枚に分散収録されているが、モンクとの共演は『モダンジャズ・ジャイアンツ』に6曲、『バグス・グルーヴ』に2曲が収められている。『モダンジャズ・ジャイアンツ』の「ザ・マン・アイ・ラブ」収録中にモンクがソロパートを弾くのを途中でやめてしまったことや、このレコーディングの後、モンクとマイルスは再び共演することがなかったことから、因縁のセッションというジャズの「伝説」が生まれたようだ。

 

 


ニール・ヤング

2014年12月29日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 399●

Neil Young

Harvest

 

 ニール・ヤングを同時代に聴いたことはない。このニール・ヤングの古い代表作の『ハーベスト』は1972年作品だ。私は10歳だったことになる。もちろん、ニール・ヤングなんて知らなかった。私がニール・ヤングを聴きはじめたのはもっとずっと後のことだ。恐らくは、1980年代だと思う。そして年齢を重ねるにつれて、古い二ール・ヤングをますます好きになっていった。40代になってからは加速度的にその傾向が強まっていったように思う。不思議なことだ。ニール・ヤングの作品をそんなにたくさん持っているわけではない。代表作といわれるいくつかのアルバムが中心だ。50歳を過ぎた今、シンパシーを感じ、聴き続ける価値があると考えるロックミュージックはそんなに多くはない。けれども、ニール・ヤングの音楽は確実にその中のひとつだ。聴き続ける価値があると考える稀有なアーティストのひとりだ。

 大学生の頃だったろうか。それまでロック・フリークだった私は急速にロック・ミュージックへの興味を失っていった。ジャズに出合ってしまった私自身の問題も大きいと思うが、時代性、すなわちロック・ミュージック自体の質の変化の問題も大きかったのだと思う。そんな私にとって、ニール・ヤングとの出会いと、その後の興味の深まりは例外的なことだ。

 何というか、癒されるのだ。癒されて、心が落ち着く。そう、ずっと以前に書いたのだけれど、暖かい毛布で包み込まれたような心地よい感覚だ。同時代に聴いていたわけでもなく、それにまつわる特別の想い出があるわけでもないが、昔どこかで見た懐かしい風景のような、どこかで聴いた懐かしいメロディーのような、そんな思いが心に満ちてくるのだ。

 私は、時代から孤立して古いニール・ヤングを聴く。

 

 


いいゲームだった

2014年12月29日 | 今日の一枚(Q-R)

●今日の一枚 398●

Ray Bryant

Ray Bryant Trio (Prestige7098)

 Winter Cup 2014をJ-sportsで見た。高校バスケットボールである。福岡大大濠(福岡)と明成(宮城)の決勝戦は、接戦で最後までどうなるかわからない、ある意味では偶然が作用したとも考えられる、僅差のいいゲームだった。中盤に終始劣勢に立たされながら、集中力を切らさなかった明成を褒めるべきだろう。けれども、本当に感動したゲームは、その前に行われた3位決定戦であった。市立船橋(千葉)と桜丘(愛知)のゲームである。卓越した能力の長身外国人留学生を中心に、優れたアウトサイドシューターをそろえた桜丘に対して、伝統校の市立船橋がどう戦いを挑むのかというところが見どころである。ゲームは第1~第3ピリオドまでは、基本的に桜丘の優勢であった。桜丘の得点シーンに比べて、市船のそれは多くの困難を強いられているように見えた。けれども、市船は過剰とも思えるようなアウトサイトシュートと長身留学生への執拗なディフェンスによって、何とかくらいついてゆく。第4ピリオドに入って疲れが見え、やや混乱したようにみえた桜丘に対して、市船がついに追いつき逆転するという展開になった。感動的だったのは市立船橋が見せたリバウンドへの執念である。特に、203cmの外国人留学生に対して、市船の185cmの⑦の選手が身体を張り、全身全霊で対抗していった姿は「魂」を感じさせるほどであった。市船には何の関係もない私であるが、熱いものがこみ上げ応援している自分を発見した。恐らくは、試合会場の観客の多くも、私と同じ気持ちだったに違いない。そういう観客席も味方につけ、市船の勝利があったのかもしれない。優勝した明成と僅か2点差のゲームを展開した福岡大大濠を相手に、準決勝で終了間際まで大接戦を演じたことを考えると、市立船橋にも展開によっては十分に優勝するチャンスがあったと考えるべきだろう。もちろん、試合結果というものは厳しいものであり、そのために日々練習に励んでいるのであろう。しかし、バスケットボールは、一本のシュートやリバウンドのある種の「偶然性」が接戦の勝敗を分けることのある競技である。その意味でも私は、市立船橋の選手たちにこころからの拍手を送りたい。

