WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

八重姫

2022年03月21日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 571◎
Peter Allen
Bi-Coastal
 『鎌倉殿の13人』の話題である。
 ガッキー演じる八重姫のことが気にかかっている。八重姫は伊東祐親の三女とされるが、wikipediaによれば、延慶本『平家物語』、『源平盛衰記』、『源平闘諍録』、『曽我物語』などの物語類にのみ登場し、古記録などの同時代史料や『吾妻鏡』などの編纂史料には見えないという。 源頼朝の最初の妻であり千鶴丸を生んだとされるが、史実かどうかはわからない。大河ドラマの脚本はそれら物語類に立脚したもののようだ。
 ドラマでは、頼朝の最初の妻だった八重姫に、小栗旬演じる北条義時が思いを寄せる筋書きとなっているが、中世史家の坂井孝一氏は、八重姫が北条義時と再婚して、北条泰時を産んだのではないかとの仮説を提示している。北条泰時の母は、出自不明で「御所の女房」とのみ記される人物であり、ありうることかもしれない。『鎌倉殿の13人』の時代考証を務めているのは坂井氏その人であり、ストーリーはそういった方向に進むのだろう。

 今日の一枚は、ハリー・アレンの1980年作品、『バイ・コースタル』である。先日、「ひまわり」のテーマの入ったレコードを探そうと、レコード棚を物色中に目にとまった。買ったことは憶えており、その存在も認識していたが、思い起こすと聴いた記憶はほとんどない。
 帯には、「ピーター・アレンは、洗練されたアメリカン・ポップ感覚の持ち主であるとともに、私の最も好きなソングライターの1人です。今回はデヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎え、まさしくバイ・コースタルな雰囲気で一杯の素敵なアルバムを作ってくれました。」という竹内まりやの推薦文が載っており、参加ミュージシャンにも有名どころのミュージシャンが名を連ねている。
デヴィッド・フォスター(key)
ジェイ・グレイドン(g)
スティーヴ・ルカサー(g)
ジェフ・ポーカロ(ds)
マイク・ポーカロ(b)
 悪くない。なかなかいいアルバムだ。特に、②Fly away は印象深い佳曲である。2回繰り返して聴いているうちに、何だかサウンドに同化してきた。同時代に聴いていたら、お気に入りの一枚になったかもしれない。


ハイレゾが聴けない!

2021年10月17日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 553◎
大貫妙子
Aventure

 ハイレゾで聴きたい、そう思ったのは、apple music で《ハイレゾロスレス》で配信されている、ビートルズのSgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band を聴いてからだ。古いiphone にヘッドホンをつないで聴いた。With A Little Help From My Friends のリンゴ・スターのドラムの鮮度に驚愕した。こんなドラムを叩いていたのかと思った。
 
 ところがである。よく調べてみると、iphoneにヘッドホンを接続しても本当のハイレゾでは聴けないということが分かった。私が聴いたのは、ハイレゾではなかったのだ。本当は、もっといい音で聴けるということだ。apple music で配信されている音質は次のとおりである。
44.1kHz / 16bit ロスレス
44.1kHz / 24bit ロスレス
48.0kHz / 24bit ロスレス
88.2kHz / 24bit ハイレゾロスレス
96.0kHz / 24bit ハイレゾロスレス
192.0kHz / 24bit ハイレゾロスレス
 一番上の44.1kHz / 16bitがCDの音質である。ロスレスとは音源データをカットせずにそのまま配信することだ。例えば、MP3などは、データを軽くするために一部を切っているのでロッシーと呼ばれている。その意味では音質は向上しているといえる。けれども、問題はそれを聴く方法がないということだ。ベッドホンについては、いくら性能のいいものを接続しても、48.0kHz / 24bitまでだという。 appleのLightningケーブルのためである。ヘッドフォンジャックアダプタの中のDACの性能が、それで限界だからである。ちなみに、Bluetoothは全然駄目である。ロスレスのまま音声データを送ることすらできない。いくら高価なイヤホンでも、Bluetooth規格の限界までの音質におちるようだ。

 何とか、ハイレゾロスレスで聴く方法はないものだろうか。できれば、耳をふさぐヘッドホンではなく、ちゃんとしたスピーカーで聴きたい。ネットワークプレーヤーを使う方法も考えられるが、結局Air Playで接続することになるので、ハイレゾには対応しないらしい。

 やはり、パソコンが一番いいことになる。そう思って、外付けDACを購入した。パソコンからDACを通して、アンプに接続するわけだ。ところがである。後でわかったことだが、iTunes for windows ではロスレスやハイレゾロスレス自体がが配信されていないというのだ。ショックである。結局、現時点ではMacを購入するか、amazon Music HDやmoraなどのApple Music以外の配信サービスに乗り換えるしか方法はないようである。それにしても、appleのやり方は、いい加減ではないだろうか。高音質を大衆化させるのであれば、社会的責任として、それを聴ける方法についても多くの選択肢を用意すべきだろう。

