WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズ③

2020年12月31日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 457◎
Rickie Lee Jones
Pirates
 デビューアルバム『浪漫』の成功でスターダムにのし上がったリッキー・リー・ジョーンズは、トム・ウェイツと暮らしたロスを離れ、ニューヨークへと旅立つことになる。2016年に書かれた矢口清治氏の『パイレーツ』のライナーノーツには次のように記されている。
『浪漫』が彼女にもたらしたものは、おそらく予想を超えた富と名声、いわゆる商業的成功であり、代わりに失ったのはそれまでの日常、たとえば重要な存在であったトム・ウェイツとの関係だった。
 
 今日の一枚は、リッキー・リー・ジョーンズの1981年作品『パイレーツ』である。彼女の2ndアルバムである。トム・ウェイツとの別離後の作品ということで、彼にまつわる曲がいくつか収録されている。ジャケットに用いられた、ハンガリー出身の写真家ブラッサイの"LOVES"と題された作品は、どこかトム・ウェイツとの日々を連想させる。①We Belong Together(心のきずな)や、⑥ A Lucky Guy(ラッキー・ガイ)は、トム・ウェイツとの別離を背景として書かれた曲だ。印象的な曲である。⑤ Pirates(パイレーツ)も印象的な曲だ。ゴージャスなサウンドをハックに、ファンキーに、またしっとりと歌われるこの曲には、So Long Lonely Avenue というサブタイトルがつけられている。トム・ウェイツたちと暮らした街への別れを告げているわけだ。歌詞の中にSo I'm holding on to your rainbow sleeves(あたし、つかんで放さない。虹色のあなたの袖を。)とあるが、"rainbow sleeves"とは下積み時代のリッキー・リー・ジョーンズのために、トム・ウェイツが書いた曲のタイトルなのだ。トム・ウェイツへの思いが表出された一節である。rainbow sleeves は、のちにリッキー・リー・ジョーンズの3枚目のアルバム『 Girl At Her Volcano 』(→こちら) に収録されることになる。
 音楽は音楽として評価されるべきものであろうが、トム・ウェイツとの関係を考えながらこのアルバムを聴くと、じつに興味深い。ずっと以前に聴いた音楽が、生き生きと蘇ってくるようだ。


トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズ②

2020年12月31日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 456◎
Tom Waits
Heartattack And Vine
 二人が出会ったのは、1977年、トム・ウェイツが28歳、リッキー・リー・ジョーンズは22歳の時だったようだ。トム・ウェイツはデビューしてアルバムを数枚発表していたがまだ知名度は低く、リッキー・リー・ジョーンズはデビューすらしていない下積みの時期だった。
 1979年にリッキー・リー・ジョーンズのデビュー作『浪漫』(→こちら)が発表されると、ロックにフォークやジャズ、ブルースを融合させたその音楽は、多くの支持を集めるようになる。このアルバムは全米3位のヒットとなり、翌年のグラミー賞最優秀新人賞を獲得するなど、彼女は一躍スターダムにのし上がっていく。
 この後、リッキー・リー・ジョーンズはトム・ウェイツと暮らしたロスを離れ、ニューヨークへと旅立って行くことになる。

 今日の一枚は、トム・ウェイツの1980年作品『ハートアタック・アンド・ヴァイン』である。トム・ウェイツの6作目のアルバムだ。ジャケットは新聞紙を模したデザインだが、よく見ると、曲名と歌詞が書かれている。
 リッキー・リー・ジョーンズとの別れを歌ったとされる⑨ Ruby's Arms(ルビーズ・アームス)は、胸がしめつけられるほど切なく美しい曲である。心がかき乱されるほど切なくなり、じっとそこにたたずむのみである。
俺の服は置いていく
お前といた時のものさ
今はブーツと皮のジャケットがあればいい
ルビーの腕に別れを告げる
俺もつらいけれど
カーテンごしに出ていくさ
お前の目をさまさないように
 ちなみに、⑤ Jersey Girl(ジャージー・ガール)は、リッキー・リー・ジョーンズと別れた後、出会った脚本家キャサリン・ブレナンに捧げた曲である。二人は、このアルバムのレコーディングを終えた後、結婚することになる。

トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズ①

2020年12月31日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 455◎
Rickie Lee Jones
Girl At Her Volcano
 驚いた。迂闊だった。知らなかった。
 今日、何気なくwebを眺めていて、トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズがかつて恋人同士だったということを知った。1970年代の終わり頃の話だ。すごく納得し、腑に落ちた。2人とも私の大好きなミュージシャンである。心に響く曲を書くミュージシャンだ。自分の思いを曲に託すミュージシャンである。
 2人の関係にまつわる曲がいくつか存在しているという。興奮している。偶然にも、私はそれらの曲が収録されているアルバムを持っている。この年末年始は、それらのアルバムを聴きなおすことになりそうだ。

 今日の一枚は、リッキー・リー・ジョーンズの1983年作品『 Girl At Her Volcano 』である。日本語のタイトルは『マイ・ファニー・ヴァレンタイン 』である。⑥ Rainbow Sleeves は、トム・ウェイツが下積み時代のリッキー・ジョーンズのために書いた曲である。
 トム・ウェイツとリッキー・リー・ジョーンズが出会ったのは、1970年代の終わり頃である。トム・ウェイツはまだ知名度は低かったものの、すでに数枚のアルバムを発表していたが(この時期のアルバムは後に名盤と呼ばれることになる)、リッキー・リー・ジョーンズはまだデビューすらしていなかった。そんなリッキー・リー・ジョーンズのためにトム・ウェイツが書いたのがこの曲だ。
 その後、リッキー・リー・ジョーンズはデビューし、デビュー作『浪漫』(→こちら)によってスターダムにのし上がるが、数年後の3枚目のアルバムにこの曲を収録したのである。このアルバムが発表された時には、リッキー・リー・ジョーンズとトム・ウェイツは離別してた。それでも、リッキー・リー・ジョーンズはこの曲をアルバムに収録したのだ。その思いが伝わってくるようだ。
 美しい曲である。トム・ウェイツの不遇時代のリッキー・リー・ジョーンズへの思いが込められたようなメロディーと歌詞だ。涙なくしては聴けない。年のせいだろうか、涙がぼろぼろと落ちて止まらない。
憂鬱のせいで歌うのをやめたりしないでくれ
君は片方の翼が折れただけなんだよ
だから僕の虹につかまってくれればいい
僕の虹にしっかりとつかまってくれ
君を虹のたもとに連れて行こう



