WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

Feelin' Summer(アルバム)……青春の太田裕美(22)

2010年07月29日 | 青春の太田裕美

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 夏だ。暑い日が続いている。今回の「青春の太田裕美」は、アルバムである。1979年作品『フィーリン・サマー』である。コアな太田裕美ファンの中ではかなり評価の高い作品のようだ。シングル曲とアルバムは分けて考えるというプロデューサーの方針により、このアルバムにはシングル曲が存在せず、アルバム表現に特化した作品となっている。そのため、一般のファンには知名度が低く、実際、田舎の静かなファンだった私も同時代に聴いた記憶がない。web等での評価の高さを知り、興味を持って購入したのはつい1年程前のことだ。

 1979年当時としてはよくできた作品だと思う。透明感のあるシティーポップ風のお洒落なサウンドにのせて、けだるくアンニュイな夏の情景と心象風景がみごとに表現されている。効果音が使用されるなど、サウンド的なクオリティーも高い。プロデューサーの白川隆三氏は1981年に発表される大瀧詠一『ア・ロング・バケーション』も手がけており、サウンド的な傾向も類似性を感じる。maj7コードを多用したサウンドはお洒落で都会的な雰囲気を作り出しており、大人のサウンドといえる。曲中に登場する海や川も、「田舎」の情景ではなく、避暑地のそれをイメージさせる。「夏」という語も、「Summer」という語感に近いかも知れない。

 その意味では、私が共感を抱く、「青春の太田裕美」的ノスタルジアとは性格を異にするものというべきかもしれない。聴衆と時代を共有し、太田裕美そのひとでなければ表現できないと思われるような世界ではなく、「普通の」優れたシティー・ポップ作品というべきだろう。それではなぜ、この作品を敢えて取り上げるのか。このアルバムをカーステレオで聴いていたときのことである。まったく意外なことだったが、CDのスイッチを入れた瞬間、車内に1979年の空気が充満しはじめたのである。時代が詰まった缶詰のようであった。それを開けたその瞬間、風景に1979年の色褪せたフィルターがかかり、車内の空気はききの悪いエアコンを搭載した1979年の車のもののように感じられた。

 私が共感する太田裕美的青春を表すものとはいえないだろうが、1979年の時代の空気をいっぱいに詰め込んだ、何とも不思議な一枚である。


ヤロン・ヘルマンというピアニスト(加筆)

2010年07月17日 | 今日の一枚(Y-Z)

●今日の一枚 278●

Yaron Herman

Piano Solo         Variations

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話題のピアニストのピアノ・ソロ・アルバムだ。1000円也、安い。イスラエル出身のピアニスト、ヤロン・ヘルマンの2009年作品、『ヴァリエーションズ』である。

1981年7月12日、テル・アビブ生まれ。彼のピアノ歴のスタートは極めて遅く、なんと、16歳の時だった。それまでは、バスケットボールのナショナル・チームの一員として将来を期待される存在であったが、致命的な足の負傷により競技生活を断念したそうである。ピアノの師であったOpher Brayerは、哲学、数学、心理学などを基本としたユニークな教授法で知られる人であったが、その薫陶を受けたヤロンは、わずか2年後、権威のある賞として知られる、Rimon賞の「若き才能部門」に輝いた。この事はイスラエルの音楽界、ピアノ界の歴史においても極めてユニークな出来事だ。

ヤロン・へルマンのバイオグラフィーである。本当だろうか。ちょっと、信じがたい話だ。カリスマ的な神話をつくろうとしているのでは、と疑いたくなる。

確かに、素晴らしい演奏技術と豊かな表現力をもったピアニストである。「新しいピアニズムとの出会い」というシールが貼られていたのも頷ける程である。ただ、ちょっと生真面目すぎはしないだろうか。うがった見方をしてしまうと、知識人特有のスノビッシュないやらしさを感じてしまう。美しく理想的な音楽を希求する姿勢、例えればプラトンのいうイデアへの憧れのイメージを強烈に感じるのだが、音楽を演奏する悦びがいまひとつダイレクトに感じられない。「エロス」とは、イデアを希求する心であると同時に悦びでもあるのだ。

 とまあ、余計なことを記してしまったが、好きか嫌いかと問われれば、すごく好きだ。線は細いが、美しく、狂おしい感じがとてもいい。ユダヤ系の曲を数曲取り上げたり、ヴァリエーションズの名のとおり、いろいろの曲解釈を実験したりと、やりたい事がたくさんあるようだ。やはり、才能がある人なのだろう。他のアルバムも聴いてみたいと思わせるピアニストである。