 今日の一枚は、大貫妙子の1981年作品、『Aventure』である。いわるゆる《フランスもの》のひとつである。大貫妙子は私が例外的によく聴く、日本人アーティストである。とくに、初期の作品は好きだ。最近発見したのだが、apple Musicでは、大貫妙子の初期の作品、Mignonne, Romantique, Aventure, Cliche, Signifie, カイエがハイレゾロスレスで配信されている。ハイレゾで聴きたいという思いは、つのるばかりである。

室根まきばの湯もコロナ対応

2021年08月29日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 539◎
小曽根 真
Ozone 60
 退院して以来、諸手続きや買い物のほかは自宅で過ごしていたが、明日から仕事に復帰することもあって、今日は近隣の日帰り入浴に行ってみた。岩手県一関市大東町の室根山の中腹にある《まきばの湯》である。気仙沼市の自宅から車で45分程度の、時折訪れる日帰り入浴施設である。浴槽もそれほど大きくはなく温泉でもないが、交通の便が悪いこともあってめったに混んだりはしない。窓の外に広がる牧場の眺めと、空いている休憩室でゆったりと寝転ぶことができるのが魅力である。料金も安い。なんと、大人320円である。
 しかし、コロナ禍はこの地にも及んでいるようだ。岩手県独自の緊急事態宣言が出されているとのことで、当分の間、一関市在住の人以外の利用はできないとのことだった。今日は知らずに来たということで、特別に利用を認めてもらったが、今後しばらくの間は自粛せねばならないようだ。これまでは、施設利用の際、名前と電話番号を用紙に記入すればよかったが、ついに一段進んだ対応となってしまった。岩手県がコロナ0人記録を更新していた頃が遠い昔のようである。
 さて、しばらくぶりの《まきばの湯》である。最高だった。青空に雲が漂う牧場の風景を見ながら入浴し、ガラガラの休憩室で横になって休んだ。気持ちの良い涼しい風を感じながらうとうとし、一時間ほど眠った。入院していた汗臭い病室が夢のようである。
 今日の一枚は、小曽根真の2021年作品、『OZONE 60』である。小曽根の還暦を記念した2枚組作品だ。クラッシック中心の一枚と、ジャズの書下ろし新曲からなる一枚からなる。apple musicで聴いている。小曽根の作品は数枚しか所有していないが、何となくフィーリングの合うピアニストだと思ってきた。入院をきっかけに、apple musicで小曽根真を聴くようになった。波長の合うアルバムがたくさんある。購入してコレクションに加えたいとも思うが、一方で退職を控えてこれ以上物を増やしてどうするのだとの思いもある。膨れ上がってしまったコレクションを電子データ化しようと考えたりすることもあるのだ。当面は、apple musicをステレオ装置につないで、小曽根を聴き込みたいと思う。

発掘狂騒史②

2021年04月04日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 490◎
Oliver Nelson
Blues And The Abstract Truth
 「発掘狂騒史①」(→こちら)の続きである。
 捏造発覚前に藤村らの旧石器を批判したのは、小田静夫、チャールズ・T・キーリー、竹岡俊樹、角張淳一、竹花和晴に限られる。捏造発覚前の考古学界は、批判的な学者や研究者を排斥したり圧力を加えたりしてきたのだった。 
 このうちの角張淳一君とは、大学時代同じ史学科3組だった。専攻も違い、特に仲が良かったわけではなかったが、顔も名前も思い出すことができる。上原善広『発掘狂騒史』(新潮文庫)は、角張君のことにも多くの紙数を割いており、私はこの本で捏造事件と角張君の関わりを知ったのだった。
 発掘調査会社アルカの代表だった角張君は、もともと捏造した藤村とは友人であり、彼らによる新しい発見が出るたびに一緒に喜んでいたという。ところが、不自然な発掘の状況から、藤村らの石器に疑問を抱くようになり、竹岡俊樹に相談して指導を受け、捏造に確信をもつようになる。角張君は、親友と捏造告発の間で悩み、引き裂かれていった。そもそも一大ブームを巻き起こしていた前期旧石器を、発掘を請け負う調査会社が批判するなど、会社の存亡の危機にかかわることだ。ダブル・バインドだ。角張君は、どんどん酒量が増えて健康を害していったようだ。2000年7月、ついに角張君は自社のHPに「前期・中期旧石器発見物語は現代のおとぎ話か」と題する論文を発表する。この論文が捏造発覚の起爆剤となるわけだが、返ってきた反応は考古学ファンらからの脅迫電話や、学者・研究者からの嫌がらせ、考古学界長老からの脅しだったという。毎日新聞のスクープで捏造が発覚してからも、角張君はアルコールに溺れ、酔っては友人・知人に電話をかけ続けたという。ある人物には「捏造を暴露したことを後悔している」といったという。捏造発覚後の検証委員会の委員には、角張君も竹岡さんも呼ばれず、結局、角張君は2012年5月に52歳という若さで急死してしまう。
 旧石器捏造事件は、誠実な一人の研究者の命をも奪ったのだ。