 今日の1枚は、レイ・ブライアントの1957年録音作品の『レイ・ブライアント・トリオ』である。アルバムタイトルは、通常、『レイ・ブライアント・トリオ』とされるが、「レイ・ブライアント・トリオ」は、アルバムタイトルなのか演奏者なのか迷ったりする。「Prestige 7098」というレコード番号がやたら大きく記されており、これがタイトルなのではと思ってしまうからだ。しかしまあ、アルバムの裏に大きく「RAY BRYANT TRIO」と記されているところをみると、やはり『レイ・ブライアント・トリオ』がアルバムタイトルでいいのかなとも思う。

 私は嫌いではない。いや好きだ。かなり好きかもしれない。ただ、一時期あまりに聴きすぎたせいか、ちょっと飽きちゃった感じもある。哀感漂う、日本人好みのアルバムであるといわれる。基本的にはその通りなのだと思う。しかしそれだけだろうか。何か一本、芯のようなものが通っているところがすごいのだと思う。音の輪郭は決して明快であるとは思わないが、演奏のコンセプトがしっかりとしているのではないか。それは、潔さや決断力といいかえることができるかもしれない。このアルバムについては、次の後藤雅洋氏の文章が的をついていると何となく思う。

マイナー名曲満載のブライアント代表作だが、同じ曲を他の人がやってもゼッタイこのしっとりした雰囲気は出てこない。心地よく歩みを進めるピアノのタッチが思いのほか重量級なのだ
(後藤雅洋『一生モノのジャズ名盤500』小学館101新書)


ローマの想い出

2014年12月26日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 397●

Trio Montmartre

Casa Dolce Casa

 希望が見えてきた。先日の記事に記したHDDからの想い出の救出の件である。HDDを初期化した方が良いのではないかと思い立ち、内蔵HDDのご機嫌が良い状態を見計らって外付けHDDに重要データのみを避難させ、思い切って内蔵HDDの完全初期化を実行してみた。・・・・ところがである。HDDは軽くなったものの、何度試みても「録画できません」のメッセージがでてくる。ガーン!しまった。勇み足だった。内蔵HDDは完全に壊れていたのだ。外付けHDDに避難させたデータを戻すことは無理のようだ。想い出救出の見通しは暗礁に乗り上げてしまった。目の前が真っ暗な気分だ。最終手段は、外付けHDDの再生状態で他の機器にアナログコピーできるかどうかかと考えていた。ところがである。職場の電気電子を専門とする同僚に聴いたところ、内蔵HDDの交換によって復旧する可能性があるという。もちろん、自己責任でである。webで検索すると、私と同じ機種で、同じような困難を抱え、内蔵HDD交換によって復旧に成功したレポートがいくつもあるではないか。しかも意外と簡単そうだ。ここまできたらチャレンジしかない。早速、Western Digital社の内蔵HDD(1TB)を注文した次第である。

 ニルス・ランドーキー率いるトリオ・モンマルトルのセカンドアルバム、2001年録音作品の『ローマの想い出』である。耽美的な演奏である。ある種の耽美主義というものは、自意識過剰で、聴き手からするとちょっと恥ずかしいものもあったりする。しかも写真で見るニルス・ランドーキーは貴公子然としたすがすがしい感じのイケメンで、「ヨーロッパを旅するピアニスト」などと形容されているのだ。キザな奴だ。ふざけんな、冗談じゃないぜ、といいたいところである。ところが、どうも彼の演奏が嫌いになれない。悔しいが、いい演奏だと思う。狂おしい感じの①「素敵なあなた」もいいが、私は③「テスタテ」が好きだ。もごもごとこもるようなベースにはちょっと抵抗があるのだが、これが結果的にいい味をだしているのかもしれない。ニルスの明快なピアノの輪郭をより際立たせているからだ。超耽美的に始まった演奏が、アルバムの中盤から後半に進むにつれてしだいにダイナミックになっていくのがまた面白い。