あなたがここにいてほしい

2020年12月30日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 454◎
Pink Floyd
Wish You Were Here
 
 コロナ禍である。
 11月に東京の叔父がなくなったが、地元の親戚たちからとめられて葬儀にも行けなかった。学生時代、1年間下宿させてもらった、お世話になった叔父だった。昨年末に伴侶(叔母)を亡くして急速に衰え、それから1年もたたずに亡くなってしまった。
 東京でSEの仕事をしている長男は、お盆にも帰省出来なかった。仕事が忙しいこともあるらしいが、年末年始も帰っては来れないようだ。私は気にしていないが、田舎の閉鎖的な空間や、祖父・祖母に感染するかもしれないことを考えているのだと思う。意外と根は優しい息子なのだ。帰省できない代わりにと、私には服を、母親と弟には靴をプレゼントとして送ってきた。いずれも高額なものである。
 コロナは我々の生活を確実に変えていく。コロナ禍のマインドはおそらくは一過性のものではあるまい。コロナ終息後も、じわじわと我々の生活に根付き、影響を与えることになるような気がする。時代精神というものは、そうやって緩やかに変化していくのだ。それが、プラスのベクトルになるよう、我々は意識せねばなせない。
 
 今日の一枚は、プログレッシブ・ロック作品である。ピンク・フロイドの1975年の作品、『Wish You Were Here』である。日本語タイトルは、『炎~あなたがここにいてほしい~』である。名盤『狂気』(→こちら)の次に発表されたアルバムである。「炎」というタイトルは、ジャケットで一方の人間が燃えているからなのだろうか。作品のコンセプトから考えてもあまり納得できるものではない。ちょっと安易な気がする。『神秘』『原子心母』『狂気』『対』など、ピンク・フロイドの作品には、漢字数文字の日本語タイトルが付されることが多かったが、その流れからだろうか。『あなたがここにいてほしい』だけで十分だったし、その方がかっこ良かったと思う。
 ピンク・フロイドについては、忘れがたい記憶がある。学生時代、教育学の楠原彰先生が、「横浜浮浪者襲撃殺傷事件」(1983)の犯人の少年たちがピンク・フロイドを聴いていたという報道に対して、こんな奴らにピンク・フロイドを聴いてほしくはないと、教壇で感情的になったことである。実際、ひどい事件だった。楠原先生は、当時アパルトヘイト反対運動の先頭に立っていた人物で、社会的弱者に対していつも温かい視線をもったリベラルな教育者だった。日雇いの肉体労働者をはじめ、様々な人たちをゲストとして教壇に立たせて、興味深い授業を展開していた人気のある先生だった。そんな楠原先生が、感情的で攻撃的な言葉を発したことに、新鮮な驚きを感じたのである。
 さて、『あなたがここにいてほしい』の「あなた」とは、もちろんピンク・フロイドの草創期の中心的存在だったシド・パレットのことである。感性的でサイケデリックな曲を作っていた彼は、やがて精神に変調をきたして、グループを脱退、その後音楽シーンから姿を消していった。①の「狂ったダイアモンド」とは、まさしくシド・パレットのことであるし、さらにいえば、ピンク・フロイドのすべての作品には、もはやそこにはいないシド・パレットの影が潜んでいるといっていい。ただ、彼らの作品が圧倒的に深いテーマ性をもつのは、シド・パレットとその喪失の問題をそこで終わらせず、人間の普遍的なテーマとしてとらえ返していることによるものと考えていいだろう。
 ピンク・フロイドの音楽は、どのアルバムを聴いても、その高度な批評性にも関わらず、不思議な抒情性に魅了される。人間について、社会について批評するコンセプトを持ちながら、穏やかな安らぎに導いてくれる、そんなサウンドが私はたまらなく好きだ。

