WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

困ったちゃんの哀しみ

2021年07月31日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 522◎
土門秀明
Live In Tube 2
 入院中である。隣の患者さんが"困ったちゃん"のようだ。おじいさん、といっても、60代ぐらいに見える人だ。看護師から名前を聞かれて、矢沢永吉と冗談をいっていた。その彼が何度も何度も、そう10〜
15分おきにナースコールをし、看護師を呼ぶのだ。その都度、いろいろな要求や頼みごとをする。看護師は誠実に対応しているが、辟易気味のようだ。昨日の夜からは、奥さんを呼んでほしい、〇〇を持ってくるよう連絡してほしい、実家のお母さんを呼んでほしい、と何十回も頼み込んでいた。何か事情があるらしく、看護師も困惑しているようだった。今日の夕方になって、奥さんが来たようだが、面会はせず荷物だけ置いて帰ったようだ。荷物の中には要求したスマホは入っておらず、彼は失望したようだった。スマホをもって来るよう再度伝えてほしいと看護師に懇願していたが、奥さんからスマホは渡せないといわれたとのことだった。みんないろいろな事情を抱えている。どんな事情があるか知る由もないが、彼の哀しみや寂しさが、彼をして困ったちゃんにした一因なのだろうと思った。そう思うと、彼を責められない。健康を害した人は社会の片隅に追いやられてゆく。誰だって、次は我が身なのだ。今月の、100分de名著「老い」の上野千鶴子の話が心に響く。

 そういうことを横目に、私がApple musicで聴いていたのは、土門秀明の『Live In Tube 2』である。2015年にリリースされた作品だ。先日も記したが、A Day In The Life は本当にいい演奏である。秀逸な編曲である。原曲をほとんど崩さず、それでいて曲のイメージのエッセンスを抽出したような演奏が、ロンドンの地下鉄の喧騒に溶けてゆく。まさに、A Day In The Life という趣きである。
他の演奏も秀逸であるが、A Day
 In The Life は特別である。

退屈だ!

2021年07月31日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 521◎
土門秀明
Live In Tube

 退屈である。昨日から仙台の病院に入院しているのだ。検査入院だが、数日後に検査のための開腹手術をしなければならない。ちょっと、気が重い。病室でできることといえば、読書と音楽を聴くことぐらいだ。柄にもなくスマホをいじったりもしている。
 時間はたっぷりあるが、なかなか読書には集中できないようだ。音楽はApple musicで聴いている。朝から聴いているのは、土門秀明という人のエレガットのソロ作品だ。2012年作品の、『Live In Tube』、なかなか味のあるギターだ。入院中の耳に優しいサウンドである。土門秀明という人は、元バブルガムブラザーズのギタリストで、ロンドンの地下鉄構内で演奏することを公認されたバスカーという称号をもつ人のようだ。
 We Are All Alone、Here,There,AndEverywhere、Desperado、私もソロで弾いたことのある曲がいくつか収録されている。当然のことながら、私とは表現力が違う。
 最近、古いダイナミックギターで弾くことが多かったが、退院したらエレガットを買って、もう少し練習してみようか、などと考えたりする。退院後の多少の希望がなければ、入院は辛いものだ。



この違和感は何だろう

2021年07月25日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 520◎
The Beatles
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
 東京2020オリンピックの開会式について、いろいろいわれているようだ。トンチンカンであまりに皮相な演出。不必要に長すぎるスピーチ。首相と東京都知事の不敬なふるまい。そして、あまりにグダグダで統制の取れない雰囲気。どれもその通りだ。私自身、見ていてリアルタイムでそのように感じた。
 けれども、私が最も違和感を感じたのは、国旗やオリンピック旗の掲揚と、国家斉唱の場面だった。国旗やオリンピック旗の掲揚になぜ自衛隊が登場するのだ。国を守る自衛隊は、セレモニーの脚光を浴びる場面に出てきてはいけない。自衛隊は縁の下の力持ちであってもらいたいし、またそういう覚悟が必要だ。それが軍国主義ではない時代の自衛隊のあり方だろう。
 国歌について、MISIAの歌唱に文句があるのではない。国歌斉唱の場面で、たびたび天皇陛下を映したNHKの演出は何だ。君が代の歌詞が天皇を称えるものであることを、しばらくぶりに思い出してしまった。現天皇が嫌いなわけではない。同じ時代に中世史を学んだ彼には、むしろシンパシーを感じる。恐らく、安田元久氏から中世史を学んだ彼だからこそ、不必要に祭り上げられることに抵抗を感じているはずだ。
 こうした違和感を感じたのは私だけだろうか。webを見ると、おびただしい開会式への批判があるが、私のような違和感についてはほとんどない。それは、私の感じ方が特異なのだろうか。あるいは、自衛隊や天皇や君が代に批判的な言説の「自粛」なのだろうか。そうした批判的な言説は非国民的振る舞いとして排されるということだろうか。もしそうだとすれば、《われわれの日本》は、終わりへと向かっているのかもしれない。

 今日の一枚は、ザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だ。1967年発表作である。
 改めて思うのだけれど、《A Day In The Life》は本当にいい曲だ。数日前から、耳元でそのメロディーが鳴り響いている。きっかけは、YouTubeで土門秀明という人のソロギターを聴いたからだ。エレガットの演奏である。何とも味のある演奏である。ちょっと、弾いてみようと楽譜を探したが見当たらない。時間がある時にしばらくぶりに編曲してみようかと思っている。
 ビートルズのこのアルバムは、世評の通り優れた作品であり、名盤といわれるにふさわしいものであるが、最後に配されたこの《A Day In The Life》とその余韻が決定的に重要な印象を与えている。
 その余韻の数秒後に現れる、意味不明のお遊びのような音は、レコードの針を戻しにステレオの前まで行く時間を計算したもののようだ。レコード時代を思い出し、楽しい気持ちになる。

帰るのはどこだ!