 HDDから救出したいビデオの中には、幼い頃のものや、小中高の学芸会や文化祭、運動会やピアノの発表会、また部活動の試合を録画した映像が多数含まれている。この記事を読んでいただいている皆様方には、重要な映像は、めんどくさがらず、光学ディスクほか、「有事」に損なわれる可能性の少ないメディアにバックアップしておくことを強くお勧めする。


逝ってしまったあんたには

2014年12月25日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 396●

Cannonball Adderley

In Chicago

 彼が亡くなったことを知ったのは、その死から5年も経過してからだった。私より3つ年下の彼とは、職場で一緒になり、同じ傾向の音楽を好み、同じような文化観を持っていたことから意気投合した。我々はまだ独身で、毎日のように飲み歩き、田舎の夜の街を駆け巡った。今よりずっと若い頃、そう、バブルの頃の話だ。一緒に酒を飲み、音楽を聴き、スキーに行き、そして議論した。もしかしたら我々は、周囲の人たちからは「セット」として認識されていたかもしれない。そのうち、お互いに異動し、彼は仙台に、私は現在の街に住むようになった。時折、何かの会合で私が仙台に行けば、酒を飲み、近況を語り、意見を交換した。お互いに仕事が忙しくなり、さらに家庭を持つようになると会う機会はめっきり減ってしまった。年賀状を出し合うような「硬い」関係ではなかったし、またそういったガラでもなかったが、元気でやっているに違いないと思っていた。そう信じて疑わなかった。

 去年のことだ。その頃一緒だった他の友人と飲んだ際、「あいつ残念だったよな」といわれ、彼の死を知った。主任だった職場のセクションの飲み会の後、家に帰って床につき、朝冷たくなっているところを発見されたのだという。

 何を語ればいいのだろう。彼の死について考えると頭が混乱する。自分の中から何かが抜け落ちてしまったようだ。同じ時代を生き、多くの同じ時間を過ごした。年下の彼から本当に多くのことを教えられ、そして考えさせられた。そういう存在だった。

 キャノンボール・アダレイの1959年録音作品、『イン・シカゴ』。コルトレーンを含む、マイルス・ディヴィス・セクステットのメンバーとともに繰り広げたセッションである。パーソネルは、Cannonball Adderley(as)、John coltrane(ts)、Wynton Kelly(p)、Paul Chambers(b)、Jimmy Cobb(ds)である。ジャズらしいジャズだ。正統的ジャズである。①「ライムハウス・ブルース」、④「グランド・セントラル」の疾走感や、②「アラバマに星落ちて」、⑤「ユーアー・ア・ウィーヴァー・オブ・ドリームス」の歌心に魅了される。キャノンボールのアルトはマイルス・グループの時とは違って、自由奔放だ。コルトレーンの即興も素晴らしい。ジャズ史を彩る、あの革命的な1959年の録音作品の中にあっても、光を放つ一枚だろう。 

 ドラムスのジミー・コブ。もう20年以上も前のことだが生の演奏を見たことがある。岩手・一関のジャズ喫茶「ベイシー」でのライブだった。ナット・アダレイのグループでの演奏だったが、理知的でドラムスの求道者然とした風貌にすっかり魅了された。一緒に行ったのは彼だった。彼は「かっちょいい」と語り、私もまったく同感だと思った。

 ジミー・コブの演奏を聴くと彼を思い出す。彼の死を知る前からずっとそうだった。


想い出の救出

2014年12月25日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 395●

Benny Golson with Wynton Kelly Trio

Turning Point

 DVDレコーダーのHDDがピンチである。調子いい時と悪い時があり、悪い時は再生できない。だんだん再生できない時が増えてきており、もう壊れるのは時間の問題のようだ。もうかなりの年数使っているものだからある意味仕方がないが、問題はその中に保存されている子供たちの幼い頃のビデオだ。想い出を救出すべく、機械が調子の良い時に少しずつDVDにコピーを続けてきたが、それももう限界のようだ。コピー不可能な時もでてきた。いつクラッシュしても不思議ではない状況のようだ。一応、USB-HDDにはコピーしたが、DVDレコーダー本体が壊れてしまえばもう再生はできない。USB-HDDからは直接DVDにコピーできない機器であり、そのUSB-HDD自体も他の機器では再生不可能のようだ。業者に依頼すれば数十万の費用を要するらしく、まったく困りはてている。とりあえずは、機械のご機嫌をうかがいながらDVDへのコピーを続けるしかあるまい。