<織田信長>の実像

2020年12月30日 | 今日の一枚(W-X)
◎今日の一枚 453◎
Wynton Kelly
Wynton Kelly
 高校で日本史を教えていて、疑問なことの一つが織田信長のことである。私は戦国時代の専攻ではないのだが、いろいろな関りから、1980年代前半ぐらいまでの戦国時代に関する論文をある程度は読んだ経験がある。そこで感じるのは、織田信長は、通常、新しい時代を切り開いた先進的な革新者として位置づけられるが、その領国経営や諸政策において、決して革新的とはいえないということだ(むしろ、後進的な場合すらあるのだ)。例えば、信長に倒された今川氏の方が土地政策や家臣団統制、流通経済政策において、ずっと先進的であった。このことは、高校日本史でこの時代を考える授業をするとき、必ず引っかかっていた問題である。通説と、それを超えらない自分の非力に、身を割かれる思いをすることもあった。
 もう一つ、信長は「天下布武」を掲げて天下統一を目指したというが、「天下」という語が何を意味するのかということについて、ずっと引っかかっていた。学生時代、米原正義先生が授業で(茶の湯に関する講義だった)、史料上の「天下一」という語の検討から、「天下」という語が必ずしも現在的な日本全体を指すわけではないと語ったことが、ずっと気になっいたからである。
 今年読んだ、金子拓『織田信長<天下人>の実像』(講談社現代新書2014)は、そんな疑問に不完全なながらも答えてくれるものだった。金子氏は、織田信長の政策の後進性を認めた上で、神田千里氏らの研究を援用しつつ、信長の「天下布武」の「天下」は、日本全体ではなく、京都周辺の狭い領域を意味するものではないかと語り、信長に領土的野心はなく、天下統一=日本の統一など考えてはいなかったのではないかという結論を導き出した。信長は、室町幕府15代将軍の足利義昭を支えることで、京都周辺の「天下静謐」を目指したというのである。信長の領土拡大についても、戦国・織豊期の先行研究を援用しつつ、「天下静謐」を乱そうとした相手を軍事的に制圧した結果であると位置づけ、制圧した地域についても、中央集権的な方法で統治したわけではなく、旧来的な、その地域の支配者に一任するやり方だったと結論付けた。
 また、足利義昭の追放についても、義昭の立場をわきまえない独善的な強欲さが許しがたかったからであるとし、義昭追放以降も朝廷の守護者として「天下静謐」のために行動していたとする。
 本能寺の変については、四国征伐の頃から「天下静謐」を逸脱し、野心を持ちはじめた信長に対して、明智光秀がそうした信長の動きを頓挫させようとしたのではないかと推論している。
 ややスタティックな論理の感もあるが、史料的裏付けのある部分が多く、先の私の疑問に関しても首肯すべき見解が多いように思う。織田信長に関しては、一般的にも、研究者の間でも、スーパー変革者のイメージが強く、それを書き換えるのは一朝一夕ではあるまい。けれども、個別研究の積み重ねで、信長像は大きく書き換えられるという予感はある。私はそのような方向性を妥当だと考えている。

 今日の一枚は、ウィントン・ケリーの『枯葉』である。『枯葉』というのは日本語タイトルだ。ジャレットには「wynton kelly」としか書かれていない。
 ウィントン・ケリーのピアノは、音が軽いところがいい。深遠さとか、情念とかの概念とは無縁である。もちろん、超絶テクニックなどとも無縁である。そういう意味では表層的なピアノである。一抹の寂しさみたいなものを感じたりするが、それも表層的なテイストに過ぎないだろう。けれども、我々には、ケリーのような、軽い音の、軽いノリが必要なことがある。どうしようもなく、そんなサウンドが必要なことがあるのだ。表層的な軽い響きが、深遠な音を凌駕し、本当の深遠に届くこともあるのだ。絶頂期のウィントン・ケリーのピアノを聴くと、いつもそんなことを夢想する。 

ジャズメッセンジャーズの歴史

2020年12月29日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 452◎
Art Blakey &
Les Jazz-Messengers
Au Club Saint-Germain Vol.1~3

 年末の大掃除は、今年はわりとテキパキとやっている。だから、妻の圧力も少ない。午後からはバスケットLIVEでウインターカップの男子決勝を観戦し、その後は書斎で音楽を聴いている。CDの棚から取り出したのは、『サンジェルマンのジャズメッセンジャーズ』である。アート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズは、その時期によって大幅にメンバーが変わり、サウンドの傾向にも大きな違いがある。そこで、頭を整理するために、ジャズメッセンジャーズの歴史を大づかみにまとめておきたい。私の傍らでは『サンジェルマンのジャズメッセンジャーズ』が流れている。
 まず取り上げなければならないのは、1954年録音の名盤『バードランドの夜』(→こちら)であろう。アート・ブレイキー名義であり、正式にはジャズメッセンジャーズとは書かれていないが、ジャズメッセンジャーズの原型とみなしていいだろう。ホレス・シルヴァー(p)が音楽監督を務め、天才クリフォード・ブラウン(tp)が縦横無尽に吹きまくる、ハードバップの誕生を記録するアルバムとして歴史に残る作品だ。熱気に満ちたファンキーな演奏が特色である。
 アート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズ名義の、正式な最初のアルバムは、1955年録音の『カフェ・ボヘミアのジャズメッセンジャーズ』である。クリフォード・ブラウン(tp)がケニー・ドーハム(tp)に、ルー・ドナルドソン(as)がハンク・モブレー(ts)に入れ替わった(ちなみにベースもカーリー・ラッセルからダグ・ワトキンスに変わっている)。ホレス・シルヴァー(p) のファンキーサウンドの延長線上にあるが、ちょっと元気がないと感じるのは私だけだろうか。やはり、天才クリフォード・ブラウン(tp) の抜けた穴は大きかったということだろうか。結局、このメンバーでの吹込みは、このアルバムが最後となる。
 1956年に、ホレス・シルヴァー(p) が脱退すると、ジャズメッセンジャーズは不遇の時代を迎える。大きな転機となるのは、1958年に編曲が得意なベニー・ゴルソン(ts) が加入したことだ。ファンキーな雰囲気はそのままに、ゴルソン・ハーモニーといわれる、管楽器のアンサンブルを中心としたより構成的なサウンドに変化していく。メンバーも大幅に入れ替わり、ベニー・ゴルソン(ts) の他、リー・モーガン(tp) 、ボビー・ティモンズ(p) 、ジミー・メリット(b) が加入した。アート・ブレイキー(ds) 以外はすべて入れ替わったわけだ。この時期の主要な作品の一つがこの『サンジェルマンのジャズメッセンジャーズ』であり、有名な『モーニン』(→こちら)である。わたしの大好きな『オリンピアコンサート』(→こちら)もこの時期の作品である。
 ベニー・ゴルソン(ts) は1959年に脱退し一時的にハンク・モブレー(ts)が加入するが、同年にウェイン・ショーター(ts) が加入して音楽監督を務めるようになると、サウンドは大きく変貌した。新主流派的なサウンドにフリージャズ的要素を付け加え、アート・ブレイキー(ds) のドラムソロを前面に出すサウンド構成は、それまでのサウンドとは一味も二味も違うものとなった。この時期の代表的なアルバムとしては、1960年録音の『チュニジアの夜』をあげることができる。
 その後、ジャズメッセンジャーズは更なる変化を遂げ、若き日のウィントン・マルサリス(tp) が加入したりするわけだが、私は聴いたことがないのでよくわからない。