2021年07月19日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 519◎
Bill Evans with Jeremy Steig
What's New
 人の噂は「おかえりモネ」である。
先週、モネはなんと気象予報士試験に合格した。今週から東京編だ。モネが東京に行って働く物語である。東京で働いている私の長男と出会ってくれないだろうか、などと愚かな空想をもってしまうのは、おそらく私だけだろう。
 ところで、「おかえりモネ」である。「おかえり」というからには、そのうちどこかに帰るのだろう。果たしてどこに帰るのだろうか。私は、震災の大津波の時に何もできなかったと回想する、モネの自分探しの出発点である、気仙沼に帰るのだと考えているが、登米市出身の妻は登米に帰るのだと主張している。サヤカさんとの関係を考えると、あながち的外れではないようにも思う。

 今日の一枚は、ビル・エヴァンス & ジェレミー・スタイグの『ホワッツ・ニュー』である。1969年録音盤である。パーソネルは、
ビル・エヴァンス (p)
ジェレミー・スタイグ(fl) 
エディ・ゴメス(b)
マーティー・モレル(ds)
 学生時代に繰り返し聴いた一枚だ。はじめはピンとこなかったが、繰り返し聴いているうちに何となく身体にフィットしてきた一枚である。今思えば、それがジャズがわかることへの第一歩だった気がする。その意味では、私にとっての青春盤の一つである。最後に聴いてからおそらく20年以上は経過している。
 今、しばらくぶりの「スパルタクス愛のテーマ」に酔いしれている。

発熱だ!

2021年07月18日 | 今日の一枚(W-X)
◎今日の一枚 518◎
Wynton Kelly
Kelly Great
 発熱である。さっき測ったところ39.0度だった。熱い。熱の所為か頭が痛い。
 昨日、モデルナの2回目を打ったのである。昨日は快調だった。一応、酒は控えた。今日の午前中も何ともなかった。100円均一ショップまで、買い物に行ったほどである。帰ってきて、午後、何となく熱っぽかったので、リビングに横になった。2時過ぎに起きると、顔と頭全体が熱くなっていた。
 不思議な熱である。39.0度の熱の所為で頭が少し痛いが、それ以外は具合悪くないのである。体全体が熱いが、インフルエンザのようにどこかが具合悪いわけではないのだ。だから、多少の活動はできる。さっきも、家庭菜園のトマトたちに水をやったところだ。けれども今日は大人しくしていよう。明日は仕事に行きたい。懸案の問題がいくつかあるのだ。
 薬は飲まない。ロキソニンは腎臓に悪いとのことだ。腎臓の数値が下がっていろのだ。カロナールは大丈夫らしいが、原因がわかっているので、慌てる必要もあるまい。熱は、明日には下がっている筈だ。

 今日の一枚は、ウィントン・ケリーの『ケリー・グレイト』である。伝説の年、1959年の録音である。パーソネルは、リー・モーガン(tp)、ウェイン・ショーター(ts)、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)である。
 ウィントン・ケリーのピアノは、小気味よいとか趣味がいいと形容される。その通りだ。ちょっとだけアーシーなフィーリングは、今日的にはお洒落といってもいい。そのケリーのアルバムが、伝説の年1959年に録音されたことが興味深い。実験的でも先進的でもなく、身体的でもアヴァンギャルドでもない。ただ、お洒落で小気味よく、趣味のいいアルバムだ。時代精神は一つではない。後付けでジャズ史を一定の価値観のもとに整理して叙述すると、このアルバムは外れるかもしれない。それでもいいアルバムである。

「被災地」がいっぱい

2021年07月10日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 517◎
Eddie Higgins Trio
Dear Old Stockholm
  各地で大変なことが起こっているようだ。「線状降水帯」のことである。テレビで見た静岡県熱海の土石流は、まさしく「山津波」だ。いまも、鹿児島・宮崎・熊本に大雨特別警報が発令されている。昔から、日本は災害列島だ。4つのプレートの境界にある上、毎年台風が襲うモンスーン気候帯なのだから仕方ない。けれどやはり、ここ数年はいろいろな災害が多すぎる気がする。加えてコロナ禍だ。まさに、「末法」の世である。一昔前なら、新興宗教の予言者が跋扈しそうな状況ではないか。
 十年前は、「被災地」といえば三陸地方だった。考えてみれば、三陸地方=「被災地」だったのは東日本大震災後数年のみで、その後毎年のように、全国各地に「被災地」が増殖していった。もはや、「被災地」がいっぱいである。
 かかる状況下、時代遅れの新自由主義に基づく「自助」を標榜し、一部経済界の利益のみを擁護する勢力が政権を握っていることは、日本の不運であり、皮肉であるというべきだろう。彼らに権力を委ねたのは、他ならぬ国民なのであるから。「末法」の世だ。

 今日の一枚は、エディ・ヒギンズ・トリオの2002年録音盤『懐かしのストックホルム』である。ヴィーナス盤だ。今は無き『スウィング・ジャーナル』誌の読者リクエストに応えて、エディ・ヒギンズがスタンダードナンバー14曲を録音した作品である。いい曲目白押しである。エディ・ヒギンズの熟練した技が、ゆったりとしたくつろぎの空間を創出する。ゆったりとしてはいるが、流麗なアドリブが随所に登場し、退屈なカクテルピアノとは一線を画する。
 私の住む街も今日は雨である。「線状降水帯」の地域の方々には申し訳ないが、窓の外の雨を見ながら、コーヒーをすすりつつ、エディー・ヒギンズを聴いている。