 今日の一枚は、オリバー・ネルソンの『ブルースの真実』だ。1961年録音作品。パーソネルは、次の通りである。
Oliver Nelson(as, ts)
Eric Dolphy(as, fl)
Freddie Habbard(tp)
George Barrow(bs)
Bill Evans(p)
Paul Chambers(b)]
Rey Haynes(ds)
 すごいメンバーである。こんなに4番バッターだけ集まったら演奏が破綻してしまうんじゃないかと思ったりするが、破綻しないのはオリバー・ネルソンの編曲の才能なのだろう。オリバー・ネルソンが提示したフォーマットの中で、メンバーは自分のスペースを与えられ、エリック・ドルフィーが、フレディー・ハバードが、そしてビル・エヴァンスが斬新で輝かしいソロを展開する。そして最後は全員でブルースに収斂していく。今日はこの文章を書き、角張君のことを考えながら、ボリュームをしぼって聴いている。ボリュームをしぼっても、まったく違う形でこのアルバムの良さを感じることができる。いい感じだ。闇の中から、静かに音の響きが立ち上がってくるようだ。今日は禁酒日にしようと思っていたが、ウイスキーが飲みたい心持になってしまう。

中大兄皇子の禁断の恋?

2021年04月03日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 486◎
Paul Bley
Open, To Love
 「中大兄はなぜすぐに天皇になれなかったのか?」に関する俗説である。
 中大兄が、孝徳天皇の后だった間人皇女(はしひとのひめみこ)と密通していたという話だ。しかも、間人皇女の父は舒明天皇、母は皇極(斉明)天皇である。つまり、中大兄の同母の妹、実の妹ということになる。古代社会では、異母兄妹の結婚や恋愛はごく当たり前だった。しかし、同母の妹ではまったく話が別である。のちの律令も「国津罪」として禁じており、実際その禁忌を犯して追放された皇子・皇女も存在するのだ。この話が本当だったとすれば、禁忌を犯した中大兄に天皇になる資格がないと考えられても不思議はない。反対勢力が結束して、そのことを理由に中大兄の即位を阻止した可能性も考えられる。昨日、孝徳天皇と対立した中大兄が群臣を引き連れて飛鳥に帰り、残された孝徳天皇が難波宮で失意のうちに亡くなったという話を記した(→こちら)。この時も間人皇女は中大兄に同行していたようなのだ。夫を捨てて兄を選んだ、ということになる。下世話な話になるが、孝徳天皇と中大兄の対立は、間人皇女と中大兄の関係に真実味を与えてしまう。
 ただ、この中大兄の禁断の恋の話は、史料的な裏付けに欠けるという意味で、十分な説得力はない。俗説のひとつというべきであろう。先に述べた難波から飛鳥に帰るとき2人は一緒だった話とか、間人皇女の夫である孝徳天皇の歌に2人の仲を疑わせる言葉があるといった程度の根拠であり、真相は闇である。

 今日の一枚は、ポール・ブレイの『オープン, トゥ・ラブ』である。1972年録音作品のピアノ・ソロ作品だ。これはジャズなのだろうかと思ってしまう。まったくスウィングしないのだ。魅惑的なメロディーもない。現代前衛音楽的である。けれども、クラッシック的ではない。弾き方はジャズの話法である。キース・ジャレットのリスナーだった私は、比較的抵抗なく受け入れることができたが、ハード・パップが大好きなジャズファンは抵抗があるかもしれない。事実、今はCDもあまり売れないらしく、過去の作品を探すのも難しいことがある。硬質で静寂なピアノの響きを聴く作品である。音と無音の織りなす冷たい世界を聴く作品である。冷たい世界の中で時折現れる、熱くピアノに没入するように音数が多くなる瞬間に、ハッとさせられる。

リゾーム

2021年03月14日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 478◎
The Oscar Peterson Trio
We Get Requests
 本棚を整理していて懐かしい本を見つけた。1980年代に流行したドゥルーズ=ガタリの『リゾーム』である。何とも開いたためか、もう本はバラバラの状態だ。帯の宣伝文句には、「80年代の思想シーンを規定した、ドゥルーズ-ガタリの戦闘的パンフレット」とある。周知のように、リゾームとは地下茎のことであり、ツリーの反対概念である。各人が、非統制的、非管理的に、自由にコミュニケーションすることで、権力に対抗するイメージを表したものだ。今振り返ってみると、スマホやPCを使って各人が自由にあるいは偶然性によって繋がることのできる社会にシフトした点では、リゾームの描くイメージは先見性があったといえるかもしれない。しかし一方、その反作用としてあるいはそれへの対抗として、国家権力の統制が強まったこともまた事実であろう。問題は、そうした統制を市民が受け入れ、場合によっては増幅しているように見えることである。
 今日の一枚は、オスカー・ピーターソンの『プリーズ・リクエスト』である。1964年録音の作品だ。私はなぜか、オスカー・ピーターソンを聴いてこなかった。LPやCDのコレクションの中にも、持っているのはこの一枚のみである。この一枚も、教養主義的に聴くために買ったような気がする。オスカー・ピーターソンを毛嫌いしていたわけではないが、私が伸ばしていたアンテナには引っかからなかったようだ。私の聴く音楽の傾向とコードが違っていたのかもしれない。今、オスカー・ピーターソンを聴いている。趣味のよい、お洒落なサウンドである。衰えてきた耳にも優しい。ただ、若い頃聴かなかった理由もわかるような気がする。お洒落で美しい演奏だが、予定調和的で、つまらなく感じたのだろう。もちろん、忌み嫌うような演奏ではない。定年したら、肩の力を抜いて聴けるかもしれない。
 