 さて、今日の一枚の『サンジェルマンのジャズメッセンジャーズ』である。1958年にパリのジャズクラブ「サンジェルマン」で行われたライブの録音盤である。絶頂期のライブといっていい。CDでは3枚構成で、青がVol.1、黄色がVol.2、緑がVol.3である。どの盤も、ファンキーなフィーリングとゴルソン・ハーモニー満載である。ライブ録音ということで、何より熱気が伝わってくるのがいい。世間では、「モーニン」が入ったVol.2が一番人気のようだが、私の好きな「ウィスパー・ノット」の入ったVol.1も捨てがたい。ゲストに迎えられたモダンドラムの父、ケニー・クラークとのドラムバトルが展開されるVol.3 も必聴である。結局、3枚ともいいわけであり、必聴であるといえる。ただ、一枚一枚がそれほど長くはないといっても、やはり3枚組である。通して聴くには、それなりの時間と心の余裕が必要である。年末年始に聴くには最適かもしれない。
 今日聴いて正解だった。

ケルヒャーで大掃除

2020年12月29日 | 今日の一枚(E-F)
◎今日の一枚 451◎
Fourplay
Elixia
 懸案だったケルヒャーを購入した。購入したのは、K3サイレントベランダである。2週間ほど前から、ケルヒャーで年末の大掃除である。家の周りの擁壁、家の外壁、犬走、ベランダ、浴室、テラスなど時間を見つけてはやっている。ケルヒャーは楽しい。汚れが本当によく落ちる。気持ちいい。もはや、大人用おもちゃと化している始末である(おとなのおもちゃではない)。ところが、コンクリートの部分をよく見てみると、つるつるしていたものがザラザラしているではないか。あまりにパワーが強すぎて、コンクリートの表面が削られているのだ。まずい・・・。やはり、何事もやりすぎはいけない。ケルヒャー掃除も一段落したところで、ひどく反省したのであった。
 今日の一枚は、しばらくぶりにフュージョンである。ボブ・ジェームス(p)、リー・リトナー(g)、ネイザン・イースト(b,vo)、ハービー・メイスン(ds)によって結成されたスーパーセッショングループ、フォープレイの1995年作品『エリクシール』だ。フォープレイの3枚目で、リー・リトナーが参加した最後のアルバムである。
 何かのきっかけで、ずっと以前に購入していた作品だが、ほとんど聴くことがなかった。年末だというので、CDの棚を整理していたら目にとまり、かけてみたのである。悪くない。フュージョン・サウンドではあるが予定調和的には感じない。アドリブ的な部分をより多くフューチャーした、ジャズ的な演奏である。不必要にうるさくなく、お洒落で、小ぎれいで、趣味のいいサウンドだが、演奏のレベルが高いためか、なかなか聴かせるものがある。コーヒーでも飲みながら、午前中の時間を穏やかに過ごすのにはもってこいのアルバムである。
 日々の生活の中で、ダイニングのBOSEで聴きたいと思い、さっそく階下に持って行ってみた。


祟る神、天照大神

2020年12月29日 | 今日の一枚(W-X)
◎今日の一枚 450◎
Wayne Shorter
Odessey Of Iska
 神棚を作り、神を祀り、神に祈る、年末年始には日本の神々や、神道について、何となく意識してしまう。
 神棚に収める「天照皇大神宮」のお札(神宮大麻)を見るたび、いつも考えてしまうことがある。「天照皇大神宮」、すなわち天照大神(アマテラスオオミオミ)は、《祟る神》なのではないかということである。そもそも、日本人が神を祀るのは、神の祟りを畏れ、神を鎮めるためである。皇祖神といわれるアマテラスも例外ではあるまい。そうであれば、正月に我々が神棚に手を合わせるのも、願い事の祈願ではなく、神を鎮魂し、災厄が身に降りかかりませんようにと祈ることに本来の意味があることになる。そのことは、今年読んだ島田裕巳氏の『「日本人の神」入門』(講談社現代新書2016)、『神社崩壊』(新潮新書2018)などの著作によってほとんど確信となった。
 アマテラスは女の神といわれるが、根拠はぜい弱である。弟のスサノオに対して「汝兄(なせ)」と呼びかけたことがほとんど唯一の根拠だ。「汝兄(なせ)」とは、女性が男性に対して親しみを込めて呼ぶ言い方だからだ。『古事記』『日本書紀』に登場するアマテラスからは女性的な優しさを感じることはほとんどない。むしろそのイメージは男性的ですらある。それは、他者を罰し、逆らう者を殺す怖い神であり、武装して軍隊を率い、戦争する軍神である。実際、中世の史料には男神として登場する例もあるようだ。
 もう一つ、明治天皇が参拝するまで歴代天皇が伊勢神宮を参拝しなかったという事実も重要である。学生時代、兼任講師として講義された中世史の村田正志先生が、「歴代天皇はなぜか伊勢に行かないんだよね。みんな石清水に行くんだ。」と語られたことを思い出す。そもそも、皇祖神であるアマテラスが、宮殿内に祀られず、それどころか都から遠い伊勢の地に祀られていること自体、大きな疑問なのだ。まるで、アマテラスをあえて遠ざけ忌避しているようですらある。この点について、島田裕巳氏は次のように語る。
伊勢という、大和から離れた場所が選ばれたのも、天照大神の放つ禍々しい力を避けようとしてのことではなかったのか。(中 略)日本人は天照大神を恐れ、そこから距離をおこうとしてきた。実際、天照大神は、人々を恐れさせるようなことを繰り返してきたのである。
 非常に説得力のある説明である。古代の人々にとって、神の存在とはよりリアルなものであって、そのパワーはまさしく人々に恐れを抱かせるものだったのであろう。神について存在論的に問わず、国家統合の道具として矮小化してしまった明治以降の国家神道、そして戦後の新宗教である神社本庁は、日本の神々のもともとの姿を大きく歪めてしまったように感じられる。

