WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

セーヌ川のジャズ

2014年11月29日 | 今日の一枚(A-B)

☆今日の一枚 384☆

Barney Wilen

Jazz Sur Seine

 近所にできたスーパー銭湯にいくことがマイブームのようになってしまった。超音波で白く濁った露天風呂に入り、サウナと水風呂を3~5セット繰り返し、高濃度炭酸風呂や電気風呂で身体をリペアし、ごろ寝風呂に入りながら青空に浮かぶ雲や夜空の月星を眺め、高温風呂で交感神経に刺激を与える。至福の時間だ・・・。週に2~3回程もいっているだろうか。小遣いを圧迫するという経済的な理由と、水風呂が高血圧気味の私の身体にはよくないことからせめて週1回程度に減らさなければと考えている。

 オフだったので、今日も行ってしまった。お昼少し前に行き、昼食もとらずに1時間半ほど風呂やサウナを楽しみ、仮眠室で1時間半ほど読書とうたた寝をし、再び1時間半ほど風呂を楽しんだ。都合4時間半以上も風呂屋にいたことになる。・・・やり過ぎである。あきらかにやり過ぎだ。これでは人間がダメになってしまうかもしれないと思いつつも、気分は最高だ。身体も軽い。水もビールもうまい。しばらくぶりに家族と食べた夕食もすごくうまかった。

 気分がいいので、しばらくぶりに書斎のCD棚を物色していて発見したのがこの一枚。バルネ・ウィランの1958年録音作品、『セーヌ川のジャズ』である。Jazz in Paris シリーズのうちの一枚。若き日のバルネ・ウィランが、ジョン・ルイスの抜けたMJQと共演した作品である。何と、ミルト・ジャクソンがピアノを弾いている。ところで、このアルバムを買った記憶がない。いや、よく考えると買ったような気もする。わからない・・・。最近、こういうことが多くなってきた気がする。年だろうか???・・・。いずれにしても、聴きこんではいなかったのだろう。

 晩年のように情感溢れる演奏ではないが、ストレートでのびやかな音がいい。好感のもてるテナーだ。晩年のサウンドにつながるようなデリケートな音づかいも随所にみられる。すっかり忘れていたアルバムなので、すごく得した気分である。風呂屋に行ったせいか、今日は気分がいい。心にすごく余裕があり、サウンドが素直に入ってくる気がする。さて、これからどうしよう。気分がいいうちに寝てしまおうか。それとも、もっと多くの音楽を聴いてみようか。


魅惑のとりこ

2014年11月29日 | 今日の一枚(E-F)

☆今日の一枚 383☆

Eddie Higgins

Bewitched

 先週の3連休の最終日、妻のたっての希望もあり、日帰りの強行軍で大学生になった長男を訪問してきた。私とは全く違い、理系に進んだ長男は、課題や、バスケットボール部の練習、アルバイトと結構忙しい生活を送っているようだった。課題のために深夜まで大学にいることも多いらしく、退廃的な学生時代を送った私にはちょっとイメージできない。それでも、酒や、夜の街を冒険することもおぼえ、それなりに一人暮らしを楽しんでいるようだった。

 親のいうことを素直に聴くような人間にはなるなといって育てたせいか、反抗的だった長男は、高校時代は初心者からスタートしたバスケットボール三昧で、定期試験時を除けは、家で一秒も勉強している気配はなかった。高校総体が終わったころから受験勉強がはじまり、模擬試験も一応は受けているようだったが成績は伸びなやんでいたらしかった。「らしかった」というのは、通知票も模擬試験の結果も見せてもらったことがないからだ。息子が引っ越した後、ベッドの下からほとんどがE判定の模試の結果が大量に発見されたのだった。親の目からは、携帯電話に毒されて集中力を欠いた、かなりぐだぐだな受験勉強にみえた。けれど、一応勉強は継続していたようだったので、そのうち少しは伸びてくるだろうとは思っていた。問題は肝心の受験までに間に合うかということだった。

 長男が「相談」に来たのは、暮れもおしつまった12月末の深夜だった。明日までに受験する大学を高校に提出しなければならないが、何をやりたいのか、どこを受けていいのかよくわからないというのだ。そんなの適当に書いておけよと答えたのだが、そうもいかないのだということで、結局、明けがたまで二人で受験雑誌をひっくり返して検討した。一応の志望分野を聞き、直近の、恐らくは一番良かったであろう模試の結果を見せてもらい、受験日と移動日程、入学金支払期限を考慮しながら、応急的に決めた。多分に希望的観測を含んだ、まったく応急的なものだった。しかし結局、長男はこの時決めた大学をそのまま受け、私大は3勝3敗、奇跡的に地方の国公立大学にもぐりこんだ。「相談」を契機に、長男はたまにだが受験のことを話すようになった。私も、ホテルの手配や交通手段の確認を手伝い、勝手に合格最低点のシュミレーションをやってみたりした。楽しい時間だった。わずか2か月ちょっとだったが、息子と同じ目標をもち、それなりに濃密な時間を過ごすことができた。