あの日の夜

2021年03月13日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 476◎
大貫妙子
Attraction
 今週は、10年目の3月11日があった。震災にまつわることについては、これまでいろいろ書いた。ただ、私は津波そのものを見ていない。たまたま海岸から遠いところにいたのだ。いつも思い出すのは、あの日の夜のことだ。避難先で過ごした夜は、本当に寒かった。避難先には、確かな情報は何も入らなかった。高校に津波が押し寄せ、体育館の屋根はもうないらしいなどの噂を聞いたがリアリティーを感じられず、デマの類かと思ったほどだ。携帯電話のワンセグで見たニュースに町が燃えている映像が映り、「気仙沼市」という文字を見たときも実感がもてなかった。あわてて外へ出て空を見上げた。遠くの空が真っ赤に色付いていた。大変なことが起こったのかもしれない、とその時初めて思った。

 今日の一枚は、大貫妙子の1999年作品の『アトラクシオン』である。私は、日本の音楽はあまり聴かない。大貫妙子の音楽は、数少ない例外の一つだ。今週見た、テレビの震災関連番組のバックに聞き覚えのあるメロディーが流れていた。大貫妙子の「四季」だった。郷愁を感じさせる日本的な旋律、歌詞の中の故郷の情景の描写や、「胸に残る 姿やさしい 愛した人よ」「さようならと さようならと あなたは手をふる」などの言葉が、震災を追憶する音楽としてふさわしいと考えられたのだろう。早速、「四季」の収録されている『アトラクシオン』をしばらくぶりに聴いてみた。「四季」は、やはりいい曲だ。歌詞の背景や意味については不明だが、喪失の歌のようだ。不在の人と故郷で過ごした情景を描写した歌詞である。前半部でその人と過ごした故郷の情景が鮮やかに描かれ、終わりになってその人が今はもう不在であることが告げられる。「さくらさくら 淡い夢よ 散りゆく時を知るの」という言葉で死のイメージが提示され、「さようならと さようならと あなたは手をふる」という言葉で、その人の去り行く情景が描かれる。秀逸な歌詞である。初期の、フランスものの時代とは一味違う、円熟した大貫妙子の曲だといえよう。
 今、「風の旅人」がかかっている。これもまたいい曲だ。

大島の亀山

2021年03月07日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 475◎
Pat Metheny Group
Travels
 すごい。本当にすごい。
 気仙沼大島の亀山からの眺望のことである。初めてではない。子どもの頃には、家族であるいは学校の遠足で何度も登ったものだ。ずっと登っていなかった。おそらく数十年ぶりだ。地形の輪郭の美しさ。海の輝き。空の青さ。全く別世界のような、圧倒的な存在感に涙が出そうだった。
 三陸道の気仙沼湾横断橋が開通したということで、年老いた父親を伴って大島までドライブした。折角来たのだからと思い、亀山に向かった。歩けるうちにもう一度登らせてみたかった。駐車料金500円を払えば、往復無料のシャトルバスで山頂付近まで送ってくれる。一昨年の大島大橋に続いて、今回横断橋が開通したことで、大島はずっと近くなった。私の家からは15分程度だ。これからちょくちょく訪れることになりそうだ。しばらくぶりに、みちのく潮風トレイル大島一周コースに挑もうか。
 今日の一枚は、パット・メセニー・グループの『トラベルズ』である。1982年7月~11月のライブ録音盤である。美しく、変幻自在のサウンドである。亀山の眺望を見ながら、パット・メセニーの音楽が無性に聴きたくなった。こういうことはよくある。パット・メセニーの音楽は、風景とシンクロすることが多いような気がする。パット・メセニーというギタリストを知ったのは、1988年のライブ・アンダー・ザ・スカイで見てからだと思う。仙台で見た。Goin Ahead かTravels だったと思う。夕暮れ時の空の色に、音楽が妙にマッチしていた。今でも忘れられない。それからずっとパット・メセニーを聴き続けている。

あなたがここにいてほしい

2020年12月30日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 454◎
Pink Floyd
Wish You Were Here
 
