WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ジョン・レノンのイマジン

2006年06月30日 | ノスタルジー
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 先日発見したシングルレコード(45回転)の中にジョン・レノンの「イマジン」があった。なぜあるのかよくわからない。買ったような記憶もあるのだが、「イマジン」はLPで聞いていたような気がする。事実同名のLPを所有している。ただ、シングル版のこのジャケットはかすかに記憶にあり、買ったような気がしないでもない。いずれにせよ、シングル版の「イマジン」は結構めずらしいのではないだろうか。 

 かつてジョン・レノンをすごく好きだった。ご多分に漏れず、尊敬あるいは崇拝していたといってもいい。「思想」的なものとか、「哲学」的なものとか、音楽以外の過剰な何かに夢中だったのだと思う。ジョン・レノンではなく、「ジョン」と呼んでいた程だ。彼がニューヨークのダコダアパートの前でマーク・デヒッド・チャップマンに殺された時のことは今でも鮮明に覚えているし、彼の死の翌年、東京の九段会館で行われた追悼集会では、数千人の聴衆を前にスピーチもした。けれどもそれは僕だけではなかったはずだ。ジョン・レノンはlove and peaceのことばとともに、平和運動や社会運動においてそれなりの影響力をもつていたのだ。

 今はどうだろう。もちろん好きだ。けれども尊敬や崇拝はしてはいない。ひとりのミュージシャンとして、すごくいい曲もあるといった位置づけだ。例えは、「ジェラス・ガイ」は好きだ。「スタンド・バイ・ミー」はベン・E・キングのものよりすぐれていると思う。最後のアルバム『ダブル・ファンタジー』もオノヨーコさんの歌がなければとてもいい作品だと思う。いまでも時々、すごく聞きたくなることがある。しかし、崇拝はしていない。哲学的・思想的に尊敬すべき人物は他にたくさん存在する。ジョン・レノンのことばは、思想や哲学と呼ばれうるものではない。もちろん文学的でもない。

 それがまっとうな聞き方だろう。ジョン・レノンが死んだ時、世界が大きく変わってしまうのではないかと思ったが、セックス・ピストルズのジョン・ライドンは「何も変わりはしないさ、ひとりのミュージシャンが死んだだけだ」と語った。その通りだった。ジョン・レノンが死んでも次の日の朝はやってきたし、その次の日の朝もやってきた。そうして僕たちは大人になったのだ。あの時代の、思春期のあの時期、ジョン・レノンのような存在が、きっと僕たちには必要だったのだろう。

 あのころ、ジョン・レノンへの崇拝のあまり、ポール・マッカートニーをあまり評価しなかった。でも本当は結構すきだったのだ。『バンド・オン・ザ・ラン』はロック史に残るいい作品だ。ある意味では『ジョンの魂』以上にだ。最近、もう一度聞いてみたくなって『バンド・オン・ザ・ラン』をCDでを購入した。やっばりいい作品だった。名作だ。

 発見されたシングルレコード「イマジン」にはこのようなコピーが記されている。

   

 これがジョン・レノンの真実

 これが名作

 これを聞かずしてレノンを語るべからず

 やはり、ちょっといいすぎだと思う。確かにいい作品であるが、いいすぎである。僕はマスコミやコマーシャルに踊らされていたのだなとも今は思う。

 けれども、ときどき(毎年12月あたりに)、ジョン・レノンの曲をを聞きたくなるのはどうしてだろうか。過ぎ去った日々へのノスタルジーなのだろうか。あるいは、失ってしまったアドレッセンスへのレクイエムなのだろうか。

 


オズの魔法使いのテーマ

2006年06月28日 | ノスタルジー
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 先日、実家の倉庫を整理していたらドーナツ版レコード(45回転)十数枚を発見した。LPレコードに関してはその多くをずっと手元にキープしているのだが、シングルレコードのことはすっかり忘れていた。今回発見したのは十数枚だが、記憶ではもっともっとあるはずだ(そのうち探してみます)。レコードはロック、演歌、歌謡曲などいろいろで、自分で購入したものではないものも数多く含まれているのだが、中には懐かしいものや珍しいものも含まれていたので、何回かに分けて紹介したい。