 エディ・ヒギンズの2001年録音作品、『魅惑のとりこ』である。エディ・ヒギンズなどというそれまで知らなかったピアニストを知ったのは、今はなきスウィング・ジャーナル誌の所為である。あのvenus盤の大キャンペーン攻勢だ。それにのせられてこのピアニストの作品を何枚か買った。7~8枚はあると思う。悪いピアニストではない。ディオニソス的な、「呪われた部分」に属するピアニストではないが、ゆったりとした寛ぎと、穏やかな時間を与えてくれる。一時期、結構熱心に聴いていた気がする。『魅惑のとりこ』は、恐らくは一番よく聴いた作品だと思う。ベースはJay Leonhart、ドラムスはJoe Ascione。曲がいい、ノリがいい、録音がいい、の三拍子である。魅惑的な演奏満載の、まさに「魅惑のとりこ」である。そういえば、最近エディ・ヒギンズを聴いていない。また聴きなおしてみようか・・・。当時すでに高齢だったように記憶しているが今でも元気でいるのだろうかと思って調べてみたら、2009年に亡くなられたのですね。遅ればせながら、追悼、エディ・ヒギンズ・・・。

 『魅惑のとりこ』が録音された2001年は長男が小学校に入学した年、亡くなった2009年は中学生だったはずだ。時の流れの速さに立ち尽くすのみである。


仮性包茎を想起してしまうジャケット

2014年11月23日 | 今日の一枚(O-P)

☆今日の一枚 382☆

大貫妙子

Mignonne

 大貫妙子自身の評価は高くないようだが、私自身は大好きなアルバムであり、恐らくは大貫妙子の作品の中で最もよく聴いたアルバムだと思う。あまりに聴きすぎたせいで飽きてしまい、ここ数年はご無沙汰だったのだが、少し前にCDを購入したことがきっかけにまた聴くようになった。1978年リリースの大貫妙子『ミニヨン』、1980年代前半に出合って以来、ずっと貸しレコードをダビングしたカセットテープで聴いてきた。素晴らしいの一言である。アルバム全体に漂う、気高い感じがいい。佳曲ぞろいであり、曲の配列もよく練られている。サウンドもこの時代としてはかなり斬新なものだったはずだ。長い年月聴き続けてきたこともあり、私にとっては一曲一曲が感慨深い。②「横顔」の初々しさや、⑨「海と少年」のさわやかさ、⑩「あこがれ」の誠実さは、心の深い部分に共振する。ちょっと意外なところだが、④「空をとべたら」が私は好きだ。ノリの良さとポップなメロディーラインに魅了される。

 名曲の誉れ高い⑧「突然の贈りもの」に否定的な見解はまったくない。その詩的世界に首肯し、同化するのみである。自分のことが歌われていると誤解するほどである。けれど、大貫妙子がかつて坂本龍一と恋人同士で一緒にくらしていたなどという、ゴシップ情報をwebで知ってしまい、この曲が坂本龍一のことを歌っているのではないかなどと考えてしまうようになった。下司の勘ぐりである。作品の本質にはまったく関係がないことだ。webの功罪か、あるいは私の俗物性の故か・・・。

 印象的で素晴らしいジャケット写真である。大貫妙子も若々しく可愛らしい。素敵な女性だ。「ミニヨン」=「可愛らしい女の子」である。ところがである。この素晴らしいジャケットをみると、いつも仮性包茎を想起してしまう。昔、雑誌の挿画か何かで同じようなイメージのものを見たのである。自分の下品さ、俗物性を思い知るのみである。


ピアノの響きが美しい

2014年11月22日 | 今日の一枚(K-L)

☆今日の一枚 381☆

Keith Jarrett

Changes

 3連休、久々の完全オフである。大学生になった長男を訪問しようかと考えていたのだが、妻の親戚に不幸があってホテルをキャンセルした。というわけで、午前中は職場に行って残務整理、午後からは掘りごたつの完全清掃をした。ヒーターを分解して機械の中の埃まで取り除いた。家をつくって初めてのことなので、10年分の汚れだ。10年分の埃はかなりの量で簡単な作業ではなかったが、家の中をきれいにするのは悪い気分ではない。そういえば、震災後ずっとそのままの、家の壁のひび割れもそろそろ何とかしなければ何らない。しかし、建築業者が忙しすぎて我が家の補修など後回しにせざるを得ない現状はまだまだ変わらないようだ。