 ベニー・ゴルソンの1962年録音作品、『ターニング・ポイント』である。バックを務めるのは、Wynton Kelly(p)、Paul Chambers(b)、Jimmy Cobb(ds) のトリオだ。"ゴルソン・ハーモニー"と呼ばれる特徴のある編曲で知られるベニー・ゴルソンだが、これは初のワンホーン・アルバムである。得意のハーモニーを封印して、サックスホーン奏者として直球勝負といったところだろうか。ロングブレスを生かしたのびやかなブローが気持ちいい。感情の起伏が少ない、ある意味理知的な演奏は、どちらかというとバラード演奏にその良さが出ているように思う。ウイントン・ケリーのコロコロとしたピアノものびやかなサックスのアクセントとなって面白い。いい作品だと思う。

 Jimmy Cobb・・・・。思い出深いドラマーだ。

 いい音楽聴き、こころ穏やかに過ごそうと思いつつも、私の頭の中はいつクラッシュするともしれないDVDレコーダからどのように想い出を救出するかでいっぱいである。


Mercy, Mercy, Mercy

2014年12月21日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 394●

Cannonball Adderley

Mercy, Mercy, Mercy

 こういうのは、純粋に、単純に、好きだ。キャノンボール・アダレイの1966年録音盤、『マーシー、マーシー、マーシー』である。キャノンボールがジョー・ザヴィヌルと組んだ大ヒット盤だ。ヒットチャートで、アルバムは13位、同名のシングル曲は11位まで駆け上ったということだ。ロック全盛の時代であることを考えれば、とんでもないヒットだということになろう。アルバムジャケットには、"Live at The Club"と書かれており聴衆の歓喜の声もきこえるが、どうもスタジオライブのようである。

どの曲もファンキーでノリがよく、心も身体もウキウキ、ワクワクであるが、ジョー・ザヴィヌル作曲のタイトル曲、③Mercy, Mercy, Mercy のインパクトの強さとアレンジの妙は格別である。CDであることをいいことに、つい何度も繰り返してしまう。思わず、顔が微笑み、手足を動かして踊りだしてしまいそうになる。

 キャノンボール・アダレイを思うとき、いつも村上春樹の印象的な文章を思い出してしまう。ずっと以前のCannonball 's Bossa Nova についての記事にも書き込んだのだが、もう一度記しておきたい。

 キャノンボールという人は、最後にいたるまで、真にデーモニッシュな音楽を創り出すことはなかった。彼は自然児として地上に生まれ、そして自然児として生き抜いて、おおらかなままで消えていった。推敲や省察は、裏切りや解体や韜晦(とうかい)や眠れぬ夜は、この人の音楽の得意とするところではなかった。
 しかし、、おそらくそれ故に、そのアポロン的に広大な哀しみは、ときとして、ほかの誰にもまねできないようなとくべつなやり方で、予期もせぬ場所で、我々の心を打つことになる。優しく赦し、そして静かに打つ。
 (和田誠・村上春樹『ポートレート・イン・ジャズ』新潮文庫)


ホリー・コールの「トム・ウェイツ」

2014年12月20日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 393●

Holly Cole Trio

Temptation

 ボイラーの点検のため遠方から業者が来た。大きな異常はないということだが、一応微調整していった。年に一回の点検を1万円で契約している。軽度の故障なら無料で部品の取り替え・修理をすることになっている。高いか安いかはちょっと判断できない。深夜電力でボイラーのお湯を沸かし、温水パネルヒーターで家中を暖房し、熱交換機で新鮮な水をお湯に変えるシステム。我が家は確かに暖かく、便利である。しかし、時々思うのだ。もっとシンプルなものでよかったのではないかと・・・。退職して年金暮らしになってもこのような生活を維持できるだろうか。システムが複雑で高度になればメンテナンスや修理に費用がかかる。そのうち時代遅れになって、システム総取り替えなんてことになるかもしれない。年金暮らしの身には大きな負担に違いない。50代になって、しばしばそんかことを考えるようになった。滑稽である。

 渋い。渋い名盤である。世評がどうなのか詳しくは知らないが、私は名盤だと思う。ボーカル、ピアノ、ベースからなる、ホリー・コール・トリオの1995年作品『テンプテーション』、トム・ウェイツのカヴァーアルバムだ。それにしても、渋いとはなんだろう。辞書のいうように、「派手でなく落ち着いた趣があること。じみであるが味わい深いこと」であるとすれば、まさしく渋い作品といえるだろう。けれどもそれだけではない。そもそも人は「地味」なだけで渋いとはいわないだろう。地味でありながらも、光るもの、目を見張るものがあるからこそ、「渋い」という言葉は肯定的な意味を持ちうるのだ。そうでなければ、それはただの「凡庸さ」である。