 コロナ禍である。
 11月に東京の叔父がなくなったが、地元の親戚たちからとめられて葬儀にも行けなかった。学生時代、1年間下宿させてもらった、お世話になった叔父だった。昨年末に伴侶(叔母)を亡くして急速に衰え、それから1年もたたずに亡くなってしまった。
 東京でSEの仕事をしている長男は、お盆にも帰省出来なかった。仕事が忙しいこともあるらしいが、年末年始も帰っては来れないようだ。私は気にしていないが、田舎の閉鎖的な空間や、祖父・祖母に感染するかもしれないことを考えているのだと思う。意外と根は優しい息子なのだ。帰省できない代わりにと、私には服を、母親と弟には靴をプレゼントとして送ってきた。いずれも高額なものである。
 コロナは我々の生活を確実に変えていく。コロナ禍のマインドはおそらくは一過性のものではあるまい。コロナ終息後も、じわじわと我々の生活に根付き、影響を与えることになるような気がする。時代精神というものは、そうやって緩やかに変化していくのだ。それが、プラスのベクトルになるよう、我々は意識せねばなせない。
 
 今日の一枚は、プログレッシブ・ロック作品である。ピンク・フロイドの1975年の作品、『Wish You Were Here』である。日本語タイトルは、『炎~あなたがここにいてほしい~』である。名盤『狂気』(→こちら)の次に発表されたアルバムである。「炎」というタイトルは、ジャケットで一方の人間が燃えているからなのだろうか。作品のコンセプトから考えてもあまり納得できるものではない。ちょっと安易な気がする。『神秘』『原子心母』『狂気』『対』など、ピンク・フロイドの作品には、漢字数文字の日本語タイトルが付されることが多かったが、その流れからだろうか。『あなたがここにいてほしい』だけで十分だったし、その方がかっこ良かったと思う。
 ピンク・フロイドについては、忘れがたい記憶がある。学生時代、教育学の楠原彰先生が、「横浜浮浪者襲撃殺傷事件」(1983)の犯人の少年たちがピンク・フロイドを聴いていたという報道に対して、こんな奴らにピンク・フロイドを聴いてほしくはないと、教壇で感情的になったことである。実際、ひどい事件だった。楠原先生は、当時アパルトヘイト反対運動の先頭に立っていた人物で、社会的弱者に対していつも温かい視線をもったリベラルな教育者だった。日雇いの肉体労働者をはじめ、様々な人たちをゲストとして教壇に立たせて、興味深い授業を展開していた人気のある先生だった。そんな楠原先生が、感情的で攻撃的な言葉を発したことに、新鮮な驚きを感じたのである。
 さて、『あなたがここにいてほしい』の「あなた」とは、もちろんピンク・フロイドの草創期の中心的存在だったシド・パレットのことである。感性的でサイケデリックな曲を作っていた彼は、やがて精神に変調をきたして、グループを脱退、その後音楽シーンから姿を消していった。①の「狂ったダイアモンド」とは、まさしくシド・パレットのことであるし、さらにいえば、ピンク・フロイドのすべての作品には、もはやそこにはいないシド・パレットの影が潜んでいるといっていい。ただ、彼らの作品が圧倒的に深いテーマ性をもつのは、シド・パレットとその喪失の問題をそこで終わらせず、人間の普遍的なテーマとしてとらえ返していることによるものと考えていいだろう。
 ピンク・フロイドの音楽は、どのアルバムを聴いても、その高度な批評性にも関わらず、不思議な抒情性に魅了される。人間について、社会について批評するコンセプトを持ちながら、穏やかな安らぎに導いてくれる、そんなサウンドが私はたまらなく好きだ。

風の道

2015年02月18日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 418●

大貫妙子

Cliche'

  寒い日々が続いている。先週は、土曜・日曜と連続で風呂屋に行った。日曜日はかなりすいていたので、広い露天風呂を独り占めし、青空と雲を見上げながら鼻歌を歌った。口をついて出たのは、大貫妙子の古い曲、「黒のクレール」だった。改めていい曲だと思った。いい曲だとは思ったが、ちょっと意外ではあった。若い頃、随分と聴きすぎたせいか、いわゆる聴きあきして、もうだいぶ長い間、LPやCDでは聴いたことがなかったからだ。

 大貫妙子の1982年作品、『クリシェ』だ。「黒のクレール」はこのアルバムのトップを飾る曲である。改めて発表年をみると私の大学時代だ。けれど、このアルバムに出合ったのはもう少しだけ大人になってからだったように思う。悪くない作品だ。いい作品だと思う。けれども、50代になった現在の私には、この作品を全編通して聴くだけの時間も、心の余裕も、そして情熱もない。今の私がこのアルバムをCDトレイに乗せるのは、⑤「風の道」を聴くためだ。いい曲だ。心に響く詩である。大貫妙子、畢生の名曲であると勝手に断じたい。