 今日の一枚は、ウェイン・ショーターの『オデッセイ・オブ・イスカ』である。1970年の録音である(Blue Note)。学生時代、最初に聴いた時には正直いってよくわからなかった。ちょっと前衛的でフリーっぽいテイストがうまく理解できず、難しい音楽だと思っていた。今は、すんなり受け入れることができる。サウンドの全体性やサウンドで構成された世界、イメージを聴く音楽だ。その意味で、後藤雅洋氏が「聴き手は、ただショーターの想像力の世界で遊ばせてもらうのである。」と語ったのは全く正しいと思う。
 神秘的で、スピリチュアルな世界。宇宙的で、超常現象的な世界といってもいい。演奏者の創造する世界が、聴き手のイメージを刺激する。余計なことは考えない。ただじっと耳を傾けるのだ。やがて、静かで、深く、柔らかい感動が訪れる。そんなアルバムである。
 Odessey Of Iska は、風の放浪、あるいは風の旅とでも訳すのだろうか。天照大神の話題には、このアルバムの提示するイメージはまったくふさわしい。

毎年迷う神棚飾り(2021)

2020年12月28日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 449◎
Stan Getz
Serenity
  昨日27日は、大安だというので神棚づくりを行った。家を建てたばかりの頃は、奮発してエビも7房のものを数年間使ったものだが、なにせ不必要に高額なので、しだいに5房のものになり、近年では3房のものでいいと考えるようになった。私の住む地域特有のものらしい切り紙や星玉の配列も、はじめは父親から教えられたようにしていたが、考え方に諸説あることや家によって異なる場合もあることを知り、最近ではいろいろ変えてみたりしている。
 いつも迷うのが、恵比寿・大黒のポジショニングである。例えば、星玉(一番手前のカラフルなもの)5枚の場合を例にとれば、向かって右側から松・竹・梅・恵比寿・大黒の順だと教えられたものだが、恵比寿・大黒・松・竹・梅の配列の家も多いらしい。いずれにしてもこの場合、松・竹・梅の配列から見ると、向かって右がより上位のものと考えられるが、それではなぜ大黒より恵比寿が上位なのだろうという疑問が生じる。大黒は「大国主神」であり、恵比寿は「事代主神」であるが、「事代主神」は「大国主神」の子なのだ。『古事記』の中で果たす役割も、大国主の方が重要だ。もちろん、歴史の中でいろいろな神仏と習合した結果であると考えることもできようが、やはり納得はできない。また、また、正面から見て左右対称になる場合、中心に上位のものが位置すべきではないのかとの疑問もある。実際、神棚の神宮大麻(天照皇大神宮)・氏神神社・崇敬神社のお札の配列も、神社本庁によれば、3枚並べる場合は真ん中は天照皇大神宮のお札らしい。であれば、松・竹・梅も松を中央にすべきではないか。さらに、天照皇大神宮のお札を中央にした場合も、2番目に上位のものと考えられる氏神神社はなぜ向かって右(つまり神棚から見て左)なのだろう。古来日本では、左より右が尊いとされる風習に従えば、氏神神社が神棚から見て右(向かって左)になるべきではなかろうか。これを松・竹・梅に当てはめれば中央が松、向かって左が竹、右が梅という考え方もありうるのではなかろうかなど毎年考えてしまう。
 とりあえず今年は下の写真のようにしてみた。松・竹・梅は向かって右から左へ、両脇に恵比寿・大黒を配した。恵比寿を向かって左、大黒を右にしたのは、絵の星玉の場合、恵比寿は左側を、大黒は右側を向いており、恵比寿・大黒は向かいあっているのがいいのだという亡き伯父の教えによる。

 今日の一枚は、スタン・ゲッツの『セレニティー』である。1987年7月のカフェ・モンマルトル(コペンハーゲン)でのライブ盤だ。晩年のゲッツの演奏である。ピアニストはケニー・バロン。晩年のゲッツのお気に入りのピアニストだ。この時のライブは、このアルバムと以前紹介した『アニヴァーサリー』(→こちら)の2枚に収められている。
 多くの言葉を費やす必要はなかろう。素晴らしいアルバムだと思う。晩年のゲッツの円熟した音色。そして若いころからずっとそうだった、淀みのない流麗なフレーズにただじっと耳を傾けたい。③Falling In Love の静寂な世界に思わず目を閉じてしまう。アルバムタイトル通りの Serenity=静けさの中に、ゲッツのテナーの深遠な世界が現出する。音楽というもものが、音と、音と音の間の無音の空間によって構成されているのだということが、本当によくわかる演奏である。