 まず、今回紹介するのは、写真の「オズの魔法使い主題歌」だ。そういえば、子どもの頃、このTV番組を見ていたのだった。私か「オズの魔法使い」という物語を最初に知ったのもこのTV番組だったような気がする。歌っているのは、もちろんシェリー……。A面は「ドロシーの恋の唄」、B面は「虹の彼方に」だ。シェリーの歌声は、今聞くと、(以外にも)透明に澄んだ美しい声だ。日本語もしっかりしている。ジャケットの外国人風の顔とアンバランスなほどである。

 JAZZのスタンダードとしてよく聞く「虹の彼方に」(OVER THE RAINBOW)だが、よく考えてみると、私がこの曲に出会ったのはこのTV番組が最初だった。何と、いまでもその日本語の歌詞をしっかり覚えているのだ。いい年をして、レコードを聴きながら思わず歌ってしまった。ちょっと恥ずかしい。誰かが見ていたら気持ち悪かったに違いない。

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夜毎にみる夢は  虹の橋のデイトの夢  

今日も祈る夢は  虹の橋のデイトの夢

お星様お願い  私の小さな夢

お星様きっとね  一度でいいから  聞いてよ

私の好きな人と  デイトしたいの  虹の橋

                   (水島哲 作詞)

 


音楽館のマッチ

2006年06月20日 | ノスタルジー

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  学生時代、よくジャズ喫茶に通ったものだ。渋谷の「音楽館」や「ジニアス」「ジニアスⅡ」、神保町の「響」、三軒茶屋の小さな店「アンクルトム」などがよく行く店だった。他にもいろいろ探訪したものだが、ジャズ喫茶に行くとマッチをもらい集めていた。集めたマッチは長い時間の中で散逸してしまったが、引き出しの中にまだ「音楽館」のマッチが残っていた。数年前まで「ジニアス」のコースターもあったはずなのだが、見当たらない。ちなみに、ジャズ喫茶とは関係ないが、渋谷(恵比寿方面)にあった喫茶店「リン」のマッチも発見(友人がよく行っていた店で連れて行かれたことがあったな)。こういう自分史的遺物が発見されるのは実になつかしいものだ。

 ところで、有名なHPらしいが、下記アドレスには昔なつかしいジャズ喫茶のマッチが収集・展示してある。こういうのを見ながら、ウイスキーをなめるのも、結構豊かな時間が過ごせるものだ。

「ジャズ喫茶のマッチ」  http://www.neko-net.com/jazz/


変化を恐れない酒井俊に拍手

2006年06月17日 | 音楽

 昨夜、しばらくぶり酒井俊のライブに行って来た。酒井俊(vo)林栄一(as)坂本弘道(cello)田中信正(p) という編成だった。これのまでの酒井のLIVEとは違い、かなりFree Jazz的でアヴァンギャルドな演奏を含むものだった。林栄一のasはハスキーなトーンでインプロビゼーションを展開し(といっても、彼の演奏には歌心があった。バルネ・ウィランを想起したのは私だけだろうか)、酒井はそれに呼応して時に静かに語り、時にシャウトし、時にしっとりと歌い、そして時に奇声を発した。celloの坂本弘道は、celloという楽器をパーカッションのようにたたいたりこすったりしたかと思うと、まるでギターのようにストロークプレイを展開したり、果てには電動ヤスリを楽器の金属部分に接触させて火花を散らしたり、といったありさまだった(当然、会場は沸いた。騒然、唖然。なお曲によってはオーソドックで正統派の荘厳なcello演奏も聞かせてくれた)。もうひとりの田中信正(p) は、実直な青年だったが……。 

 酒井の話では、最近はやりたい音楽を追究してみたいと思っているとのことで、そのため「満月の夕」で獲得した客の数も減っているのだという。私自身、「満月の夕べ」が聞けなかったのは残念だったが、こういうFreeな演奏は大好きである。また、Freeとはいっても日本的Freeというか、楽曲の世界を膨らませる意味でのFreeな表現といった印象であり、音楽至上主義的な演奏とは違うもののような気がした。(坂本弘道(cello)の演奏は音楽至上主義的でアヴァンギャルドなFree Jazzだ)