    「風の道」

はじめての場所 静かな街
ここであなたは おおきくなる

庭先にいま 錆びついてる
自転車がある 息をひそめて

今では他人と 呼ばれるふたりに
決して譲れぬ 生き方があった

とりとめもなく 歩くあちに
心はいつか 暖かくなる

今では他人と 呼ばれるふたりに
決して譲れぬ 生き方があった

おたがい寄り添う 月日を思えば
語る言葉もないほど 短い

 心が熱くなり、深い部分から何ものかがこみあげてくる。物悲しい、置き去りにされたような孤独感を感じる歌だが、言葉があまりにフィットして恐ろしいほどだ。「今では他人と 呼ばれるふたりに 決して譲れぬ 生き方があった」というところの言葉のリアリティーに立ちつくすのみである。大学生の頃ではなく、少しだけ大人になって出合ったからこそ、この曲に共感できたのだと、今は思う。

 「おたがい寄り添う 月日を思えば 語る言葉もないほど 短い」という虚無感を表出した最後のフレーズの、その「短い時間」が「永遠」につながっているのだ。


国家とはなんだろう?

2015年02月06日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 415●

Ornette Coleman

An Evening With Ornette Coleman

 国家とはなんだろう。例の「イスラーム国」の邦人殺害事件と日本政府の対応をみていると、ついそんな青臭いことを考え込んでてしまう。わが政府にとって、それは少なくとも国民の総体を意味するものではないようだ。それでは一体何んだろうか。極右政権よろしく、天皇陛下そのものだろうか。もしかしたら本当はそう思っているのかもしれないが、事件への一連の対応をみる限りそのようには見えない。もっと何か違うもの。中身のない、空虚な観念そのもののようにみえる。空虚な観念としての国家を守るために、そしてその誇りを守るために、人は生き死に、あるいは殺し殺され、またあるいは見捨て見捨てられるのだ。もちろん、イスラーム国だって同じだ。空虚な観念などと記したが、観念に中身なんかなくったて構わない。むしろ観念とは、本質的にそのようなものだ。人間というものは、皇国や八紘一宇や、あるいは革命といった空虚な観念のために死ねる存在なのだ。ずっと昔からそうやってきたのだ。

 ただ、確認しておくべきは、近代政治思想はなんだかんだいっても、社会契約説に基づいている。それによれば、国家とはアプリオリに、つまりあらかじめそこにあったものではなく、人間がある目的のためにつくりだした手段であるということだ。ある目的とは人権の擁護だ。そのために国家は存在しているのである。だから、政治の目的とは人権を守ることなのであり、政府の存在意義とは諸国民の権利を調整することなのだ。だからこそ、極右思想は社会契約説を目の敵にして攻撃するのだけれど・・・。

 今日の一枚は、オーネット・コールマンの1965年ロンドン録音作品、『クロイドン・コンサート』である。私のもっているCDの帯には、「『ゴールデン・サークル』と並ぶ、ジャス史を飾る重要作」とある。私は、基本的にフリー・ジャズは嫌いではない。けれど、この作品については正直いってずっとわからなかった。いや、今だってよくわからない。よくわからないから、サウンドに入っていけず、感動とか感銘とかを感じられない。好き嫌い以前に、よくわからないのだ。だから、ずっと以前に購入したCDだが、数度聴き放置したままだった。何のきっかけか、もう一度聴いてみようと思い立ち、ここ数日、ながら聴きをしている。もう3回程聴いただろうか・・・。よくわからないのは変わらないが、もしかしたら意外に叙情的なことをやっていたのではないかと思うようになった。音量をあげたら旋律の輪郭がはっきりしてそんなふうに思ったのである。音量をしぼって聴いてみたら、何だか心地よくて眠気が襲ってきた。これは、サウンドのなせる業だろうか、あるいは単に私が疲れていただけなのだろうか。


仮性包茎を想起してしまうジャケット

2014年11月23日 | 今日の一枚(O-P)

☆今日の一枚 382☆

大貫妙子

Mignonne

 大貫妙子自身の評価は高くないようだが、私自身は大好きなアルバムであり、恐らくは大貫妙子の作品の中で最もよく聴いたアルバムだと思う。あまりに聴きすぎたせいで飽きてしまい、ここ数年はご無沙汰だったのだが、少し前にCDを購入したことがきっかけにまた聴くようになった。1978年リリースの大貫妙子『ミニヨン』、1980年代前半に出合って以来、ずっと貸しレコードをダビングしたカセットテープで聴いてきた。素晴らしいの一言である。アルバム全体に漂う、気高い感じがいい。佳曲ぞろいであり、曲の配列もよく練られている。サウンドもこの時代としてはかなり斬新なものだったはずだ。長い年月聴き続けてきたこともあり、私にとっては一曲一曲が感慨深い。②「横顔」の初々しさや、⑨「海と少年」のさわやかさ、⑩「あこがれ」の誠実さは、心の深い部分に共振する。ちょっと意外なところだが、④「空をとべたら」が私は好きだ。ノリの良さとポップなメロディーラインに魅了される。