一風ラーメン

2020年12月14日 | 今日の一枚(K-L)
◎今日の一枚 448◎
Wynton Kelly
Piano
 ラーメンは好きだ。よく食べる。震災後、私の住む街のラーメン屋はかなり変動したと思う。地震や津波で、多かれ少なかれ、多くのラーメン屋が被害を受けた。もちろん懐かしい味を復活させてくれた店もあるが、そのまま廃業してしまった店、再建したが味が落ちてしまった店もある。また、若い世代により新陳代謝がはかられた店や、被災地貢献の名のもと、鳴り物入りで他の地域からやってきた店もある。鳴り物入りでやってきた店の中には、メディアに露出し、有名になった店も多い。けれども、実際に行ってみると、これが本当に美味いのかな、と首を傾げたくなる店もある。TVレポーターが絶賛し、観光客らで賑わっているのを見ると、被災地に来てくれた負い目も手伝って、なかなか本当のことを言えないものだ。あるラーメン屋は、都会で板前修業をした人が開いたということで有名になったが、私にはまったく美味しくなかった。ある時、職場の知人とそのラーメン屋の話になったとき、恐る恐る美味くなかったといってみると、その知人も「そうですよね。美味しくないですよね。」と大きな声で相槌を打ってくれたことがあった。やはり、「王様は裸だ」とはなかなか言い出しにくかったようだ。
 ここ10年ぐらい、私がよく行くラーメン屋は、「ラーメン・一風」という店だ。同じ市内といってもかなりはずれの方にあり、車で20分以上はかかるが、それでも月2回以上は行く。先週も土曜日に訪問したばかりだ。一見、昔ながらのしょうゆラーメンだが、味のバランスがきちんとしており、意外に奥行きがある。また食べたくなるラーメンだ。炭焼きのチャーシューは本当に美味い。私は必ず、一風ラーメンと半ライスを注文する。ほとんど浮気はしない。それで過不足ないのだ。
 もともと家族で働いている小さなラーメン屋だが、コロナ騒ぎで席を間引きして営業している。心配だ。それでも、昼食時には並んで待たなければならない状況だが、私にはちょっとぐらい待っても食べたいラーメンだ。

 今日の一枚は、ウィントン・ケリーの『ウィスパー・ノット』である。1958年の録音だ(Riverside)。『ウィスパー・ノット』は邦題である。ジャケットに小さな文字で「PIANO」と記されているが、これが本当のタイトルらしい。Wynton KellyがPianoだということを示す表記かと思っていたが、とするとタイトルは何なのだろう。「WYNTON KELLY」がタイトルなのだろうかなどと考えてしまう。まったく紛らわしい表記の仕方である。
 昔から好きな一枚である。LPも持っていたがだいぶ前にCDも購入した。ちなみに同じくケリーの『ケリー・ブルー』はLPは持っているが、CDは未だに購入していない。多分これからも買わないだろう。ウィントン・ケリーのピアノは、音が軽く、ノリが軽妙なところがいい。ファンキーだが、必要以上に粘っこくないのだ。このアルバムの聴きどころは、ケニー・バレルのギターとの掛け合いである。いや掛け合いというより、協力関係といったほうがいいだろうか。ウィントン・ケリーのピアノにケニー・バレルが絶妙のアクセントをつけ、ケニー・バレルのギターソロにはウィントン・ケリーがお洒落で哀歓を湛えたバッキングをするのだ。
 ①Whisper Not、④Strong Man が私の大のお気に入りである。ウィントン・ケリーもケニー・バレルもなんだか楽しそうだ。
Wynton Kelly(p)
Kenny Burrell(g)
Paul Chambers(b)
Philly Joe Jones(ds)


陸前高田の「h.イマジン」

2020年12月13日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 447◎
Thelonious Monk
Underground
  最近、たまに行くジャズ喫茶は、宮城・伊豆沼(若柳)のコロポックル(→こちら)と、岩手・陸前高田のh.イマジンである。h.イマジンについては震災の時の新聞で知った(→こちら)。その後、岩手・大船渡に再建してから何度か訪問したことがあったが(→こちら)、この大船渡の店は諸事情でわずか数年で閉店してしまった。再び陸前高田に戻るらしいとの情報は知っていたが、それがいつでどの場所かはわからず、余計なお世話ながら心配していた。2019年に陸前高田で再スタートしているらしいとの情報を聞き、初めて訪問したのは今年の春のことだった。以来、4~5回訪問しているが、私が行くときはたまたまいつも空いており、のんびりと音楽に浸る時間を楽しんでいる。今の私は、ジャズ喫茶で原則リクエストはしない。聴きたい演奏なら家で聴けばよいと考えているからだ。気に入ったものもそうでないものも含めて、マスターがかけるアルバムを、じっと座って一定時間聴かねばならないというところにジャズ喫茶の醍醐味があると思っている。そのある種の強制力の中で、いろいろな発見があったりするわけだ。

 今日の一枚は、セロニアス・モンクの『アンダーグラウンド』である。1967~68年に録音されたモンク円熟期の作品だ。グラミー賞の最優秀アルバム・カヴァー賞を受賞したというジャケットは確かにユニークであり印象的なものだ。私は、一見トム・ウェイツの作品かと思ってしまった。
 たいへん聴きやすいアルバムである。いつもながらに、ちょっとヘンテコで、タイミングを遅らせたように奏でられるモンクのピアノは、私にはとても好ましい。モンクの作品を聴くと、いつもそれがジャズ史的な名盤かどうかということより、私にとって好ましいかどうかということを意識させられる。何というか、癒されるのだ。その意味で、モンクの音楽は、私にとっていつでも極私的なものなのだ。チャーリー・ラウズの軽めのテナーサックスが、ほのかな哀愁を感じさせてなかなかいい。モンクのお気に入りのテナー奏者らしいが、モンクの音楽にはこのテナーはあっている気がする。
 ライナーノーツの中山康樹氏の次の言葉は、首肯させられるものだ。
「深読み」と同じく「深聴き」をしようと思えば、いくらでもできる。モンクの音楽はシンプルに見えて、じつは深い。しかしぼくとしては、その深みの手前に無数に用意されている「楽しそうな扉」を次々に開けたくなってしまう。そしてそれが「セロニアス・モンクを聴く」ということだと思っている。難解な部屋にモンクを閉じ込めてはいけない。