 派手でなく落ち着いた趣がありながら、心がざわめく。けれども、決して嫌な感じではない。トム・ウェイツの作品をトム・ウェイツとはまったく異なるやり方で曲の芯の部分を抽出してみせる。闇の中から静かに立ち上がってくるようなサウンドがそれを際立てる。それがこの作品の渋さの本当の意味だ。アーロン・デーヴィスの硬質なピアノの音色が静謐感を漂わせ、デヴィッド・ピルチの柔らかく深いベースがサウンドに安定感を与え、全体を優しく包む。やはり、ホリー・コールはトリオ作品がいい。

 今、傍らでは、⑬兵士の持ち物(Soldiers Things)が流れている。トム・ウェイツが歌うこの曲は大好きだ。しかし、これもまた素晴らしい。


信じられないジャズギター

2014年12月19日 | 今日の一枚(W-X)

●今日の一枚 392●

Wes Montgomery

The Incredible Jazz Guitar

  OCNブログ人の閉鎖によりgooブログに移籍して1か月となるが、データが正常に移行されたかどうかを少しずつ確認している。やはり、カテゴリ分類などで相当の不具合、混乱があるようだ。暇をみつけて少しずつ整理していかねばなるまい。ところで、その過程で「今日の一枚205」が2つあることが判明。過去のことで別にどうでもよい気もするが、何か落ち着きが悪いので、そのひとつを「392」として再アップしておきたい。

 2007年9月26日にアップした記事である。実に親バカな文章で、今となっては恥ずかしい限りであるが、個人的な記録としての意味合いもあるので掲載することをお許し願いたい。

 今日から小学六年生の上の息子の修学旅行である。いつもは騒がしい息子であるが、いつもいる人間がいないというのは何かしら淋しいものである。心なしか家全体がひっそりしている。

 息子といえば、今週の日曜日に少年野球の大会があり、準決勝で隣の地区の強豪Mチームを7対4で破り、そのまま勢いに乗って優勝した。Mチームは県大会でもベスト4に入る強豪で、今年はこれまでに三度、県大会への代表決定戦で敗れている。特に三度目のときは最終回裏1アウトまで3対1でリードしておきながら、息子の平凡なピッチャーゴロエラーからはじまって、相手の足をからめた攻撃の前に信じられないエラーが続出し、結局ノーヒットで逆転サヨナラ負けを喫したのだった。今回の大会はローカル大会だったが、恐らくはMチームに挑戦できる最後の機会であり、悔いのないようのびのびプレイすることを確認してのぞんだゲームだった。子どもたちは、モットーの小細工はせずに打って打って打ちまくる野球を展開し、息子もチーム初得点となる柵越えホームランを放つことができた。続く決勝では息子が登板し、6対0の完封勝利をあげることが出来た。息子も初めて「最優秀選手賞」をいただき、いつになく得意顔だった。我が鈍くさい息子も努力したのだろうが、昨年秋の新人戦時にはベンチウォーマーだったことを考えれば、まったく信じられないことである。

 信じられない、ということで今日の一枚は、ウェス・モンゴメリーの『インクレディブル・ジャズギター』である。
   (2007年9月26日)

 ウェス・モンゴメリーの1960年録音作品、『インクレディブル・ジャズギター』は、好きな作品の一つである。『フルハウス』などに比べると、ホーンが入っていないせいか、やや電気的な感じがして、ジャズ作品としては劣るような気がしないでもないが、ギター・カルテット特有の味わいがある。アップテンポの曲も悪くないが、私はこのアルバムに収められた③ムーンビームスが大好きだ。私の中では、ビル・エヴァンスのやつと並ぶ双璧といっていい。

 夜、音量をしぼって聴くのがいい。日中に大きな音で聴くウェスのギターは非常に明瞭で、輪郭のはっきりした音であるが、夜に音量をしぼって聴くと、闇の中からサウンドが立ち上がってくる雰囲気を味わうことができ、まったく別の趣となる。これからの寒い季節、ホットウイスキーでも片手に、雪景色を見ながら聴いてみるなどというのも一興かもしれない。