 名曲の誉れ高い⑧「突然の贈りもの」に否定的な見解はまったくない。その詩的世界に首肯し、同化するのみである。自分のことが歌われていると誤解するほどである。けれど、大貫妙子がかつて坂本龍一と恋人同士で一緒にくらしていたなどという、ゴシップ情報をwebで知ってしまい、この曲が坂本龍一のことを歌っているのではないかなどと考えてしまうようになった。下司の勘ぐりである。作品の本質にはまったく関係がないことだ。webの功罪か、あるいは私の俗物性の故か・・・。

 印象的で素晴らしいジャケット写真である。大貫妙子も若々しく可愛らしい。素敵な女性だ。「ミニヨン」=「可愛らしい女の子」である。ところがである。この素晴らしいジャケットをみると、いつも仮性包茎を想起してしまう。昔、雑誌の挿画か何かで同じようなイメージのものを見たのである。自分の下品さ、俗物性を思い知るのみである。


いまを生きる

2014年08月15日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 374●

Pat metheny

Watercolors

 

訃報に接した。俳優のロビン・ウィリアムスが亡くなった。自殺だったらしい。好きな役者だった。

 若い頃、「いまを生きる」(1989)に魅了された。全寮制の名門校に赴任した教師の話だ。厳格な規則に縛られて生活する生徒たちに対して、ロビン・ウィリアムス扮する教師は、詩の素晴らしさや、生きることの素晴らしさについて教えようとし、生徒たちも次第に目覚めていく。印象的だったのは、授業中に突然教卓の上に立って「私はこの机の上に立ち、思い出す。つねに物事は別の視点で見なければならないことを。ほら、ここからは世界がまったく違って見える」と語り、生徒たちを同じように教壇に立たせるシーンだ。

 私も、そのような教師になりたいと思っていたのだ。生徒を教卓の上に立たせる教師にではない。物事を別の視点から考えさせることのできる教師にだ。1980年代の後半、私は愛知県の定時制高校に新任教師として赴任した。荒れた学校だった。学校を立て直すべく、教師たちが奮闘している最中だった。私はまだ、授業技術も、生徒指導技術もなかったが、心優しき先輩教師たちの力を借りながら、文字通り身体を張って頑張った。傲慢ないい方だか、学校を、そして生徒たちを自分の力で立て直したいと思った。独りよがりで力まかせだったが、情念のようなものだけはあったのだ。いろいろな経験をした。うまくいったことも、いかなかったことも、そして失敗も含めて、その後の教師生活で経験しないようないろいろなことだ。教師たちの努力の甲斐もあって、数年で学校は落ち着いた。私の力など微々たるものにすぎなかったが、そのような教員集団の中にかかわれたことは大きな経験となった。ステレオタイプで固定的にものを考える傾向のある暴走族出身の「不良生徒」たちにとって、別の視点で物事をみるスタンスは意表をつかれるものだったらしく、しばしば生徒たちと対立し、そして和解した。議論はしばしば白熱し、あるいは時に混乱した。思考をぐるぐるかき回すことはできたと思う。私の原点である。

 パット・メセニーの1977年録音作品『ウォーターカラーズ』は、そのころよく聴いたアルバムだ。日々の仕事に疲れた心身を補正するため、よく琵琶湖までドライブしたものだ。晴れ渡った青空をうけていぶし銀のように輝く琵琶湖の湖面はほんとうにきれいだった。中古のシティーターボの、あまり音の良くないカーステレオからは、BGMのようにこのアルバムが流れていた。水面を音が飛び跳ねるような、瑞々しいサウンドだ。今聴いても新鮮である。⑤ River Quay に心がウキウキする。メロディーを口ずさみながら、湖岸を走る情景がよみがえるようだ。

 以後の私が、十分にロビン・ウィリアムス扮する教師のようであったかどうかは自信がない。けれども、50歳を過ぎたいまでもそうありたいと思っている。退職までもうそう多くの時間があるわけではないが、まだできることはあると思っている。


「フランスもの」の時代

2014年07月31日 | 今日の一枚(O-P)

●今日の一枚 370●

大貫妙子

Romantique

 

 5月からwowowに加入した。大貫妙子の40周年ライブを視聴するためである。なかなか良いライブだった。興味深いライブでもあった。それにしても、1953年生まれの大貫妙子はもう60歳をこえているのだ。声の艶やのびやかさ、透明感は、例えば懐メロ番組に登場する同年代の歌手たちに比べて、ぬきんでて素晴らしい。歌の解釈や表現力もより深いものを獲得しているようにみえる。この声を維持するために、日々の生活を節制し、トレーニングに励んでいるであろうことは想像に難くない。

 しかし・・・・。それでも正直いって、聴くのが、そして視るのがつらかった。決して悪いライブではなかったが、ある種の「老い」がつらかったのである。彼女の「円熟」を認めながらも、無意識に若い頃の、溌剌とした大貫妙子を探し求めてしまう。そういったイメージが先入観として頭にインプットされてしまっているのだろう。