[追記]この記事を書いてから一週間ほど、ほとんど毎日このアルバムをかけている。真剣に聴くというより日常生活のBGMとしてかけているのだが、とてもいい気分だ。心が穏やかになる。そして時折、ドキッとするフレーズがある。やはり、好きか嫌いかと問われれば、すごく好きだ、ということになろう。すばらしい。


マイナー・ブルース

2010年07月10日 | 今日の一枚(K-L)

●今日の一枚 277●

Kenny Barron

Minor Blues

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 ケニー・バロン・トリオの2009年録音作品、『マイナー・ブルース』である。venus 盤である。パーソネルはベン・ライリー(ds)、ジョージ・ムラーツ(b)だ。このメンバーをみただけで期待が込み上げてくる。

 一聴、妙に音がいい。鮮明である。venus お得意の「オンマイク」の録音だということを考慮しても、ずいぶん鮮明な音に思える。よく見ると、HQCDというやつだ。HQCD ? 知らなかった。調べてみると、HQCD(ハイ・クオリティーCD)は、先行するSHM-CD(スーパー・ハイ・マテリアルCD)に対抗して開発されたもので、規格はこれまでのCDと同じながら、液晶パネル用途のポリカーボネートが基盤材料に使用され、従来のアルミニウムに換えて反射膜素材として特殊合金が使用されているのが特徴で、限りなくマスターに近いサウンドが再現できるとの触れ込みのようだ。SHM-CDと異なる点は、後者の特殊合金の使用である。音がいいのは、録音の良さのためなのか、この新素材の採用のためなのか、一枚聴いただけでは判断がつかないが、とにかく格段に音が鮮明であると感じたことは間違いない。鮮明すぎて音が強すぎ、陰影感がそこなわれるのではと感じた程だ。

 好きだなあ、このアルバム。心からそう思える作品である。1曲目のケニー・バロンのオリジナル、① Minor Blues からちょっとドキッとした。不協和音を効果的に使ったサウンドである。2曲目以降はスタンダート曲である。気持ちよくスウィングするノリのよい演奏あり、ジーンとくるようなリリカルな演奏あり、とにかく心が踊る。太く、力強いムラーツのベースのせいか、ダイナミックなサウンドに仕上がっている。《芸術性》の極北をめざすようなものではないが、十分に質の高い演奏であり、私の日常の中に溶け込み、元気を与えてくれる一枚である。


ジャスミン

2010年07月09日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 276●

Keith Jarrett / Charlie Haden

Jasmine

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 話題の作品である。キース・ジャレット/チャーリー・ヘイデンの『ジャスミン』、今年(2010年)発表された作品だが、よく見ると録音は2007年のようだ。web上の多くのレビューが記すように、いいアルバムだ。静かで切ないバラード集、けれど決して甘く流されることはない。やや自己主張をしすぎるベースのせいだろうか、全体的なサウンドのトーンはチャーリー・ヘイデンのもののような気がする。しかしよく聴くと、いつもとちょっと違う雰囲気で奏でられる切なく狂おしいピアノのメロディは、まさしくキース・ジャレットその人のものだ。曲と曲との間の空白の時間の余韻がすごく深い。演奏そのものに静けさがあるが、その余韻には、さらに深遠な「絶対的」な静寂を感じる。この余韻がいとおしい。ほんの一瞬だか至福の時間だ。それを感じるだけでもこのアルバムには十分に価値があるとさえ思う。

 しかし、それにしてもである。この違和感は何だろう。とてもいいアルバムだと思う一方、奇妙な違和感を感じてしまう。これまでのクリエイティブなキース・ジャレットとのギャップだろうか。そうではないような気がする。そして私は、その正体の知れない違和感にかすかな恐れを感じてしまう。

「夜更けにあなたの妻や夫、あるいは恋人を電話で呼び出して、一緒に座って耳を傾けて欲しい。これらは、曲のメッセージをできるだけそのままの形で伝えようとするミュージシャンたちが演奏する偉大なラブソングだ。」(キース・ジャレット)

 キースのこのような言葉は、できれば聞きたくなかった。しかし、ミーハーな私は、韓ドラ三昧の妻を誘って、今夜は一緒にこの「ジャスミン」を聴こうかなどと考えてしまう。