 しかし、表層的な表現のスタイルは若干変わったものの、酒井の歌唱の方向性は基本的に同じなのではないか。酒井は、明らかに演劇的な歌唱表現の方向性を目指しており、それがますます加速しているといった印象だ。そういう意味では、例えはよくないかもしれないが、「晩年」のちあきなおみの世界に近づいているような気がするのだがどうであろうか。

かつて、ジョージ・ハリスンはこういった。

「人間は変化することを恐れるが、変化することを逃れることはできない」

何はともあれ、変化することを恐れない酒井俊に拍手したい。


偽善的なサイモンとガーファンクル

2006年06月15日 | エッセイ

 ずいぶん前に読んだのだが、村上春樹の小説の中に「偽善的なサイモンとガーファンクル」ということばが出てくる。私が持っているサイモンとガーファンクルに対する印象にあまりにピッタリだったので、ずっとあたまに残っていたのだ。さっきなぜだかそのことばが思い浮かんだので、我慢できずに何という作品に出てきたのか調べてみた。まさか全部の著作を読み直すわけにもいかず、調べは難航したが、「文学界」臨時増刊の『村上春樹ブック』がたまたま手元にあり、その中の「ミュージック・ミュージック・ミュージック」の項を使ってやっとわかった(村上作品に登場する音楽を列挙し、でてくる作品とページが掲載されている)。その言葉がでてくるのは、『ダンス・ダンス・ダンス』という作品で、主人公の「僕」がティーンエイジャーだった頃の下らない音楽を列挙した中に出てきたのだった。

 ところで、ビル・クロウ著(村上春樹訳)『さよならバードランド』(新潮文庫)には、著者ビル・クロウがポール・サイモンのレコーディングに参加したした時のエピソードがおさめられている。巨額の制作費を消費するために、スタジオ使用時間を増やし、ミュージシャンを雇うが、無駄な時間を費やす。結局は、「サイモンとガーファンクルの次のレコードがでたとき、そこには僕らが吹き込んだものはひとつも使われていなかった」という話だ。ポール・サイモンいわく、巨額の制作費を使えば、レコード会社は真剣に売り込みをするのだそうだ。著者は正面きって批判的なことを述べるわけではないか、ポール・サイモンが他者の気持ちを理解できない高慢な男であるというニュアンスで書かれている。

 この文章を読んで何か腑に落ちたような気がした。サイモンとガーファンクルのメロディーとハーモニーは確かに美しいものだが、まるで誠実さを売りにしているようなその姿勢からか、どうしても素直に感動できない部分があったのだ。彼らは、ビジネスや自分の音楽への姿勢に対しては誠実だったのだろうが、他者に対してはそうではなかったのではないか。まあ、私自身が素直でないことが、素直に感動できない本当の原因なのかもしれないが……。それにしても、

 「あの偽善的なサイモンとガーファンクル

 なかなかキャッチーな表現だと思う。


辺見庸は、ラディカルだ!

2006年06月07日 | 発言

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さっき、BeachBoysPet Soundsを聞きながらボーッとしていたら、書棚にあった辺見庸の『永遠の不服従のために』が目に入った。数年前、彼の母校の石巻高校での講演会の際買ったもので、彼のサインも入っている。

そういえば、辺見庸は数年前、脳出血で倒れ、さらには追い討ちをかけるようにガンに襲われ手術したのだった。大丈夫なのだろうか。

彼の講演は、なかなかリアルで興味深いものだった。アフガンを、政治を、戦争というものを彼は熱く語った。正直、現在という状況の中で、このようなタイプの「過激な」反戦・反体制思想を聞いたのは、ちょっと驚きだった。「反戦」や「反権力」や「抵抗」を語る彼の思想や行動を「左翼的」ということばで片付けることも可能であろう。確かに、一見非常にシンプルな反体制思想と見えなくもない。実際、安保闘争時代や全共闘時代には、同じような言説がはいて捨てるほどあったと思う。しかし、それはあくまで「同じような」だ。

彼の思想と行動には、誤解を恐れずにいえば、筋金が入っている。それは強固だがしなやかな筋金だ。すべての思想は時代性をもつ。全共闘時代に反戦や反体制や保守反動批判を語るのはたやすいことだった。同じ意味で新保守主義がすっかり根付いた現在にあって、「左翼」批判や「反戦」批判をすることはたやすいことだ。それはいわば、安全な立場からの言説だからだ。