 このライブがきっかけで、初期の大貫妙子のCDを数枚買ってみた。いずれも、80年代に録音したカセットテープでずっと聴いてきた作品だ。大貫妙子を熱心に聴いたのは、1992年の『Drawing』あたりまでだったろうか。その後も数枚買ったが、聴きこんではいない。80年代後半から90年代の大貫妙子ももちろん悪くはないが、やはり、若い頃に聴いた、70年代末から80年代前半の、「フランスもの」といわれるヨーロピアン・サウンド時代の作品には特別の想いがある。後年の作品に比べれば、荒削りで、まだ十分にソフィスティケートされてはいないが、新しいものを、これまでの日本のポップスにないものをつくりあげようという、清新な気風に満ちている。

 1980年作品の『Romantique』は、初期の、「フランスもの」の時代の代表作だ。今日的視点からみても、日本のポップスの傑作/名盤といってもいいのではないか。かたくなだが、誠実で純粋なひとりの女性の姿が表出されている気がする。佳曲ぞろいのアルバムであるが、「若き日の望楼」には特別の感慨をもつ。貧しいけれど、自分の道を探し求め、夢を語り合う若者たちの姿、それを追憶する歌詞には共感を禁じ得ない。

見えぬ時代の壁  かえりこない青春

というころが何ともいえず、感慨深い。

 なお、wikipediaには、この『Romantique』についての、妙に詳細な解説が掲載されている。不思議だ。

 

 


「青春の太田裕美」あるいは「太田裕美的青春」

2013年10月27日 | 今日の一枚(O-P)

◎今日の一枚 354◎

太田裕美

手作りの画集

Scan

 極私的名盤である。この作品に続く「12ページの詩集」とならんで、太田裕美のピークを記録した作品であると私は考えている。同じ1976年のリリースであり、「画集」と「詩集」というタイトルの類似からも、「手作りの画集」と「12ページの詩集」の関連性は推察できる。この2つは、連作としてセットで聴かれるべきものなのではなかろうか。もちろん、「画集」はすべての曲が松本隆&筒美京平コンビによるものであるのに対して、「詩集」は12人の異なる作曲者による楽曲という制作上のコンセプトの違いは理解している。しかし、アルバムのトータルなイメージ、表現のスタンスは驚くほどの近似性をもっているのではなかろうか。そしてそれは、私の考える「太田裕美的青春」と大きくかかわっている。

 この「太田裕美的青春」について、以前書いた「『青春の太田裕美』あるいは『太田裕美的青春』」という拙い文章を、若干改訂して以下に再録したい。

     ※     ※     ※     ※     ※

 太田裕美が好きだった。青春の一時期、ある種のアイドルだったといってもいい。ただ、一過性の、その美貌やチャーミングさに熱狂するような種類のアイドルではない。もっと静かで穏やかな、思いを投影し、共感するような種類の「アイドル」だった気がする。意外なことであるが、私と同世代(私は1962年生まれだ)の人には、現在も太田裕美の残像をどこかに抱えている人が結構いるようである。飲み会などで、ちょっと昔の思い出話などになると、「太田裕美」という名前が登場することがよくある。しかも、ずっと昔の一過性のアイドルというのではなくて、今でもその記憶を大切にしている人が多いのだ。

 太田裕美には周知のように多くのヒット曲があるが、ヒット曲以外の、一般的にはまったく無名のはずのアルバム収録曲を愛する人たちも少なくないようだ。彼らの心の中では、今でもそうした「無名曲」が鳴り響いている。もちろん私もその一人だ。もう十数年ほど前になろうか、当時の職場の同僚と酒を飲んでいる際、ふとしたことから太田裕美の話題となり、彼が太田裕美の「ファン」であることがわかった。さらに会話をすすめていくと、彼が愛する曲は「木綿のハンカチーフ」でも、「最後の一葉」でもないという。まさかと思って尋ねてみると、なんとこの『手作りの画集』収録の「茶色の鞄」という曲だったのだ。その時の驚きはいまでも忘れられない。我々の間に一種の共犯関係のような奇妙な連帯意識が生まれ、互いにニヤッとしたのだった。そして私はその後、同じような体験を何度かしたことがある。webで検索してみたところ、まったく意外なことであるが、この茶色の鞄」が現在でも多くの支持を集めていることがわかった。1970年代のアイドルにもかかわらず、古いオリジナルアルバムもいまだに廃盤とならずに、CDとして発売され続けているらしい。私にとっては、ちょっとした驚きだった。

 数年前から私は、このブログの、「青春の太田裕美」というカテゴリにいくつかの拙い文章をかいているのだが、まったく意外なことに、現在でもアクセスしてくださる人が少なからずいるようだ。その文章を書きながら、太田裕美とは、あこがれをぶつけて熱狂するような種類のアイドルではなく、時代を共有して、自身の青春を投影し、その音楽世界に共感する、そのような存在なのではないかという思いを強くした。その意味で、「太田裕美」とは、ある種の偶像なのであり、記号なのだ。

 そんな理由から、太田裕美の作品に表出されたような、自閉的でちょっと屈折した、けれども「純粋」で心優しい、1970年代特有の青春のあり方を、私は「太田裕美的青春」と呼んでいる。