陸前高田の三陸花火大会

2020年12月13日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 446◎
Chick Corea & Gary Burton
In Concert
 もう2か月程前になるが、10月31日に隣町の陸前高田市で行われた三陸花火大会というイベントに行ってきた。陸前高田市は、被災地としてメディアへの露出も多く、地域をあげて計画的な復興が行われている地域だ。今回のイベントもその一環なのであろう。来年からは三陸花火競技大会を行うということで、今回のイベントはそのプレ大会という位置付けのようだ。
 それにしても凄かった。これまで多くの花火大会を見てきたが、テレビで見る大曲や長岡の花火を彷彿とさせる、これが現代の花火なのか、と思わせるような代物だった。私たちは一人2500円のB席で会場の後方からの見物だった。10月末の夜は凍えるほど寒かったが、その迫力と美しさはそれを忘れさせるほどのものだった。来年から行われるという競技大会も是非とも見たいと考えている。
 今日の一枚は、チック・コリアとゲイリー・バートンの『イン・コンサート』、1979年のチューリッヒでのライブ録音盤である。非常に美しく、テクニカルで、ライブ盤ならではの熱気や駆け引きの様子がよく伝わってくる一枚である。以前取り上げた1972年録音の『クリスタル・サイレンス』(→こちら)と同じデュオのアルバムで、何曲か同じ曲も演奏されているが、私が『イン・コンサート』の方を先に聴いていたためか、後から『クリスタル・サイレンス』を聴いたときは、美しいれけどちょっと物足りないと感じたものだった。
 学生時代にはチック・コリアをよく聴いたものだ。ハービー・ハンコックやキース・ジャレットより圧倒的にチックをよく聴いた。あの大ヒットしたリターン・トゥ・フォーエバーの影響などではない。純粋にチックのピアノが好きだったのだ。ところが、いつしかチックを聴かなくなった。なぜかはよくわからない。今日この『イン・コンサート』をかけたのも10年ぶり以上のことだと思う。大学生の頃は数十枚程度だったレコードも、いつしか増殖して、LP・CDは数えるのが億劫なほどになった。棚の中には同じように何年も聴いていない作品がたくさんあるはずだ。たまには、そういった作品を探してみるのも一つの楽しみかもしれない。『イン・コンサート』の美しい響きを聴きながら、1980年代前半の、トイレ共同四畳半風呂なしの、三軒茶屋のアパートの情景を思い出した。

しばらくぶりに真湯温泉に行ってみた

2020年12月13日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 445◎
Max Roach & Clifford Brown
 岩手・宮城内陸地震から何年たったろう。そんなことを考えたのは、10月下旬に2週続けて真湯温泉に行ったからだ。もちろん日帰りである。子どもたちが幼い頃には車でよく訪れたものだった。2008年の岩手・宮城内陸地震で被害を受け、その後新しい温泉施設が作られたらしいことは聞いていたが、子どもたちが成長すると行く機会がなくなってしまったのだった。10数年ぶりの真湯温泉はとても気持ちよかった。新しい温泉施設はなかなか立派なもので、露天風呂も趣のあるものだった。周囲の紅葉も素晴らしく、より素晴らしい紅葉を見ようと、車で1時間半程のこの温泉を翌週も再び訪問することになった。
 真湯温泉への途中の祭畤(まつるべ)地区には、美しい紅葉の中に、ぐちゃぐちゃになった道路や折れ曲がってしまった橋など、岩手・宮城内陸地震の生々しい傷跡が災害遺構として残されていた。

 今日の一枚は、マックス・ローチ&クリフォード・ブラウンの『イン・コンサート』である。1954年のロサンジェルスでのライブ録音であり、ブラウン=ローチ双頭コンボ唯一のライブレコーディング盤である。私はこの赤いジャケットが昔から好きなのだが、クリフォード・ブラウンの輝かしい音色とスムーズなフレージングは、今聴いても心が躍る。このアルバムについての寺島靖国さんの次の文章には共感を禁じ得ない。
クリフォード・ブラウンはどう聴いたらいいのか。熱に浮かされたように聴け、といいたい。本人も熱に浮かされて吹いているのだ。次々に湧いてくるフレーズを音にこめ、ハッときづいたらアドリブの持ち時間を終えていたという、ジャズ演奏の理想郷を達成したのがブラウンなのだ。(寺島靖国『辛口!JAZZ名盤1001』講談社+α文庫)