 キース・ジャレット・トリオの1983年録音作品『チェンジズ』である。あの『スタンダーズ』vol.1及びvol.2と同日の録音のようだ。もちろん、ベースはゲイリー・ピーコック、ドラムスはジャック・ディジョネットである。スタンダーズ・トリオでオリジナル作品もやってみたということになるのだろうか。しかし、やってみたというにはあまりに美しい演奏である。ピアノの響き方が素晴らしい。筆舌に尽くしがたい。キースのトリオのインタープレイの凄さはもちろんなのだが、私の耳はピアノの響きを追いかけてしまう。不協和音を巧みに織り交ぜつつ展開していく、静寂な雰囲気の響きは、それが即興演奏だとはまったく信じられないほどだ。

 若い頃、よく聴いたアルバムなのだが、ここ十数年ほどCD棚で埃をかぶったままだった。数日前に、たまたま手に取り聴いて以来、ここ数日何度も聴いている。

 


やっぱり響きが素晴らしい

2014年11月16日 | 今日の一枚(K-L)

☆今日の一枚 380☆

Keith Jarrett

Standards, Vol.2

 昨日まではHCを務めるバスケットボール部の地区予選、今日は久々のオフだ。といっても、来週からはじまる試験のための準備をしなければならないのだが・・・・。これから仕事に取りかかり、一区切りついたら骨休めに近所のスーパー銭湯にでもいこうかと目論みつつ、コーヒーを飲みながら音楽を聴いている。

 先日のVol.1に続いて、キース・ジャレット・トリオの1983年録音作品『スタンダーズVol.2』である。曲の解釈や演奏の構成はもちろんだが、やはり音の響きが素晴らしいと感じる。何というか、透徹した、硬質で透明なピアノの音に魅了される。バラードナンバーにおける、ゲリー・ピーコックのベースの深く柔らかい響きも好ましい。キースのだみ声が邪魔だという人も多いようだけれど、私にはさほど気にならない。Vol.1に比べて、静かな曲が多く、その意味ではピアノの響きを聴くにはより適した作品といえそうだ。

 今日は少し寒いようだ。けれども、暖房の聴いた部屋で、外の風景を眺めながら、キースのピアノの透明な響きを感じるのはひとつの至福の時だ。心が穏やかになっていくのがわかる。昨日までのバスケットボール大会の喧騒と熱気が、耳からあるいは脳からしだいに消えていく・・・。

 3人しか部員がおらず、助っ人を借りて出場した地区大会で、県予選への出場権を勝ち取ったのは選手を褒めるべきだろう。けれども、相手チームの選手たちの落胆した表情を見るにつけ、ちょっと複雑な心境になる。本来選手不足の我々が出場しなければ、予選を勝ち抜けたはずなのだから・・・。


ピアノの響きが素晴らしい

2014年11月10日 | 今日の一枚(K-L)

☆今日の一枚 379☆

Keith Jarrett
Standards, Vol.1

 このアルバムをよく聴いていた頃、ひとりの女の子と出合った。彼女は高校生で僕は大学生だった。夏休みの帰省中に暇を持て余し、史跡見学にかこつけて原付バイクで近隣の田舎町を訪れ、道を尋ねたのがきっかけだった。おばあさんの乗った車いすをおしていた彼女は、岩手県の田舎町には似つかわしくない、白いワンピースを着ていた。可愛らしい女の子だった。その町のことをいくつか尋ね、ほんの少しだけ世間話をして別れたのだが、数日後、その町のスーパーマーケットで再びばったり出会ったのだ。数日前のお礼を述べ、自己の素性を明かしてとりとめのない話をしているうちに、日を改めてその町を案内してもらえることになった。結局、その夏休みには彼女と5~6回ほど会い同じ時間を過ごすことになった。それだけだ。まっすぐに物事を見る、素直で誠実な女の子だった。けれど、どこかアンニュイな雰囲気をもった女の子だった。彼女とは次に会う約束もしていたが、私に急用ができて東京に帰らねばならなくなり(ほんとに切羽詰まった大切な用事だったのだ)、約束をすっぽかす形になってしまった。まだ携帯電話などなかった時代の話だ。連絡先をちきんときいておかなかったのがいけなかった。約束を破ってしまったことを詫びることもできず、彼女とはそれっきりになってしまった。冬休みに帰省した時に、一度だけその町をぶらぶらしてみたが、彼女と出会うことはできなかった。苦い思い出だが、今でも私の中では、その夏休みの記憶は彼女とともにある。