重要なことは表面的な真理や「正しさ」ではない。そのことばがどういう立場から発せられたものであるかということだ。安全な立場から発せられた言説は、それが「右翼的」であれ「左翼的」であれ、体制的なイデオロギーにすぎない。(インターネットの掲示板にある数え切れないほどの匿名の左翼たたきや「右翼的」「保守的」な書き込みはそれをあらわしている)

私は、「保守」や「右翼」を批判しているのではない。「左翼」を批判しているのでもない。安全な立場を確保した後に発せられ言説を批判し、嫌悪しているだけだ。辺見庸のことばは、つねに単独者として発せられる。新保守主義が時代を覆いつくした今、彼のことばはとても新鮮に聞こえる。それは、時代に迎合しないことばだ。現在という時間の中で、辺見庸は真にラディカルだ。

前掲書におていチョムスキーは、(辺見庸との対話の中で)不機嫌らにこういっている。「言論の自由は戦ってこそ勝ちうるものだ。愚痴をいっている場合ではない」安全な場所からの言説を批判したそのことばは、まさに現在という時間と辺見庸との間にもあてはまるのではないか。

辺見庸のサインには次のように書かれていた。

   「独考独航」

なかなかいいことばじゃないか。


酒井俊という歌手

2006年06月05日 | 音楽

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私の住む町に小さなジャズ喫茶があり、月1~2回程度ライブをやっている。最近は仕事が忙しくいけないでいるが、以前はよく聞きに出かけたものだ。田舎のジャズ喫茶といっても、たまには大物が来ることもあり、例えばMal Waldronのソロを見たのもここだった。

ところでこのジャズ喫茶で年に1~2度ライブを行う歌手がいる。酒井俊という歌手だ。私が最初に酒井を聞いたのは、今から7~8年前、その店のライブだった。今ではすっかり名曲となった「満月の夕べ」にたたきのめされた。ポップスとも演歌ともつかぬ旋律だか、しっかりと何かが伝わってくる。また、「解き放って いのちで笑え 満月の夕べ」と歌う歌詞の内容とその解釈にすっかり魅了された。

その後、私の住む町に酒井俊がやってくるたびに、都合がつけばライブにいくようになった。CDも数枚買った。酒井のライブはたいへんアットホームでリラックスした雰囲気だが、どんな小さい会場でも懸命に歌を届けようとしてくれる姿勢には、本当に好感が持てる。レパートリーもジャズのスタンダードはもちろん、映画音楽からトム・ウエイツやジョン・レノン、果ては童謡や美空ひばり・越路吹雪にまで及び、場合によっては、マイクをつかわずに本物の生の声を披露してくれることもある(声が空気を伝わって聞こえてくる感覚はたまらない)。

名曲「満月の夕べ」はその後結構ヒットし、2003年の第45回日本レコード大賞企画賞を受賞したらしい。この曲は阪神淡路大震災のことを歌った曲で、その途方にくれるような悲しみとともに、すべてが壊れ去った後の人間の解放と自由と連帯を歌ったものだ。情景が浮かぶような歌詞を、噛み締めるように歌う酒井の歌唱は圧巻である。日本の音楽にあまり好感が持てない私だが、この作品は別である。人生に数曲出会えるかどうかの1曲であるとさえ考えている。ヒットしたおかげで、CDにはいくつかのバージョンがあるが、私のもっとも気に入っているのは、アルバム「四丁目の犬」収録のものだ。ライブ版だが、もっとも想いが伝わってくるような気がする。バイオリン・ピアノ・チューバ・テナーという変則的な編成もいい(私の住む街のライブハウスで同じ編成の演奏を聴いたことがあるが、アコーステックな雰囲気が前面に出ており、とても良かった。特にバイオリンの太田恵資は独特の風貌をもつ変な奴だが、なかなかかっこいい。私は好きだ)。なお、このアルバムにはThe way we were(追憶のテーマ)も収録されているが、私はこれはかなりの名唱だと考えている。薦めたい。

今月、この酒井俊が私の住む街のジャズ喫茶に来るらしい。しばらくぶりにいってみようかと思っています。

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ところで、数年前、ライブでアルバム「四丁目の犬」を購入した際、酒井にサインをしてもらったのだが、そこにはこう書かれている。

  「○○○さん ありがとう あきらめないで 本当の喜びに出会うまで」

やはり、私は人生をあきらめているように見えたのだろうか?