 ①ジョードゥがたまらなく好きだ。

宮城オルレを全コースを歩いた

2020年12月06日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 444◎
Miles Davis
Walkin'
 実は最近サボり気味なのだが、ここ2年ほどウォーキング&トレッキングにはまっていた。いろいろなコースを歩いたが、その中心となるのは《みちのく潮風トレイル》と《宮城オルレ》である。《みちのく潮風トレイル》の方は日本を代表するロングトレイルコースなのでまだまだとても踏破とはいかないが、《宮城オルレ》の方は現在オープンしている全コースを数か月前に踏破することができた。宮城オルレは現在のところ4コース。私が歩いた順に簡単に紹介したい。
①奥松島コース
海あり山ありで、なかなか雰囲気のあるいいコースだ。ただ、最後の「歴史を紡ぐ林道」から「大高森」までは、歩いたのが雨上がりだったこともあり、足場が悪く、本当に難儀な歩きだった。
②気仙沼・唐桑コース
宮城オルレの中では、一番の難コースだろう。アップダウンが激しく、起伏に富んだコースは、歩き人の体力を奪うに十分である。ただ自然豊かで、御崎付近でカモシカに遭遇することもしばしばであり、美しい海の眺望は本当に素晴らしい。最後の笹浜漁港からの登坂はハードであり、オプションコースの半造~巨釜~半造は、疲れた身体にはちょっと厳しい。達成感があるので、私は4度歩いた。
③大崎・鳴子温泉コース
前半の、古の出羽街道を巡るコースは、自然豊かで雰囲気があり本当に楽しく歩ける。ただ、熊が出没するらしく、多くのハイカーが熊鈴をつけて歩いていた。後半は舗装された道が多く、膝にはやや厳しい。大した距離ではないが、最後の温泉街への坂道は疲れた身体にはちょっときついかもしれない。妻と一緒に休憩しながら歩いたこともあり、5時間近くを要した。
④登米コース
私にはちょっと不満の残るコースだった。全体的に平板であり、舗装された道が多く、足には優しくない。楽しみにしていた北上川沿いに歩く道も、そんなに長くはなく、木々のためにほとんど川は見えなかった。最後の平筒沼いこいの森は疲れた身体にはややハードだが、自然豊かで、暗い森の雰囲気を味わうことができ、なかなか良かった。
 Walkin'=歩く、ということで今日の一枚は、マイルス・ディヴィスの1954年録音盤「ウォーキン」である。ハード・パップ台頭のきっかけとなったといわれるアルバムである。ファンキーな色合いはやはりホレス・シルヴァーの参加によるものだろうか。
 web上のいくつかのブログに、村上春樹氏が「いちばんかっこいいジャズのLPは、なんといってもMiles DavisのWALKINです。頭から尻尾までかっこいいです」とか、 「いろいろ聴くよりウォーキンを100回聴いたほうがいい」 とか、「好きなジャズのアルバムを一枚だけ選ぶとすれば、マイルスの『ウォーキン』を選ぶ 」とか言って絶賛したという話が載っているが、どのエッセイにあるのかわからない。もしかしたら、『フォア・アンド・モア』収録の「ウォーキン」のことなのではなかろうか。和田誠・村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)のマイルス・ディヴィスの項目では『フォア・アンド・モア』が取り上げられており、その中で次のような文章が記されている。
「ウォーキン」を聴きながら(それはマイルズが録音した中ではいちばんハードで攻撃的な「ウォーキン」だ)、自分がいま、身体の中に何の痛みも感じていないことを知った。少なくともしばらくのあいだ、マイルズがとり憑かれたようにそこで何かを切り裂いているあいだ、僕は虚無感覚でいられるのだ。
 また、CD『ポートレイト・イン・ジャズ~和田誠・村上春樹セレクション』に収められた「ウォーキン」もやはり『フォア・アンド・モア』収録の「ウォーキン」である。
 いずれにせよ、そのことがこのアルバムの価値を貶めるわけではなく、十分素晴らしい作品である。今日的にはややスローテンポでどん臭い感じのするビートも、歩きながら聴くと意外にマッチするようだ。今度は「みちのく潮風トレイル」コースをこのアルバムを聴きながら歩いてみたいものだ。

ゲッツのルースト盤

2020年12月06日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 443◎
Stan Getz
Split Kick
 雑誌『文學界』11月号(2020)は、「JAZZと文学」の特集だった。結構売れたのではないだろうか。何かでこのことを知り、書店に急いだ時にはすでに売り切れだった。隣町の書店にも足を延ばしたが、やはり売り切れだった。たまたまたAmazonで手に入れることができ、ほっとしている次第である。
 その巻頭の「村上春樹さんにスタンゲッツとジャズについて聞く」(聞き手:村井康司)で、次のような発言があった。
あと、ホーレス・シルヴァーが入っている時代も好きです。「スプリット・キック」とか入っているやつ(スタン・ゲッツ・オン・ルーストVol.2)。ドライブが利いているホーレス・シルヴァーのピアノにスタン・ゲッツもお尻から追いまくられるみたいで、かっこいいんですよね。( 中略 )ホーレス・シルヴァーはゲッツが発見したから。それに比べると、アル・ヘイグ、デューク・ジョーダンといったピアニストはちょっとボルテージがひくいんです。その分、ゲッツは落ち着いてプレイしているんだけど、ホーレス・シルヴァーのあのドライブ感は捨てがたい。やっぱり刺激を受けないと燃えないところがあるから。
 ???。オン・ルーストVol.2??。調べてみると、例の「ディア・オールド・ストックホルム」が入った"The Sound"がオン・ルーストVol.1なのですね。確かに、"Split Kick" のジャケットの下の方には、"STAN GETZ ON LOOST VOL.2"と印刷されている。レーベルに興味がないわけではないが、ちょっと上の世代の、ジャズ喫茶のマスターのような人たちみたいに、レーベル名を冠してレコードを呼ぶ習慣がないので、ピンとこなかったのだ。そういえば、20年ほど前、このルースト盤がCDで復刻された際、"The Sound" だけ買って、"Split Kick" はそのうち購入しようと思っていたのだった。
 「ホーレス・シルヴァーのピアノにお尻から追いまくられるみたい」というのもうなずけるほどに、小気味よくスウィングする感覚が何とも言えずいい。1950年代的な録音とサウンドにも関わらずだ。それにしても、スタン・ゲッツは相変わらず元気だ。というか、若かったのだから、当たり前か。そう思わせるほどに、ゲッツの演奏はいつの時代でも流麗で淀みがない。
 音が伸びやかなところが何とも言えずいいのだ、ゲッツは。