 キース・ジャレットの1983年録音作品、『スタンダーズ第一集』である。キースがスタンダードに取り組んだ最初の作品である。もちろん、ベースはゲーリー・ピーコック、ドラムスはジャック・ディジョネットである。スタンダードの解釈や演奏の構築はもちろんだが、何といっても音の響きが素晴らしい。私にとっては美しいピアノの響きがすべてだ。硬質で想像力をかきたてるような響きだ。①Meaning Of The Blues の静謐で深淵な出だしを聴くと、私はいつもあの夏の日に出合った女の子のことを思い出す。彼女のように、素直で誠実で、どこかアンニュイな響きに聴こえる。

 田舎町には似つかわしくない洋服を着たその女の子は、自分はこの町が本当に好きだと語った。けれども、やはりこの町からでてみたいのだとも語った。私から東京の話を聞き、ちょっと照れくさそうに、けれども真剣な口調で、足腰の悪いおばあさんが心配ではあるが、それでもやはり一度はこの町の外を見てみたいのだと語った。もう彼女の顔をはっきりと思い出すことはできない。記憶には白い半透明のベールがかけられているようだ。それでもこのアルバムを聴くと彼女のことを思い出す。あの夏休みの記憶はこのアルバムのサウンドとともにある。このアルバムを聴いて以後、私はキース・ジャレットのフォロワーになっていったが、もしかしたらそれはあの夏の想い出と関係があるのかもしれない。

 素直で誠実で、どこかアンニュイな女の子。彼女ももうすぐ50代になるはずだ。彼女と出会ったのは、このアルバムがリリースされた翌年のことだった。

 


さようなら、ジャック・ブルース

2014年11月02日 | 今日の一枚(C-D)

☆今日の一枚378☆

Cream

Goodbye

 ジャック・ブルースが死んだ。にわかには信じられない感じだ。勿論、よく考えれば1943年生まれのジャック・ブルースはもう71歳だったのだけれど、若い頃、ずっと聴いていたせいか、同世代とまではいかなくても、何かもっと身近な存在に感じていたのだ。

 1969年リリースの『グッバイ・クリーム』である。クリームの作品の中で、私が最初に買ったアルバムである。1970年代末のことだったように思う。リリースから10年ほど経過した頃ということになる。。エリック・クラプトンやビートルズを経由してクリームを知った私は、クラプトンとジョージ・ハリスンの共作による「バッジ」を聴きたくてこのアルバムを買ったのだった。1968年にクリームが解散した後、プロデューサーのフィリックス・パパラルディーがライブ音源とスタジオ録音音源をまとめて制作した作品である。仲が悪かったといわれるジンジャー・ベイカーとジャック・ブルースの間にクラプトンが入ったジャケット写真が今となってはほほえましい。『カラフル・クリーム』や『クリームの素晴らしき世界』に比べるとワンランク落ちるような印象を持っていたのだが、しばらくぶりにレコードジャケットを手に取ってみると、「バッジ」以外にも、「アイム・ソー・グラッド」や「政治家」あるいは「トップ・オブ・ザ・ワールド」など印象深い楽曲が収録されており、演奏の質も高い。

 改めて思うのだけれど、クリームは真のスーパー・グループと呼ぶべきバンドだった。Youtubeなどの映像を今見てしみじみと思う。ドラムス・ベース・ギターと弱点がない。たった3人であの分厚いサウンドを作り出していたことだけでも驚きだ。後の商業的な成功ゆえに、エリック・クラプトンばかりが遡及的にクローズアップされがちであるが、ジャック・ブルースのベースと、ジンジャー・ベイカーのドラムは、他に比肩することのできない程ハイレベルな演奏だ。特に、ジャック・ブルースの重くドライブするベースの存在感とポテンシャルは驚異的なものだ。ロックの世界で彼の後に、彼を超えるようなベーシストはいないんじゃないだろうか。ジャック・ブルースこそ、真の天才ベーシストだと思う。今聴くと、クリームの楽曲はメロディーがシンプルすぎて稚拙に感じることは否めない。けれども、そこで繰りひろげられるインプロビゼーションのレベルは本当に驚異的としかいいようがない。もちろん、聴いていた当時からそう思っていたが、今聴いてもそれは全然変わらないし、むしろその本質的な凄さが身に染みて理解できるほどである。

 ジャック・ブルースを偲んでクリームを聴こうかと思ったが、レコードプレーヤーもカセットデッキも故障中で聴くことができない。Youtubeの動画をipadに接続した小型スピーカーで聴くことができるだけだ。ああ、クリームを大音響で聴きたい。しかしそれにしても、やはりCDも買っておくべきだな、などと思いながら、一方でこの記事を書き終えたら近所のスーパー銭湯に行こうかなどと考えている私は、やはり単なるオヤジというべきなのだろうか。

 さようなら、ジャック・ブルース

 2014年10月25日、ジャック・ブルース死去。