80対57でも惜敗

2006年06月04日 | 籠球

昨日、バスケットボールの県大会が行われ、私のチームは、T高校に80対57で敗れました。第2ピリオド終了直前まで接戦でリードしていたのですが、こちらのミスから逆転され、第3ピリオドに離されました。第4ピリオドは建て直し、互角の戦いだったのでくやまれます。

得意の速攻を止められ、自信のあったリバウンドで劣勢だったことが敗因かと思われますが、実をいえば第2ピリオド終了後のハーフタイムにディフェンスを変えてしかける指示をだそうかどうか悩みました。しかし、ここは辛抱して、第4ピリオド勝負と考えていましたが、結局裏目に出てしまいました。

私のHコーチとしての判断の甘さ、決断の遅さを痛感した試合でした。

選手たちは、都会のチーム相手に、よくがんばりました。決して洗練されたプレーはできませんが、泥臭く一生懸命なバスケットでよくここまで来たと思います。

スコア的には離されましたが、おたがいにベストメンバーで戦い続け、第3ピリオド以外は互角以上のスコアだったので、やはり「惜敗」といっておきたいと思います。


鼎心(かなえ)

2006年06月04日 | 

携帯電話で撮影した画像をメールでパソコンに送ることができると聞いて実験してみました。

写真は、私の家の近くの酒屋「大越酒店」が特別につくっている「鼎心(かなえ)」という酒です。生なのでやや甘ですが、手ごろな値段でなかなかの味です。

 




HELGE LIENというピアニスト

2006年06月04日 | 音楽

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HELGE LIENのTo The Little Radioという作品を購入した。出だしから(grandfathers waltz)、デリケートなタッチとリリカルな響き。2曲目(no mountains)、なんとデリカシーに溢れるタッチ……。あー、もうだめだ。力がぬけていく。倒れそうだ。

ちょっと少女趣味で恥ずかしいが、私は結構こういう静謐な演奏が好きなのです。

ヘルゲ・リエンは1975年ノルウェー生まれだ。ピンク・フロイドから最初の音楽的影響を受け、16歳でクラシックに転向。オスカー・ピーターソンを聞いてJazzの世界に進んだという人だ。私よりかなり若いのが気に入らないが、ピンク・フロイドから影響をうけているらしいということで赦してやろう。

私がHELGE LIENというピアニストをチェックしたのは結構前だ。レコード屋(CDショップのことです。どうしてもレコード屋といってしまうのはなぜでしょうか)でたまたま、What Are You Doing The Rest Of Your Life (これからの人生)という作品に出会い、衝動買いしてしまった。以前このブログに書いたように、わたしはこの曲が好きなのだ。その後、スウィング・ジャーナル誌でSpiral Circle という作品が高評価を得ているのを知り、早速購入。すっかりはまってしまった。その後に出たUnsymmetrics も手に入れ、HELGE LIENというピアニストをフォローしているような形になってしまった。

彼のピアノの特色は、タッチと響きだ。その意味では、キース・ジャレットや、ブラット・メルドーと共通点があるかもしれない(私はいずれも好きだ)。たまにちょっと難しい世界を描こうとするのが気がかりだが、決して難解な音楽ではない。普通に聞いて、キュンとくる音楽です。ベースとの「あわせ」がたまにぐーんと来るのもいい。

おそらくは人生の半分を過ぎた私は、見栄とか教養主義とかウンチクとかではなく、本当に好きなものだけを聞いて過ごしたいと思っている。その意味で、HELGE LIENというピアニストは気になるピアニストの一人なのだ。

というわけで、田舎に住む私は、例の如く通信販売で新作To The Little Radio を購入して、今、聞いているわけである。第一印象は最初に記したとおりで、この思いをとりあえず誰かに伝えたいと考え、今この文を書いているわけです。

ごめんなさい……。

平泉澄