 今、⑥ In Your Own Sweet Way が流れている。・・・いいなあ。


純粋な音

2014年12月16日 | 今日の一枚(A-B)

☆今日の一枚 391☆

荒川知子とファミリー・アンサンブル

みんな しあわせ

 先日の日曜日の午後、数年前に会長を務めた障害者支援団体が主催する講演会&コンサートに行ってきた。「荒川知子とファミリー・アンサンブル」である。ダウン症の障害のある娘の成長について父親が語り、その後娘のリコーダーを中心に、フルートの父とピアノを奏でる母による演奏を聴くという趣向である。父親の語る娘の成長の物語は共感を禁じ得ないものであり、改めて考えさせられることも多かった。けれど、その後のコンサートはさらに印象深く、感慨深いものだった。

 上手いとか下手とかではない。障害を克服して頑張っていることへの「応援」などでももちろんない。何というのだろう。音が純粋なのだ。純粋で素直なリコーダーの音色がまっすぐに届いてくる。うまく吹いてやろうとか、聴衆に感動を与えようとかいった小賢しさがまったく感じられない。そこには、自己表現などという皮相な概念すら存在しないかもしれない。そういった過剰なものを一切捨象した、音楽を奏でることの原初的な喜びだけがまっすぐに届いてくる。自分の薄汚れた心を思い知らされ、洗い流されていくことを感じざるを得なような演奏だった。

 コンサート後、CDと彼女が作業所で作っているというクッキーの販売をしていたが、急いで駆けつけたせいで持ち合わせがなく、購入できなかった。残念である。CDについては、amazonを見たらたまたま在庫があったので、早速、注文した次第である。

 参考までに、「荒川知子とファミリーアンサンブル」のwebページをリンクしておく。まだ見ていないが、youtubeにも動画があるようだ。


Wishbone Ash

2014年12月10日 | 今日の一枚(W-X)

☆今日の一枚 390☆

Wishbone Ash

The Best of Wishbone Ash

 いまどきウィッシュボーン・アッシュなど聴く人間がいるのだろうか。懐メロとして聴くおじさんあるいはおじいさん以外にもはや聴く人のいない博物館行きのロックなのではなかろうか。そう思ったのは、今日カーオーディオのハードディスクに保存しようとして、自動認識システムがタイトルを認識しなかったからだ。

 ウィッシュボーン・アッシュをバンドとしてフォローしたことはない。リアルタイムで聴いたこともない。高校生の頃、文化祭で上級生たちのバンドが演奏した「武器よさらば」がずっと耳に残っていた。何という名前のバンドの曲なのかずっとわからなかった。「武器よさらば」という印象的なタイトルだけが耳に残っていた。その曲の入った、百眼の巨人アーガス』のレコードを入手したのはそれから10年以上も後のことだ。

 それにしても癒される。こういうロックは好きだ。ブルーススケールやマイナースケールをはっきりとフィーチャーしたギターの響きに聴きほれる。お洒落だが、シンプルで仰々しさのない好感のもてるサウンドだ。ロックが精神の覚醒をめざした音楽であるとするなら、「癒される」といういい方は好ましいいい方ではないのかもしれない。しかしそれにしても、このひっかかりは何なのだろう。フレーズの端々に心が、あるいは細胞がひっかかる。

 このベスト盤を買ったのはもう10年以上前のことだ。ちょっと聴いただけで放っておいたCDだ。けれども、カーオーディオで、あるいは夜の書斎でしばらくの間、ちょくちょく聴くことになりそうだ。


ドルフィン

2014年12月07日 | 今日の一枚(S-T)

☆今日の一枚 389☆

Stan Getz

The Dolphin

 

 午後からバスケットボールの練習に付き合わねばならないが、午前中はフリーだ。明日までに新しい教材を形にしなければならないが、もう少しなので何とかなるだろう。生協で購入した京都小川珈琲店のプレミアムブレンドを飲みながら、ゆったりと流れる時間を楽しんでいる。時々ではあるが、こういう落ち着いた時間を過ごすことができるようになったのはここ数年だろうか。若い頃は、仕事や研究や部活動に忙殺される日々だった。書店に行くと、読みたい本、読まなければならない本の多さに、本棚に押し潰されそうになるような錯覚を覚えたものだ。いつも何かにせかされ、心の中はある意味で修羅だった。ただ、それでよかったのかもしれない、と今は思う。

 スタン・ゲッツ晩年の作品、1981年録音作品の『ザ・ドルフィン』。サンフランシスコのキーストン・コーナーでのライブ録音盤である。こういう穏やかな時間を過ごすにはぴったりのアルバムだ。本当に時間がゆったりと流れる。②A Time For Loveが心にしみる。ゆったりとしたサウンドの流れの中で、実に情感豊かなセンチメンタルなテナーが響く。まったくいつもながら、アドリブ自体が一級品のメロディーのような流麗な演奏だ。

 長男は大学バスケットボールの新人戦だ。ちょうど今頃、仙台でゲーム中だ。けれども観戦にはいかない。見たいとは思うが、もう息子の世界に足を踏み入れるべきではないと思うし、私自身が子離れをしなければならないと思っている。もう数年したら息子も私ももっと大人になり、違った心持ちで息子の試合を見ることができるかもしれない。


「君住む街角」

2014年12月06日 | 今日の一枚(G-H)

☆ 今日の一枚 388☆

Holly Cole Trio

Blame It On My Youth

 ホリー・コール・トリオのヒット作、1992年録音の『コーリング・ユー』である。ホリー・コール・トリオは一時期結構聴いた。いつ頃だったろうか。2006年6月17日に「今日の一枚33」としてyestrday & Today がアップされているから、その頃か、そのすこし前あたりの頃だと思ったら、もっと前だった。ほとんどリアルタイムで聴いていたのだ。最近そういうことが多い、時間の前後関係の記憶が不確かになっている。ホリー・コールはトリオがいい。トリオ以外の作品もいくつかもっていが、ボーカル、ベース、ピアノのトリオ編成のものが圧倒的にぬきんでている。そう思う。ピアノのセンシティブなタッチと、ベースの柔らかな音色を背景とした方が、ホリー・コールの歌唱は明らかに陰影感を増し、音楽による世界を構築していると思う。名唱として名高い⑥Colling You もさることながら、⑧「君住む街角」が好きだ。緊迫感漂う前奏から、少しだけアバンギャルドな前ふりをへて、メロディーを大きく崩さずに曲の芯の部分を見事に抽出した歌唱が続く。本当にいい演奏だ。ホリー・コール・トリオの演奏によってこの曲の良さを知った。それを聴いて以後、他の演奏者の「君住む街角」を注意深く聴くようになった。どんな演奏を聴いても私の頭のずっと奥ではホリー・コール・トリオの「君住む街角」が鼻歌のように流れている。

 東北地方もだいぶ寒くなってきた。もうすぐ本格的な冬だ。今日もマイブームの風呂屋に行ってきた。風呂屋で暖まった身体で、夜の景色を眺めながらひとりビールを飲んでいる。聴いているのは、ホリー・コールのこのアルバムだ。


ナット・キング・コール

2014年12月04日 | 今日の一枚(M-N)

☆今日の一枚 387☆

Nat king Cole

The Very Best Of Nat King Cole

 

 最近買った一枚だ。ナット・キング・コールのベスト盤である。廉価盤である。2枚組なのに1000円しなかった。特に音はよくないが、結構重宝している。深夜、家族が寝静まったあとに、ひとり食卓のBoseで聴くのだ。ナット・キング・コールの穏やかなピアノとボーカルが素晴らしいことはずっとわかっていたが、これまで積極的に聴くことはなかった。・・・顔が嫌いなのだ。たいへん失礼ないい方だが、爬虫類をイメージしてしまう。正直いって、気持ち悪い。ジャケット写真を愛でる気にはなれない。できれば手に取りたくもない。だから、ほとんどナット・キング・コールを聴いてこなかった。所有するアルバムも『愛こそすべて』一枚のみだった。

 amazonのページを見ていて、なぜ突然ナット・キング・コールを買う気になったのかよくわからない。本当に何となくなのだ。廉かったからかもしれない。けれど、このアルバムは悪くない。代表曲のほとんどが収録されている。何よりジャケットがいい。側面から撮った写真は爬虫類的なイメージを感じさせない。十分我慢できるレベルだ。穏やかで艶やかな彼の歌声を、邪念なく安心して楽しむことができる。・・・やはり・・・いい。

 これから寒くなりそうだ。日本海側ではすでに大雪のようだ。雪の、寒い風景を眺めながら、暖かい室内で、コーヒーでもすすりながら聴くにはうってつけの一枚のような気がする。今年の冬にはお世話になることが多い予感がする。